〝Vrai nom〟
数年前に書き上げてお蔵入りにしていた作品をそのまま放出しているため、未熟さゆえの読みにくさやストーリーの内容から来る読後の奇妙な不快感などその他伴うかと思われます。しかしながら一切の責任を負う事は出来かねますので、そういったものを含めての作品とご理解いただければ幸いです。
読者である皆様の自衛のためにも、当作品ではブラウザバックを積極的に推奨しております事をご理解くださいますようお願い申し上げます。
青年は幼い頃に醜い現実を見た。
そんな青年の育った家は日本有数の財閥だった。そこで見たのは、金と権力に物を言わせて若い女を侍らせ、幼かった青年を邪険に扱う怠惰で傲慢な叔父の姿。そしてギャンブルや豪遊ばかりで、母の愛情が必要な年代の青年に会わなかった強欲な叔母の姿だった。
「なあ、こないだの期末テストの結果、出てるぜ。見に行かねえの?」
〝織田貴之〟とそれなりに親しい外国人クラスメイトのシャーロック・ハイウインドに話しかけられる。しかし、青年は黙って目を閉じたまま何も応えない。
「織田?」
怪訝な顔でシャーロックは青年に話しかける。ようやく青年は目一杯に伸びをし、不承不承といった風に答える。
「あ、あぁ……悪いな、寝惚けてた」
「最近、妙にそういうの多くないか?」
シャーロックは溜め息を吐き、青年を見る。
「…………気のせいだろ」
その視線から逃げるように目を逸らし、青年は吐き捨てるように言う。シャーロックは尚も問い詰めようとしたが、やがて諦めたように。
「……先に行ってるからな」
そう言いながら心配そうに青年を見たが、しかし青年は片手を振るだけだった。
(……何で今更、アレを思い出すんだ)
シャーロックが居なくなると、青年はどこか悲しげに眉をひそめる。
アレというのは、青年がまだ小学6年生だった時に〝両親〟が亡くなった事件だ。
一般に〝両親〟の死は『事故死』とされている。だが、青年は殺害されたと知っていた。なぜなら青年の目の前で、今の義母と義父に依頼された殺し屋に事故死と見えるように意図的に殺害されたからだ。その義父母は、本来ならば彼にとっては〝叔父夫婦〟にあたる。
そして青年もまた、その際に殺害されかけた。運良く生き延びはしたものの、青年は〝織田貴之〟という名で生きていく事にした。でなければ、いつ、また殺されるような目に遭うか分からない。
(………クソッ)
忌々しい。
青年はそう吐き捨て、騒がしい生徒用玄関に向かった。いつになく騒がしい生徒用玄関には、既に多くの生徒が詰めかけていた。
「あ、アタシ10位だ!」
「ウソだぁー! ってマジかい!」
「よっしゃ!! 俺、219位!」
「最下位じゃねえか! 何がよっしゃなんだ!!」
「お前、何位?」
「教えなーいよーだ」
青年は生徒のざわめきに眉をしかめ、生徒の波を掻き分ける。そして、生徒玄関に貼り出されている期末テスト結果順位表に辿り着いた。
(………〝織田貴之〟は2位、か)
あまり好きではなかった、あの教育のおかげなのだろう。まだ青年の〝両親〟が生きていた頃の。
青年は、踵を返して保健室に向かう。
(………皮肉だな。帰るか)
「また来たんですか? 〝白榊〟くん」
保健室に入るなり、保険医の明智にそう言われた。明智は長い黒髪の持ち主だが歴とした男だ。冷酷そうな風貌とは裏腹に、仏じみた優しさが生徒の間で人気だ。あまりにも優しい為に、釈迦か仏の化身だとも噂されている。
「それで呼ぶなっての。今は〝織田貴之〟だ。それに知ってんだろ? 元々の俺は〝名無し〟だってよ」
ぶっきらぼうに返す。明智は何も言おうとしなかった。
「〝白榊拓人〟……それが貴方の今の名前でしょう? なぜ否定するのですか?」
「死んだ〝両親〟に顔向けが出来ねえからだよ」
「貴方は〝白榊拓人〟を名乗るべきだ。亡くなられた〝ご両親〟にきちんと顔向けが出来るように」
そこで青年は思わず口ごもった。
「…………今さら、名乗ったってよ…………」
明智は優しく諭すように言う。
「意味はありますよ、〝白榊〟くん。自分を受け入れるのですよ。〝白榊拓人〟という名を与えられた自分を」
明智は柔和な笑みを浮かべている。
「………アンタさ、やっぱ仏の化身みたいなもんなんだろ」
青年は溜め息を吐き、片手を振って保健室から出ていく。もう片方の手には早退届を持って。
帰る途中、青年はあの事件が起きてから住んでいるアパートではなく、それまで住んでいた豪邸に帰路を変えた。
理由は、分からない。
ただ何となく、変わらなくては〝両親〟に顔向けなんて到底出来ない、と本能的に感じたのかもしれない。だが確かに、明智の言うように、〝織田貴之〟という名を捨て、青年の新たな名である〝白榊拓人〟を名乗らなくてはならない。でなければ、捨て子だった青年を拾ってくれた〝両親〟に対して失礼だ。
「〝拓人〟様……お帰りなさいませ」
もう何年も帰らなかった家。なのに、彼らは優しく受け入れてくれた。
「…………あぁ、ただいま。深雪や隼人は?」
こうして待っていた彼らの為にも、まずは白榊財閥の荒んだ状態をどうにかしなくてはならない。連日のニュースで散々に評価や非難の声が多く挙がっている。これには正直うんざりだ。
「この時間でしたら〝拓人〟様のお部屋におります。掃除をしておりますのよ」
使用人の顔に張り付いた笑みが、その日ばかりは脳裏に焼き付いて離れなかった。
豪邸内に多々ある隠し通路を使い、青年は三階にある自室に辿り着く。
「〝拓人〟様……!」
「しーっ! アイツらにバレたら洒落にならねぇんだよ」
再会して異様なまでに喜ぶ使用人達を諌める。それは、隣の部屋に青年の今の〝両親〟がいるからに過ぎない。まだ彼らに見つかる訳にはいかない。
「今更だろうけど、白榊財閥を立て直したい。手伝ってくれるか?」
床に座り込み、単刀直入に訊いた。すると二人の使用人―――深雪と隼人はニヤリと笑った。
「そりゃあ、下剋上か?」
「隼人、目が輝いてる」
「でも深雪も楽しそうだな?」
「僕は元からこういう奴なんだよ」
相変わらず賑やかだな。
青年は、何年も会っていないのに変わらない使用人達を見てそう思った。自分が失くしたモノを彼らは持っている。だからこそ青年は思う。亡くなった〝両親〟の為にも、使用人達の為にも、何がなんでも今の内に立て直すのだと。
(…………頼りにしてるぞ)
心の中でそう呟き、青年はここに来るまでに練り上げた計画を事細かに伝える。
「頼むぞ。しくじれば白榊財閥は終いだ」
「隼人、あれだよね? 僕らが壊すのって」
「そ。あれを全部、ぶっ壊して、今の白榊夫妻を誘き出すんだ」
深雪と隼人は金庫室に入り、全ての金庫を破壊するように言われていた。そうすれば警報器が屋敷中に鳴り響き、金に目がない強欲な義父母は血相を変えて必ず金庫室に来る。そして隼人と深雪が音もなく夫妻の背後に忍び寄り、容赦なく二人を殺してしまう―――それが青年の計画だった。
「上手くいくのか?」
「さぁ? でも、僕はやるだけ無駄だと思うよ。あと、あの屑野郎は絶対死ぬね」
屑野郎―――それは青年の事を言っているのか、はたまた現白榊家当主を指すものなのか。その真意は誰にも分からない。しかし深雪の予感は、とうの本人でさえ嫌になるほど実に良く当たる事でも有名だ。
金庫を破壊したものの、強欲な夫妻はなかなか部屋に現れない。警報器が屋敷中に鳴り響いてから、既に一時間以上が経過している。どうしたものかと青年は訝しむ。
青年は様子を知るために、自ら金庫室に赴いた。深雪と隼人には、屋敷の外を見てくるように言い付けて。しかし金に目がない強欲な夫妻は既に、青年のあまりにも稚拙な計画を知っていた。だからこそ使用人達を脅して、彼らはかなり入念に下準備をした。それこそ、青年を亡き者にするために。邪魔な白榊財閥の有能すぎる養子を殺すために、ずっと前から。
有害な毒ガスが、青年のいる金庫室に放たれる。
「………く………苦、し………っ」
息が、出来ない。
青年は必死に足掻くが、両手が虚しく虚空を泳いだだけ。その間にも意識が遠退いていく。首を両手で掻き毟り、ただひたすらに酸素を求める生存本能が働いた。
「ぅ……ぁ……」
仇を取りたかった。
まだ生きていたい。
青年は薄れゆく意識の中で、朧気ながらもそう思う。しかし、身体は言う事を聞いてくれない。金庫室に放たれたガスのせいで、彼の身体は動くことさえもままならなかったのだ。そうして、〝白榊拓人〟は失意の内に床に倒れ、目を見開いたまま、二度と目覚めることのない眠りに就いたのだった。
「…………狂気、か」
男は目を伏せたまま呟く。
「水野警視、物証を見つけました」
後ろから部下に声を掛けられ、水野警視と呼ばれた男は「すぐに行く」と事務的に答えた。その後こう続ける。
「今は安らかに眠れ。真相なら、俺が暴いてやるさ」
水野警視は、目を見開いたまま死んでいる哀れな青年に黙祷を捧げる。
金庫室から出る前に、ふと水野警視は立ち止まる。そして何を思ったのか、死体に向かって振り返った。
「………〝名もない青年〟。確かにそうだな。お前は〝織田貴之〟でもなければ〝白榊拓人〟でもない」
嘲るかのように、なじるかのように、言葉を発する事のできない死体に言う。
「お前は〝名無し〟の忌み子だよ」
生まれた意味なんて無い。
当たり前だが死体は動かない。しかし何故か水野警視には、動かないはずの青年の死体が『違う』と反論しようと僅かに動いた気がした。
「お前も、俺と同じだな」
ああ、と思い出したように水野警視はこう付け加える。
「Tu t'appelles comment?」
答えは、ない。
至極当然の事だ。しかし、水野警視は答えるんじゃないかと、不思議と心のどこかで思っていたのだ。
「…何をしているんだろうな、俺は」
水野警視は自嘲する。自身を鼻で笑い、黙って部屋から出ていく。そして部屋には青年の死体だけが残された。
「ぁ…………が……ぁ」
当然ながら、部屋に残されているのは哀れな青年の死体だけ。その動かないはずの死体が、まるで言葉にならない声を発したのだ。水野警視が発した、フランス語での問いに答えようとするかのように。
青年の死体はやがて、とてつもなく奇妙な動きで起き上がる。そして青年の死体は歪で不愉快な音を立てながら、屋敷内をゆっくりと徘徊し始めるのだった。
暫くしてから水野警視の悲痛な断末魔が屋敷中に響き、屋敷の外にいた部下は自らの耳にその声が聞こえたような気がした。
その後、青年を拾った優しき〝両親〟を殺害した殺し屋、殺し屋に依頼したの義父母は数ヶ月後に変死体となり、青梅樹海の奥深くで見つかる。
やがて〝両親〟の親類により、この豪邸は『呪われている』と言われて売り払われた。それと同時に白榊財閥は数年にも及ぶ脱税によって起訴され、最高裁で有罪判決を受ける。〝白榊拓人〟と名乗った青年が守ろうとした白榊財閥は、青年の死後数ヶ月と経たない内に崩壊したのだ。
白榊財閥に仕えていた若い元使用人によると、青年の死体は今でも葬られずにそのまま豪邸内で腐敗し続けていると言う。その理由を問えば、青年と何らかの形で関わった人々が次から次へと変死体となるからだそうだ。
例えば、事件の真相解明に乗り出した警視庁捜査一課の水野明彦警視。当時、彼は証拠を捜す為に屋敷内を捜査していた。その最中、非科学的で原因不明な人体発火により亡くなったという。
例えば青年の通っていた高校の、仏の如く優しき保険医・明智悠仁。事件から数ヶ月後に行われた高校の創立記念パーティーの最中、唐突に両手足が消えて首を切られた。その激痛に悶え苦しみながら、彼は失意の内に亡くなった。
例えば、青年とそれなりに親しかったシャーロック・ハイウインド。まさに健康そのものであった彼は、青年の死後1週間と経たずに授業中に突然死を遂げた。
「まるで、忌まわしき亡者のようです。死して尚、我らを呪い殺すのですから、もはや亡者以外の何物でもありません。そうは思いませんか? でなければ、何故非業の死を遂げるというのでしょう」
元使用人はそう語った数日後、日本から遠く離れた地中海で見つかった。遺体は体内から腸や他の内腑が溢れ出ていた。五臓六腑を掻き回されて元の位置に収まりきっていない姿であった。亡くなった推定される日の朝もいつも通りだったと、亡くなった元使用人の家族は語る。警視庁が捜査を行うも、全体的に不審な点もなかった。
実に非科学的で不可解な為、この一連の事件は迷宮入りし、遂には捜査自体が行われなくなった。




