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幕開け!

「……そもそも方程式を解くというのは左辺にXやy、いわゆる文字が移項することだ。実際にその性質を利用するとこの問題は~」


 数学教師からの雑音をバックグラウンドに日頃の疲れを癒やそうと机にひれ伏す少女。

 机とくっついて離れないで居ると不思議かな。教師の声がささやかに波を引くように弱々しくなっていく。


 合唱コンクールが無事に終わり、一学期も折り返し地点を通過した七月あたりになった。

「一年間も半分を切ってしまうのか」なんて呑気な事をぼんやり考えながら退屈を思考に昇華させていく。

 緩やかに上昇気味だった気温は殻が抜けたように凄まじく飛躍していき、吹き抜ける風はもはや暖かいでは済まされないだろう。


 そしてうだつの上がらないこの暑さよりよっぽど難儀な点を尋ねられるのであれば、言わずもがな数学の授業だろうと即答する。Xやy……そして移項といった新用語が出てくるがそれらは=を飛び越えながら変幻自在に自身をマイナスにさせたりプラスにさせたりする強者らしい。


 イコールが示すものは数字だけだと確信していた彼女にとっては本来ない動作をいきなり加えられたこと。

 すなわち、電子器具を普段通り使用していたにも関わらず、マニュアルには全く載っていない事態が発足したことにより頭の整理が追いつかず、悩み、悩み、悩んだ挙げ句の果てに「もう寝よう」という彼女なりの最善の答えを導き出したのである。


 いずれにせよ睡魔との格闘を断念し、教師と蝉の交わる大きな音を完全に遮断してしまった彼女は、この教室の中で唯一無二の存在と言わざるを得なかった。「唯一無二」。言い得れば「オンリーワン」。


 聴き心地こそ良いものではあるが個性を積極的に潰す学校教育と教師の性格的にはそれは御法度らしく、怪訝そうな顔で彼女の醜態を確認すると、わざとらしくも彼女を指摘する。


「ではこの問題を……よし、星。答えを言ってくれ」


 無論彼女には問題の答えどころか、問題自体が耳に届いていない。だからこそ星宮を指摘した。そんな事は知りつつもクラスメートは黙認していた。


 実は星きらりは眠たいから眠っている。などといった表層的な理由で机にひれ伏している訳では断じてない。


彼女の母が小さな書店の経営者でり、彼女はその手伝いと、学生という職業を全うするべく非常にハードワークに勤しんでいたため、このような事態を呼び起こしたのである。


 クラスメートの中には実際に書店へ足を運んだ人も多いらしく、彼女も切磋琢磨と働いている姿を目にしたことから、少なくともその内情を把握している者も多い。


 故に、彼女の醜態を見て批評を垂らす者もいなければ馬鹿にして嘲笑う(あざわら)人など一人も存在していなかった。だが、多忙な日々を送っているからといって授業中に眠ることが許諾される訳でもなければ、無関係でいることなど出来やしない。


 長い――長い――重い沈黙の軋轢がクラス内を蝕んでいく。直射日光に浴びせられた一つの立方体は、着実にじめじめとした空気を纏っていく。


 本来であれば沈黙を破るのは彼女の責任だ。


だがしかし、教師が嗚咽を零し、クラス内の沈黙を破り捨てたのは、彼女が答えるべき問題を代替わりして発言した者がいるからだろう。


「X=-4です!」


 発言者が不一致という点意外においては何一つ間違っていない答え。

 しかし予想だにしていない展開だったのか教師もクラスメートも辟易の表情を露わにする。


「ま、まあ正解だ。だが俺は星を指名したのだがな……。聞いていなかったか?」

「いえ、聞こえておりませんでした!」


 たちまちクラス中に大きな笑いの渦が完成する。発言者の立場を崩されてしまった教師にとっては、彼女を再び指名する勇気と時間は存在していなかった。


 そして、ハツラツとした表情と声で教師の返答とクラス内の空気を貫いた彼女。夏みくるの功績は、後に学校内での“思い出深い”小ネタになることは彼女達にとって知る由もない。


――なにはともあれ、ピンチ=チャンスの「方程式」が完成された。


 


 チャイムが四限目終了の合図を送ると、今度は教室中に緩和した空気が流れ始めた。

 ぞんざいに黒板の文字を消す者。給食当番のエプロン紐をこんがらせて手伝って貰う者。はぐれぬようにと急いで机を動かして誰かに混ざる者。そしていくつかの人は談笑を交えて教室から出て行った。


 そんな普段と変わらない昼下がりを、騒々しさと共に迎えた。

 だが、二人の中学生はそんな喧噪など知らない顔で、机を並べて真剣に語り合っていた。


「ちょっと授業出ない方良いんじゃない? いや出るな。五限以降に貴女が教室に居座っている姿を見かけたならば、即刻保健室に連れて行きます」


 怒濤の勢いできらりに注意を促す少女こそ先程の夏みくるだ。四限目の数学の時間にダウンしてしまったいちごに代わって答えてくれた少女である。もはや語る内容がそこそこ深刻であるので周囲に人は寄せていない。いや違う。この禍々しい空気感へ、誰一人侵入を試みようとする者などいない。


「今回も助けられました……。じゃなくて、さっき聞き捨てならないことを聞いたんだけど勘弁して」


「勘弁してほしいのはこっちのセリフよ。今週で倒れ込んだの二回目でしょ……。まだ水曜日なのにこれからどうするっていうの……」


 もはや終始呆れ顔で告げる夏みくるは、学年中で一番きらりの事を知っている。

 名前と顔を知ってるだけ、もしくは少し会話をしたことがあるだけの人々とは打って変わって、『正真正スーパー仲良し家がご近所さんの幼馴染み』であるのだ。


 どとのつまり、きらりの顔つきからただの居眠りでないことはすぐに理解していた。そして、もう一つ加えるならばその原因も。


 まず、きらりが倒れ込むように眠ったあの様子は紛れもない睡眠障害である。食事、運動、過度なストレスによって突如倒れてしまう相当危険な状態。


 『バタンキュー』という言葉は聞いたことがあるだろうか。もはや死語となってきているようだが、今回が正にこれに当てはまる。


 今度はお願いだからと懇願するような表情できらりに訴えかける。先ほどの物凄い剣幕の表情とはまるで違う。演劇部の底力を見せられたような気分であった。


「ありがと、でも……まだまだやる気はあるよ!」


 彼女も負けじと、先ほどとはまるで違うしょんぼりモードから元気もりもりご飯パワーへの移ろいを見せた。演劇部じゃないけれど。普段と変わらない活発な姿を確認したあおいは、感心したように息をつく。


「やる気なんて曖昧なものに自分の面舵を任せてるようじゃますます危険だわ。今すぐ保健室に行きなさい。給食はもってきてあげるから」


「降参、あたしが悪かった」


 ちょっと上手いことを言ってにやりと笑うあおいを横目に、きらりは寂しそうに背中を向けて教室を後にするのであった。








***








 きらりは額に手を当てながら保健室への道筋を辿る。


「熱はないみたいなんだけどな~……」


 一年生の教室が四階であるのに対し、保健室は二階の職員室前の階段を下っていかなければならない。

 そのため、結構な距離を歩かなければならない。なぜ、具合の悪い患者が階段を何回も下っていかなければならないのか非常に理解に苦しむが、何をもって抗弁した所で教室の位置も、保健室の位置も、覆りようもないので考えることを止めた。


 廊下を歩いてみて感じたことだが、あおいの今すぐ保健室に行けという言葉は英断だったのかも知れない。他のクラスを見渡しても皆が皆給食の準備で動き回っているため、いちいち、彼女の様子を気にとめる人など誰もいなかった。


 しばらく歩を進めると、消毒液の匂いが立ち籠める部屋の前に辿り着いた。ここ最近、保健室に立ち寄っているから、顔も名前もしっかり覚えられているのが少しばかり恥ずかしい。


「熱が三十七.五℃を超えると、高確率で早退できる!」


 呪文のように心の内にそう告げると、ノックと元気な声をセットに前進した。


 無垢な笑顔に潜む重圧というか、そんな性質(たち)の悪い表情で出迎えてくれたのは、誰よりも気味の悪い男性だった。気味の悪いというのはこの男性、顔は白塗り、真っ赤な口紅でほっぺたに日の丸が二つとちゃんちゃらおかしい奇妙な様態をしているからだ。


「……勘弁してくださいよコウメさん。いつまでそんな格好をしているんですか?」


 コウメと称される男性は笑顔を崩し、頭を大袈裟に抱えると大きなため息を吐く。


「差別的な思考は若さ故の過ち、か……。悪いが君のような普通といった定義を推し進める人間が、排他的な社会を創っていくんだ! こんな者達にこれからの未来を背負っていく資格などない! こうしてはいられない。今すぐ君の教室で行われている授業を取り閉めるんだ。私からの特別授業を行わせて貰う。議題は『差別』をどのようにして撲滅するか」


「女性用の白衣を着て顔面を白く塗った男性だなんて奇妙すぎて撲滅されるべき存在なんですけれど」


 タコのように顔を真っ赤にして力説する彼を通り過ぎ、体温計を手に取ると、奥の空いてあるベッド腰をかける。カーテンで自らを包囲して。


 話にならない。あのイカれた差別主義者はどうしてこの学校の保健課に採用されたのだろう。せめて自分と関わらない遠くの場所で働いて欲しかった。


よりによって一番居てはダメな場所に存在している。


 本来であれば保健室というのは、どこかをケガしていたり疲れ切った身体を一時的でも癒やす為に設置されているハズだ。


 よりによって、あのコウメとか言われた人間のせいで溜まった疲れがますます蓄積されてくる。逃げ出したい、あの狂った監獄から。刑事罰に問われるような真似をせずに、奴を遠ざけたい。


「みくる……。早くして――早く来てよ!」


 自然と本音が涙と共に流れてくる。体温計を締めた脇が震えだし、息切れも激しくなってくる。

 みくるは決して自分に嘘を吐くような人ではない。きっと、いちごはそんな姿勢が好きなのだろう。


 気付いたら目線が膝元へと落としていた。体温計はとっくに脇から落ちていき床にポツンと転がっていた。表示されている文字はエラー。



 今あるこの現実も――全部エラーだったら……いいのになぁ。





















主人公の名前が星きらりということにちなんでポイント評価の星の色も変えてみよう()

☆☆☆☆☆→★★★★★

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