崩壊
◆◆◆安土城◆◆◆
徳川、北条の密約が成立したため、信長は武田攻略の指示を出していた。
「長年の宿敵であった武田を滅ぼす時が来た。先発の大将は信忠、頼んだぞ。」
「有難き幸せ。必ずや期待に応えてみせます。」
「そして滝川一益。信忠はまだ若いゆえ、よく補佐してやってくれ。」
「御意。」
そして信長は大将を嫡男信忠、軍監に滝川一益。
先鋒に森長可、団忠正、木曾義昌、遠山友忠
本隊に川尻秀隆、毛利長秀、水野守隆、水野忠重
他に織田長益ら織田の一門衆、丹羽氏次らを付け、出陣させ、後刻、自らも明智光秀らと共に6万の軍勢を率いて出陣した。
◆◆◆新府城◆◆◆
武田氏は信虎、信玄、勝頼と3代に渡って躑躅ケ崎館を居城としていたが、勝頼は織田に備え、新たに新府城を築城した。しかし、築城の費用を工面するため領民に重い年貢を課していたため、領民の心は離れていった。
「遂に織田が攻めてきた。透波者の報告では先発部隊だけで3万、信長の本隊は6万。武田家の命運が尽きるか否か。こたびの合戦に掛かっておる。何としても織田勢を追い返すぞ。」
勝頼が発破をかけ、武田家も織田勢に備えた。
そして天正10年2月3日、武田家の滅亡が始まる。
先発の森長可らが岐阜城を出発。6日には伊奈街道に入り、信濃攻略を開始。
街道の滝沢を治める領主下条信氏は反撃するつもりで家臣に出陣を命じるが、すでに才蔵ら伊賀者に籠絡されていた重臣の下条氏長が信氏を追放し、戦うことなく織田軍を信濃へ招き入れた。
2月14日には信忠と一益ら本隊も岩村城に兵を進めていた。武田勢はまともに抵抗は出来ず、織田勢は順調に飯田城を攻略。飯田城主保科正直は城を捨て、高遠城に逃亡。
重要拠点であり、武田家臣団の中でも有力な保科正直が城を捨てて逃亡したと聞いて勝頼の叔父であり、信玄の弟でもある武田信廉ですら戦意を喪失。武田家はもはや組織的な反抗はできなかった。
◆◆◆浜松城◆◆◆
「織田勢は武田攻略を始めた。破竹の勢いで攻め進むだろう。」
家康は軍議を開き、家臣たちと綿密な打ち合わせをしていた。
「殿、北条も攻略を始める模様です。北条は駿河の国に攻め込むとの報告もあります。急がねば駿河の国の全てを北条に奪われてしまいます。」
「半蔵の申す通りじゃな。ところで半蔵、北条にも忍びがいると聞くが。」
「はっ。北条が抱える忍びは風魔一族が率いる集団で“風魔”や“乱波”とも呼ばれております。局地戦を得意としており、北条勢が攻める際には夜襲や城への侵入も担っております。」
「実力のほどは?」
「よく鍛錬されており個人個人が強く、どんな暗い夜でも、また、どんなに川が氾濫していても渡ることが出来ます。頭領の風魔小太郎を筆頭に荒くれ集団とも言われ、時には盗賊のようなことも厭わず実行します。」
「厄介じゃな。すると北条の武田攻略も思いのほか、侵攻が早いかも知れんな。」
「仰せの通りかと。」
「よし、我らも急ぎ出陣じゃ!」
家康の命令一下、徳川勢も出陣。浜松城を出た家康は掛川城へと移り、武田方の依田信蕃が守る田中城を包囲して駿府城に進出した。抵抗らしい抵抗はなく、才蔵からの報告で“敵”と判断された者以外はみな投降してきた。
半蔵の言う通り、北条は各部隊に風魔部隊を配置し、甲斐方面から武田領を順調に侵攻。攻めるに難しい峠や山も難なく攻略していった。また、上野方面にも当主、北条氏政の弟、北条氏邦が圧力をかけ、真田昌幸の領地まで脅かすようになっていた。
◆◆◆高遠城◆◆◆
織田勢は数の強みと勢いに乗り、高遠城を攻め始めていた。
高遠城の城主は仁科信盛で武田一族の出であったため、降伏せず必死の抵抗を続けていた。
損害が大きくなってきた織田信忠は地元の僧侶を使者として黄金と書状を送ることにした。
信盛への面会を許された僧侶は信忠からの贈り物、黄金と書状を手渡した。
「織田様は悪いようにはしないそうです。悪いことは言いません。多くの将兵のため、開城のご決断を・・・。」
僧侶の言葉を聞いた信盛は激怒した。
「我らが命を惜しんで織田如きの軍門に下ると思ったか!ここにいるのは皆、死を覚悟し、城を枕に討ち死にすることを本望としている!そやつの耳と鼻を切り落として突き返せ!」
信盛が命じると小姓らが僧侶の体を押さえつけ、耳と鼻を切り落とした。
「ぎゃあー!なんということを。神罰が下りますぞ・・・。」
僧侶は高遠城を追い出され、信忠の下へ戻った。
「なんと惨いことを。信盛は討ち死にするまで戦うつもりか。望み通り、討ち取ってやる。」
勇猛で知られる信忠は連日、執拗な攻撃を命じ、損害を伴いながらも数に勝る織田勢はついに高遠城の攻略に成功した。高遠城に籠城した将兵は全員討ち取られた。
地位も武士の誉もある仁科信盛も雑兵の手にかかり、その首級を取られ、信忠の陣へと送られた。
信忠はその首級を確認すると信長の下へ送るように命じた。
※ 現在、桜の名所として名高い高遠城址であるが桜の花がほかより濃い色をしているのはこの高遠城での戦で討ち死にした将兵の血を桜の木が吸ったから、との伝承があるほど、この戦は激烈を極めた。
◆◆◆武田勝頼が入っていた諏訪上原城◆◆◆
「次々と城と砦が敵の手に落ちていく。難攻不落のはずの高遠城までも・・・。」
軍議を開き、軍の立て直しを図るもうまくいかない勝頼は苛立ちを通り超えて、絶望を感じ始めていた。そこへ・・・。
「報告します!」
「早馬か。なんじゃ?」
「穴山梅雪殿、徳川方へ寝返りました!」
武田一族である梅雪の裏切りは勝頼の心に大きな影を落
「殿、梅雪殿が徳川に付いたとなれば本国の甲斐が危ういかと。」
勝頼の側近の長坂光堅が進言した。
「おお、そうじゃ。よし、ここは新府城へ引くぞ。」
この時、勝頼の本隊は10,000人であったが、新府城へ撤退する最中に逃亡が相次ぎ、気付けば1,000人程度まで減っていた。
信忠は勝頼を追い続け、途中、武田家の庇護下にあった諏訪大社を焼き払った。
この時点で武田家の終焉は見えていたのかも知れない。諏訪大社の神主を代々務めた諏訪家の養子に入っていた時もある勝頼にとって、両家の大事な諏訪大社の焼き討ちは大きな節目であった。




