死ぬ!
包丁を手にした鬼の姿を捉えたとき、おそらく星きらりとしての人生はコレで最後になるだろうと悟った。丸腰な状態で凶器を掴んだ人間など勝てるハズがない。
どこで選択を誤ったのか。
風呂場での返事から? 学校を休んだことから? そもそも手伝いをする約束をしてしまったときから? 意見の相違で家を出て行った父についていかなかったときから?
――それとも、生まれた時点で。
「もう、死のうか」
もちろん、まったり思考する時間など与えてくれず、無情にも死の刻を迫らせにやってくる。こんな不正解な人生を辿った自分が情けなくてしょうがなかった。
張り詰めた世界の中で、彼女は自分と自分を殺そうとする母しかこの世にいないとさえの錯覚をも覚える。
たちのぼる湯気が霧のように視界を覆い始め、夢のような雰囲気を滲ませる。
暑い空間にずっと立たされているせいか、冷静な判断に欠けているように感じた。
その視界と聴覚は、金棒を担ぎ上げて唸る鬼の幻影を見せた。
不思議だ。目の前に居る殺人鬼よりよっぽど、このどうしようもなく惨い現状に夢のような感覚を伝わせていってる自分のほうが恐ろしくも思える。
「これしか、手はない。腹を括れ……! 星きらり……!」
最後の無謀な策略を浮かんだ彼女は、これできっと最後となり得る激情のエールを送る。いつから母が狂ったのだろうと、考えを巡らせる時間も余裕も残されていなかった彼女は、最後の悪あがきの如く、迫りゆく母を横目に後ろへと下がっていた。
そのまま、そのまま。ゆっくりと着実に。
その動きは、怯える小動物をなだめるが如く。
銃を持った殺人犯を落ち着かせるが如く。
全てを理解などしていないのに、とっくに全てを理解した表情で「死の淵」へと歩を進めていった。
――私が死ぬことになっても、貴女に殺される事なんて絶対にさせない。
彼女は死ぬ最後の時までそう思った。いちごが何をしようとしているのか察した母はイノシシのように彼女の元へと駆け寄ってくる。大きな角を携えて。
詰まる距離数センチ。
母の握る刃が腹部を貫き通すその瞬間まで。
――世界が反転する。
――今まさに、彼女を纏っていた世界が、空気から液体へと変容した。
歪な二人の親子はこの場にいた。
母が――星さつきが刺したハズだったものは、虚構に過ぎなかった。
立ち籠める湯気の中で、どうしようもない状況下の中で彼女が思い浮かんだ解決策などなかった。
回避する手段などなんて大層なものや、実行する覚悟なんてものなんて持ち合わせているのなら、こんな最低最悪な終わり方はしないだろう。
「……ッ」
世界を反転させた彼女は身を湯船の中まで溶かしていった。空気と触れる肌の一切の露出をゆるさないまま、その代わりに深海魚にでもなったつもりで、小さな海で大きく息を吸った。
とどまることを知らない水流が、必死にせき止めていたダムが決壊したかのような勢いで、肺へと流れていく。
水面上に見えるヒトの姿をしたナニカは、必死で悶絶するような素振りを見せたかと思うと、隠し持っていた金属らしきものを風呂の中に突き刺した。
透明だった世界は、自分が内側に秘めていた淀んだ想いを現すかのように赤黒く滲み始める。
赤い世界がそこら中に充満してきたかと思えば、光の届かない深海や宇宙にでも行ったかのように、突然となって暗転した。
――沈んだ世界の全てが真っ赤に染まったとき、星きらりは亡くなった。
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