出発
◆◆◆永禄9年三河の国◆◆◆
桶狭間の戦いの後、岡崎に帰った松平元康は松平家康と改名し今川家から独立。三河の国を統一し、一国の主になっていた。織田信長と同盟を結び、信長は尾張から西へ、家康は東へ領土を広げていく方針であった。
岡崎城に居た家康は東に位置する元主君の今川家、北東に位置する強敵武田家をどう攻略するか、重臣を呼んで軍議を開いていた。
「武田信玄はとても敵う相手ではない。今川を攻めるのが上策か。」
家康が口を開く。
すると本田正信が意見する。
「それしかありません。武田も今川家がある間は当家よりも駿河、遠江を攻めるはず。」
「当家よりも今川が弱いからか?」
「義元亡き今、力が落ちているのでその考えもありましょうが、信玄は何よりも海が欲しいはず。」
「なるほどのぉ。」
家康は納得したが、その後が気になって正信に質問した。
「信玄が今川家を滅ぼし、駿河と遠江を手に入れたら?」
「信玄は足利将軍と繋がりを持ちたがっています。つまり京への道を確保すると思われます。」
「すると我が領土か、信長様の領土である美濃か。」
「その通りでございます。それに信玄のいる甲斐の北は信玄の宿敵、上杉謙信、南と東には同盟関係にある北条氏康がおります。攻める道もまた、西である我らの領土か、信長様の領土でございます。」
「そうか。すると武田との戦は避けられないのぉ。」
「左様でございます。従いまして、それまでに我らも今川家から領土を切り取れるだけ切り取り、国力の強化が欠かせません。そして決戦の時には織田信長様の力も借りて協力するのです。」
「うむ。我らだけで戦える相手ではないな。信長様が協力してくれるかのう?」
「当家がなくなれば信長様も東からの守りが無くなり、武田、北条を一度に相手にすることもあり得ます。それは避けるはず。」
「その時に信長様が我らに後詰を出せるか?」
「出していただけるよう、信長様の戦には我らも見返りも求めず全力で戦うのです。恩を売るのと同時に信長様の敵がいなくなっていれば、我らが武田と戦う時に後詰を出してもらえます。」
「さすが正信。では、そなたの申す通りにしたいと思うが、信長様は儂らを見捨てんか?」
「それはまだ分かりません。拙者はこういう時こそ、伊賀者を頼るべきかと。」
「今は立派な侍である服部半蔵とその部下たちか。」
「半蔵殿は武士ですが、有能な忍びを抱えております。彼らの敵国への潜入、忠義心、諜報能力は日の本一です。」
「早速、半蔵を呼べ。」
家康が命じると、すぐに半蔵がやってきた。
「只今参上致しました。」
一目で筋肉質な体であることが分かる、立派な体格の男が入ってきた。
ひれ伏すために板の間に突き出した両腕も常人の倍はあろうかという太さであった。
「半蔵、お主に頼みがある。」
「はっ!」
「お主の抱える伊賀者の中から特に有能な忍びを3人選んでほしい。」
「御意。佐助、才蔵、虎丸の3人でございます。」
「佐助は儂も知っておる。他の2人は?」
「才蔵は我が弟、虎丸は配下の伊賀者の中でも最も優秀な忍びでございます。」
それを聞いた正信が驚きながら半蔵に問いかけた。
「伊賀者は厳しい修行をして、才覚がなければ忍びになれない者もいると聞く。そんな選りすぐりの伊賀者の中で最も秀でておるのか?」
「はっ。」
それを聞いた家康が半蔵に質問した。
「我らが生き残る上で、当面の重要な相手は武田、今川、そして信長殿じゃ。何れの動向も必要不可欠。最も危険で大事な任務になる信長殿の下へ行くのは虎丸でよいか?」
「虎丸なら間違いありません。」
「そなたがそこまで言うとは。では他の地は誰が行くべきと考える?」
「佐助は齢46のため、長期間の任務は不適。才蔵は齢14。」
「なるほど。今川が滅びるのは時間の問題。武田とは長い戦いになりそうじゃ。」
「それぞれの任務が決まったな。半蔵、その3人に申し伝えてくれ。」
「御意。」
◆◆◆岡崎城下にある服部半蔵の屋敷◆◆◆
半蔵、佐助、才蔵、虎丸が集まっていた。屋敷の周囲には伊賀者が配置され、厳重な警戒体制であった。
半蔵が3人に向かって話し始めた。
「これは松平家の存亡に関わる重要な任務だ。家康様から直々の下命であるから心して聞いてほしい。」
「はっ!」
3人が真剣な表情で話を聞く。
「佐助。お主は今川領へ。才蔵、お主は武田領へ。そして虎丸、お主は織田信長様の下へ。」
「はっ!」
3人とも半蔵の言葉で全てを理解した。
佐助と才蔵は敵国へ潜入し、随時動向を岡崎に送り、戦の際は放火や門の破壊などの任務をこなすこと。虎丸の任務はそれに加えて信長の心のうちを探り、岡崎に送ること。そして敵国へ潜入することは、元来敵なので気付かれても処刑されるだけ。しかし、同盟相手である信長へ潜入したことが信長に知れたら同盟関係は破棄され、徳川家が攻め滅ぼされる。
「出発の時期は任せる。連れていく者も考えて、準備が整い次第発つがよい。」
「御意!」
こうして3人はそれぞれの任務に従事することとなった。
◆◆◆永禄11年駿河の国、駿府城◆◆◆
本丸の中庭では公家の嗜みである蹴鞠が行われていた。
ポーン、ポーン。
「さすが氏真殿!見事な腕前!」
東海一の弓取りと言われた偉大な今川義元の跡継ぎである今川氏真。
父、義元の敵討ちもせず蹴鞠や和歌を楽しむ毎日を送っていた。
その様子を苦々しく思っていた岡部元信も、これまでに幾度も内政や外交にも力を入れるように助言してきたが、氏真は聞き入れる様子はなかった。
今川家は武田、北条との同盟に甘え、国力も義元の“遺産”で維持している程度であった。
兵の訓練もまともに行われず、家臣が内政、外交について報告したり指示を仰いでも、まともに対応しなかったため、家臣とも亀裂が生じていた。
家臣たちは自分の屋敷で酒を飲みながら愚痴をこぼしていた。
その様子は、時に商人、時に農民に成りすましていた佐助の知るところとなった。
また佐助は家臣の屋敷に潜入し、愚痴なども入手し、今川領内の地形、道、田畑の面積、川や港などあらゆる情報をまとめて、補佐のため付いてきた伊賀者を通じて岡崎に届けていた。
そして今川領内を探っている時に伊賀者ではないが、忍びの匂いのする者を数名見かけていた。
“これは武田信玄が召し抱えていると言われる、透波すっぱか。”
佐助が透波者を尾行し、その行動を探っていると修験道の僧の服装で宿に入ったにも関わらず、商人の服装で出てきたり、夜になると城下へ向かう姿を確認できた。
“武田も今川の状況を詳しく見ているな。早く動かねば今川領は全て武田のものになってしまう。”
佐助は報告のため、岡崎の家康の下へ向かった。




