薄闇のゲームセンター
今は昔、平成初め頃のことだ。
当時はまだ法規制が緩く、深夜まで営業するゲームセンターがあちこちにあった。
繁華街ならともかく、ちょっと外れた場所では深夜帯になると客はほとんどおらず、カウンターに店員が一人か二人いるだけで、店内はガランとしているのが当たり前だった。
俺はその日、出張先での仕事に手間取っていた。
上司からの理不尽な指示と、慣れない土地での疲れで、苛ついた気分が収まらなかった。
泊まっていた簡易宿泊施設に戻る前に、少しでも気分転換しようと、目についた深夜営業のゲームセンターに立ち寄ることにした。
時間は23時を少し過ぎていた。
その店の外観は、なんというか、ちょっとボロかった。
看板のネオンは半分が切れていて、「ゲームセンター」という文字がかろうじて読める程度。
ガラス扉には古いステッカーが貼られ、色褪せたポスターが剥がれかけていた。
まあ、出張先の田舎町だし、こんなもんかと気にもせず、俺は中に入った。
店内は薄暗く、空気が少し湿っぽい感じがした。
蛍光灯がチカチカと点滅し、埃っぽい匂いが鼻をつく。
客は俺以外に誰もおらず、カウンターには店員らしき影も見えない。
ちょっと居心地が悪いなと思いながらも、目的は当時流行っていた格闘ゲームで鬱憤を晴らすことだ。
俺は店内を見回し、目当てのゲーム機を探した。
だが、このゲームセンター、儲かっていないのか、最新の格闘ゲーム機なんて影も形もない。
隅の方に埃をかぶった初代の格闘ゲーム機が一台、ポツンと置かれているだけだった。
正直、そのゲームはもう何度もやり尽くして飽きていた。
でも、鬱憤晴らしがしたかっただけだから、別にいいかと諦め、ポケットから小銭入れとタバコを取り出した。
ライターでタバコに火をつけ、煙を吐きながらコインを投入し、ゲームを始めた。
懐かしいBGMが流れ、画面には見慣れたキャラクターの選択画面が映る。
適当にボタンを叩きながら、俺は仕事の苛々をゲームにぶつけた。
数ゲーム終わった頃、ふと気づいた。店内が、入った時よりもさらに薄暗くなっている。
あちこちで、微かに人の気配がするような気がした。
辺りを見回すと、薄暗い店内で何かが見えた。
UFOキャッチャーの陰に、顔は見えないが人のシルエットが立っている。
他の縦型筐体からは、BGMに混じってボタンを連打する音が聞こえてくる。
カチャカチャ、ピロピロ。
いつの間にか他の客が入ってきたのか? まあ、深夜でも誰か来ることもあるかと、気にせず再びゲームに集中した。
すると、どこか遠くから、別の音が聞こえてきた。
キィ…キィ…。
何かが軋むような、規則正しい音。
最初はゲーム機の古い部品が鳴っているのかと思ったが、耳を澄ますと、店の奥の方、トイレがある方向から聞こえてくる。
気味が悪いなと思いつつも、ゲームに夢中で無視していた。
その瞬間だった。パッと照明が消え、目の前のゲーム機の画面もブラックアウトした。
店内が一瞬にして真っ暗になり、しん…と静まり返った。さっきまでの人の気配も、BGMも、ボタンの音も、全てが消えた。
だが、遠くから聞こえていたキィ…キィ…という軋む音だけが、かすかに残っている。
俺は驚いて立ち上がり、「おい、店員! 停電か何かか?」と大声で叫んだ。
でも、返事はない。カウンターの方を見ても、誰の気配もない。
真っ暗で何も見えない。
少しパニックになりながら、ポケットからライターを取り出し、カチッと火をつけた。
頼りない小さな炎が揺れ、周囲をぼんやりと照らす。
その光の中で、俺は息を呑んだ。
そこは、ゲームセンターなんかじゃなかった。
廃墟だった。
窓には木の板が打ち付けられ、隙間から冷たい風が吹き込んでくる。
床には埃とゴミが積もり、周囲には古いゲーム機が乱雑に放置されている。
俺がやっていたはずの格闘ゲーム機も、画面は割れ、ボタンは外れてしまい、長い間放置されていたとしか思えないボロボロの状態だった。
さっきまでゲームをしていたのは、俺の幻覚だったのか?
そして、店の奥、トイレの方から、あのキィ…キィ…という音がまだ聞こえてくる。
ライターの火を手に持ったまま、恐る恐るそちらへ近づいてみた。
廃墟の中、トイレの扉は半開きで、錆びた蝶番が風に揺れて軋んでいる。
だが、その音はもっと重く、規則的で、まるで何かが吊り下がって揺れているような…。
意を決して中を覗くと、真っ暗な空間に、かすかに揺れる影が見えた。
それは首を吊った人影のようだったが、よく見ると、体が不自然に透けている。
影の首がこちらを向いた瞬間、顔がない。
ただ黒い穴のようなものが口を開け、低い呻き声が響いた。
「うぅ…うぅ…」。
俺は恐怖で足がすくみ、その場に立ち尽くした。
動こうにも体が言うことを聞かず、ただ震えるばかりだった。
どれくらい時間が経ったのかわからない。
ようやく我に返った時、俺はライターの火を頼りに出口を探した。
木の板が破れた窓の隙間を見つけ、そこから這うようにして外に出た。
冷たい夜風が頬を叩き、ようやく現実に戻った気がした。
周りを見ると、そこは確かにゲームセンターの建物だったが、看板は錆びつき、入り口は鎖で封鎖されていた。
まるで何年も前に閉店したような状態だ。
俺は震えながら宿泊施設に戻り、その夜は眠れなかった。
あれは、かつて流行っていたゲームセンターの残留思念だったのか。
それとも、人ならざるものが俺に見せた幻覚だったのか。
考えれば考えるほど頭が混乱した。
翌日、出張の仕事を終え、地元の同僚にその話をしてみた。
すると、彼は少し顔を曇らせて言った。
「ああ、その場所か。昔、そこにゲームセンターがあったよ。昭和の終わり頃までは賑わってたけど、ある日、店主が店のトイレで首を吊って死んだんだ。借金で首が回らなくなったらしい。それ以来、客も来なくなって廃墟になったよ。夜になると、トイレの方から変な音が聞こえるって噂もある。」
俺は背筋が凍った。
店主がトイレで首を吊った…。
あのキィ…キィ…という音は、店主の亡魂がまだそこに吊り下がって揺れている音だったのか?
シルエットやボタンの音も、彼の怨念が引き寄せた何かだったのか?
でも、それだけじゃ説明がつかない。
あのゲーム機で、俺は確かにゲームをしていた。
コインを入れ、タバコを吸いながらボタンを叩いていた記憶が鮮明にある。
それなのに、廃墟でそんなことが可能なのか?
その夜、宿泊施設の部屋で荷物をまとめていると、ふと異変に気づいた。
ポケットに入れていたはずのタバコとライターがない。
小銭入れの中身も、昨夜使ったはずのコインが一枚も減っていない。
俺は混乱しながら部屋を見回した。
そして、ベッドの脇に置かれた小さな鏡に目をやった瞬間、心臓が止まりそうになった。
鏡の中には、俺の背後にあのゲームセンターの薄暗い店内が映っていた。
UFOキャッチャーの陰に立つシルエット、割れたゲーム機、そして…トイレの扉の隙間から、かすかに揺れる半透明の人影が見える。
俺の肩越しに、顔のない何かがじっと立っている。
慌てて振り返ったが、そこには何もない。
ただの宿泊施設の壁だ。
でも、鏡を見ると、それはまだそこにいた。
その日から、俺は鏡を見るたびに怯えるようになった。
どんな場所にいても、鏡に映る背景が時折あの廃墟のゲームセンターに変わる。
時にはトイレの扉が映り、キィ…キィ…という音が遠くから聞こえてくる。
そして、いつも背後に何かいる。
顔はない。
ただ、じっと俺を見つめている気配だけがする。
数日後、俺は出張先の町に再び行くことになった。
あのゲームセンターの前を通る用事があったが、恐ろしくて近づけなかった。
ただ、遠くから見ただけでも分かった。
廃墟は変わらずそこにあり、錆びついた看板が風に揺れている。
でも、なぜか胸騒ぎがして、立ち止まって目を凝らした瞬間、遠くの窓の隙間から微かな光が漏れている気がした。
誰かが中にいるのか?
いや、まさか。
その夜、宿泊施設に戻った俺は、荷物を整理している時に再び異変に気づいた。
ポケットから、タバコの吸い殻が一つ転がり落ちた。
俺はタバコを吸った記憶はあるが、吸い殻をポケットに入れるなんてことはしない。
それに、その吸い殻は妙な臭いがした。
カビ臭く、どこか腐ったような…廃墟の匂いだった。
今でも思う。
あの夜、俺は本当にゲームをしていたのか。
それとも、何かに「遊ばれていた」だけなのか。
鏡に映る影は、俺をどこまでも追いかけてくる。
そして、夜が深まるたびに、あの薄闇のゲームセンターの記憶が、俺の心を蝕んでいく。
VTuberをやらせていただいています、言乃葉 千夜と申します。
この物語は、私のYouTubeチャンネル「言乃葉の館」で朗読用に作ったホラーストーリーです。
YouTubeチャンネル→https://t.co/UBdBrzvOYa
この物語の動画→https://youtu.be/TmFdROk9Pdc
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