153 閑話・少女シータの危機
「あーあ。退屈」
アタシことシータは、今日も牢屋の中で何もすることができないでいた。
本当に退屈で仕方がない。
ただ手足は自由に動くし、元気はまだあった。
なぜなら最近は庭での自由時間があるし、焼いた肉も食べさせてもらえるから。
「そろそろ、実行しちゃおうかなあ……」
言われたことをキチンと守って、毎日、大人しく散歩しているおかげで、最近はかなり監視の目も緩んできた。
最初の頃はキツキツに巻かれていた外出時の縄も、今は緩い。
周囲の状況もそれなりに把握できた。
縄さえ解ければ、立木に登って、塀を飛び越えることは簡単そうだ。
あとは、うん……。
「ふふー。まあ、慌てなくてもいいか。せっかくだしね」
アタシは髪の中に隠した針金を手のひらに乗せて転がせる。
そう。
その気になれば、アタシを閉じ込めている牢の、安っぽい鍵なんて、もう開けられるのだ。
ただ今は、タイミングを図っているけど。
どうせなら魔物でも出て、砦が慌ただしい時の方がいい。
そういう時なら、思う存分、いただけるものもいただけそうだしねっ!
アタシは何ヶ月も閉じ込められているのだ。
お土産は絶対にほしい。
でなければ、取り逃げガールの名がすたるというものだ。
勇者オーリーがやってきたのは――。
アタシに余裕の生まれていた、そんな中でのことだった。
「これが例の獣人です。勇者オーリー殿」
「囚人の割には健康そうですね」
「使い道がハッキリするまでは、その方が良いかと思いましてな」
「それはそうですね。いきなり死なれても困りますし」
勇者オーリーは、アドラスと共にやってきた。
立派な服と立派なマントに身を包んで、立派な剣を腰からぶら下げた、ものすごく冷徹な顔立ちの若い男だった。
「君に質問があります」
「なに?」
勇者様に声をかけられて、アタシは座ったまま笑顔で応えた。
「ファーという者と友人だというのは本当ですか?」
「ああ。ホントだね」
「君がその者を逃がしたのですか?」
「ああ。そうさ」
「向こうは君の名を知っているのですか?」
「そりゃ知ってるよ。当然だろ」
「君の名は?」
「シータ」
「わかりました。ありがとうございます」
いったい、なんだろうか。
アタシが訝しんでいると――。
目の前で、とんでもない会話が成された。
「嘘を言っている様子はありませんね。私の『看破』にも反応はありませんでした」
「それはそうだろう。何しろ私も、その時の現場にはいたのだ。こいつが煙幕を出して、魔王どもを逃がしたのだ」
「では、速やかに神聖国に連行して、盛大に公開処刑としましょう」
「喜べ、獣人。ついにおまえの使い道が決まったぞ」
アタシは一瞬、理解できなかった。
でも、しばらく考えて、それはアタシが殺されることなのだと気づいた。
「ちょ、待ってよ! アタシ、殺されるの!? なんで!?」
「なんで、ですって?」
そういう勇者の視線は、まるで刃だった。
アタシは息を呑んだ。
「貴女は、自分がどれだけの罪を犯したのか、わかっているのですか? あの時、アドラス殿が貴女の友人を捕らえられていれば、今のこの状況はなかったのです。貴女1人の愚かな行いによって、全人類が今、危機を迎えているのですよ。それがどれだけの罪か――。貴女には、民衆の前で理解していただく必要がありますね」
正直、わけがわからなかった。
だってアタシは、確かにファーとジルという子を逃がしたけど――。
それがどうして全人類の危機になるのか。
「……ねえ、あの2人って、そんなにすごい子なの?」
アタシはたずねた。
だけど、返事はもらえなかった。
勇者オーリーがアタシに背を向ける。
そして、立ち去ろうとする。
「勇者オーリー、このことは町に布告を出してもいいか?」
「そうですね……。せっかくです。魔族に与した裏切り者が神の裁きを受けるのだと、大いに喧伝してやって下さい」
「であれば、私にとっても良い手柄となるな!」
「そうですね。これはアドラス殿の大手柄です」
「それは嬉しい! 私は父に過小評価を受けていましてな! 先の決戦の時も参加を許されずに守りを命じられて、無念のほぞを噛んだのです!」
「守りもまた大切なものですよ」
「それはそうでしょうが――。しかし、私は前線でこそ輝く男なのです!」
2人は行ってしまった。
アタシは1人になる。
マズイ……と心から思った。
公開処刑とか。
よし、今夜、逃げよう。
もう取り逃げとか言っている場合じゃないね。
アタシは覚悟を決めて――。
深夜、できるだけ音を立てないように古びた牢の鍵を開けて――。
そろそろと通路に出た。
通路は真っ暗だったけどアタシには夜目が効く。
さらに毎日の散歩で、とっくに脱出経路は見つけていた。
星明かりがわずかに照らす階段の踊り場。
そこの窓。
かなり高い場所にあって小さいけど、アタシならジャンプして届くし、小さな窓からでもすり抜けることができる。
「よっと」
アタシは窓枠に手をかけて、体を持ち上げて、するりと外へと出た。
やったね!
あと一気に走って、木立に向かうだけだ。
アタシは走った。
そして、成功を確信した。
だけど――。
え。
背中に激しい衝撃を受けて、アタシはもんどり打って転倒した。
体が痺れる。
背中に燃えるような熱を感じた。
星明かりの下――。
アタシはその熱の正体が、自分の血だと理解する。
背中を斬られたのだ。
「この私が、見張っていないとでも思ったのか? アドラス殿と一緒にされては困る」
それは、勇者オーリーだった。
彼がアタシを斬ったのか。
その手には、アタシの血に濡れた剣があった。
「ね、ねえ……。助けてよ……。アタシ、なんでもするから、さ……」
「ええ。お願いします。貴女には、公の場で死んでもらいますので。あとしばらく道具として動いていてもらいましょう。――連れていけ」
「はっ!」
2人の兵士に抱えられて、アタシは連れて行かれた。
抵抗はできなかった。
体は熱くて、すぐに寒くてたまらなくなる。
アタシは悔しかった。
どうしてアタシは、こんなヤツらの好きなようにされなきゃいけないのか。
アタシは道具じゃない。
アタシは頑張って生きているだけなのに。
ファーへの恨みはない。
ファーは、何をしたのかは知らないけど……。
もっともっと暴れてくれたらいい。
こいつらのいう世界なんて、全部、ぶっ壊してくれればいいのだ。
途切れる意識の中、アタシは最後に、ファーに声援を送った。




