17話 贈り物
「ミルグレ」
村の中をしばらく探し回して、集会所でやっとその姿を見つけた。イスカがその場に居ないことにほっとする。
「あら、魔王様どうしたの?」
立ち上がってこちらを見ているミルグレの手にそっと触れて、魔王城まで転移した。
「ミルグレ。勇者が攻めて来た」
ミルグレは驚いている。
「だから昨日はマイカが帰ってこなかったの?」
「ミルグレ。今はマイカは無事だ。だけど、昨日マイカは一度勇者に殺された」
「殺された!?」
「怪我自体はユーリスが治してくれたよ。今はマイカは元気だ。新しい勇者は、離れたこところから聖剣を当てることができるようだ。ガルフも大けがだったよ」
「ガルフも……」
初めて見るくらい真剣な顔で呟いているミルグレを見つめる。
あぁ、私は最低だ。
「ミルグレ、今から勇者がどこまで移動したか探しに行く。私に付いてきてくれ」
ミルグレは私をじっと見てから、からかうような表情に変わった。
「悪魔族の中で私に頼むのは、私が子育てをしていないからかしら? それとも、子どもをもう2人も産んだからかしら?」
「どっちもだよ」
私の言葉に「あら正直ね」とミルグレは楽しそうに笑った。
「ミルグレ。勇者の力がわかっていない今、死ぬ可能性はあるけれど、私は死ぬ気はないよ。今日は勇者が今どこにいるのかと、どのくらいの移動速度なのかを確認したらすぐに帰る」
「わかったわ」
ミルグレはしっかり頷いてから、なぜか私の手を持ち上げて胸の前で握った。
「ねぇ、魔王様――」
その艶やかな言い方に、「な、なにかな」と私は動揺して目を逸らした。
「魔王様。私がきちんと仕事をしたら、手伝ってくれるかしら?」
『何を』だなんて、確認する必要もなく伝わってきて、私は何度も頷いた。
「あぁ、奴の扱い方なら熟知している。任せなさい」
「魔王様。大好きよ」
そう言ったミルグレはいつもの私をからかうような笑い方をしていて、その表情に苦笑してから、ミルグレに握られていた手にもう片方の手を添えた。
「じゃあ行こう」
「えぇ」
日が沈んだ魔族領には灯りなんてものがないから、一気に真っ暗になる。そんな闇の中を、ミルグレに抱えてもらいながら慎重に飛ぶ。レグルストの白馬くらいの速度で移動していると仮定した場合の地点まで来てみたけれど、勇者の姿はない。
「ミルグレ、しばらくこの辺りを飛び回ってくれ。ミルグレは地面まではっきり見える?」
「見えるわ」
勇者の聖剣の射程がわからないため、念のため今は、木が米粒くらいの大きさにしか見えない高高度にいる。そんな高さで、何で地面がはっきり見えるんだよ……
「私は魔王だから勇者は気配でわかるけど、ミルグレも、もし見つけたら教えてね」
「わかったわ」
しばらく探したけれど、本当にこのあたりにはいない。もっと先まで行っているのかと距離を伸ばしてみたけれど勇者は見つからなかった。
これ以上の速度で移動するのは、悪魔族やおじいちゃんでも無理だろう。どこかで寄り道でもしているのかもしれないと、国境沿いの大平原のど真ん中辺りに転移した。
一気に肌が粟立つ感覚――
「いた。あっちだ……」
目で見なくてもわかる。川沿いの方角を後ろ手に指した。
「あっ、ほんとね。でもすごく遠いわ。魔王様よく気づいたわね」
ミルグレが旋回してくれたので、ゆっくりと下を見下ろす。あの辺に勇者が居るのは、まがまがしい気配でわかるけれど、私の目には勇者の姿が見えなかった。恐らく向こうもそうだろう。
「ミルグレ。私の目では勇者の姿が見えないから、勇者の動きに注意して、何かあったら魔力を放出して私に合図してくれ。じゃあ、まずは森を挟むように南から近づこう」
勇者の南側にある森まで迂回して、一度高度を落とさせてから、ゆっくりと北上して勇者に近づく。徐々に強まっていくあの感覚――大聖堂にかつてあったものと同じだ。
「ミルグレは何か変な感じはしない?」
「何のことかしら?」
大聖堂の結界のようなものに加えて、昨日、攻撃を受けた右肩から広がったあの色は、ユーリスがかつて持っていたアウシアの呪いに似た何かだった。
徐々に減るHP。少しずつ命を削り取られるあの感覚――ガルフは特にそんな様子はなかったから、また効くのは私だけなのだろう。
「アウシアの寵愛か……」
汗でぬるぬるする手をぎゅっと握りしめた。
「あら、まだ若いわね」
森に沿うように、ゆっくり注意しながら北上しているとミルグレが口を開いた。私にはまだ爪楊枝くらいの大きさにしか見えない。
「カケルと同じくらい?」
「えぇ。そのくらいに見えるわ」
まだ、15歳くらいの少年か。
そんな歳の少年がアウシアの加護を受けて、死ぬ覚悟でこんなところまで私を殺しに来ている。
どうしてだろう。なぜだろう――これから殺さなければならない相手。知らない方がいいと思うのに、問うてみたかった。
「ミルグレ。馬はいる?」
「この辺にあの勇者以外の生き物はいないわ」
よし、勇者は徒歩だ。馬を殺さずにすんだことにほっとしながら勇者を見ると、遠目にも勇者が腰の剣を抜いたのがわかった。
「こっちを睨んでいるわね」
ミルグレののんびりとした声に、転移しそうになった心を落ち着ける。まだだ。まだだめだ。
「ミルグレ。私は勇者の攻撃が来たら転移するつもりだけど、君も避けてくれ」
「はぁい」
心臓の音が鳴り響く中、徐々に顔が判別できるようになってきた勇者を見つめる。勇者が腰に構えていた剣を後ろに大きく引いた。
まだだ。まだ――
来た。
「ミルグレ無事か」
「大丈夫よ」
その声にほっとしてから眼下を見る。
「凄いわね」
本当に――何て威力と攻撃範囲だ。
勇者と挟むようにあった森が、勇者を中心に大きく扇形に刈り取られて、音を立てて木が崩れているのが見える。
やはり勇者の攻撃は、私の転移のように空間を跳ぶのではなく、かまいたちのように聖剣から直線的に飛ばせるものらしい。勇者の位置はあそこだから、射程は最小あのくらい。
アウシアの結界のせいで勇者のすぐ近くには転移できないし、勇者の聖剣は防御無視の『絶対切断』――泣きたくなった。
「ミルグレ、ま――いや、いい」
『魔法を』と言いかけて、止めた。勇者は徒歩だから、不幸中の幸いにも進行速度は早くない。今日は襲撃をしないとユーリスには約束したし、帰ろう。
「ミルグレ、ありがとう。今日は確認したいことは確認できたし、もう帰ろう」
ただ、皆を守りたいだけなのに。
私はどうすればいいのだろう――そうぐるぐると頭の中で考えながら私は転移した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ユーリスは、あの子は起きて待ってくれているのかな。
暗い顔をしていたら、余計に心配を掛けさせてしまう。それはだめだと頬を一度叩いた。
三神教の教会まで転移すると、ユーリスと司祭様が像の前の長いすに座っていた。イシスの光でユーリスの髪がキラキラと優しく光っている。ユーリスがこちらを振り返った。
「エーネ。おかえりなさい」
ユーリスの笑顔に、心がほっとして私も素直に笑うことができた。
「おかえりなさい」
「ユーリス、司祭様ただいま戻りました。遅くなってすみません」
二人が立ち上がる前に、二人の横まで転移して、神を一度見上げた。
「司祭様、昨日はありがとうございます」
「あなたと私の祈りがリュシュリート様へ通じたのだと思うわ」
司祭様も必死に祈ってくれたのだろう。「ありがとうございます」ともう一度しっかり頭を下げた。
じわじわと命を削り取るアウシアの呪い。教会で意識を失ったときは、HPがあと10くらいしかなくて、正直あと15分くらいで自分は死ぬと思っていた。
私が助かったのは、この場所で司祭様が必死に祈ってくれたからだろうか? きっと、そうだろう。
そう言えば、今まですっかり忘れていたけど一度肩を揺すられて起こされた気がする。光がまぶしかったから、朝かな……? そのとき、ユーリスが泣いていて――
「ユーリス」
心配掛けてごめんなさいともう一度謝ろうとしたとき、そのあと何があったかを思い出した。
目を閉じる直前。虹彩が見えるくらいすぐ目の前にあったユーリスの顔と、目を閉じたあとに唇に触れた感触を思い出してしまった。
「エーネ?」
途中で言葉を止めた私をユーリスが不思議そうに覗いている。
「ユーリス……心配をかけてごめんね。まだ、少し顔色が悪いけれど、大丈夫?」
「大丈夫だよ」
ユーリスは微笑んだ。
自分が微笑んだユーリスの顔のどこを見ていたのかに気がついて、慌てて目を逸らす。
い、いや。ユーリスは唇に付いた血でも指で拭ってくれていたのかもしれない。変に疑うのは止めよう!
「エーネ。これからしばらくは魔王城で暮らしたいんだけど、いいかな?」
その声に、不自然に見えないように急いで顔を上げた。
「うんいいよ。一緒に帰ろう」
ユーリスも慣れた自分のベッドの方が疲れが取れるだろう。司祭様にもう一度礼を言ってから、私はユーリスの手を掴んだ。
そして――自分が今からどこに転移するかを急に強く意識してしまって、体が硬直する。
「エーネ? 帰らないの?」
ユーリスは久しぶりにユーリスの部屋に戻りたい。そして私は自分の部屋に帰りたい。だから、私がユーリスの部屋まで転移してから、自分の部屋に帰るのが最善だ。
普通だ。変に意識してはいけない。
「うん。行こうか」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私は転移でどこへでも好きな場所に行けるけれど、それでも他の人の部屋に好き勝手に押しかけたりはしない。だから、ずいぶんと久しぶりにユーリスの部屋に来た。
そこで、いきなり大きなクマのぬいぐるみと目が合った。
ユーリスが魔王城に来てから初めてあげた誕生日プレゼント。部屋の隅にあるチェストの上にどかんと飾ってあるから、もう一緒に眠ってはいないようだけれど、抱き心地の良さそうなふっくらとした体型はあのころのままで、首に着けた赤いリボンはきれいな蝶々結びだ。
「まだ、持っていてくれたんだね」
ぬいぐるみなんてものをこの世界のどこで頼めばいいのかわからなかったから、とりあえず王都で一番大きなおもちゃ屋さんに行って、店長を交えての特別注文になった。予想以上に時間が掛かったけれど、こちらが注文した通りのものをしっかり作り上げてくれて、ほくほく気分でその大きなぬいぐるみを受け取ったはいいけれど、さてどうやって帰ろうと途方に暮れた。馬車なんてものは持っていないし、王都内で転移はできないし――結局、ラウリィとひいひい言いながら、二人で門の外まで抱えて運んだんだ。懐かしいなぁ。
つぶらな瞳と見つめ合ってから、横を見上げた。
今まで言えないまま来てしまったけど、今日ちゃんと伝えよう。
「ユーリスあの……大聖堂に居たユーリスのお友だちは――」
処分? 捨てられていた? 私は、何て表現すればいいのだろう。
「知っているよ」
「知っている?」
ユーリスは頷いてから、まっすぐ私を見た。
「エーネ。僕は、あのぬいぐるみだったから、取り戻したかったわけじゃない。あの場所に僕のものは、あれしかなかったんだ。だけど、もういいんだ」
ユーリスはそう言ったあと、笑顔で目の前のクマのぬいぐるみの頭をわしゃわしゃと豪快に撫でた。そしてユーリスは私に向かって笑いかけてから、繋ぎっぱなしだった私の手を離した。
ユーリスはまっすぐ本棚に向かって、本棚に飾るように並んでいる木の箱の一つを手に取る。後ろから覗くと、最後に見たときは半分くらいしか埋まっていなかったユーリスの石のコレクションが、もう8割くらい埋まっていた。
「いつの間にか増えてるね」
相変わらず、どこで見つけたのだろうと言いたくなるような綺麗な石の数々だ。
ユーリスがポケットから取り出した2つの石を、木の箱の空いたマスに置いた。
「また見つけたの?」
「こっちは王都に落ちていた」
ユーリスが指さすのは、鈍い赤色のごつごつとした石だ。落ちてたって、こんな目立つ石、普通はその辺に落ちてはいないだろう。
「売り物じゃなくて?」
「僕もそうかなと思ったんだけど、普通の人だったら持ち上げられない大きな箱の下に隠れていて、ずっとそのままだった」
「そんなものよく見つけたね」
ユーリスは、木箱からその石を手に取った。
「魔力を放出してこういう石にぶつかると変な引っかかりを感じるんだ。その感覚でわかる」
まさかそんな秘訣があったとは。
「私にもできるかな?」
わくわくしながらユーリスを見上げると、ユーリスは静かに首を振った。
「エーネの周りの魔力は、自然にエーネの方に引っ張られるから難しいと思う……」
ラウリィにたまに、遠回しに邪魔だと言われるあれか……くそう。
そう言えば、ユーリスが石を見つける現場を、私は目撃したことがない。あ、そう言うことか。
少し凹みながら、ユーリスが今日追加した、もうひとつの石を指す。
「ユーリス、こっちの石は?」
もうひとつの石は、透明で綺麗な楕円形の緑色のものだ。
「触っていいかな?」
「いいよ」
3センチくらいの大きな石を取り出して触れてみる。滑らかな肌触りに、濁りのない透き通った色。うわぁ綺麗だなと目の前に掲げて気がついた。
「ユーリスの目の色と同じ色だ」
月明かりくらいしかない暗い部屋だけど、私は夜目が利くからよく見える。ユーリスの目と見比べるように、石を右手に持ってユーリスの頬に近づけた。やっぱり同じ色だ。
「すごいね。これも拾ったの?」
「それは、貰った」
貰った?
確かめるようにユーリスの顔を見て、目が合った瞬間、心臓がぎゅっと押さえつけられる感覚がした。
自分の目の色と、同じ色の石を貰った。
そっか……
「誰に」
他人のもののように聞こえる自分の声。
「それが、僕も誰かは知らないんだ」
「え?」
驚いて顔を上げると、ユーリスは困っていた。
「一度『癒やし』をした人で、何か欲しいものはあるかって聞かれて、そのときは何もいらないって答えたんだけど、この前突然それをくれて――突き返すのも失礼かもしれないって受け取ったんだけど、きっと高価なものだし、やっぱり返した方がいいのかな?」
贈り物でこんなものをあっさりとくれる人。
「えっと、その人どんな人?」
「45歳くらいの身なりのいいおじさんだよ」
お、おじさん。よくよく考えてみればそうだ。若い女の子が、こんなものをプレゼントするはずがない。
ユーリスは、どうしたらいいと思う? とじっと私の言葉を待っている。
目の前の天使は、それはもう綺麗な顔だ。そのおじさんが純粋な感謝の気持ちだけで、その石をくれたのだったらいいけれど、ど、どうなのだろうか。
「くれるって言ったのだから貰っていて、良いんじゃない……?」
「そっか……エーネはその石欲しい?」
この石自体はユーリスの目の色と同じで凄く綺麗だから、一瞬くらっと来たけれど、私は断った。
「ユーリスが貰ったものだから、私はいいよ。ここに並べておこう」
そう言って、エメラルドグリーンの宝石を元の場所に戻した。
私がかつて贈った木箱に並んだ、個性的な色や形の石たち。
「私、こういうの好きだな」
全部磨かれた綺麗な宝石だと面白くない。どれもばらばらなのに、全体から見れば調和が取れているように見えるから、見ていて面白い。
「うん」
一緒に石をのぞき込むユーリスの顔がすぐ近くにあった。
高く主張を始めた心臓をこっそりなだめて、さぁもう帰ろうとゆっくりとその木の箱のふたを閉じたとき――
「エーネ」
ユーリスに手を掴まれる。
月明かりがユーリスの綺麗な顔を横から照らしている。その真剣な目がこちらを見つめていて、私は必死に目を逸らした。
「ユ、ユーリス……」
握られた手を馬鹿みたいに見つめて何とかそう言葉を搾り取る。
きつく握られていた手が、少し緩んだ。
「エーネも体調が万全じゃないから、今からどこかに行ってはだめだよ」
「今日はもう寝るよ……」
「約束だよ」
顔をあげると、いつもと同じ優しい顔がそこにあった。
「ユーリス。約束する」
「エーネ、お休み」
ユーリスが手を離してくれた瞬間、私は逃げるように自分のベッドの前に転移した。
そのまま、体を前に倒してベッドに倒れ込む。
こんなときなのに私は何を考えているんだ。
これからの方針も決めなくてはいけないのに、私はそのままあっさりと寝てしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
よく寝たぞ。
さぁ襲撃しよう。
「ラッツェ」
「魔王様、おはようございます。どうかしたのですか?」
教皇の部屋で座って待っていると、程なくラッツェさんがやってきた。ラッツェさんは部屋の中でまだのんきに眠っている教皇をちらちら見ている。
「あぁ、ラッツェがここにいるかなと思ってここで待っていたんだ。教皇は関係がないから、一度魔王城に行くよ」
私はラッツェさんの手を掴んで魔王城の会議室まで転移した。
「ラッツェ。単刀直入に言うけど昨日勇者が現れて、現在こっちに向かっている」
「私は何をすればよろしいのですか?」
この人は話が早くて助かる。
「その説明の前に、今回の勇者の周りには大聖堂にあったのと同じような結界が現れている」
顔は相変わらず微笑んでいるけれど、ラッツェさんの魔力が一瞬大きく乱れて、すぐに整ったのがわかった。
「魔王様の核ですか……」
「誰のかはわからないけれど、その可能性は高い。確認したいけれど、私はあの結界のせいで近寄れないし、今回の勇者は聖剣の射程を伸ばせる能力を持っている。近づくのはかなり危険だ」
「つまり聖剣の届かない遠距離から、魔法を撃てばよろしいのですか」
「その通りだ。頼めるか?」
ラッツェさんが立ち上がった。
「では行きましょう」
もともとその予定だったけれど、ラッツェさんの行動の早さに驚いた。
あの勇者の持っているものがラッツェさんの魔王様の核だと良いなと思いながら、私はラッツェさんの手を掴んで転移した。
念のため一度上空に飛んで勇者を探す。昨日会った川のすぐ近くから、あの呪いの気配をすぐに見つけた。
「ラッツェ。あそこだ」
聖剣が飛んできたらすぐに転移できるようにラッツェさんの手は掴んだまま、顔をしかめて勇者の居る方向を指し示す。
勇者も私たちに気づいたらしく立ち止まってまっすぐこちらを向いた。そんな勇者をラッツェさんは静かに見つめてから、私を振り返った。
「魔王様。恐らく無駄だと思いますので全力で撃ちます」
無駄? どういう意味だと聞きたかったけれど、ラッツェさんがそのまま詠唱を開始した。
ラッツェさんの歌うような声と共に、私の体の魔力が引っ張り上げられる。そして、ラッツェさんに取り上げられた魔力を補充するように自分の体が勝手に周囲の魔力を大きく動かしているのがわかった。
ラッツェさんの体の前にできあがったのは2メートルほどの巨大な雷玉。ラッツェさんが魔力で、それをそっと押した瞬間、遠く離れた勇者のもとで巨大な積乱雲のような土煙が上がった。
だけど、消えることはない勇者の気配。
「やはり駄目ですね」
土煙はまだ晴れていないけれど、ラッツェさんが呟いた。
「帰ろう」
ラッツェさんの手に触れて、急いで私は転移した。
わずか5分ほどで会議室に戻ってきて、二人で椅子に向かい合うように座る。ラッツェさんが少し疲れたように背もたれにもたれながら口を開いた。
「あれは魔王様の核で間違いありません。距離の関係もありますが、ほぼ無効化されてしまった」
魔王たる私には魔法が効きにくいし、少し力を加えれば魔法を吹き飛ばせる。それと似たような力が魔王の核にも残っているのだろう。
「ほぼってことは……少しは効いたかな?」
「無傷ではないとは思いますが、私は日に何度もあれを撃てるわけではありません。先ほど勇者は避ける気配がありませんでしたが、あれは恐らく私の魔法の威力を侮っていただけで、これから先は向こうも警戒するでしょう」
あの勇者には魔法が効かない。私は転移で近づけない。
残る手段は、聖剣をかいくぐっての中・近距離戦。そして、それに最適な人選は――
頭に浮かんだのは金色の天使。
嫌だ。嫌だ。それだけは……嫌だった。
泣きそうな心で、私は顔を上げた。
「ラッツェ。魔法はまったく効かない訳ではないし、少なくとも勇者の体力は削れるだろう。魔法が得意な魔人族を貸してくれ。遠距離からじわじわ削る」
「かしこまりました。我ら魔人族とも関係があることですので、お手伝いさせて頂きます」私はこの人たちが断らないことを知っていて、酷いことを頼んでいる。
「ごめんなさい。核が手に入れば必ず渡す。それに、絶対に勇者の射程外から狙うようにするから……」
「魔王様。我ら魔人族では盾にはなりませんがお気をつけください」
ラッツェさんの優しい目とその言葉に
「うん」
とただ頷いて、「よろしくお願いします」と心を込めて頭を下げた。




