18.嫌な予感、募る
喫茶店でシェラルと別れた翌日から、ディクスは第二王女であるエルモアの護衛の回数がグンと増えた。
彼女の外出の頻度が増えたのだ。それも殆どが大した事の無い用事だ。
その度に駆り出され、その分通常の業務が滞るので、朝早くに登城して出来るだけ業務を進め、夜遅くまで残って溜まった仕事をする毎日となった。
その所為で、シェラルに全く会えない日々が続いた。
日が経つにつれ、彼女の声と温もりが恋しくて堪らなくなった。
こんなに長い間会えないのは、結婚してから初めての事だったからだ。
(シェラ……。会いたい。会ってすぐその身体を抱きしめて温もりを感じたい――)
しかし彼女は、自分に不信感を抱いているだろう。もしかしたら、自分には会いたくないと思っているかもしれない。
だが、そう思うのは当然の事だ。幾つかの隠し事を彼女にしてしまっているのだから……。
――あの日。
シェラルが事故に遭い、目覚めた彼女の言う事に、最初はただ質の悪い“悪夢”を見ただけだと思っていた。
しかし、本気の形相でその事を繰り返し言うシェラルに違和感と疑問を抱き、調べてみる事にした。
結果、本当に自分達が離縁していた事に酷く驚いた。
毎日朝早くに登城し、仕事が始まるまでの間に調べて原因を突き止め、それが魔法士団長セリュードと第二王女エルモアの仕業だと分かった。
そして、セリュードがシェラルに『幻覚魔法』を掛けていた事も。
『幻覚魔法』は、それを掛けられた者がその内容を幾度も口にすると、頭に深く刻まれ、その者の中でそれが完全に“現実に起こった事”となってしまう厄介な性質を持っている。
“夢”が、確実な“現実”に変わってしまうのだ。
だから、シェラルが“幻覚”の内容を言おうとする度、それを急いで防いだ。
その結果、彼女を何度も泣かせてしまった。それに関しては、本当に申し訳無い思いで一杯だ。
「『幻覚魔法』に掛かっていた」とシェラルに伝えても、彼女の態度から全く信じてくれない事は分かっていた。
『証拠』が無い限りは、彼女の頑なな心は解かせない。
だから、それが証明出来るものをずっと探していたのだ。
しかし、一向に見つからないまま、徒に時は過ぎていったのだった――
シェラルに全く会えず、証明するものも未だに掴めず――
ディクスは焦り、悶々とした日々を過ごしていたある日の事だった。
城の中庭に通じる廊下に出ると、侍女達が中庭のテーブルの上を片付けている姿が目に入った。
(あぁ……そう言えば、今日が第二王女主催の茶会の日だったな。今終わったばかりか……。王女の妄想話を長々と聞かされる令嬢達が不憫だな……)
ディクスも、護衛中エルモアから「あなたはわたしの“運命の人”ですわ」と事ある毎にウットリと言われ、いい加減辟易していた。
相手は王女なので強くは言えず、「僕には妻がいますし、殿下にはもっと相応しい方がいますよ」となるべく傷付けないよう返していたが、全く通じなくて困っている状況だった。
(これ以上シェラに誤解されない為にも、ハッキリと王女に「好きじゃないし、貴女の“運命の人”じゃない」と伝えた方がいいのかもしれない。それで彼女の怒りを買い、陛下に伝わり騎士団長の任を解かれたとしても、シェラを失うよりずっとマシだ)
そう考えながら、何気なく侍女達を見ていると、彼女達の会話が聞こえてきた。
「はぁ……終わったらすぐにさっさと片付けなさい! だなんて、王女様も人使い荒いわ……。片付けなんて別に急がなくてもいいのにねぇ」
「本当よね……。――あっ! もしかして、何か証拠隠滅したいものがこの中にあったりして? フフッ」
「あははっ! イヤねぇ、推理物の読み過ぎよアナタ」
「……ねぇ、ヘラザード侯爵夫人、可哀想だったね……」
「あぁ……本当にね。招待状に書かれている開催時間が、一時間遅れで記載されていたんでしょ? 明らかに嫌がらせじゃないの。遅れてきた侯爵夫人を皆で嘲笑う魂胆だったのよ。夫人が早く来てくれて本当に良かったわ」
「うん、ホントホント。もしかしたら、侯爵夫人も記載時間がおかしいことに気付いたのかもしれないね。それにさ、王女様、ずっとヘラザード侯爵の事を喋ってたでしょ? 『彼がわたしの“運命の人”』とか言って。それでも侯爵夫人、ずっと微笑みを絶やさずにいてさ……。辛いはずなのに……。お茶会が終わった時、すごくグッタリしてたけど大丈夫かな……」
「…………っ!!」
ディクスは足を進める方向を直ちに変え、侍女たちの方へと早足で向かった。
「――失礼します。お尋ねしますが、僕の妻がこのお茶会に参加したのですか?」
突然の、今噂していたヘラザード侯爵の登場に、侍女達は驚き顔を赤くさせた。
「こ、侯爵閣下……っ。――は、はい、そうです……っ」
「そう……ですか」
侍女の返答に、ディクスはギリッと奥歯を噛み締める。
今回の茶会は、第二王女の独断で開催したもので、大して重要なものではない。
ディクスはシェラルと結婚した当初から、国王と王女に、
『妻は極度の人見知りなので、重要なお茶会以外は呼ばないで頂きたい』
と、エルモアの護衛を引き受ける代わりに、再三お願いしていたのだ。
(それなのに、こちらの許可無くそれを破っただなんて――)
シェラルとは暫く会えておらず話も出来なかったから、彼女がエルモア主催のお茶会に出席したなんて全く知らなかった。
ほぼ毎日会っていたエルモアからも、シェラルが出席する事は訊いていなかった。
(……まさか……王女はわざと僕に隠していた? 何故? 何の為に……? ――もしかして、王女が外出を増やして僕の仕事を増やしたのは、僕とシェラを会わせない為……? シェラが茶会に出席する情報を、僕に知られたくなかった……?)
ディクスはそこまで考えながら、酷い胸騒ぎを感じていた。
「すみません、妻の席はどこですか?」
「あ……こ、こちらです」
侍女が手を差し出した席のテーブルの上を見ると、まだカップは片付けられていなかった。
その中に、お茶が少し残っている事にディクスは気付く。
それに関しては、別に問題は無いが。
「…………?」
そのお茶の色と、隣の席の少量残ったお茶の色が若干違う事に、ディクスは眉を顰めた。
シェラルが飲んでいたカップを持ち、鼻に近付けお茶の匂いを嗅ぐ。
匂いは別段問題は無かったので、残ったお茶をほんの少しだけ飲んでみた。
「えっ……」
侍女達はディクスの奇行を、目を真ん丸くさせてただ見ている事しか出来なかった。
「……!!」
独特で苦味のある味に、ディクスは思わず顔を歪めた。
これは、明らかに何かの薬が入っている。
恐らく王女が、「特別に他国から取り寄せたお茶」とか言って飲ませたのだろう。
飲んだ事の無いお茶なら、例え変な味がしても、こういうものだと済まされてしまうから。
「――貴女達、後片付けは直ちに中止です。一切触らず、そのままにしておいて下さい。鑑識が出来る者を呼びますので」
「え……?」
「僕の妻は家に帰りましたか?」
「え……は、はい、恐らく……。けれど、フラフラしながら歩いていらっしゃったので、心配ではありましたが……」
「……そうですか、ありがとうございます。貴女達は解散して下さい」
礼を言うや否や、ディクスは颯爽と駆け出した。
シェラルが飲まされたのは、睡眠薬で間違いないだろう。
嫌な予感が止まらず、ディクスの背筋に汗が流れ出る。
鑑識の出来る魔法士に事情を説明し、彼に中庭へ行って貰った後、ディクスは擦れ違う者達全員にシェラルの事を訊いて回った。
その中の見張りの騎士が、セリュードが彼女を抱きかかえ、
「茶会で疲れて寝てしまったので、休憩室で休ませる」
と、心配し寄ってきた騎士達に言って休憩室に向かったのを見ていた。
ディクスは鋭く舌打ちをし、すぐに休憩室に向かう。
「おや? 団長、そんなに険しい顔して急いでどうしたッスか? 手洗いッスか? 我慢の限界ッスか?」
そこへ、副団長であるケイン・バラッドが、前からのんびりと歩いてきた。
「ケイン! 丁度良かった、一緒に来て下さい! 恐らく君の力が必要になると思うんです」
「へ? あーはい、別にいいッスけど」
ケインと共に走って休憩室の前に着くと、扉の取手を回す。ガチャガチャと音が鳴るだけで、扉は開かなかった。
「チッ……やはり鍵が掛かっていますね……。――ケイン、お願い出来ますか? 緊急を要するので使用を許可します」
「あー、『解錠魔法』ッスね? りょーかいッス!」
殆どの扉の鍵を開ける事の出来る『解錠魔法』は、使い方を誤ると危険な為、所属長の許可が無いと使用出来ないのだ。
ケインが『解錠魔法』を試みると、カチャリと鍵が開く音がした。
ディクスはそれと同時に勢い良く扉を開け――
彼の目に飛び込んできたのは、ベッドの前で恍惚な表情を浮かべ、目を瞑るシェラルを深く抱きしめている、魔法士団長セリュードの姿だった――




