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女装した友人とラノベの表紙が気持ち悪いというのは概念的に似ているので、その気持ち悪さ自体は一理あるのかもしれないと思った話

作者: 夢野ベル子

ある日のことでした。

友人とご飯でも食べようかという程度の軽い待ち合わせのときに、突然ですが友人(男)が女装してきたのです。

ギャグとか何かのイベントとか男の娘とかそういうんじゃなく、普通に女装でした。


やわらかなピンク色をした少々ラメの入った要するに表面がテカテカとしたスカートで、その下には黒のニーソックスが履かれ、上はゆったりとしたブラウスのようなものを身にまとっています。髪の毛は肩口まで伸ばしたものをゴムか何かで縛り、いわゆるポニーテールみたいな髪型。靴は丸い魔法少女が履くようなこれまたテカりのある靴です。


ニューハーフとかオカマではないと思います。


曲がりなりにもTS(性転換)小説を書いてきたわたしは、概念的にはこれを知っています。

異性装トランス・ヴェスタイトと言われています。

異性装倒錯といわれることもあります。


倒錯というと連想してしまうのは"変態"という言葉であり、蔑称的な意味合いが出てくるので、あまり使わないほうがいいかもしれません。彼はいわゆるゲイではなく、普通に女の子のことが好きなのだと思います。性自認も男でしょう。したがって、女装が好きというだけの少々マイノリティな趣味を持つ人物です。


正直に告白しますと、めっちゃくちゃ似合ってませんでした。

なぜなら、彼は筋肉ムキムキのマッチョマン体型で、ラグビー選手のように上半身が強く、言ってみればポパイのような体型をしているから。そして、顔つきは日本人離れしたアラブ系の彫りの深い顔で、浅黒く日に焼けた肌のように見えたからです。


感じたことは得体の知れない苛立ちでした。

彼に会うたびにほんのりとした感情的な濁りが発生し、重苦しく感じるのです。


もちろん文明人たる幼女作家のわたしは、ダイバーシティなる概念を知っていますし、LGBTなる概念も知っています。


もしも、彼を女装しているという理由で糾弾したら、わたしは差別主義者になってしまうでしょう。しかし、わたしの感受性において、その格好は気持ち悪かったのです。


しかし、その言葉を友人に伝えることはしません。

ひとつに、そんなことを言えば、わたしはたちまち友人をひとり失うことになるでしょうから。

ひとつに、わたしは自由を愛し、人は自由に生きるべきだと考えているからです。


しかし、苛立ちは単に彼が気持ち悪いからでしょうか。

つまりゴキブリを見たときのような感性的な気持ち悪さによるものでしょうか。

絶望的なまでに似合ってないというのはそのとおりなんですが、苛立ちを感じるということはなんらかの防衛機制が働いているということです。


不可解でした。


どんな格好をしようと他人には迷惑をかけてないのではないでしょうか。わたしはわたしのなかにある気持ち悪さを分析しようと試みます。


そして気づきました。


わたしは迷惑だと感じていたのです。


わたしは周りの目が怖かったのです。


正直なところ、彼の格好を見たひとはどのように思うでしょうか。例えば、20歳くらいのOLのお姉さんはどう思うのか。彼が道を歩いていると、おそらくダイバーシティが概念的に覆ってる今の世の中では表面的に気持ち悪いという感想を言う人はいないでしょう。


なぜなら、そういう格好をした人は"変態"であり、少数派であり、どんな行動にでるかわからないからです。言ってみれば、黒マントを開いて自分自身を見せてくるような犯罪者かもしれないと思って避けようとするはずです。


電車の中で奇声をあげる人がいたらどうするか? その人を避けようとはしないでしょうか。


わたしは、そう思われるのが嫌でした。

友人の傍にいる人間として同類と思われるのが嫌だったのです。


人間にはいろんな趣味や主張があって、きっと自由があって、その自由を侵すことは誰だってしてはいけないし、女装だって認められるべきだという考えはわたしも普通に持ってます。


自分のことを差別主義者であると表立って標榜する人は一部のいちびる人以外にいないように、平均的な感受性は、論理的帰結として多様性を認めます。社会が成熟するということは社会の複雑さを許容するということですから、適者生存の戦略的な幅を広げるために、多様性を認めることになるでしょう。したがって、多数派はかならず多様性を認める寛容主義的なものになっていくでしょう。グローバリズムという考えはそういうものです。


しかし、そういうおためごかした大上段の論理とはべつに、差別主義的な視線が怖かったのです。


わたしに女装を見せたというのは、ある意味わたしは寛容的な人間であると思われてるのでしょう。信用されているという見方をしてもいいかもしれません。


しかし、わたしはそこまで寛容ではなかったようです。

わたしに甘えているのではないかと感じました。


誓っていいますが、わたしは女装することが悪いことだと思いませんし、友人に対して気持ち悪いなどのネガティブな発言は一切していません。しかし、わたしの寛容性にダメージを与えているのだという"感覚"。子どもの試し行動のように、わたしの限界を探っているように感じ、あるいはまったく何も考えていないのかもしれませんが、彼は自分が気持ちよくなることしか考えていないのではないかと思ったのです。


友人との付き合いですからプライベートなものですし、彼もそこはよくわきまえてもいるでしょうが、少なくともわたしに対してはわたしが女装を寛容するように、わたしだけが我慢を強いられているように感じたのです。これがわたしの感じた気持ち悪さの原因でした。


マイノリティの主張はこのようにダイバーシティと寛容性を盾にした無意識の圧力を発生させるように思います。


それはわたしが勝手にそう感じているだけだろう。

わたしは世間の視線を言うが、それは君の視線じゃないか。

女装で変に思われても、そう思う人がおかしい。


と、そういうふうに言われるかもしれません。

わたしが勝手にそう感じているのは、そのとおりです。

世間の視線というのは、これも内在的なものですから、わたしが勝手に感じてるだけ。

女装で変に思われても、そう思う人が差別主義者なだけでおかしい。


というのは理論上はわかります。マイノリティ側が感じているマジョリティ側の圧力は何倍、何十倍もあるのだと想像はできます。しかし、彼が彼の趣味を開陳するとき、ひそかに誰かの感性を傷つけているのです。


ライトノベルの表紙が気持ち悪いという問題も同様に、それを気持ち悪いと思う人がいるのは当然だろうなと思います。

ライトノベルの表紙が女の子がエロチックに書かれていて不快であるというような問題があるそうです。男尊女卑ではないかとかそういう意見もあるとか。


この問いに対しても結局のところダイバーシティの意見が通るというのが結論でしょう。その意見は不寛容であり、死滅すべき意見だとされるわけです。


寛容主義的な観点からも不寛容な意見は覆滅すべきでしょうから。


しかし、その"理"はいくつもの感受性を殺しているとみるべきでしょう。


彼が我慢しないことでわたしは我慢する。

ラノベがエロさを解放することで、誰かが不快に感じる。

不快であるとか犯罪的だと思い警戒する自由はもちろんあります。女装していたら不審者だと思うこと自体までは問題ないと思います。実際に公権力が女装していたので不審者であると認定したら大問題になりますけどね。


そんなわけで、問題としているのは、この不均衡です。

我慢しているという邪念というか、感受性の問題です。


女装もラノベも問題の本質は同じなのかなと思います。結局、誰かが性癖を開陳するとそれを不快に思う人はいるわけで、特にそれ自体を気持ち悪いと感じなくても、気持ち悪いと感じる人がいることを想像して、それでもあえて"敵"をつくってでも表現したいんだという野放図さというか……自由さというか、そういうのが心底気持ち悪いのです。


利己的だから。

でも利己的と考えるわたしもまた利己的だ。

あなたの女装はそういうわたしの邪念を暴露してしまう。

考えなくていいことを考えさせてしまう。

あなたが気持ちよくなってる傍らで苦しんでしまう。苦しいと伝えたらそれは差別的になり、苦しさを加速させるだろうという思考。


これが気持ち悪さの正体。


表立って気持ち悪いというひとはこれから減っていくでしょうけど、隣にいる女装した友人を本当の意味での寛容の精神でむかえいれられるかが今後の課題になっていきそうです。


結局、どんな関係であれ(友人関係あれ、同僚であれ、夫婦であれ、友人であれ)


なんらかの関係がある以上は、その人を部分的には受け入れるということだし、その関係を続けたければ、受け入れなければならない部分はあるのだろうから。


わたしが破邪できるよう、祈りの意味でこの文章を書きました。


ちなみにTS小説とかも性癖全開だけど、これはタグでゾーニングできてるからべつにいいんじゃないかなあというのがわたしの意見です。女装とかラノベ表紙は肖像が世間的に暴露されているのが問題というかなんというか。

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― 新着の感想 ―
[一言] 不快感や不安、苛立ちなどのストレスを感じるときに即座に自分の精神を分析し始めるという常時哲学ともいうべきベル子先生を尊敬いたします。
[一言] ちと感想への返信になったしまいますが、甘やかしの階層が深過ぎて、その次元で甘やかして欲しいんだよーー!!ではなく、 こいつこれが正しいと本気で思ってるんだろうなぁ、と思われる事で「それ、政治…
[一言] なろう小説なんかの批判もかなり近い物がありますね 私が思うに、なろう小説が似た様な要素の作品と違い批判に晒されやすい1番の理由は、 その表現の仕方を既存の文脈で解釈した際、読み手の世界観に…
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