帰郷
佐助ら一行は伊賀の里に着いた。
そこは見慣れた山と花、いつもと変わらぬ川の流れと鳥のさえずりがあった。
初めて見る戦に怯え、長旅で疲れた才蔵ら子供たちを変わらぬ風景が歓迎していた。
里に着いたことを実感した才蔵は安堵してため息混じりに本音を漏らす。
「は~、疲れた~。」
才蔵ら子供達はクタクタに疲れていた。
「今日は疲れているから、みんな家に帰りなさい。親に顔を見せるのも大事だ。」
「帰れる!母上に会える!」
子供達の目は輝き、みんな大いに喜んで家路についた。
才蔵も早く菊に会いたい気持ちを抑えきれず、思わず駆け足で家に向かった。
慣れ親しんだ道を進み、遂に菊の待つ家に着くと、菊に駆け寄り飛ぶように抱き着いた。
「あらあら才蔵。」
菊も喜んで我が子を抱擁した。久しぶりに我が子を抱きしめた菊は、子供ながらにたくましく筋肉のついた体つきに成長と修行の厳しさを感じ取った。
「たくさん食べてたくさん寝なさい。また明日から修行ですよ。」
「はい。」
才蔵は布団に入るとすぐに深い眠りについた。
才蔵の寝顔を見た菊は我が子の無事に安堵したものの、これから待ち受ける忍びの定めに、思わずため息をついた。
草も木も眠る子の刻、音も無く佐助が才蔵の寝る部屋に入り、枕元に立つ。
「才蔵。」
佐助は呼び掛けるが才蔵は起きる気配が無い。
佐助は才蔵の周りを歩き、次第に激しく足音を立てたが、才蔵は寝ている。
そして短刀を手に取り、鞘から抜いた。
チャッ。
「眠りが深すぎるな。まだ幼いから仕方ないが、この音には起きてほしいものだ。」
佐助は短刀を収めると懐から携帯用の筆と硯である矢立を取り出し、紙に『佐助参る』と書き、才蔵の枕元に置いて部屋を出た。
翌朝。
才蔵は起きると、枕元の紙に気付いた。
「え?」
才蔵が目覚めたことに気付いた菊が部屋に入る。
「おはよう、才蔵。佐助殿が参られ、部屋にお通ししました。気付かなかったようですね。」
「全然気付きませんでした。」
「これも修行のひとつとの事。さあ、雑炊が出来てます。食べて里に行く準備をしなさい。」
菊は優しく微笑み、才蔵に食事をすすめた。
「はい。」
才蔵は女中の作った雑炊(玄米や雑穀をカサ増ししたもの)を食べ、里に向かった。
才蔵が佐助らのいる修行の里に着くと、そこには足助ら、他の子供達もいた。
子供らはみな、バツが悪そうな顔で雰囲気が暗い。
佐助がその顔を見て話し出す。
「みんな。昨晩、儂等が寝床に来たにも関わらず起きなかったことを気にしているようだな。気にすることはない。敵方に忍び入る際、好機というものがある事を身を持って知ってほしくてやったことだ。」
佐助は話を続ける。
「昨晩、儂と虎之助がそれぞれ、皆の寝床に入り、歩き回り、書き物もしたが、起きた者は居なかった。もし、お主らが敵の寝床に忍び入るなら、こういう時を狙うのだ。」
才蔵が関心して質問をする。
「全く気付かなかったです。他にはどういう時が好機ですか?」
「屋敷に忍び入るなら、宴会のあった夜。普請や労役で疲れた夜。雨風の強い夜。騒動のあった夜がある。主人などが死んでから2、3日後も良い。葬儀などで忙しくなり、睡眠不足になる。」
子供達は一生懸命に話を聞く。
「更には城に忍び入る機会もある。悪天候の中を行軍した夜は足軽達も疲れている。敵が城を出た直後や合戦が始まって敵味方が入り乱れ、混乱した時も狙い時だ。城の守り手も攻める方に気を取られる。」
子供達は実際に忍び入る事を身近に感じて緊張感が増していった。
「これからは忍び入る時に必要な道具の使い方、火薬、薬草の知識、敵地で怪しまれないための様々な職種の作法や方言も学ぶ事が肝要だ。しかし、お主らの全員が忍びになれるわけではない。いくら一生懸命に修行しても才覚無しと判断されれば忍びの任務に就くわけにはいかん。才覚の無い者が任務に失敗した時は、その任務の失敗だけではなく、仲間の命、仲間の任務にも影響する。主人や雇い主の戦略や外交にも影響を与えてしまう。まずは心して修行に臨むんだぞ。」
子供達は忍びとして生きていく覚悟を決め、修行に励む決意を新たにした。