手柄
◆◆◆5月23日鳴海城◆◆◆
岡部元信の本隊は既に刈谷城近くへ出発していたが、土塁や櫓には多数の幟旗や軍旗が掲げられ、一見すると多くの兵士が城内にいるように感じられた。
そこへ今川義元の首級が納められた首桶を持った織田信長の使者一行が到着した。
門番の足軽が応対し、元信の小姓である千代丸が使者を元信のいる本丸へ案内した。
「信長様は岡部殿の武勇、忠義を尽くして奮闘する姿に感動なされ、義元殿の首級を丁重に納めてお返しすることになされました。」
そう言いながら使者は首桶を千代丸に手渡した。
千代丸は首桶を受け取ると元信の眼前に置いた。
「確かめる。千代丸、蓋を開けい。」
「はっ。」
千代丸が蓋を開けると亡き主君である今川義元の首級があった。髪が結われ、化粧が施されていた。
「おお、なんとも嘆かわしいお姿に。」
元信は暫しの沈黙ののち、使者に礼を述べた。
「信長殿のご配慮、感謝致す。では早速城を明け渡す準備をする故、城外にてお待ちいただきたい。」
「承知しました。」
元信は千代丸に命じ、撤収の準備を完了させた。
そして用意していた輿に義元の首級を乗せ、自ら先頭に立ち、堂々と鳴海城を出た。
その姿を見ていた信長の使者は感心していた。
“さすが今川家の勇将だな。武勇、忠義ともに素晴らしい。”
使者は部下の者を鳴海城に入らせ、自らは従者を1人連れて報告のため信長の元へ向かった。
◆◆◆刈谷城近くの岡部元信本隊◆◆◆
鷹兵衛は元信の本隊を見つけ、元信に代わり、部隊を指揮していた陣代に報告した。
「佐助殿の伝言をお伝え致します。折をみて伊賀者が刈谷城の表門、大手門、裏門に火をかけ、門を開けます。陣代にあっては、城内が混乱した時に城外に配置する佐久間勢を蹴散らして表門から突撃して頂きたい。」
「分かった。岡部元信殿の下命で攻城後、織田勢が態勢を整える前に撤収する。お主らも手際よく引けよ。」
「承知しました!では、私は佐助殿の元へ戻ります。」
「うむ、ご苦労であった。儂らはその時に備えておく。」
そう言うと陣代は部下に炊いた米を乾燥させ、携帯食である干飯を食するように指示した。
鷹兵衛はその様子を見て急いで佐助の元へ戻り、任務完了の旨を伝えた。
「ご苦労であった。あとは城内の竜丸らがうまく敵を混乱させるのを待つだけか。では、儂らも兵糧丸を食べておくぞ。いつ動くかわからんぞ!」
そして刈谷城周辺には忍び込みに備えて裏門付近に配置した佐助ら16名、城内に潜入した竜丸ら14名、表門の城外からやや離れた位置に岡部元信の本隊3,000名がその時を待っていた。
◆◆◆刈谷城内◆◆◆
城主、水野信近が小姓の桃丸に足軽らに夕食を摂るよう指示していた。
「桃丸、そろそろ兵らに食事を摂らせ、女中らに儂らの食事も用意させい。」
「はっ。」
桃丸が侍大将や女中に食事の準備を始めるように指示し、城内が慌ただしくなった。
女中から食事の手伝いをするように言われ、虎之助や才蔵も食材を運んで手伝いを始めた。
食事が出来上がると信近も食べ始め、足軽らも見張り番以外は具足を外して寛いで食事を始めた。
竈から上がる煙を城外にいた佐久間信盛の軍勢が見て、佐久間勢も食事の準備を始めた。
「よし、儂らも飯じゃ。今川の兵もみな逃げ帰っておる。鳴海城にいた岡部も城を明け渡して三河へ帰るそうじゃ。安心して飯を食え。」
信盛がそう指示すると足軽らは食事の準備を開始し、城内と同じく油断しきって具足を外した。
その様子を見ていた竜丸は無言で寛蔵ら伊賀者に目配せをして“その時”を伝えた。
竜丸らは食事中の足軽らの目を盗み、竜丸ら5名は表門、寛蔵ら5名は大手門に別れて向かった。
そして手薄になった門の警備の隙を突き、竜丸は門番に食事のための見張り交代の挨拶をしながら近づいた。
「儂らは食事を終えました。どうぞ飯の温かいうちに。」
「おう。かたじけない。」
門番が食事に向かおうと背を向けた瞬間、腕を門番の首に回し一気に首を絞めて、その命を奪い、具足と槍を奪った。
竜丸が周囲を見渡すと他の伊賀者も同様に門番から具足と槍を奪っていた。
そして大手門の方を見ると既に火の手が上がっていた。
「早いな。寛蔵らも上手くやったようだな。よし、かがり火を使って門と櫓、その後は館にも火を点けろ!」
竜丸が指示をすると伊賀者は手際良く次々とかがり火にあった薪を使い、門と櫓に火を点けた。
門と櫓が燃えて黒煙が上がると、厩に向かうと、既に寛蔵が厩の馬を解き放とうとしていた。
竜丸が高笑いしながら寛蔵に話しかけた。
「さすがだな!やはり厩に来たか。」
寛蔵も笑いながら竜丸に話しかける。
「ははは。馬には浪人になってもらおうと思いまして。」
「織田勢も馬がいなければ大将らが馬で逃げられず、岡部殿を追撃するにも難儀するな。」
「左様でございますな。この馬たちを表門から城外に出そうと思います。」
「そうだな。頼む。馬の数も多いから皆でやってくれ。岡部殿の城攻めも始まるだろうから、儂は子供らと合流して、そちらに向かう。」
竜丸は岡部元信の本隊が攻める手筈の表門へ向かった。
◆◆◆刈谷城裏門の城外◆◆◆
城内から煙が上がっている様子を見た佐助が鷹兵衛らに話しかけた。
「城内に潜入した竜丸らは上手くやったようだ。儂らも行くぞ。」
その頃、刈谷城裏門の門番らも煙を確認していた。
「おい、表門の方に煙が見えんか?」
門番が隣にいた門番に話しかける。
「飯時だし竈の煙ではないのか?」
「竈の煙といえば竈かも知れんが、数が多いような・・・。」
門番らが城内の煙を不審に思い、気を取られていると、急に首元が熱くなったような感覚になった。
「あれ?」というつもりだが、声は出ず、そのまま目の前が真っ暗になり、何が起きたら分からないまま絶命した。
もう一人の門番も同様に屍となっていた。
「たやすいな。門を開けるぞ。」
佐助は逃走用に門を開けた状態にすると、本丸へ向かった。
食事の準備をしていた才蔵らも竈ではない火の手に気付いた。
「始まったようですぞ。我らも備えましょう。」
才蔵が共に行動している虎之助らに小声で伝えた。
「よし。遂にこの時が来たか。」
虎之助は武者震いし、緊張しながらも抑えきれない興奮状態となった。
「虎之助殿、慎重に行きましょう。」
才蔵が虎之助の状態に気付き、諫めた。
才蔵と虎之助は食事の準備を続けるフリをして“むしろ”の下に隠しておいた脇差を手に取り、ざるに乗せて、その上に野菜を乗せて隠した。
才蔵らと一緒にいた虎之助の弟、虎丸と琴丸は食事を本丸に運びながら水野信近の隙を窺っていた。
脇差を乗せたざると野菜を持って台所から合図を待つ。
すると表門と大手門の火に気付いた足軽頭、六兵衛が報告のために食事中の信近の下へやってきた。
「報告します!表門と大手門が燃えております。原因は分かりませんが敵襲かも知れません。」
「ここに攻めてくる敵がいるとは思えんが。桃丸、六兵衛と一緒に様子を見て調べてこい。」
「はっ!」
桃丸と六兵衛は表門に向かった。
その様子を見ていた虎丸は台所に控えていた虎之助に目で合図を出した。
虎之助は無言で才蔵にも合図を出し、ざるを持ったまま信近のいる部屋へ向かった。
そして食事をしている信近と食事の補佐のために横に女中一人がいることを確認すると、静かにざるを置き、周りに人がいないことを確認すると脇差を取り出し、鞘から刀を抜いた。
これまで修行してきた成果を発揮し、気配を完全に消して信近の背後に近づくと、才蔵が信近の左へ回り込み、脇腹へ一突きした。
「ぐふっ」
口に含んでいた飯を吐き出し、持っていた箸と茶碗を落として苦悶の表情の信近が才蔵の方を見た。
「お、お主は・・・」
信近の右後ろにいた虎之助が脇差を首に目掛けて振り下ろした。
脇差のため、首を切り落とすことはできなかったが、絶命させるには十分であった。
横にいた女中が恐怖で声が出ずに腰を抜かしていた。
虎之助は女中を気にもせず、怒りの滲み出た表情の信近の首を切り落とした。
「やったぞ!」
虎之助は初めての実戦で思い通りの成果を上げたことで喜んだ。
才蔵は大将首の重要性を認識し、信近の首級を手に取った。
それを見た虎之助が才蔵から首級を手渡すように言った。
「敵の中にあってこの首級を持っていたら狙われる。危ないから儂が持っておく。」
「危ないのは虎之助殿も同じ。」
「才蔵、儂とお主、どちらが強い?」
「それは虎之助殿ですが・・・。」
「万が一敵に襲われたら儂は斬り捨てて逃げられる。危険な役目は兄弟子である儂が引き受ける。それより佐助殿たちと合流しよう。」
才蔵たちは佐助ら伊賀者と合流するため表門に向かった。




