4 死に急ぎたい男
朝日が昇り、街にすっかり陽の光が行き渡った頃、カーテンを閉めたままのその病室内は薄暗かった。
カーテンレールに延長コードを通し、痩せこけた初老の男は迷っていた。
吊るべきか、否か。
延長コードを見上げる男の傍で、死神のガクは床にあぐらをかき、膝に頬杖をついてそれを眺めていた。
「で?なぁーんでお前がいるんだよ。ホノカ。」
ガクの背後のソファに腰掛ける、女の死神。
「あんたこそ何してんのよ。これあたしの案件よ?」
女はガクと同じように背中に漆黒の翼を生やし、黒髪ロングのストレート、黒いタイトスカートに黒いジャケットと、黒いピンヒールを履き、白い生足を組みガクを見下ろしている。
「いや、どー見ても俺のでしょ。ホノカは病死専門だろーが。この男は今から首吊るの。自殺だろーが。」
「いぃえ、このおじさんは末期ガンなの。そろそろあたしのお迎えの時間よ。」
「いやいや、ガン細胞の勝利より先に吊るぜこのおっさん。」
男はため息をつき、ベッドにフラフラと力なく腰掛けた。
まだ路頭に迷う男はそのまま頭を抱え俯いている。
男にはまだ死神の2人が見えていない。
「ほらー、あんた簡単に吊るだの自殺だの言うけど、人間そんな弱くないんだからね?」
「どーだかねぇー。まだ迷ってるみたいだけどー?」
「だいたいこのおじさんから魂取ったって大したエネルギーなんか残ってないでしょーが。」
「いや、それがさ、あの世ではそんな少量のエネルギーすら喉から手が出る程必要なのだよホノカくん。」
「それあんたがサボってるからでしょ。」
「あは♡バレた。」
「そろそろホントに干されるわよ。」
「それよりホノカちゃん、今晩俺とどぉっすか?」
「まぢで干されろ。」
そんなやり取りをしているうちに、男はまた立ち上がった。
もはや生気のない白い顔で、男は延長コードを震える手に取り、遂に首にかけた。
「はい、俺の出番ー。」
「ちょっと、無理矢理持ってくんじゃないわよっ?」
「はいはいちゃんと仕事はしますよー。」
体をダラりと、男が首に体重をかけた時だった。
「死ぬんすかー?」
男はいつの間にか床から少し宙に浮き、くい込み始めていたはずのコードから首が離れている。
「なっ...なんだあんたっ!」
「どうもー、俺、死神のガクでーす。」
ニッコリ笑う翼の生えたガクに男は驚いている。
その声は張り上げているつもりだろうが、掠れて聞き取りづらい。
「し....死神っ?ふざけるなっ...いつの間に入って来たんだあんた!」
「ん。何分か前に。
それよりおっさん、そのコードで死ぬの?カーテンレール折れちゃうんじゃねーかなー?
俺的にはこっちの壁のコート掛けにした方がいんじゃねーかと思うんだけど。」
「なんなんだよあんたっ出ていけっ!」
「だーかーらー、俺死神なの。おっさんが死にそうだったから迎えに来たんだよ?魂をね。」
男は驚きながら返す言葉に困り、ただただガクを見上げている。
「それにほら、おっさん、あんた宙に浮いてんぞ。」
ガクに指差されて足元を見ると、確かに地に足が着いていない。
「...っ...な....ホントに...死神なのか...。」
「っそ、正確には自殺専門死神ー。
おっさん、死ぬならその魂俺に預けてくれよ。あんたの許可がないと持って帰れないんだよねぇ。」
あざとく困った風な顔をして見せ、ガクはスラックスのポケットに手を突っ込んだ。
「おっさん、あの世ってのはさ、すぐにでも生まれ変わりたい魂たちがひしめき合ってんだ。
その魂たちが生まれ変わるには、エネルギーが必要なんだよ。
そのエネルギーっつーのが、あんたみたいな途中リタイアした魂だ。
残りの寿命を生きられるエネルギーを残してるわけだからねぇ。
俺はそんな魂を回収するお仕事してんのよ。」
「............。」
理解したのか出来ないのか、男はまだ現実を受け止められないでいるようだ。
「そんなわけで、だ、魂もらっていい?」
そんなやり取りの様子を、ホノカはソファでイライラと眺めていた。
────あんなろ...まぢで持ってく気かよ...このおじさんの寿命なんてあと一日程度しかないのに....鬼畜がっ....。
するとガクは、ホノカをチラりと見ては意味ありげに口角を上げた。
「ところでおっさん、首吊りもいいが、あんたの寿命はいくばくもないぜ?
なのにわざわざ吊りてぇのか?」
男はその言葉に、落胆し肩を落とした。
「.......そうか....いくばくってどんくらいだ.....俺は一刻も早く家族を楽にしてやりてぇんだ....。」
「さぁなぁ?あんたが病死を選ぶなら、そのうち他の死神が迎えに来てくれんだろーよ。」
そう言ってガクはまたニヤリとホノカに視線を送る。
─────ちっ!いちいちエロい顔向けんな馬鹿!
「.......こんなんなっちまってよぉ...1人じゃ何も出来ねぇで....世話ばっかりかけてよ、荷物でしかねぇじゃねぇか。
どうせもう治りゃしねぇんだ。こんな重りはさっさといなくなっちまった方が.....」
男がそう言いかけた頃、ガクはそれを遮るように話し始めた。
「馬鹿だろおっさん。荷物だなんて誰が言ったんだよ。
被害妄想散らしやがって、てめぇん中だけで片づけてんじゃねーぞ。
なぁおっさん、あんたの嫁、毎日家で何してるか知ってっか?
あんたが退院したら快適に過ごせるようにって部屋準備してさ、何食わせりゃいいかってガンにいい食品勉強してさ、まだ帰ってきてもねぇのに嬉しそうに寝床作って。
娘だってもう遊んでばっかいるガキじゃねんだ。あんたの為に取った栄養士の免許証見せにあと30分もしたら嫁とここへ到着するだろうよ。」
男は目に潤みを持たせ、虚空を見つめたままガクの声に耳を傾けている。
「どーせあとちょっとしかねぇ人生ならさ、こんな暗いとこでくだらねぇことしてねーで、何を話すわけじゃなくたっていんだ、
最後に家族と過ごしたらいーんじゃねぇのか。荷物か何か知んねーけど、
そんくらいやったってバチなんか当たんねぇよ。」
遂に溢れ出す涙を拭いて、男はゆっくりとガクを見上げた。
「あんた....俺を連れて行かなくていいのか....」
「言ったろ、おっさんの許可がなきゃ連れていけねぇ。」
「.........そうか......」
そしてガクはまた目線を逸らし一点を見つめる男に言った。
「じゃあ最後にもっかい聞くよー?」
遅かれ早かれいずれは訪れる時間。
それまでの間、欲しいもん求めたっていいじゃないか。
男はそう思いながら、ふっと微笑んだ。
「死ぬんすかー?
免許証、見てやるんすかー?」
男は痩けた頬を思いっきり持ち上げ、今出来る限りの笑顔を見せた。
「免許証、褒めてやりますよ。」
3人揃った病室の窓から飛び立ち、上空へ翼をはためかせる2人の死神はしばらく無言だった。
それを先に破ったのはホノカだった。
「ねぇ、ガク......。」
「んー?」
「あんた....」
「ふっ...なになに?俺と遊ぶ気になった?」
「だから営業成績悪いんじゃない?」
「あ。それ言っちゃいます?」
「あんなの...繰り返してたらそりゃそうでしょ...。」
「そぉなんだよねぇーいつまで経っても収穫がないよねぇ。なぁ、クビになったら死神って死ねるのかな?」
「知らないわよそんなの...。」
「あーあー。死にてぇよ俺もー。いつになったら死ねるんだろ。」
「........死ねないわよ。分かってるでしょ。」
「へーへー分かってますよ。つか病室いなくていいのか?」
「あんたが作った時間が終わるまであたしは邪魔者でしょうが。」
「あは、ごめんホノカちゃん、そのツンデレ感も好きよ、俺♡」
「黙れ鬼畜が。」
こうして2つの黒い翼は、青い空の奥へと吸い込まれるように消えていった。
人間にはどうしようもない苦の瞬間がある。
金銭での失敗。
男女関係のモツレ。
自分以外の人間を傷つけた時、また殺した時。
それが自ら命を絶つ死へと発展してゆくなら、是非協力してやってほしい。
死神屋さんのガクさんに。
アナタの力で生を受ける魂たちに。
TO BE CONTINUED…
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