その王子は狡猾に笑う。
◆ ◆ ◆
ディミトリの屋敷で働く使用人らは、全員追い払われた。
だから、ホールでディミトリが何度鞭で打たれようとも……それを証言する者はいない。この場にいるのはディミトリとレティーツァ王女。そしてディミトリも知る『再戦派』の大臣ら数人。さらに彼らの所有する兵士しかいないのだから。
レティーツァ王女は嬉々と、柱に縛り付けられたディミトリに対して鞭を振るう。
《真実女王の鞭》、そう呼ばれる才能は、まさにレティーツァ王女にぴったりだった。戦闘能力は通常の棘のある鞭と変わらないが、その鞭に苛まれた者は真実しか話せなくなる。まさに拷問のためにある才能。
「往生際が悪いわね。いい加減本当のことを話したらどう? すべては私の才能のせいよ?」
ディミトリの服はとうに裂けていた。その上で覗く裸体からは幾千の傷から血がじわじわと滲んでいる。その上で彼が「御冗談を」と返せば、今度は鞭が顔を掠った。後ろで縛られ、頬から流れる血を拭うこともできないけれど……それでも、彼は思い出す。
――こんなに破れたシャツは、さすがにアップリケでも付けてもらわないと、もう着られないかな?
あの可愛らしいアップリケをそっと引出しにしまっていた家政婦の少女の顔を思い出せば……彼はいくらでも微笑むことができる。
「本当に俺もアイーシャの誘拐には関与してませんし、俺の家政婦は彼女の救出に向かっただけですから。これが真実だと、あなたこそわかっていただけたのでは?」
「あら、どーかしら?」
そんなディミトリの顎を、鞭の柄で持ち上げて。レティーツァも口角を上げる。
彼女が才能を発動させるかどうかなど、関係ないのだから。ただその才能を所持してさえいれば――この場において、彼女こそが真実。
「本当のことなんてどうでもいいのよ。たとえあなたが何と言おうとも、私が才能でこんな証言を聞き出したといえば、それが真実になるのだから」
「……さすがに横暴すぎませんかね?」
「諦めなさい。いくら文句を言おうが、これが現実よ。ただあなたは、私に屈しさえすればいいの。生贄なんかと婚姻するのはごめんだけど~、聖女さまの加護はいくらでもほしいわ! さすれば、戦争なんか起きようとも、私はいくらでも英雄になれるもの! だから、早く私に忠誠を誓いなさい」
そしてレティーツァは指を鳴らして、控えの者から薬瓶を受け取る。
「痛いでしょう? 苦しいでしょう? このお薬を飲めばラク~になれるわよ。ついでに気持ちよくなって、ず~っと夢見ているような心地になれるの」
――俺が連れ去られた先で飲まされそうになったのがこれか。
オスカルとコジマさんのおかげで、飲まされずに済んだ薬。そんなもの、当然飲むはずがなく――差し出されたそれを顔を振り払うことで落とせば、容赦なくレティーツァの平手が飛んでくる。長い爪が頬の傷跡をさらに抉り、さすがの痛みに顔をしかめると。頭上から女王が鼻で笑ってきた。
「それなら、自分から私の足を舐める?」
そしてヒールを履いたままの爪先が、ディミトリの口元に押し付けられた。
「もうすぐ約束の時間ね。アイーシャがいなくなれば、あなたが王族に名を連ねることもないし……でも、すでにあなたの身元は我がシェノン王国のもの。嫁ぎ先で哀れにも婚約者に先立たれた隣国の王子は……そうね、失意の底で自殺でもしたことにする?」
「……さしずめ、俺は未亡人ですね」
「正確にいえばまだ結婚してないし、そもそも女性に対して使う言葉だからあなたには適さないけどね」
「さすが、博識だ」
――どっかの馬鹿当主とは大違い。
だからと言って、それをおめおめ受け入れるわけにはいかない。
だって、ディミトリは知っているから。
「でも、そんな立場になろうとも……俺は諦めるわけにはいかない」
自分と同い年の女の子が、本当は蹲って泣きたいのを我慢して気丈に生きていることを、知っているから。そんな彼女が、今危険を犯して友達を助けに向かっていることを知っているから。メガネを外して。前髪を切って。その綺麗な両眼で、前を見つつあることを知っているから。
それなのに、男である自分が心を折れるわけがない。
「たとえどんな目に遭わされようと、自決だなんて情けない様は晒しませんよ」
そして、彼は女王の靴を舐める。ほのかに光るエメラルドグリーンに照らされつつ、ディミトリは誰よりも狡猾に、女王を見上げ――慌てて足を引いたのはレティーツァの方。
「あなた⁉ 何を祈ったの⁉」
「俺はただ――醜い女王に不幸が訪れるように、と」
ちょうどその時だ。
「ちょっと、このドラゴンはミーチェの場所がわかるの⁉」
「大丈夫です、たくさん戯れてましたから! ……けど、この子は犬です」
「犬じゃないわっ! どこをどー見てもドラゴンの一種よ⁉」
外から、やたら姦しい話し声が聞こえてくる。その声はどしどしわんわんと近づいてきて。
「わっふ~~んっ‼」
その可愛らしい雄叫びとともに、大窓をぶち抜いてくる白亜の巨大犬。
その背に跨るのは、ボロボロのドレスを身にまといながらも元気そうな二人の美少女だ。
星明かりに照らされ、ガラス片がキラキラ煌めく。
その中で、一人の黒髪の少女は、やっぱり無表情で言いのける。
「ほら、いらっしゃいました」
「……やはりドラゴンだと思うわ。この子」
「いえ、犬です」
そうもうひとりの金髪の少女に答えてから、彼女は少し不機嫌に『イヌ』の背中から飛び降りて、月明かりを背に粛々と「ただいま戻りました」と頭を下げるから。
全身傷だらけのディミトリは「あはは」と無邪気に笑いかけた。
「おかえり、コジマさん」