マーキュリーの涙
蝉達が命はまだあると鳴いている。
高校3年生の"爽滋 水紗姫"達は、部活動のため夏休み真っ只中に、自分の学校の屋上にいつもの機材を持って夜の7:30に集まっていた。
普通なら学校の屋上など使えるはずないのだが、田舎だからか少しばかり緩いのだ。なにが、とは言わないけど。
都会の喧騒は遠く彼方にあるので、聞こえてくるのは葉が擦れる音と風の音。そして見えるのは、"あの日"と一緒の澄み渡った夜空。平和だなぁとしみじみ感じていると
「水紗姫、大丈夫?」
私より少し身長が低いので、ひょこっと顔を出すのは朝飯前だった。私のクラスメイトであり、この天文部の金堂 奈々子。物腰は穏やかだがハキハキしていてとても話しやすい素敵な友達だ。
何より、1人しか女子部員が居ないと話したら、その日には入部届けを出してくれるほどのお人好しだ。
『うん、大丈夫。それより皆も準備始めてるし、早く私たちも始めよ?』
「水紗姫」
『ん?』
「···何でもない、何でもないよ。準備手伝うね」
『いつもありがとう。どこで撮る?』
「そうだねぇ、あそこなんか···」
「セッティング、メンテナンス完了!」
『奈々子ちゃん助かったよ。ありがとう』
「どういたしまして」
時刻はもう8:30を回っていた。
7月〜8月は、ちょうど天の川が見えるのは8時〜9時当たりなので、この夏休みシーズンは私たち天文部が活発になる頃。
夏の大三角を見つけてそれから違う星を探して、もちろん、撮影なども部活動なのでするが、やはり観察だけでも楽しい。部員数は1桁だが、それでも楽しく部活動をしていた。
だが女子部員は私と奈々子だけなので、女子と大勢でキャッキャすることはないが。
「金堂、爽滋、そっちは終わったか?」
「とっくのとうに終わってるよ!火宮部長!」
「そうか、やっぱり2人は速いな。こっちも今終わったところだ」
「そうなんだ、私たちそんなに速かった?」
「あぁ、流石だな」
「ふふっ、部長褒め上手!ありがとう!」
二人の楽しい時間、邪魔しちゃ悪いよね。と気を利かせて水紗姫は少し離れて、手すりにもたれかかって空を見た。
火宮 明部長と奈々子は、見て分かるとおり両想いなのだが、あれで中々奥手なお陰で未だに交際には至っていない。焦れったくて仕方が無いのだが、2人の問題なので、私は見守っていようと誓っている。
でも、仲睦まじい姿を見るとほんの少しだけ、1年前を思い出す。楽しかったあの人との思い出。忘れもしないあの星空の下での出来事。
、、、ダメだなぁ。辛い出来事ほど、傷が癒えるのが長引いてしまう。楽しい思い出も、その中には沢山あるのに。
「ごめんね!水紗姫、話長くなっちゃって!」
『ううん、もっと話してても良かったんだよ?』
「もう!水紗姫の意地悪!」
『ふふっ冗談だよ。ありがとう』
「も〜、まぁ良いけどね。よし、どっちから観る?」
『私後で良いよ。奈々子ちゃんお先にどうぞ』
「そぉ?なら、お言葉に甘えさせて貰おうかな!」
天体観測。
あの人も、好きだったな。
いつも大人びていて、優しかったあの人。少し意地悪なところもあったけれど、それもあの人の長所と言えるだろう。
そんなあの人も、天体観測をしていた時だけは、童心を取り戻して、少年のように瞳を輝かせていた。
そんな姿を見るのがとても楽しくて、あの人と同じものを見たいと、私は天文部に入ったんだっけ。
懐かしいなぁ。
「よしっ!夏の大三角見つけたよ!」
『おぉ良くやりました、奈々子ちゃん!』
「水紗姫所長。お次はいかが致しましょう?」
『なら、そのまま白鳥座、綺麗に見えそう?』
「了解しました!、、、なんちゃって」
『展望台ごっこ?』
「中々上手くなかったかな?大学は演劇同好会とか入っちゃおっかな」
『じゃあ私見に行こうかな?』
「やめてよ、恥ずかしい!」
『ふふっ、こっちも撮影順調だよ』
「水紗姫撮るの上手だよね」
『趣味が撮影の女ですから』
「そういえば言ってたなぁ、1年の自己紹介の時。知ってる?水紗姫凄い美人だ美人だって騒がれてたんだよ?それに趣味も渋いって」
『趣味が渋いのはそうかも。でもそんな風に騒がれてたのは初めて知ったよ』
「えぇっ?あんなに男子騒いでたのに」
『どんな風に?』
「黒髪がとても綺麗な麗しい美女現るって」
『盛ったでしょ?』
「盛りましたね。まぁそれ差し引いても有名だったよ」
『へぇ、知らなかったなぁ』
1年の頃、か。あの頃はあの人にもお世話になってばかりだったな。まだ天文学の知識も浅くて先輩達のお手を煩わせてばかりで。でも、あの日々があったからこそ、今の私があると信じよう。
「、、、うん、とりあえずここまでにして、私後輩たちの様子見てくるね」
『えっ?なら私も行くよ?』
「良いの!水紗姫はここに居て、絶対だよ!?」
『分かったよ、動かしても良いの?』
「もちろん、めっちゃ綺麗に見えるよー!」
行っちゃった。
急に後輩の様子見に行くってどうして、、、そっか。気を使わせちゃったかな。後で奈々子ちゃんの好きなスイーツ、買ってあげよう。
少し屈んで望遠鏡の奥を覗き込むように、レンズを観る。
『わぁ...!』
そこには、洞窟に輝く宝石にも負けない、森の深くにある葉の雫の煌めきにも劣らない星々があった。
目の前には肉眼で見たデネブよりも、大きく輝いた白鳥座が観えた。
そこから少しずらすと、一際大きい星が3つ。
白鳥座のデネブ、鷲座のアルタイル、琴座のベガ。
夏の夜空の道標たちは、今日も自身の存在を証明していた。
夏の夜空。星明かりの下で行う部活。
あの日と全く一緒の今日。
『"先輩"、準備終わりました!』
「もう?速いね、流石は水紗姫さんだ」
『よく言いますよ。先輩が私より5分前に終わらせてるの知ってるんですから』
「ははっ、水紗姫さんよく見てるなぁ」
「おーい!水紗姫ってありゃ、これはお邪魔しちゃダメなタイプだったかな?」
『ちょっと奈々子ちゃんっ!』
「ごめんってぇ!他も準備終わらせてもう始めちゃってますよ。私たちあっちで観測してるんで、じゃあ!」
『あっ!奈々子ちゃん!もう、本当に奈々子ちゃんらしい』
「2人はやっぱり仲がいいね」
『そんな事無いですよ。さっ、先輩。奈々子ちゃん達の好意に甘えさせて貰いましょう』
「そうだね」
「うん、やっぱり夜空は何度眺めても綺麗だ」
『先輩、いつも綺麗しか言ってないですよね?』
「言葉が見つからないんだ。これ以上に表しようがない」
『むっ、先輩。私とどっちが綺麗ですか』
「え?うーん、比べようがないな」
『もう、なんですかそれ。そこは、君の方がとか言う時でしょう?』
「どちらも綺麗なんだから、比べる必要性も無いと思うけどな、僕は」
『先輩···ありがとうございます』
はぁ、と溜め息をついてレンズから目を離し、もう一度手すりに寄りかかる。
先輩、これが癖でよくやってたな。
『先輩、それ危ないですよ。下に落ちたら助かる確率とっても低いんですから』
「低い、というより助からないだろうね」
『先輩っ』
「そんな顔をしないでくれ。あくまでここから落ちたらの話だよ」
『それは、そう、ですけど』
「それに、君を置いて死ねないよ。まだ見たい星空も沢山あるし」
『、、、先輩』
あの時、なんだかふと、嫌な予感がした。
先輩が不吉な事を言ったからかもしれないし、ただの杞憂だったかもしれない。
でもその時は、それが現実になるとは思いもしなかった。
「あっ」
『え、先輩!!』
そして、あの人は、"消えた"。
あの時もっと強く注意していれば、そもそも天文部に入らなければ、そんな事がずっと、ずっとよぎる。
その事を払拭するように、再度レンズを覗く。
「あ、おいっ爽しっ、、、金堂?」
他所から見ていた火宮は、水紗姫に声をかけようとしたが、それを金堂が制止する。
火宮の右手をギュッと握りしめて。
「いいの」
「いいって、何が」
「今は、あの"2人"だけにしてあげて」
「っ、分かった」
水滴でレンズが滲む。
いや、滲んでいるのはレンズではなく私の瞳で、濡らしていたのは私の涙か。
あの人は死んだ。
私の目の前で、あの人の好きな、大好きな夜空と共に。
先輩。
あなたは、夏の夜空に消えてしまったけれど。私はきっと、どれだけ願っても、努力しても、どんな犠牲を払おうとも、あなたともう一度会う事はないでしょう。
だってあなたは夏の夜空に溶け込んでしまったのだから。
私がいるのは、冷たくて星々をより照らし出す冬の夜空。あなたとは永遠に交わることはないから。
レンズから、目を離し真の瞳で夜空を見る。
涙で滲んだ星々は、その輝きをより増していた。涙は頬をつたり、月光に照らされて地面に落ちる。
夏の湿気を含んだ風が、まだ遠いところにある秋を運んでくる。その風に揺られた黒髪は、自分の顔を覆い隠す。
しかし彼女はそれを振り払う。
あの人が居ない世界にも、あの人の大事なものが、まだこの世界にある。
なら、私は先輩と一緒に逝けません。
先輩が憧れ望んだものを、私も観たいから。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
なんとなく、想像はついていたかなぁとは思いますが、いかがでしたでしょうか?
想い人が死んでしまう辛さ、それを乗り越えなければならない辛さ
いつでも辛い出来事、嫌な事は生きていれば着いて回ります。
その辛さを乗り越える強さを、主人公は持ち合わせていたのですね。
きっと現実はこんな簡単には事は進まないでしょう。
ですが心を強く持つのが第1歩です。
その第1歩のお手伝いが出来れば幸いです。
お話が長くなってしまいましたがここまで!
それでは、ありがとうございました!
By鬼桜天夜