15話 魔王、友の味方をしない
「魔王様ー。アイリスね、生まれてくる妹とたくさん一緒に遊んであげるんだ」
「アイリス。頼りにしているよ」
私の膝の上に寝転びながら、へへーと私を見上げて笑っているアイリスの頭を優しく撫でる。私が名前を付けたアイリスも、今年でもう12歳だ。だけど見た目は、人族で言えば7歳くらいかな。悪魔族は寿命が長い分、成長がゆっくりなのだろう。
ついにイスカが出産だ。ということで邪魔な私は、現在悪魔族の集会所で待機している。
そして――目の前にはどう考えても役に立たない男が一人、おろおろと彷徨っていた。自分より落ち着きのない人を見ると、逆に心が落ち着いてくるものだ。
「レグ。落ち着きなよ」
「わかっている。わかってはいるが……」
「ユーリスもすぐそばで待機してくれているから大丈夫だよ」
ユーリスは聖女として何回か出産に立ち会ったことがあるので、慣れた様子で「僕に任せて」と言ってくれた。私は女性の苦しそうな声を聞くだけでもう無理だ。
「私はイスカとユーリスのことを信じている。レグは信じていないの?」
「……信じている」
そう言ったレグに、集会所に設置してあるオセロ盤を指さす。
「こういうときはオセロがいいんだ。待っている間にオセロをしよう?」
「あぁ」
中盤少し抵抗されたが、レグがつぎにあそこに置けばパーフェクト勝利だ。
レグが石を置いたあと、よしと内心ほくそ笑んでいると、レグが勢いよく立ち上がった。
遠くからかすかな泣き声が聞こえる。
「行こう」
そう言ってレグルストの手を掴んだ。
「レグ。邪魔だからこの線から中にはまだ入っては行けないよ?」
何人かのベテランのお姉様が働いている家の中を二人で真剣に覗いていると、ユーリスが私たちに気がついてこちらにやってきた。
「エーネ。女の子だよ。二人とも元気だ」
その言葉にレグと同時に大きく息を吐いた。
「だから、外で待ってて。そこ入口だから」
「はい」
ユーリスに邪魔だと追い出されてしまって、レグと一緒に外に出る。
「元気な女の子だって」
わくわくしながらそう伝えると、レグは「ああ」と嬉しそうに笑っていた。
しばらく二人で並んで立って待っていると、家の扉が急に開いた。もう中に入っていいのかなと顔をそちらに向けると、白い服を着たイスカが笑顔で立っていた。
「魔王様! 見てください!」
えっ? 見てくださいって――イスカが見せつけるように、こちらに突き出したものを見る。ふわふわの髪の毛に、小さな黒い翼。
「うわぁ、かわいいね。イスカおめでとう」
その言葉にイスカの顔がぱーっと輝いた。
「魔王様。私はこの子を世界で一番強い子にします!」
「いや、それよりも先に色々あるでしょ」
というか、いきなり歩き回っていいのかと、イスカを見ていると隣から声が掛かった。
「イスカ。その、私も抱いていいか?」
「あぁ、レグ。どうぞ」
イスカは笑ってレグにゆっくり赤子を渡す。レグはその赤子を大事に大事に受け取っていたけれど、愛らしいその子はすでに私より強かった。さすが二人の子どもだ。
それにしても可愛いな。ふわふわの白に近い金色の髪――
「あれ、何でこの子金髪なの!?」
「珍しいですよね! レグと同じ色です」
イスカは朗らかに笑っている。えっ?
「そんなことってあるの?」
「魔王様。悪魔族は黒髪が多いけど、黒髪しか生まれないってわけではないわ。ユメニアがそうでしょ?」
家から出てきたミルグレに説明される。確かにユメニアの髪は濃い紫だ。
「問題ないならいいんだ。綺麗な色だね」
「エーネ。すまないがアルフレッド様を呼んできてくれないか。この子に名前を付けてもらいたい」
「おっとそうだ。待っているだろうし呼んでくるよ」
レグにそう言ってから急いでアルフレッドを呼びに行った。
「連れて来たよ」
「早いわねー」
悪魔族の村に初めて来たアルフレッドは、周りを囲む悪魔族なんて見ずに、レグの腕に抱かれた赤子を見ている。
「レグルスト。おめでとう」
「ありがとうございます。アルフレッド様」
「イスカさんもおめでとうございます」
珍しく、だらしがない顔で嬉しそうにしているアルフレッドをわくわくしながら待つが、アルフレッドはレグと「おめでとう」を言い合っていて一向に進まない。
「アルフレッド。名前、名前」
「エーネ様、そうでした。すみません。この子の名前は『リディア』です。子どもが生まれたらずっとこの名前にしようと決めておりました」
アルフレッドのその言葉は、若いころに亡くなってしまったアルフレッドの奥様と何か関係があるのかなと思ってしまうくらい、深い気持ちの入った言葉だった。
どんな由来があるにせよ、私たちはアルフレッドが付けてくれるならそれでいいんだ。だって、この人が適当に決めるなんてことは絶対にないのだから。
「初めましてリディア。ようこそ世界へ」
「リディア……アルフレッド様ありがとうございます。イスカ、ありがとう」
アルフレッドが優しく笑う横で、イスカはレグの言葉に「思ったよりも、簡単に生まれました」とたくましく笑っていた。
「魔王様! さあ、魔王城に帰りましょう!」
イスカがそう言って私の手を握った。その顔をゆっくり見上げる。
「えっ……?」
「イスカ。今日はここでゆっくりした方がいい」
ユーリスのお医者様としての判断に「それもそうだけど」と答えてから、ゆっくりイスカと手を離す。
「イスカ。君はしばらくここで暮らすんだ」
なんで私はそんな当たり前のことを言っているんだろうと思っていると、イスカは驚いていた。
「魔王様。もう生まれました」
「いや、そうなんだけどね。しばらくは一緒に居ようよ」
「この村には悪魔族がたくさんいますし、アイリスが面倒を見てくれると言っていました」
12歳の子どもに、軽々しく発言することの重みを今から教えるなよ。
「イスカ。あと1年くらいしたら魔王城で働いてもいいから、今は一日中リディアと一緒に居てあげるんだ。大切な思い出になるから」
ぶーたれているイスカの目をまっすぐ見ると、「わかりましたよ」とイスカは頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
イスカは一応納得してくれたし、たまに見に行くとリディアのことを楽しそうに世話をしているから問題はないと思っていた。だけど――
「エーネ。少し相談があるのだが、今時間はいいか……?」
レグルストの下に修行に来ていたカケルを悪魔族の村まで迎えに行くと、レグは深刻そうな顔をしている。
「いいよ。どうしたの?」
レグルストはひどく言いにくそうだ。そして、カケルのことを一瞬ちらりと見た。
カケルは外した方がいい話なのかな? そう考えていると後ろから声が掛かった。
「あっ、魔王様聞いてくださいよ。レグがミルグレとマイカのこと嫌いだって言うんですよ」
その言葉に振り返ると、リディアを抱いたイスカがぷんぷん怒っていた。
「イスカ。そうではない」
レグがイスカに、必死に言葉を返している。
「ではなんでダメなんですか?」
「魔王――助けてくれ」
レグの真剣な言葉に「えっ?」とレグの顔を振り返る。
「レグルスト。助けてくれって……どうしたの?」
「私は、ミルグレとマイカに最近迫られている……」
「……は?」
「イスカ。ちょっと来なさい」
イスカを手招きするとイスカが嬉しそうにこちらにやってきた。
「えっと、その、レグは……最近ミルグレとマイカに迫られていると言っているが……」
「はい」
イスカのこの笑顔。イスカは知っているようだ。
「イスカ……いいの? 止めないの?」
「魔王様。どうして止めるんですか?」
どうして……どうして? はて、どうして?
「私はレグとミルグレとマイカはみんな好きです! 私はレグの子どもをもう産んだので、つぎは二人ですね!」
その言葉に頭を押さえてふうと息を吐いてから、レグルストの方を向いた。
「レグ。どうやら、悪魔族には一夫一妻という概念がないらしい」
「魔王。助けてくれ」
レグルストの悲痛なその声は、重かった。
ミルグレとマイカを呼んで、集会所に集まって席に座る。カケルはなぜか真っ先に席に座っていて、退かすことも考えたけれど、カケルももうすぐ成人だし、人族の男性という立場で参加してもらってもいいだろう。
「ミルグレ、マイカ。人族には夫婦という関係があって、一人の男と女が一組なんだ。レグにとってはたくさんの女性の相手をするという概念がない。だから、相手はイスカだけで、二人は迫ってはいけない」
私の言葉にマイカがガンっとテーブルを叩いて立ち上がった。さ、さすが魔樹で作られたテーブルだ。割れていない。
「魔王様、どうしてダメなの? 私たちの父親は確か人族だったけど、たくさん子どもを作っていたわ」
私たち……?
「もしかして、みんな父親同じなの?」
「ええ」「はい」
3人が同時に頷いた。
悪魔族は年齢の近い者同士で仲良しグループのようなものができていて、この3人は確かに同じグループだ。
「母親は?」
「産んだ人は違うわ」
「あのさ……もしかして父親、黒髪だった……?」
3人が考えながら順番に頷いたのを見て、思わず下を向いた。
人族に珍しい黒髪の父親。悪魔族に黒髪が多い理由。そしてなぜか生まれる時代が固まっている悪魔族。
「何?」
カケルをちらりと見てから、目を逸らした。
私たちが元いた世界は関係がないと信じたい。
「えっと、人族の中にも信仰というものがあって、その……君たちのお父さんは恐らく信仰の違う人だったんだ」
カケルの話によると、こちらの世界の方が時間の進みがかなり早い。ということは、仮に悪魔族の父親たちが、私たちと同じ世界から来た男性だったのなら、その人も私たちと同じように一夫一妻が当たり前だった時代の人の可能性が高い――よし、これ以上考えるのはやめよう。
「魔王様。レグはだめなの? 私はレグがいいわ、だって強いもの」
ミルグレがレグを見ながら艶やかにそう言って、レグがさっと目を逸らしていた。
「じゃあ、カケルはいいのかしら?」
マイカのその声にカケルを見る。カケルは「えっ、お、俺!?」と動揺していた。
「魔王様。カケルはいいわよね? シリリヤとアリヤがいいのだもの。私も良いわよね?」
笑顔のマイカの顔をしばらく見つめてから、静かにカケルの方に目線を移すと、カケルはおろおろと私を見ながら慌てて立ち上がっていた。
「カケル……どこに行く」
「お、お花を摘みに」
「私が連れて行ってやろう」
「いいです……通り過ぎました」
そう言いながらカケルは椅子に座った。
「カケル、どういうことだ? シリリヤとアリヤと、その……」
あの正反対の性格に見える仲良しペアを思い出しながら言いよどむと、カケルは静かに頷いた。
「ユメニアのことが好きなのではないのか!?」
「好きだよ! 大好きだ! でも、あんなきれいな二人に迫られて、『今は大丈夫。だからお願い』って言われて俺は断らなくちゃだめだったのか!? 俺は我慢しなくちゃいけないのか!?」
「一人だったらまだしも、同時にだなんて……俺は……」と苦悩しているカケルを見る。
あ、うん、少年も大変だったんだね。その苦労も知らずに、批難してごめんね。
悪魔族はもともと村全体で一家族。だから誰が誰の親で、子だという感覚がかなり薄い。同じように村の中に入ってきた男も『誰の』ではなくみんなのものなのだろう。
ユメニアと本当に付き合うならば、友人としてカケルには真剣に付き合って欲しかったが、ユメニアがこのことを知っても『私が大好きなお姉様たちのことを、カケルも好きなのね』と喜ぶだけなのか。世の中にはいろいろな価値観があるものだ。
「レグ。この村では当たり前のことのようだし、倫理観とか深く考えずに、軽く手伝うつもりでも、いいんじゃないかな」
郷には入れば郷に従えかなと脳内でまとめてレグに提案すると、レグは絶望感の溢れる表情をしていた。
「私には、そのような考えはない……」
「うん。無理にとは言わないし、本当にいやだったら東州に送るよ。イスカと一緒に魔王城に住んでくれてもいい。だけど、レグルストは真面目すぎるんだ。カケルのように、その場のノリでもう少し適当に生きてもいいと思うよ」
「役に立ってんじゃん、俺」と調子に乗る少年に、「伍長。あとで、少し話をしようか」と声をかけると震え上がっていた。
次の話から物語が急転して、最後まで寄り道なしで一直線です。




