幕間1 ある冒険者の話
最近、この町で妙な噂が流れている。俺から言わせれば、あんな奴らは盗賊と言った方が正しいE級の冒険者が、魔族どもの領域に食糧調達に行った際に、『悪魔』に会ったそうだ。
本当にいるかも怪しい、『悪魔』がこの辺に居るわけがない。大方何かへまをして、それを誤魔化すための言い訳したのだろうと――あの、これ見よがしの傷は、きっと女房に付けられたに違いないと、始めは町の皆で笑っていた。
けれども、その数ヶ月後、今度は別の冒険者グループが、魔族領から逃げ帰り、雨に打たれてずぶ濡れの格好で震えながら
「悪魔を見た」
と同じようなことを言い始めた。
さすがに今度は複数人の冒険者の証言だったので、町の住人も不安に思い始めた。
冒険者ギルドでは、それでも何かの間違いだろうとの意見が多数ではあったが、住民の不安を払拭すべく、この町最高ランクの冒険者である俺たち『レッドクラウンズ』に名指しの調査依頼を出すことになった。
本当に悪魔がいる場合、難易度はSになるはずだが、今回はその確認だけなのでAランクだ。それでも、久しぶりのAランク依頼だと、B級冒険者の俺たちは喜んでその依頼を受け、魔族領に向かった。
「ウギーィ」
変な声を出してこちらに飛びかかってくる、ゴブリンどもを剣で斬り捨てる。ゴブリン程度は俺たちB級冒険者の敵ではないが、とにかく近年は数が多い。放っておけば畑が荒らされるため――その所為で最近は魔族領まで食糧の調達に行かなければならず、今回の件に繋がったのだが――最近は、俺たちB級までもがゴブリン討伐依頼にかり出されるほどだ。
けれども、今日の依頼はチンケなこのゴブリン討伐依頼ではない。俺たちの邪魔をするなと、道中に立ちはだかるゴブリンを払いのけるように斬る。
そんな風に進んでいると、俺たちの中で一番歳の若いウルスが、話しかけてきた。
「今日はリーダー、気合い入ってますね。ねえ、リーダー、本当に悪魔はいるんですかね?」
「さあな」
「悪魔って絵本によく出てくるあの悪魔ですよね。本当に空を飛ぶんですか?」
「知らん。ギルドの記録も漁ってみたが、ここ百年くらいは誰も見ていない」
50年前の大戦では、一人魔王を倒した勇者は魔王討伐直後に死んだため、何と戦ったかが記録に残っていない。
最近の勇者は、魔王がいないこともあって、小競り合い程度で帰ってくる。その中に悪魔と戦った記録はなかった。
森を抜けて魔族領に入ると、さっきまであんなにいたゴブリンが嘘のように居なくなった。
数が多いだけが取り柄のあんな低俗な生き物を、野放しにして前衛として使うとは、魔族とは本当に考えることが汚いやつだ。
地図を広げて、E級冒険者どもが悪魔と遭遇したと言った場所まで向かう。
先頭はリーダーの俺、しんがりをサブリーダのハンクスが固め、ウルスが右側、レナードが左側を監視しながら、慎重に進む。
頻繁に来る場所ではないが、魔物の数が今日は少ない気がする。それに、この辺りは悪魔ではない普通の魔族が住んでおり、いつもであれば、ちらほらとそいつらの姿を見かけるが、今日はそういう奴らもいない。
そんなことを考えていたとき、右斜め前の木立の陰から、上空に煙が上がるのが見えた。
「止まれ! 何が来るかわからん。構えろ!」
そう皆に注意を促す。腰を低くして、注意深く剣を構えていると、先ほど煙の上がった木立の陰から、一人の魔族が走って逃げるのが見えた。
しばらく、剣を構えたままでいたが、何も起きない。さっきのあの魔族は何をやっていたのだろうか。
「行くぞ。罠があるかもしれん。あの木は迂回するぞ」
そう言って、木を避けようと左を向いた瞬間、上空から「バサッバサッ」と大きな何かが木の葉に当たる音がした。
音の聞こえた方向に、即座に顔を向ける。
「う、嘘だろ」
後ろにいるハンクスのつぶやく声が聞こえた。
自分の頭上の、遙かに高い位置に、まだあどけなさが残る顔立ちの少女がいる。少女はまっすぐこちらを見下ろしていた。
その背に広がるものを『理解』した瞬間、俺は叫んだ。
「お前ら、逃げろ! 俺が引きつける」
「リ、リーダー! でも!」
「うっせえ、邪魔だ!」
そう言って、上空にいる悪魔から目を逸らさずに、3人の居る方向に向かって剣を向ける。3人の逃げ出す足音が聞こえた。翼のあるその少女は、俺のことを無視して、3人の逃げた方角をじっと見つめていた。
少女が頭上に手を伸ばした。そのまま、その手からバシンッと上空に向かって、雷の魔法が放たれる。おそらく攻撃魔法ではない――それは分かっていたが、俺は魔法の衝撃に備え、左手に持った盾を構えた。
もちろん、俺のところには何も落ちてこない。
「おい! あいつらに手を出すな! 俺の相手をしろ!」
俺がカッとなってそう叫ぶと、聞こえていたのか、少女が今度は俺の方に顔を向け、徐々にこちらに高度を落としてきた。その右手にぞっとするような色合いの、明らかに普通ではない槍が握られている。ガチガチと、自然に歯が鳴っていたことに気がついた。
俺は今日死ぬ。
少女が、槍を体の横に構え、翼を少し畳んで前傾姿勢になった。
来る。
そのときには目の前に少女が居て、真っ黒の槍が、俺の目の前を横切った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
体が引っ張り起こされる感覚がして、目が覚めた。かすむ目で前を見ると、先ほどの悪魔と、真っ黒のローブを着てフードを被った何者かが、こちらに近づいてくるところだった。
「俺は生きているのか……?」
体を動かしたいが、背中に回された両腕は、石で固められたかのように強く縛られている。
俺の方に向かっていたローブのやつが、数メートル先で立ち止まり、何か声を発した。意味はわからないが、声は女だ。そのとき、地面に跪いていた俺の脚が、後ろから蹴られ、手が真上に引っ張られた。驚いて後ろを見上げると、石だと思っていた俺の両手を縛っていた――いや、片手で掴んでいたのは、『鬼』だった。
魔王の城の、扉の前にいるべきような奴らが、どうしてこんなところに居る!?
悪魔一体だけでも、Sランク依頼になる。それが『鬼』も揃っているとはどういうことだ!?
ローブを着たやつが、悪魔を置いて、一人でこちらに近づいてきた。
悪魔、鬼……
では――最後の、あのローブは何だ?
さっき死んだと思っていたのに、また、俺は恐怖でどうにかなりそうだった。
俺から4歩の距離で、ローブのやつは止まった。立ち止まって、俺のことをじっと見ている。
「――“ノーリス”――」
ローブのやつがつぶやく言葉の中に、俺の名前が聞こえた気がして、驚いて顔を上げる。
「俺は名乗っていないし、今日はリーダーとしか呼ばれていない。どうして俺の名前を知っている!」
動揺のあまり思わずそう叫んでしまったが、怒鳴り終わると、とたんに力が抜けた。きっと偶然だ。魔族どもの言葉の中に俺の名前と似た単語があるのだろうと――もうそれ以上、何も考えたくなかった。
しばらく、ローブと悪魔と鬼が何か話しこんでいたが、不意に俺の方に視線が集まった。その視線だけで、馬鹿みたいに脚が震える。
ローブのやつが鬼に何かを言ったあと、後ろを向いて立ち去った。悪魔が飛んでそのあとを追いかける。
鬼と二人きりになった、そう思った瞬間――頭に衝撃を感じた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
寒い。
目を開けると、平原に一人で横たわっていた。
武器もない。装備もない。荷物もない。
持っていたものは、すべてなくなっていたが――俺は、生きていた。
変な体勢で転がっていたためか、痛む体を頑張って起き上がらせる。ゆっくりと、両足で地面に立ち上がった。
悪魔たちが戻ってこないうちに、何とかゴブリンどもの巣窟を抜け、ついに町の灯りが見えてきたときには、頬を、温かいものが流れ落ちた。