18話 異世界に来て魔王様の恋愛相談に乗る曹長の俺
なんか俺が国境警備の休みの日に、魔族領に勇者が攻めてきたらしい。んで、しばらくごたごたするからと俺は魔王城に連れてこられた。国境警備兵としての俺の初めての出番をわくわくしながら待っていたのに、一向にその気配がないし、エーネは日中ほとんど出歩いているから、俺とユーリスはひたすら留守番だ。
ユーリスは気の毒なくらいエーネの帰りを毎日不安げに待っている。あんなに連れて行ってくれと頼んでいるんだから、どこに行ってるのか知らねーけど連れてってやればいいのに。
今日も魔王城は平和だなと思いながら、日課の早朝ランニングとして魔王城の外壁の周りを走っていると、大平原に一本だけ立っている木の横にエーネがぽつんと座っているのが見えた。
あいつあんなところで何やってんだ? こんな朝っぱらから。
早く行かないと転移されるかもしれないと、全力で走ってやっと近くに見えてきたときにエーネが立ち上がった。
「エーネ! 待て!」
「カケル?」
エーネが振り向いた。
「おはようカケル。朝からランニング?」
「そうだけど、顔色悪いぞ。ちゃんと寝てんのか?」
「寝てるよ」
バレバレの嘘をついているエーネの横に「まぁ、ちょっと話そうぜ」と俺が腰掛けると、しばらくしてからエーネも諦めたのか俺の隣に座った。
「ここで何してたんだ?」
寝てないやつが、優雅に朝日を眺めるなんてことはしないだろう。エーネは体操座りで大平原の彼方を見つめている。
「何かあったら魔人族から連絡が来るから、見張っていた」
「魔人族? ラウリィのお兄さんってやつ?」
魔王城で初めて会ったメイドのラウリィは、エーネが自慢するようにメイド服のよく似合う美少女だった。まぁ確かに可愛いんだけど無口だし、何より俺を見る目が冷たすぎる。エーネと話しているときに、ふと背後から感じる気配――俺の心はすぐに折れた。
「魔人族の皆に、今遠くから勇者の監視をしてもらっているんだ。何かあったら信号弾を打って知らせるように頼んでいる」
「それでずっと見てんの?」
「ずっとじゃないけど、ここはよく見えるから」
エーネが見ている方角は、遮るものが何もない。
何かあったら連絡が来る――何もないのを確認しているのか。
「こっちの方から飛んでくるんだろう? 俺が代わりに見とくから、少し休めよ」
エーネは「えっでも」と慌てている。俺は何も言わずに立ち上がって、エーネの視線を遮るように移動して、その場所であぐらを掻いた。
「ありがとう」
観念したのかエーネはそう言って、木の幹にもたれ掛かって目をつぶった。
10分くらい俺が平原を見つめていると、後ろから声がかかった。
「カケルあのね……頼みがあるんだ」
少し眠そうなその声に、俺は前を向いたまま「何ー?」と答える。
「私に何かあったら、ユーリスを頼むよ……ユーリスには同世代の友だちが少ないから」
その言葉に慌てて振り返る。エーネは俺を見ずに、ぼーっと空を見上げていた。
「ちょっと待て、そんなにやばいのか?」
「聖剣の射程が50メートルくらい伸びる上に、魔法が効かない。連日連夜、魔法で遠距離から襲撃しているのに、危ない薬でも飲んでいるかのように疲れた様子がない。そんな勇者様が魔王城に向かって着々と侵攻中……」
エーネは「ほんと困ったよ」と笑った。
「えっ、勇者だよな!? 何でそんなチートなんだよ!?」
俺も同じ勇者だったはずだけど、自信がなくなってくるくらいの力だ。どうなってんのその勇者。エーネは相変わらず空を見上げたままだ。
「神は私のことを、もう殺したいのかもしれない……」
「神って、あのアウシアってやつ?」
この世界には神様が2種類いて、世界を管理している本物の神々と、人族が信じている偽物の神だ。魔族はその偽物の神から毛嫌いされている。
「そうだと……いいな」
エーネはそう言ってから、笑うのに失敗したように引きつった笑い方をしてから、ぎゅっと膝を抱えた。
そうだといいな? エーネはそうじゃないって思っているってことか?
「アウシアじゃなくて、あの三神に殺されそうになっているってこと? 魔王ってこの世界に必要なんだよな? そんなことあるのか?」
「わからない……」
エーネが俺の顔を見もせずにそんなことを言っている。やたらと理論とか理屈とかそういうものを気にするこいつが、曖昧なことを口にするくらいどうやらこいつは心が折れているらしい。
「そんな訳ねーだろ。お前の誓約も、ユーリスの祝福もちゃんと残ってるじゃん」
ユーリスのステータスにある神からの祝福。豊穣の女神アイロネーゼとかいうご大層な神様からの祝福は、エーネとユーリスから聞いた話を合わせると、ユーリスがエーネの怪我を治すために必死に祈っているときにもらったらしい。
『応援しとるで、頑張りや!』――ユーリスの恋心は神公認だ。この世界の神は、関西弁で、しかも暇らしい。
「うん。だけど、だけど、そう疑いたくなるくらいもう手がないんだ……」
「手がないって……?」
「勇者の願いは、私を殺したいか、もしくは私を殺して魔王のコアが欲しいかのどちらか――」
「コア?」
分厚い黒のローブの下にあるエーネの心臓あたりを見る。待て。しゃがんでローブがうまいこと引っ張られていて、偶然浮かび上がった胸のライン――普段はだぼだぼのローブで誤魔化されているけど、こいつ実はかなり胸大きいんじゃねーか? やべぇ、一度気づいちゃうとそれしか頭に入ってこないが、今は大事な話だ。
「魔王のコア――心臓は魔法の素材として最高らしい。人族の誰かさんは、世界のバランスをしばらく崩してでもそれが欲しいようだ。先代と先々代も奪われたよ」
「はっ!? えっ、そのために魔王殺してんの? 何だよそれ!」
俺がそう言うと、エーネは悲しそうな表情で笑っていた。
「どちらにせよ勇者の願いを叶えてあげればアウシアからの加護はきっとなくなる。勇者を殺して魔族領は元通りだ」
「ちょっと待てよ!」
俺は立ち上がって、膝を抱えているエーネの真正面に移動した。
こいつの頼み事の意味がやっとわかった。ふざけんな。
「何が元通りだ。全然元通りじゃねーじゃん! 勝手に死んで、ユーリスの世話を俺に押しつけるつもりかよ!」
「だって!」
エーネが俺を見上げている。
「何が『だって』だ。何でお前が死んで解決しようとするんだよ! どんなに強いっていっても数で当たれば殺せるだろ! 何で俺らに頼らない!」
「そんなことできるわけないだろう、何人死ぬと思っているんだ! 一人が死んで済むならそれが一番いいに決まっている!」
エーネにつかみかかるように逆ギレされて、俺の気分が逆に一気に落ち着いた。変な方向に完全に開き直った奴を、うわぁと思いながら見つめる。
「まぁ、数で言うなら少ない方がいいとは俺も思うよ? だけど、あいつらがお前を素直に死なせてくれると思ってんの?」
エーネは初めて気づいたかのように驚いた顔をしたあと、俺の言葉に唇を噛んでいた。
「なぁ、魔族領では自分のことは自分で決めるんだろ? あいつら絶対に付いてくるぞ。もう諦めろよ」
エーネは声も出さずにポロポロと泣き始めた。
俺は大慌てで周囲の確認をする。大丈夫だ。ユーリスはいない。いたら殺される。
「泣くなって。誰も死なない作戦考えようぜ」
エーネじゃなかったら抱きしめるくらいはするんだけど、俺はまだ死にたくはないので、エーネの肩を優しく叩いた。
そして、作戦か……と頭をひねる。
「あのさ。勇者の聖剣がどんなに伸びるって言ったって、聖剣は聖剣なんだろう? だったら聖耐性スキルがある俺とユーリスは効かないぜ」
ユーリスにぼっこぼこにされたあの日を思い出しながら、我ながらナイスアイデアと頷いた。
「勇者の能力がそれだけだとは限らないし、聖耐性スキルがある君たちに効かないのは『絶対切断』の部分だけで、普通に剣で斬られたのと同じ衝撃はあるんでしょ。そんな危険なことはさせられない」
エーネは俺が指摘する前から考えていたのか、迷いなく答えた。
「危険だって言っても絶対に死ぬわけじゃないじゃん。ユーリスがいたら戦いながらでも治せるし」
「死なないかもしれない。でもそれは、死ぬかもしれないと同じだ」
「ユーリスはエーネのためだったら喜んで命賭けるぞ」
あいつほどエーネのためだったら喜んで死にそうなやつもいない。普通の女だったら喜ぶだろうその状況を、エーネは苦しんでいた。
「――それだけはできない」
「何で?」
静かに聞いた俺の言葉に、エーネは少し視線を彷徨わせてから、顔を上げた。
「私があの子を魔族領に連れてきたのは、もっと長い時間笑って欲しかったからだ。私の代わりに死んで欲しかったからではない。そんなことさせるくらいだったら始めから――」
「始めから誘拐なんてしなきゃ良かった?」
ためらいがちに頷いたエーネを「自分勝手だな」と見る。
「勝手に連れてきたくせに、自分の思い通りの死に方をしないんだったら『いらない』か」
「そんなことは言っていない!」
「でもそういうことじゃん」
「私はユーリスに幸せになって欲しいだけなんだ……ただ、それだけなんだ」
本当にそう思っているんだろうとは思うけど、やってることは滅茶苦茶だ。
心の中で大きくため息をついてからエーネを見た。
「あのさ、あれから5ヶ月経ったけど、ユーリスは可愛い人族の女の子まだ見つけてないぜ。エーネはどうすんの?」
ユーリスから他の女の話なんて聞いたことがない上に、あいつが俺に聞いてくるのは決まって日本のことや、エーネのことだ。
俺の言葉に、エーネは迷子の子どものようにおろおろしている。
「ユーリスは、エーネのことが好きなんだ」
わかってやれよと言うとエーネは不意に顔を上げた。
「私は人族じゃない」
「はっ? 何言って――」
「こちらの世界に来てから、夜目が利くようになった。そしてなぜか魔力が整えられるようになった。どちらもスキルには載っていない。悪魔族が飛行なんていうスキルがなくても飛べるように、歴代の魔王と同じ力を持っている私はやはり魔神族なのだと思う」
ステータスの人族って表記が間違っているってこと? まぁ、この世界のステータスの適当っぷりを見るとあり得そうだ。
「で、そうだったら何か問題なのか?」
「これまで魔神族――魔王に子が居た記録は1件もなかった。調べてもらった」
エーネは俺を見ようとしない。
うわぁ、いきなり超重い話。こいつがユーリスに対して、ここまで頑なな理由はこれか。
「記録とか当てになんねーし、単に女の魔王がいなかっただけかもよ? それに血のつながりってそんなに重要か?」
「無視できる情報ではない。あと私は別に血のつながりとかはどうでもいいんだけど、そのユーリスは――
とにかく私は『相手』として色々問題がある。そんな相手をユーリスに勧めることはできない」
はー? もう何なんだよこいつ。難しく考えやがって面倒くせえ。
「あのさー、それはエーネが決めたことだろ。ユーリスは関係ないじゃん。ユーリスのことまでエーネが決めるなよ」
「私は――」
「『幸せになって欲しい』って、ユーリスには何も説明せずに、自分の意見を押しつけるなよ。ユーリスに失礼だろ」
俺の攻撃が効いたのか、エーネは目を見開いてからきつく口を閉じた。そして、ゆっくり顔を上げて魔王城を――ユーリスがいる方角を見つめる。
エーネはしばらく瞬きもせずにじっと見つめていた。
「ユーリスはあんなに綺麗で、優しいんだ――」
泣きそうな声で、独り言のようにエーネが話し始めた。ユーリスがとりわけ優しいのはお前だからだと言いたかったけど、俺は黙って聞いていた。
「だから、ユーリスのことを何よりも大切に、一番に選んでくれる女の子はたくさんいる。私が、ユーリスにずっと魔王城に一緒に居て欲しいって――ユーリスだけを選んであげることなどできないくせに、そんなの私の身勝手な願いだ。
ユーリスだけを大切に思っていくれる女の子の中から、ユーリスが誰かを選ぶのだったら、それが一番幸せなことだと思った。ユーリスとユーリスの愛する人、私は二人合わせて愛せばいいと。きっと、私にだったらできるのだと、そう思った。
それが正しいことだって――だって、何度! 何度……考えてもその答えしか出なかったから」
そして、最後は下を向いて、貯まった涙をこぼしながら不安げに呟いた。
「ユーリス、何て言うかな……」
まさかこいつ、エーネの話を聞いてユーリスが何て言うのか不安に思っているのか?
お前が今心配すべきなのは、ユーリスがエーネの気持ちを知った後の自分の身だ。あいつは相当溜まっているだろう。
だけどそんなことを教えると俺の身が危ないので黙っている。
「まぁ大丈夫だろ。じゃあ早速、ユーリスに会いに行こうぜ!」
エーネはそれはもう、おろおろと俺を見上げた。
「まだ無理だよ! 心の準備が……」
「そんなのいくらしても無駄だって」
今行かないと、またこいつは色々考えそうで怖い。さぁ行くぞとエーネの手を握ったとき、南の空に2発花火が上がった。
俺が気づいたときには、俺はエーネと一緒に転移していた。




