19話 その手を離さないで
信号弾2発――緊急。
「何があった!」
勇者の監視に付けている魔人族は3人。だけどその場には一人しかいなかった。
「魔王様。勇者が完全に方向転換し、現在エルフの森に侵攻中です。あとの二人は追跡しています」
勇者の侵攻ルートが少し森に寄っていたのは気になっていたけれど、完全にそちらを狙うとは……
エルフたちはあの森から簡単には動かせない。彼らはあの森以外で生きるすべを知らない。
突如前方から大きな音が聞こえて顔を上げると、大きな音を立てながら森の木が何本もばらばらと崩れ落ちているのが見えた。
「まさか森を切り開きながら直進しているのか!?」
「そのようです」
木を斬れば、倒れた木を避けて歩かなければならない。そんなことをするくらいだったら普通に森の中を歩いた方が早いのではないか!?
いや――勇者は木に隠れての私の襲撃を警戒しているのだろう。
なぜ、エルフの森を……どうして、私だけを狙わない。
そのとき、軽く手を引かれた。
「エーネ、俺行ってくるよ。途中まで送ってくれ」
「カケル、何を言っているの!?」
カケルは魔人族の方を向いて、「悪いけど、その腰の剣貸してくれ」と剣を受け取っていた。鞘から剣を抜いて、しばらく鮮やかに剣を振り回して重さを確認している。
「じゃあ、行くぞ」
「行かな――」
「なぁ、エーネ。魔族領では自分のことは自分で決める――このルールはお前が決めたことだろ。守れよ」
なっ? とカケルは笑った。
軍曹でさえも、私の命令なんて聞きはしない!
いや……そんな頼りのない魔王が私なんだ。
かつての世界から、勇者としてやってきた黒髪の少年を見上げる。
「君を将軍に任命するよ」
私のその声と共にカケルのジョブが『魔王軍将軍』に書き換わった。
「お前2階級昇進ってところじゃないぞ! 俺を何回殺すつもりだよ」
「生きて帰るんだ。魔王の命令だよ」
カケルがきょとんとしてから、真面目な表情を作って私に向かって敬礼した。
「イエッサー!」
カケルがニカッと笑ったあと、手を降ろして私の手を握った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おおー、あれが俺の後輩か」
遠くの方に立っていた勇者がふらりとこちらを振り返った。
「カケル、ユーリスをすぐに連れてくる! それまで気を付けてね! 絶対に死んではだめだから!」
「任せろって」
カケルは剣を抜いて、すぐ動けるように少し腰を落として勇者をまっすぐ見ている。
ためらっている場合じゃない。急ぐんだ!
魔王城の中庭に転移して周囲を見渡す。
「ユーリス! ユーリス!」
無我夢中で何度か叫んだあと、上から飛び降りてくる人影が見えた。
「エーネ、どうしたの?」
綺麗に着地して、こちらに走ってきた天使に手を掴まれる。
「ユーリス助けて!」
そう言ってから、ユーリスの手を両手できつく握り直した。
「でも、絶対に死なないで欲しい! お願いだから死なないで!」
「エーネ。約束する。僕は死なない」
転移する直前、優しく笑ったユーリスに指で目元を拭われた。
転移して見えたのは片膝を突いたカケル。
「カケル!」
私が走り出そうとしたとき、隣から魔力のうねりを感じて、カケルのさらに向こうに居た勇者の前に巨大な土煙があがった。
「エーネ、僕の後ろにいて。絶対に離れないで」
駆けだしたユーリスのあとを必死に付いていく。
「ユーリス! あの勇者は魔法が効かない。あと聖剣が飛んでくる!」
「わかった」
頑張って叫んだ私に、ユーリスはそう一言だけ返事をして、カケルの前で膝を突いた。
「カケル。大丈夫か」
「おうユーリス、色々分かったぜ。この傷はその調査のための傷だ」
カケルの服の胸あたりが、大きく斜めに切り裂かれているのが目に入って息を呑んだ。
「勇者から距離を取る」
ユーリスはカケルに肩を貸して、カケルを引きずりながら空いた手で治療していた。
座らされたカケルが、ユーリスに治療されながらこちらを見上げた。
「エーネ。あいつのステータス自体は大したことはない。俺よりちょっとだけ強いくらいだ。だけどアウシアの加護があって、スキル聖剣に『+』が付いている。あと聖剣の『絶対切断』は効かなかったけど、あの真空刃みたいに飛んでくる剣は、普通の剣では受け止められないから、避けない限り斬られる」
カケルは右手に持った、刃を根元からばっさりと斬り取られた剣を見せてくれた。
「だから、真空刃をひたすら避けて、あの勇者様のところまでたどり着ければ俺らの勝ちだ」
カケルはどう猛に笑ってから、「ユーリス剣を貸せ」とユーリスの護身用の剣を取り上げていた。
そのとき――土煙の向こうから不気味な気配が膨れあがった。
「さぁ来るぞ」
カケルの楽しそうな声と共に、二人が立ち上がって無手で構える。
「エーネ、お前は邪魔だから離れていろ。あとユーリス、これに勝ったらエーネからご褒美が出るぞ。死ぬ気でやれよ」
「言われなくても、僕はやるよ」
うっすらと晴れてきた土煙の向こうに、勇者のシルエットが見える。
「気を付け――」
「邪魔をするな!」
そんな少年の悲鳴のような叫び声が向こう側から聞こえきて、私は二人に力一杯叫んだ。
「死なないで! 大好きだから!」
私は神に必死に祈りながら、後方に転移した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あの勇者はそんなに強くはない。それは見ていてすぐに分かった。
反則的な力を持っていても、その力をただ力任せにぶつけるだけ。
二手に分かれた二人は、勇者の攻撃を見切って上手に避けている。だけど、勇者の一閃しただけの広範囲攻撃によって、完璧に避けているように見えてもどうしてもかすり傷のような小さな傷は受けてしまう。勇者との距離が近づくにつれ、その傷も増えていった。
私は何もできないから、ただ見ているだけ。二人の姿を、ただ見守るだけ。
私は自分が転移しないように、必死に自分を抑えていた。
ユーリスよりも少し進むのが早かったカケルが、勇者からあと数メートルというところまで近づいて、腰の剣に手を伸ばした。そして剣を引き抜いて、勇者に向かって大きく足を踏み出した瞬間――なぜかカケルの体が硬直した。
「危ない!」
勇者の一撃を、カケルは地面に倒れるように避けたように見えたけれど、この距離からでもカケルの体から血が飛び散るのが見えた。
同時に、勇者の足元で発生する大砲のような爆撃と、土煙。
無意識のうちにカケルのところに転移しようとしていて、勇者から漏れ出す呪いのような結界に阻まれて転移が失敗したのがわかった。
ユーリスがカケルのところまで駆けつけているのが見える。何と言っているのかは聞こえないけれど、カケルは表面上は元気そうにユーリスに何かを訴えていた。
カケルは大丈夫だろうか……さっき硬直したように見えたけれどあれは何だったのだろう。転移できないから分からない。
近づけるぎりぎりの距離で二人の様子を必死に見ていると、また、勇者の攻撃が始まった。
何時間、いや何分続いたのだろう。
もう、嫌だ。見ているだけなんて嫌だ。
勇者からあと数メートル。そこで何かに阻まれているかのように、二人の足は止められてしまう。それを何度繰り返しただろう。
「もう、やめよう……」
あの勇者は全然凄くはない。二人はどんどん見切っていて。勇者に近づく時間は早くなっている。
だけど、どうして……
二人の足が、縫い止められたように勇者からあと一歩と言う距離で止まるのがわかった。
大きな傷を受けて後退する二人。その二人を見て、勇者は笑っていた。
神は、もう私のことを殺したいのかもしれない。
「二人とも……ありがとう」
「エーネ!」
カケルの傷を先に治していたユーリスの頭に抱きついた。
「今まで、ありがとう――」
私がそう言った瞬間、ユーリスに後ろにはね飛ばされた。
倒れて尻もちをつく私の前に、ユーリスが背中を向けて立ちはだかる。
「聖女。なぜ邪魔をする!」
ユーリスの背中の向こうから勇者の高い声が聞こえた。
「魔王が死ねば、私たちの世界は救われるんだ!」
「そんな訳ねーだろ、アホか。騙されているんだよお前は」
カケルの呆れたような声に、勇者の怒鳴り声が続いた。
「騙されているのは貴様たちの方だ!」
「聞く気ねーな」とカケルが呆れた様子で呟いたそのとき――
「騙されているなら、僕はそれでいい」
ユーリスの穏やかな声がその場に響いた。
「君たちは僕が騙されているのだと、いつも言う。だけど僕は……僕が初めてエーネに会った12年前から、ずっと騙され続けているならそれでいい。僕の周りに広がるこの世界が、すべて嘘だったとしても、もう僕はそれでいい――」
「僕は、エーネのこと――愛している」
ユーリスのその声を聞いたあと、私は腰を上げて、ユーリスの腕とカケルの首に同時に触れた。
目に見えるのは、3つの神の像。
二人を置いたら、一人で戻ろう。
これでいいんだと思いながら、立ち上がって再転移までのわずかな時間を待っていた間に、振り返ったユーリスに手を掴まれた。
必死に腕を上下に振るがびくともしない。ユーリスは私の顔を悲しそうに見つめながら、首を横に振った。
「離してくれ!」
「嫌だ」
自分の腕を千切る勢いで、全体重を掛けて後ろに引くが、ユーリスは動きもしない。
「あのときエーネは僕を連れて行かない理由をちゃんと説明してくれた。だから手を離した。でも、今は離さない」
ユーリスはただ私の手をぎゅっと握っている。
このまま転移すると、あの場所にまたユーリスを連れて行ってしまう。それでは駄目なんだ。私はユーリスに幸せになって欲しいから駄目なんだ。
籠の中に囚われていた光り輝く天使。その籠の中から、キラキラとした目で必死に外を見ている天使に、私はもっと自由に世界を見て欲しいと思った。
私の好きなこの世界の景色を、天使に見てもらいたかった。
だから連れてきた。全部私の身勝手だ。
私は幸せだった。だから、これ以上この子を巻き込んでは駄目なんだ。
ユーリスが私の手を離してくれないのなら、私の手の方を切り落とそう。
自分の部屋に戻って一番上の引き出しを開けて、そこにある大ぶりのナイフを左手で取り出して、そのまま自分の右手首に振り下ろした。
私の腕に刺さる寸前、ナイフが止まる。ナイフに全体重を加えるが、ユーリスに刃を握られたナイフはぴくりとも動かない。
ユーリスの指の隙間から、私の腕に血が滴り落ちるのが見えた瞬間、手を離した。
「ご、ごめん! ユーリス怪我を――」
視界の端で、ナイフが地面に落ちていく――
そのとき突然左手を掴まれて、両手を上に持ち上げられた。
目の前を振り上がる腕に、反射的に歯を食いしばり、目をぎゅっと閉じた。
だけどいつまでもやってこない衝撃に、ゆっくりと目を開いたとき――優しくおでこに音を立てて何かが触れた。
「エーネ。世の中にはどうしようもないことがあるんでしょ? 諦めて」
私のおでこからゆっくりと唇を離したユーリスは、そう言ってへっと笑った。
ユーリスにつり下げられるように万歳の格好をさせられたままで、私はユーリスを見上げる。
「ユーリス。私は君に幸せになって欲しかったんだ」
その言葉にユーリスはキョトンとした。
「僕? 僕は幸せだよ?」
その『何の話?』とでも言うようなユーリスの態度に私は苦笑した。
結局、私は何も分かってなんかいない。
人は、自分のことしか分からない。いや自分の気持ちすらも、ろくにわかってなんかいない。
そんな中で、他人の気持ちなんて分かるわけがない。
泣きそうで。
でも触れる手はどうしても温かくて。
「ユーリス、行こうか」
私は諦めて、ユーリスを見上げて笑った。
「うん」




