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8.無理矢理奪われた言葉



「人の妻に勝手に触れようとするなんて、不敬にも程がありますよ、セリュード殿」

「……彼女が泣きそうになっていたので、慰めようとしただけだ。お前こそ、彼女を悲しませる事を何かしたんじゃないのか?」

「そんな事はしていません。今後一切、僕の妻に近付かないで下さい」



 キッと睨みつけてくるディクスに、セリュードは小さく鼻で嘲笑った。



「――はっ、酷い嫌われようだな。夫人、何かあれば力になるから、いつでも頼ってくれ」

「冗談はよして下さい。妻には僕がいるので。貴方の心配は無用ですし、頼る事も絶対にありません」



 セリュードは噛み付く勢いのディクスを無視し、シェラルに軽く手を振ると、その場から去って行った。



(……何よ。私を悲しませる事、思いっ切りしてるじゃない。『離婚届』を役所に出してエルモア様と睦まじい仲になってるんでしょう? それなのに、私の事をまだ『妻』と呼ぶの? 本当に……この人の考えてる事が全然分からないわ……)



「……離して」



 シェラルは小さく一言だけ発し、ディクスの腕の中で身動ぎすると、彼は少しだけ身体を離した。だが、シェラルの腰に添えた手はそのままだ。

 ディクスが、少しだけ眉間に皺を寄せシェラルに訊いてきた。



「シェラ、どうしてここへ? 僕の許可が無いと外出してはいけないと言っていたでしょう? 馬車の件もあって、君に何かあったらと思うと、僕は心配で堪らなくなるんです」



(また、そんな事……。それは本当の気持ちなの? それとも、やっぱり嘘? まるで正反対のディーが二人いるみたい……)



「……ごめんなさい。貴方が緊急の書類を忘れていったから届けに来たの。私がどうしても行きたいと我が儘言って無理矢理許可を貰ったのだから、執事さんは何も悪くないわ。それに、優秀な護衛をつけてくれたし。だから怒らないであげて」

「――あぁ、その書類……。すっかり忘れていました。他に考え事をしていると駄目ですね……。ありがとうございます、シェラ。執事は何度も貴女を止めたと思いますが……。そんなに僕に会いたかったのですか?」



(違います! ただ役所に行きたかっただけです! 逆に会いたくなかったですごめんなさい!)



 嬉しそうに顔を綻ばせているディクスに罪悪感を感じながら、シェラルは彼に書類を渡した。



「じゃあ、私はこれで……」



 今はディクスの顔を見ると辛い気持ちが湧き上がってくるので、すぐにこの場から立ち去りたかったシェラルだったが、彼に制止の言葉を投げられ足を止められてしまった。



「待って下さい、シェラ。すぐに仕事を片付けるので、一緒に帰りましょう。――ゼルタ、シェラの護衛御苦労でした。先に屋敷に帰って下さい」

(えっ!?)

「はっ。では失礼します」



 ゼルタと呼ばれた護衛は二人に頭を深く下げると、城の入口に向かって歩き出した。



(あぁっ!? ゼルタさんっ、私も一緒に帰らせてっ! 帰ってすぐに荷物の整理を再開しなきゃなのに! それに今はこの人と二人きりになりたくないの! お願い待って!! せめて一緒にいて緩衝材になってぇーーっ!)



 シェラルは遠ざかるゼルタの背中に、心の中で必死に手を伸ばし、精一杯の念を送ったが――案の定、意味は無く。



 微笑を浮かべるディクスに手を取られ、半ば引き摺られる形で、シェラルは騎士団長の部屋へと向かったのだった……。




********




「そこのソファに座って寛いで下さい。すぐに終わらせますので」



 シェラルは座り心地の良いソファに腰を沈めると、執務机で書類にペンを走らせているディクスを眺める。

 真剣に真面目な顔つきで仕事をしている彼は、とても格好良くて、素敵で。


 ……大好きな、夫の姿で。



 ――だからこそ、胸が苦しくて堪らない。



「……あの……」

「はい? どうしました、シェラ?」



 ディクスは書類に視線を向けたまま答える。しかし、口調は酷く優しい。



「さっき、そこの廊下でエルモア様と会ったの」



 シェラルの言葉に、ピクリとディクスの肩が揺れる。

 垂れ下がってきた前髪の所為で、彼の表情が見えなくなった。



「……そうですか」

「えぇ」

「…………」



 沈黙が降りる。

 ディクスは会話を繋げてこなかった。

 いつもの彼なら、シェラルの話相手が誰であれ、



『へぇ? それで、どんな話をしたのですか?』



 と、興味を持ってにこやかに話を続けてくるのに。


 ……繋げてこないのは、その相手が“運命の人”であるエルモアだからか。



(……元妻に、現恋人の話はしたくないって事? 少しは罪悪感を感じているのかしら)



 彼から、これ以上のエルモアの話を拒否する空気が漂っている。



(……それでも、私はハッキリさせたい。こんなモヤモヤな気持ちのまま終わりたくないもの)



 緊張で乾いた唇を舐め、シェラルは意を決して口を開いた。



「……エルモア様ね、貴方から熱い視線を感じると言っていたわ。まるで“運命の人”に出会ったかのような眼差しで見てくるって。エルモア様も、貴方を“運命の人”に感じるって。二人は強く想い合ってるって。エルモア様を抱きしめる貴方の腕が、見掛けによらずとても逞しいって、頬を赤く染めながら言っていたわ」



 エルモアとの会話の内容をそのまま伝えると、ディクスの口からギリッと強い歯軋りの音が聞こえ、シェラルはビクリと肩を揺らした。



「……そんなくだらない戯言には一切耳を貸さなくていいですよ。本当に……心底くだらない戯言だ」

「え……で、でも――」

「王女殿下は妄想癖があって、ある事ない事口にするんです。それに国王陛下も困っていまして。だから、彼女の言った事は全て妄想です。絶対に有り得ない夢想話です。なので、今すぐ綺麗サッパリ忘れて下さい。僕も彼女の事は何とも想っていませんし」

「そ、そんな……嘘言わないでっ! 貴方が言ってた“運命の人”って言葉をエルモア様は出したわ! 二人が同じ言葉を言うだなんて偶然じゃないわよね!? しかも普段は絶対に口にしない言葉よ! まるで示し合わせたかのように――そうよ、やっぱりエルモア様は貴方の“運命の人”――」

「シェラ」



 捲し立てるシェラルの言葉を、ディクスは強めに彼女の名を呼んで遮る。

 ディクスは音も無く椅子から腰を上げると、彼女に向かって静かに歩いてきた。


 表情が無いその顔に、シェラルの身体がギクリと強張る。


 ディクスは固まるシェラルの前に跪き視線を合わせると、彼女の後頭部に手を添え、唐突に唇を重ねてきた。



「……っ!?」



 突然の口付けに、シェラルの息が止まる。

 ディクスは唇を少し離すと、そのままの至近距離でシェラルを見つめた。

 絶大なる美形顔に間近で見つめられ、シェラルの心臓がドクドクと大きく動く。



「……僕の“運命の人”は貴女です、シェラル。信じてくれるまで何度でも言います」

「し、信じられないわ……っ! だって貴方、役所に出したでしょ!? 離婚届を! それが受理――」



 言い募ろうとしたシェラルの形の良い唇を、再びディクスが奪う。



「――愛しています、シェラ。誰よりも貴女を」

「……ディー……。――分からない……。どうしてよ……。何で言わせてくれないの……? 私は貴方と話がしたいのに……。貴方が全然分からない……」



 堪らずポロポロと涙を零すシェラルに、ディクスはグッと唇を噛み締め眉根を寄せると、彼女の身体を強く抱きしめた。



「今は何も考えないで下さい、シェラ。僕が貴女を愛している、それだけは信じて下さい」

「……出来ない……出来ないわ……。だってあれは“現実”だったもの……。確かめたんだもの……。だから――」

「……もう何も言わないで、シェラ。貴女は何も気にしなくていい。あれは“悪夢”だったと信じ込めばいい。僕の愛だけを受け止めてくれればいい。僕の愛は“本物”だから。それ以外の事は何も考えないで――」



 ディクスはシェラルを深く抱きしめながら、頭を優しく撫でる。

 言いたい言葉を無理矢理奪われ、シェラルの涙が止まらない。



「……やだ……寝ない……。話が……まだ――」

「シェラ……愛しています」




 愛の言葉を耳元で何度も囁かれ、温かく大きな手で頭を撫でられる心地良さに、シェラルは泣き疲れもあって、いつしか意識を失ってしまっていたのだった……。






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