1.妻が夫へ放った言葉
ヘラザード侯爵夫妻は、貴族では珍しい恋愛結婚をしている。
テラアレル王国騎士団長のディクス・へラザード侯爵は、薄緑色の腰まで伸びるサラサラした髪を後頭部で結び、それと同じ色の瞳を持つ美青年だ。
女性のような顔立ちで眉目秀麗もあって、王国の令嬢達から憧憬の眼差しを受けていた。
しかし、歳が二十六になっても結婚しておらず、今までそういう相手も一切おらず、「女性には興味が無いんじゃないか」という噂がまことしやかに流れていた。
そんな彼が、嫌々出席した夜会で、高嶺の花と呼ばれているマーネリア子爵令嬢のシェラルに一目惚れをした。
線の細そうな容姿だが、見掛けによらず行動派のディクスは、すぐにシェラルにダンスを申し込んだ。
その翌日から、ディクスは暇を見つけてはマーネリア子爵家を訪ね、シェラルに積極的に好意を伝えていった。
最初は戸惑っていたシェラルも、包み隠さず自分の気持ちを伝えてくるディクスに少しずつ心を許していき、一年後、彼から幾度目かの求婚の申し込みを承諾した。
その時の彼の喜びようは、表現の仕様も無い程凄まじかったと、目撃者達は口を揃えて言っている。
そうして晴れて二人は夫婦になったのだった。
夫婦になって一年が経っても、ディクスのシェラルに対する溺愛っぷりは相変わらずで、出掛ける時はいつも一緒な二人は、周りから『おしどり夫婦』と呼ばれていた。
シェラルも、今ではディクスに恥じらいながらも愛情表現をするようになって。
そんな愛しさ溢れる妻が馬車の事故に巻き込まれたとの知らせを受けたディクスは、一気に顔面蒼白となった。
騎士団長の仕事をほっぽり出し、脇目も振らずに急いで我が家へと戻る。
執事から、シェラルは自分の部屋で休んでいると聞き、走って彼女の部屋の前まで来ると素早くノックをし、返事を待たずに中へと入った。
「シェラ! 無事ですか――」
そこには、ベッドに横になって眠る愛妻と、ヘラザード侯爵家の主治医であるナーソン、そしてテラアレル王国魔法士団長のセリュード・マーティの姿があった。
(何故セリュード殿がここに?)
疑問に思ったが、今はシェラルの容態が第一だ。
「ナーソン! シェラは大丈夫ですか!? どこか怪我は――」
「落ち着いて下さい、旦那様。奥様は大丈夫です。どこも怪我をしておりません。ただ少し頭を打ったようで、気を失い眠っておりますが、特に問題は無いでしょう」
「……そうですか、良かった――」
ディクスは大きく安堵の息を吐くと、シェラルが眠っているベッドに近付く。
穏やかな表情で眠っている愛しい妻の柔らかな薄茶色の髪を撫でながら、ベッドの横に立つセリュードに声を掛けた。
「セリュード殿、何故貴方がここにおられるのですか?」
青色の短く刈った髪と同じ瞳を持つ彼は、ディクスより一つ年上の二十九歳で、身体がガッシリとしていて筋肉質体型だ。
細身な身体のディクスとは正反対で、その風貌から、セリュードが騎士団長、ディクスが魔法士団長だとよく間違えられていた。
「俺が乗っていた馬車と、夫人が乗っていた馬車が衝突したんだ。幸い馬の接触だけで済んで、乗っていた者は全員無事だった。しかし夫人が気絶をしてしまったので、俺がここに送り届けたんだ」
「あぁ、そうだったのですか。妻をここまで送って下さり、ありがとうございました」
ディクスが頭を下げ礼を言うと、セリュードは軽く頭を横に振った。
「いや、別に構わない。念の為、夫人が無事に目を覚ますのを確認してから帰る事にする。最初にぶつかったのは、俺が乗っていた馬車だからな」
「いえそんな、セリュード殿が悪い訳ではないので、そこまでは――」
二人が話していると、「ん……」と微かな声が聞こえ、シェラルが薄っすらと目を開けた。
「シェラ! 起きたんですね? 貴女が無事で本当に良かった――」
満面の笑顔を浮かべるディクスをボンヤリと見ていたシェラルは、キョロキョロと辺りを見回し、自分の状況を確認しているようだった。
そしてもう一度ディクスを見たシェラルは、不意に薄茶色の目を大きく見開くと、彼をキッと睨みつけた。
「え……?」
今まで見た事のない彼女の冷たい眼差しに、ディクスは酷く困惑する。
彼を鋭く睨みつけながら、シェラルは形の良い唇をゆっくりと開いた。
「……何故貴方がここにいるの? 貴方とは離婚しているのに。貴方の浮気の所為で。“運命の人”が現れたんでしょう? ――貴方に」




