164 閑話・秘書Aは見ていた
「こちらが、例のブツとなります」
「――これが、か。見た目だけでいえば、少し変わった形の木の実でしかないな」
「異世界で採取された品であるとの話です。確証はありませんが」
「成分的にも差異はなかったのであろう? 確証を得られる方法は? これを持ち込んだ者への質問はどれだけ行われたのかね?」
「これを持ち込んだのは時田と縁の深い政治家です。質問は、なかなかに難しく……」
私は秘書。
名もなき、ただの秘書A。
会話に加わることなく、部屋の隅でじっと立っている女です。
先程から会話には、たとえば異世界のような、普通ならファンタジー物語でしか使われない単語が出てきていますが――。
それを気にすることもなく私は澄まし顔です。
なぜならそれを気にしないことも、私にとっては業務の内だからです。
今、高級ホテルの一室で密会しているのは――。
私の主人である実業家の斉正無蔵と、その斉正がイギリスより招いた貴族であり実業家のハワード・ロジェンツ氏です。
2人は共に壮年の紳士であり、社会的にも信用度の高い存在です。
「……時田と言えば、天使、という言葉も聞いたが」
次はロジェンツ氏の口から、天使という言葉が出てきました。
どうやらロジェンツ氏もまた、斉正と同じオカルトの信奉者のようです。
「はい。先の魔石については、天使からいただいたものだとヤツは言っておりましたが……。それについては、ただの戯言かと」
「戯言である確証はあるのかね?」
「ヤツは動画サイトにて、天使様と称する者を拡散させているのです。視点を逸らせようとしているとしか思えません」
「では、他に真実はあると?」
「私はそう確信しております。それでぜひ、マスター・ウィザードたるロジェンツ殿の力をお借りしたいと」
「うむ……。時田の持ち込んだ魔石は、あまりにも危険すぎる……。出どころは、正確に掴む必要があるだろうな……」
そう――。
私の主人である斉正は、オカルトの信奉者なのです。
事あるごとに魔術だの魔石だの、そんな言葉が飛び出してきて、正直、辟易しています。
もちろん顔には出しませんが。
「実は、手がかりはあるのですが……」
「ほお。それは?」
「ハムエッグ・プラスという魔道具の販売会社を、時田が起こしまして」
「それこそフェイクではないのかね?」
2人が会話していると――。
空間が揺らいで――。
陽射しのような光が広がったと思いきや――。
「へえ、これが謎の木の実なのね」
いつの間にか現れていた白服に金髪の少女が、ひょいと木の実を手に取ったかと思いきやそのまま殻を割ってパクリと食べてしまいました。
少女は、もぐもぐと口を動かして、木の実を飲み込ます。
「苦いわ」
少女が顔をしかめて感想を述べます。
ロジェンツ氏は、しばらく呆気に取られていまいたが、ハッと我に返って、
「――これは。とんだ失礼を。ようこそおいで下さいました」
と、椅子から下りて、わざわざ片膝をつきます。
「ロジェンツ氏、この少女は……?」
「こちらは――」
「私のことは気にしなくていいわ。さあ、話し合いの続きをどうぞ」
「――畏まりました。斉正、続きを」
いったい少女は誰なのか。
ロジェンツ氏の表情には緊張がありました。
その様子を見た斉正は、深くは追求せず、話を戻します。
少女は、ふわりと空中に浮かぶと、空中に浮いたままソファーでリラックスするような姿勢になりました。
少女が空中に浮かんでいるのです。
私は唖然としましたが、もちろん、表情には出しません。
私は秘書。
空気を乱す存在ではありませんし。
それに、ええ……。
ガラス板か何かをあらかじめ仕込んでいたのでしょう。
あるいは少女こそがオカルト大好きな人物、しかも世界的な権力者の娘で、2人は少女に合わせて動いているだけかも知れません。
魔法少女に憧れるのは、年頃の子なら、あって不思議はありませんし。
私も若い頃はマネした記憶もあります。
「まず、その天使を称する少女に接触することは可能かね?」
ロジェンツ氏が言います。
「接触を試みた者は、皆、恥ずかしながら私も含めてですが、記憶を失って気づけば河原という状態でして……。おそらく時田が例の魔石を使って強大な結界を構築しているのでしょう。現状では誰も手を出しておりません」
「それは害意があってのことであろう? 普通に友好的にはどうかね?」
「友好的に、ですか……。それはまだですが……」
「君たちはまさか、最初から一方的に支配しようとしたのかね。脅威の魔石に未知の食物を持ち込んだと推測できる謎の存在を」
ロジェンツ氏が呆れるのもわかります。
とはいえ、今まではそれで上手くいっていたのです。
ただ今回はさすがに相手が悪かったようです。
なにしろ時田という方は、斉正が所属する世界的な規模の秘密結社の、日本における指導者的存在だと言いますし。
「残念だが今回は、時田と話した方が良さそうだね」
ロジェンツ氏が席を立とうとします。
「お待ち下さい! それでは私の立場というものが! 長年の付き合いに免じて、どうか私の側として力をお貸し下さい!」
斉正は必死に止めようとするけど、どうやらダメなようです。
と私は思ったのですが、ここで横から声がかかりました。
「ねえ、ロジェ、貴方はその男とはオトモダチなのよね?」
それは少女からのものでした。
すかさず斉正が肯定します。
「ええ! そうです! 私と彼とは、古くからの友人関係でして!」
「なら助けてあげないと。いい、ロジェ。オトモダチというのは、お互いに助け合って、お互いに笑い合うものなのよ」
「そうですとも!」
さらに斉正が相槌を打ちます。
必死の形相です。
「しかし、それでは無駄な争いに――」
「ねえ、ロジェ。私はかねてから言っているのだけど、異世界なんて存在しないの。だけど私はその研究を否定しないし、その成果には興味があるの。だからわざわざベッドから出て、遠く離れたこの日本まで来たの」
「はい。ですので、テネー様の存在があればこそ、穏便に――」
「――ねえ、ロジェ」
宙に浮いた少女が、ロジェンツ氏に近寄って、その頬に優しく触れます。
氏を見つめる少女の瞳は怪しく輝いています。
それは、きっと……。
ただの陽射しの加減でしょうが。
「貴方はすっかり偉くなったのね。この私に意見をするだなんて」
「滅相もございません……」
いったい、2人はどういう間柄なのでしょうか。
ロジェンツ氏は怯えて、今にも卒倒しそうです。
「じゃあ、私に見せてくれるわよね? 異世界の力があるのなら、それを。魔石が報告通りのものなら国くらい壊せるわよね? 壊してみせて? 私はまだ、話を軽く聞いただけで、実際にはなんにも見ていないし」
「畏まりました。やらせていただきます」
「ええ。そして、オトモダチと笑い合うといいわ。貴方は知っていたかしら? 私は知らなかったのだけれど、それがオトモダチというものなのよ? 私のオトモダチが言っていたのだから、それは間違いのないことだわ」
「テネー様の、オトモダチ……。ですか……。それは、どのような方で――」
「知らないわ」
なんともそっけない返答でした。
「知らないのに、ですか?」
「安心してもいいわ。私のオトモダチも世界の平和は愛しくないと言っていたから。じゃあ、あとのことはよろしくね。私はオトモダチのところに戻るわ。もういないかも知れないけれど。いなかったら帰るわね。
――あとそちらのヒトも、よろしくね」
最後に斉正に美しく微笑んで、少女は陽射しの中に溶けて――。
消えてしまいました。
斉正は虚ろな様子で、彼にしては珍しく「はい……」と素直にうなずいていました。
私もまた、声をかけられたわけでも視線を向けられたわけでもありませんが、まるで夢を見ていたかのような感覚に囚われていました。
実際のところは、私の背中は、冷や汗で濡れていましたが。
それはきっと恐怖の故です。
美しくて幻想的な少女だったのに、私は本能的に少女に怯えていた気がします。
消えてくれて、心から安堵する自分を感じましたし。
ロジェンツ氏と斉正は、すぐに気を取り直して積極的な相談を始めます。
斉正に、少女のことを気にする様子はありませんでした。
ともかく……。
2人が相談するのは、明らかに犯罪の計画でした。
私は当然、気にすることもなく、ただ涼やかに壁際に立ち続けるのみです。
なぜなら私は秘書。
もう今さら逃げることもできないので、すべてを受け入れて、淡々粛々と、自分の仕事をこなし続けるのみです。




