19.必死の願い
その光景を見た瞬間、ディクスの血管がプツリと切れた音がした。
「僕のシェラに触るなあぁッッ!!」
床を力強く踏み締めて駆け出し、その勢いのままセリュードの頬を拳で殴りつける。
「ぐぁっ……!!」
バキッと音がし、セリュードは思い切り床に叩き付けられた。
「シェラッ!! 大丈夫ですかっ!?」
支えが無くなり、倒れそうになったシェラルの身体をディクスは咄嗟に受け止める。
シェラルはディクスの呼び掛けには答えず、目を瞑ったままだ。時折眉根を微かに顰めている。
「シェラ、シェラ……ッ!」
「……は、はは……っ。無駄だ。彼女への『幻覚魔法』は成功した。今頃、お前と第二王女の逢瀬を目撃して、ショックを受けているだろうよ。“幻覚”のお前には、第二王女を褒め、シェラルを嘲罵する術式を組み込んだ。お前に再び裏切られ傷付いた彼女の味方になり、優しく慰めるのがこの俺の役目だ。これで彼女はお前に心底幻滅し、俺に心を寄せてくれる。これで彼女は正真正銘、俺のものになる! 今頃、彼女の“夢”の中で、俺達は熱い抱擁を交わしているだろうさ。彼女が目覚めた時、俺達は相思相愛になり、今すぐにでも“一緒”になれるんだ!!」
血の滲んだ口角を持ち上げ、不快な笑い声を響かせるセリュードを、ディクスは殺意を込めた眼差しで睨みつけた。
「……ケイン、ソイツを拘束して下さい。僕がすると、うっかりソイツの息の根を止めてしまいそうだ……。もしも暴れたらやむを得ません、多少の怪我を負わす事は仕方ないでしょう。何せ“正当防衛”ですから」
「りょーかいッス!」
ケインが指をコキコキ鳴らしながらセリュードに近付く。
「ふん。副団長如きが俺に勝てると思うのか」
セリュードは鼻で嘲笑い、咄嗟に魔法の詠唱に入ったが――
「あっ、言い忘れてたッス。おれ、補助魔法が二つ使えるんスよ。一つは『解錠魔法』、もう一つは『沈黙魔法』ッス。ここに入ったらあんたがいたから、コッソリと『沈黙魔法』を掛けておいたッス。だから暫く魔法は使えないと思うッスよ? 何せお相手は魔法士団長ッスからね。用心に越した事は無いでしょ?」
「…………!!」
本当に魔法が発動しない事に、セリュードは愕然とした表情を浮かべた。
「さーて、“正当防衛”開始ッス!」
「う……く……来るなぁっ!!」
「それはこっちの台詞ッスー! うわーっ! やられてしまうッス! これは死に物狂いで抵抗するしかないッスー! おりゃーっ!!」
「ひ……ギャアアァァッッ!!」
ケインがセリュードに“正当防衛”をしている中、ディクスはシェラルに必死に呼び掛ける。
「シェラ、シェラ……! お願いです、“悪夢”から目を覚まして下さい……!!」
シェラルはやはり答えず、瞼を閉じたままだったが、不意に顔を歪ませ、憤怒の表情で、
「三股……絶対、許せない……。色魔不埒大魔王――」
と、ボソリと呟いた。
「さ、“三股”……っ? “色魔不埒大魔王”っ!? 一体どんな“幻覚”を見てるんですかシェラッ!?」
ディクスは思わずツッコんでしまった。
「そりゃ、ディクス団長が三股している“幻覚”じゃないッスか? うわっ、女の敵ッスね! 超最低ッス!!」
“正当防衛”が終わり、見るも無残なセリュードの背中の上に腰を下ろし足を組んでいるケインのツッコミも入る。
「ああぁ……止めてくれ……。これ以上僕の印象を悪くさせないでくれ……っ!」
片手で顔を押さえ、嘆きの声を上げたディクスは、めげずに懸命にシェラルに呼び掛ける。
彼女は、目を瞑りながら驚いたり、怒った表情を見せるが、なかなか瞼を開けてくれなかった。
「シェラ……。僕を嫌いにならないで……。僕は君がいないと生きていけないんだ……」
ディクスが奥歯を噛み締め、切なそうに呟く。
その時、シェラルはまた小さな唇を動かして言った。
「……貴方は誰……? 違う……。貴方……“ディー”じゃない……」
「…………っ!!」
ディクスは咄嗟にシェラルを強く抱きしめた。
「……セリュード様……」
今度は、心配そうな声音でシェラルが呟く。
それにムッと苛立ちが込み上げたディクスは、つい低い声音で言い返してしまった。
「奴の心配などする必要は全くありません」
自分の腕の中から抜け出そうと、目を瞑りながら藻掻く彼女を深く抱き竦め、ディクスは彼女の心に届くように真剣に言葉を紡いだ。
「シェラ。……落ち着いて聞いて下さい、シェラ。その僕が僕でない事が分かった君なら、この“悪夢”から抜け出せる筈……! お願いです、目を覚まして下さい……!」
「…………」
「シェラ、これは全て“悪夢”です。そう、貴女が馬車の事故に遭った時に見た“悪夢”と同じ……。その『幻覚』に負けないで下さい、シェラ! それに打ち勝って、戻って来て下さい、僕の所へ……!!」
ディクスは両目を固く瞑り、心の奥から絞り出すような声を上げた。
――その時。
「……ディー……?」
愛しい者の声が、自分の愛称を呼んだ――




