理不尽!あと恐怖!
事実は小説より奇とはよく言ったもので、人生とは本当に不思議なものである。
学校に行くことが学生の権利であり義務であると無意識の内に心に刻んでいた星宮いちごにとっては、平日の昼間に家にお布団にくるまっている今の自分に違和感を覚えてしまう。
「今日も元気に頑張ろう!」
などと唄っていた彼女の面影はもはや何処にも存在などしない。
そこにあるのは窶れた人が一人。生きることに疲れ切った無気力な虚ろな目も、今にもその場で倒れ込みそうな安定のない佇まいも、到底以前の立ち振る舞いからは、想像に耐え難いものがある。
カーテンで閉ざされた空間の中、無機質に回る扇風機が彼女の頬を撫でる。
炎天下の中、布団にくるまりながら、扇風機で「強」の風を浴びているのは頭のネジが数本足りないからではない。
まず彼女は紛れもない風邪である。加えて今日は猛暑となり、昨日の比では無い。
そう、風邪を治すためには休養が必要で、暑さを紛らわすには扇風機やエアコンなどの冷え切った何かが必要なのだ。
机に残されたのは山積みの課題。どうしようもなく散乱していて見るに堪えなかった。
毎日、毎日、忙しい日々だったからか、自身の部屋の散らかり用を認識できたのは、ついさきでったのだ。
だが、汚部屋の認識は出来たとて、彼女は「自分の頑張り」を認識できてはいない。
むしろ、母の書店を継いで盛り上げなければいけないというのに、こんな時間まで何をやっているのだろうという自身への嫌悪感さえあった。
「うう、全然寝れない」
重い腰を上げ鬱陶しい扇風機の電源を止める。
身体を捻りカーテンを開けると、辺りは夕闇に包まれていた。
昨日は保健室に行ったものの体調は改善せず早退してしまった。
それから手伝いもお風呂も行かずにずっと寝たきりの生活である。
やっと起き上がれるくらいには回復したか……。
「少し空回りしちゃったかな……う、へ?」
如何にも演技のようなすっとんきょうな声を上げた星きらりではあるが、本人にとっては大真面目になる理由がある、驚くべき景色が広がっていた。
だからだろうか、彼女は先程まであった身体の痛みや取り巻く不快感などを忘れて部屋を飛び出したのは。
「……あれ、お母さん。私って一日中寝てた?」
夕食前のリビング。彼女は手作りらしいチョコレートを口に頬張りながら母に尋ねる。
母は表情こそ分からないが料理をしながら淡々と返事をする。
「――なに言ってんの? 自分が寝たかどうかは自分が分かるでしょ?」
至極真っ当な答えではあるが、求めていた「ソレ」とは違っていた。
それ以上の追求は止めて席を立ち上がる。
「そっか、先にお風呂入ってる。今日お店手伝えなくてごめんね」
心なしか、普段より冷たい応対を感じながらも何かを言いたい気持ちを必死に飲み込んだ。何故なら母には大義名分があるから。些細な風邪という『下らない理由』で休むことを認めてくれた母には寧ろ感謝しなければいけないのだ。
こころなしか強い違和を感じながらも、何も言わずに彼女は浴場へと向かった。
――途切れることのない雨粒の銃弾に撃ち続かれながら、自身の存在意義に頭を巡らせていた。
反射された自身の、うつろげな名表情で手を動かす姿を見て大きな溜息をついた。
彼女、星きらりと称された人間は昔から何にも興味が無かった。
世界中で溢れている様々な趣味。インドア系でも、ゲームやイラスト、年頃の女子ならばファッションに興味を持ちそうではあるが、彼女は全く示さなかった。
アウトドア系でもサッカーやバドミントン、卓球など彼女にはいつでも誰かとはやる機会はあっただろう。しかし、彼女にとってはどれもこれも味気ないように感じた。味の無いガム、薄っぺらい布きれのように、酷く浅く狭いものに感じたのだ。
くつろいで携帯を眺めるだけでも苦痛に感じ始めてからは、この世に自分の楽しめる趣味など存在しないのだろう、そしてこれからも現れることはないだろう、と幼心にて理解した彼女はただ淡々と味気ない人生を送っていた。
「なんか、もうイヤだな」
生きがいなんて大層なものはないし、淡々と母の手伝いだけの為に忙しく生きているだけの人生だった。
子どもの頃から大好きだった本を、今度は「読む側」から「伝える側」として広めていきたいという強い願望に打ちのめされて、父の拒絶を乗り越えて、この四年間を共に頑張ってきた。
――けれど、本当に描きたかった夢は。
「なにもみつからないよ」
――あの時の母の姿は、表情こそ見えなかったが完全に彼女を忌み嫌っているものだった。
何もしていないのに。何もしなかったからこそなのかもしれない。
一日休んだだけで?
ふと脳裏に違和感が残る。
あの優しかった母が一日寝込んだだけでここまで言われるのだろうか。
しかも夕暮れとはいえまだ八時前ではある。こんなに早く店を切り上げることなど今まで一度たりともなかったはずだ。
それに――
「きら……居るんでしょ?」
文句というものは日常に潜む恐ろしい『毒』である。
放課後に母の手伝いをする、彼女の手伝いなど微々たるものだろう。
少し人手が足りなくなっただけ。崩れてしまった本の整理、客の対応などをしていれば即日ならば乗り越えられないこともない。
また明日、二人で頑張れば良いだけの話である。
「……アンタが居ないせいでね。今まで必要以上に苦労してきたわ」
銃弾に打ちひしがれたままの彼女に、母と思わしき影が文言を綴る。
「……客に捨て台詞を何回も吐かれたの! 『なんで今日に限ってアノ娘いないんだよ』って! 一回限りじゃない、今日だけで何回も何回も! アタシは多くの人に本の良さを知って欲しくてここまでやってきてるのに! 今まで来た客なんて全員オマエ目当てだったんだ!」
瞬間、ダムが決壊したように汚い言葉を吐き散らす。
叩き潰されるように降り注いだ罵詈雑言は彼女を畏怖させるには十分だった。
あのお淑やかだった母は、唇を噛むように、再び文句に身を任す。
「――少ないお金を必死にかき集めて念願の書店も造って、客足が途絶えそうな時も二人で頑張ろうってここまでやってきたのに! 価値のないものだった、今までの時間は価値のないものだった!」
本来ならば、支離滅裂な彼女の文句であろうと、理不尽な攻撃であろうとも、『星さつき』の子として穏やかに生きていくには頷くのが場を納めるのに最適だろう。
だが、彼女はそうしようとは思わなかった。肯定による逃げなど今日をもってやめようと思った。
「……じゃあ、結局その程度なんじゃない」
星きらりは弱々しくもそう呟いた。
――晒された理不尽に対する反発を込めて。
「ア゛?」
何故ここまで取り乱す母の前で冷静と聞かれたら、これは踏んできた場数が違うとしか言い様はない。
母の語る価値というものは、ネットだかなんだかが普及して斜陽化しつつある書籍の素晴らしさをもう一度伝えて復興させること、である。
時代というのはいつまでも固定されているものではない。
それは他でもない彼女が一番分かっているだろうに。
薄々彼女は気付いていた。彼女の夢はきっと成功しないだろう、と。
しかし、母自身が厳しい現実を一番理解しているハズだ。
娘である自分が口に出すのはおこがましい――そう思っていた。
だが、もういいだろう。
いざ、現実が『数字』となって突きつけられるといつもこうだ。
「それが今の評価って事でしょ」
――扉越しに突っぱねた惨い一言は静かにその場を反響させた。
これは正論であり事実である。何度も頭の中で反復させる。
暴論に壊されそうになったから、正論で防衛しただけの話である。
だが、母にとってこの正論は、世間の誰しもが肯定したとしても決して自分だけは認めてはいけない。
認めてしまっては、もはや何の為に今までの人生を、夢のために使ってきたのだろうか。
――だから、母にとって容赦なく『現実』を突きつける言葉と、その発言者である星宮いちごは紛れもない敵であろう。
「スロコ、エマオ」
鼓膜が破れんとばかりの大きな音で扉が開かれたかと思いきや――
そこに居たのは包丁を持った鬼の姿であった。
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