13話 魔人の探しもの
「ラッツェ……何をしているの?」
私の問いかけにラッツェさんはもう一度手元を見た。何かを考えるような時間が経ってから、その視線がこちらを向く。
「魔王様はこれが何か、お分かりになりますか?」
ラッツェさんは手に持った小さくて細長いものを指で挟んでこちらに見せてくれるけれど、距離が開きすぎていてよく見えない。
ラッツェさんは動く気はないようだ。気合いを入れて、私はラッツェさんの目の前に転移した。
ラッツェさんが見せてくれていたのは、長さ5センチくらいの黒いガラスの破片のようなものだ。それは何と聞こうとして、自分の体から常時流れ出ている魔力がなぜかこの破片に引っ張られているのがわかった。それと同時に、このかけらがより暗い色に染まっていく。
「色が」
そう声を出してから、視線をかけらからラッツェさんに向けると、ラッツェさんは思い詰めるような目で、色の変わるかけらを見ていた。
「ラッツェ。これは……何?」
「魔王様。これは魔王の核の一部です」
「核?」
「意識することはないと思いますが、あなたも持っているものですよ」
ラッツェさんは静かにそう言ってから、私の首から下に視線を向けた。『核』って――心臓と言う意味だろうか。
魔王の核。魔王の心臓。そのかけらがここ王都の大聖堂の、恐らくラッツェさんが掘っていたらしい地面に埋まっていた。
ラッツェさんのいつもとは違う様子に、心を落ち着かせるために大きく息を吐いてから顔を上げた。
「これが君たちの探しもの?」
「これではありません。これにはほんのわずかな力しか残っていませんでしたが、これは私の探しているものではない」
ラッツェさんはそう言ってから、私の手を掴んで手のひらを上に向ける。その上に、黒いかけらをそっと置いた。
「あなたはお会いしたことがないと思いますが、これは先代魔王のものです。魔王様。これに力を込めて頂けますか。全力で」
ラッツェさんに真剣に頷いてから、いつもは適当に放出する力を黒いかけらの一点に集めるように力を込めた。徐々に黒い光が強まってくる。
いつまで続ければよいのだろうか。まだ力が足りないのか――
そのとき、黒いかけらが内側から弾けた。キラキラと宙に広がって、この世界の魔力と交わるように溶けていく。
「魔王様。お疲れさまでした」
宙を見上げながらラッツェさんが優しくつぶやいた。
ラッツェさんから、これまで得た情報を整理しながら口を開く。
「魔力を整える能力を持つ魔王の核。体から取り外されても魔力をため込むことができるその性質。人族領では貴重な魔力石は、私の魔力に何ら干渉しないような力しか持たないものだけれど、人族領では随分高値で取引されている。では王都の大聖堂なんて場所に埋められていたさっきのあれは、一体いくらする代物なんだろう。そして、君たちが人族領で探しているものは、『先代魔王の』核のかけらではない――」
「ねぇラッツェ。君たちは『誰の』核を探しているの?」
ラッツェさんは困ったような顔で私を見下ろしていた。
「魔王様。ラウリィには秘密にして頂けますか」
ラウリィのお兄さんに、私は「約束しよう」と頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王都の大聖堂でする話ではないと言われて、大聖堂の床は元に戻して私たちは、場所を替えた。
「ここに来るのはずいぶん久しぶりです。まったく変わっていませんね」
ラッツェさんに頼まれて転移してきた精霊の森で、ラッツェさんは目を細めて周囲の緑を見渡していた。
「ここでいいの?」
「えぇ。彼らに聞かれても問題はありませんし、ここには彼らしかいないことはわかっています」
そのときラッツェさんが後ろを大きく振り返った。その視線の先を追いかけると、色とりどりの精霊が波のようにこちらにやってくるのが見えた。
「お久しぶりです。族長」
「大きくなりましたねぇ」
白く輝く精霊族の族長に挨拶をしてから、ラッツェさんは精霊たちに歓迎されるかのように取り囲まれていた。
「昔からの知り合いなの?」
「えぇ。私とラウリィが幼い頃、腕試しだとこの森の結界を破ったことがあります。そのときにお世話になりました」
ラッツェさんでもやんちゃな頃があったようだ。
「精霊族の方々には非常に迷惑をかけたはずなのに、なぜか大歓迎されて魔法の手ほどきまで受けましたよ」
ラッツェさんはそう言ってから、座りやすそうな木の根に腰掛けた。
「魔王様もこちらへどうぞ」
その言葉に私も隣に座る。
「古き古き時代――私たち魔人族と人族は一つの種族だった」
突然昔話を始めたラッツェさんに驚いたけれど、私は邪魔をしないように聞いた。
「力の強きものたちに戯れに殺される力のない我ら。そんな我らの中から、それを厭うて遠い遠い地に逃げ出すものが現れた。魔族領から逃げ出したものたちが人族、比較的魔力が多く、魔族領に残り魔王様に変わらぬ忠誠を誓い続けたものが魔人族です。
かつての魔人族の族長たちは、魔王様のお力などを理解せず魔王様に敵対しようとする、かつての同胞たちを許しはしなかった。自分たちの手で、そして魔王様のお力を借りてまで彼らを滅ぼそうとした。
魔王様の力の恩恵を受けることのできない遠い地に逃げ出した人族と、私たち魔人族との間の力は、開くばかりだった。人族――わずか100年ほどしか生きることができなくなった愚かな種族。けれども、私たちは結局彼らを滅ぼすことができなかった。それどころか、世界を見渡せば人族は世界の半分の領地を占めるようになっていた。
魔族を滅ぼす。人族の指すその滅ぼさねばならない『魔族』は、かつては私たち魔人族のことだった。けれども、たった100年しか生きることのできない彼らは、いつの間にかすっかりそのことを忘れてしまった。数だけを増やして、魔族すべてを滅ぼさんと、魔族領に攻めて来るようになった。
今から600年ほど前の魔人族の族長は、人族にかつてのことを思い出してもらおうとした。当時の魔王様に協力して頂き、人族の王――かつての『弟』の子孫と協力して世界の認識を少しずつ変えていこうとした。
お優しい魔王様。そして人格者のように見えた人族の王の手によって、世界は変わっていくはずだった。けれども、突然魔王城に侵攻していきた勇者の手によって、魔王様と魔人族の族長は殺されてしまった。
次代の魔人族の族長が、その真相を知るために王都に行ったときには人族の王はすでに死んでいた。魔王様に協力していたように見えた人族の王が魔王様を裏切ったのか、それとも別の何者かがいたのか――たった50年しか生きなかった王のせいで、私にはその真相がわかりませんでした」
遠くを見つめていたラッツェさんがこちらを向いた。
「ラッツェが今、探しているのはその魔王様の核?」
「えぇ、そうです。私の両親の友人で、私たち魔人族が心から忠誠を誓っていた先々代魔王ザイベイン様――私はあの方の胸にぽっかり空けられた穴の中のものを、愚か者の人族から取り返さなければならない」
ラッツェさんの体から流れ出る悲しい魔力。それが私に触れたとたん、自動的に綺麗に整えられ、世界に還されていくのがわかった。
「ラウリィは、そのことは知らないの?」
「はい。魔王様と両親の遺体は、先に到着した私が燃やしましたので」
ラウリィがラッツェさんに過度につっかかるような態度を取るのは、ラッツェさんに隠し事があるからだ。そして、ラッツェさんがラウリィにそのことを隠していること――それはきっと両親のこともあるけれど、彼らの愛した魔王様の最期のことをラウリィに言いたくはないのだろう。
600年経った今でもラウリィに隠し続けているということ。そして、魔人族がその奪われた核を未だに探し続けていること――先々代の魔王が、魔人族にとってどれほど大切な人だったのかが伝わってくる。
「魔王が人族から命を狙われるのは、核が欲しいからだね?」
やっとわかったと呟きながらラッツェさんを見ると、ラッツェさんは考え込んでいた。
「魔王様。今日見つけたあれは、確かに先代魔王様の核です。けれども先代の魔王様は、お優しい我らの魔王様とは違い非常にお強い人だった。勇者と一騎打ちした先代魔王様の最期を知っているものはいませんが、私は今日まで、あの大聖堂のどこかに埋まっていると微かに感じられる魔王の核は、我らの魔王様のものだと信じていた」
「強い先代魔王の核まで、奪い取られているとは思っていなかった?」
「そうです」
まぁ確かに、強い強いと言われている先代魔王を殺して奪い取るほどのものなら、それ以上のメリットを生み出すものでなくてはならない。弱い私だったら分かるけれど、それほどまでに欲しいものなのだろうか。
「とにかく私が命を狙われる理由は、今日いろいろ分かったよ。教えてくれてありがとう。それで――」
本題であるラッツェさんの探し物について聞こうとしたら、ラッツェさんに急に腕を強く握られた。
「魔王様、あなたは弱い。私はもうラウリィにあんな顔はさせたくはない。お気をつけください」
「……うん」
私がお腹を刺されたときのラウリィの顔。ラウリィたちにあんな顔をさせないためにも、私は油断して死んではいけない。心の中の不安を誤魔化すように、私は微笑んだ。
「それで、ラッツェ。あなたたちはその先々代魔王の核を探しているんだよね? これまでいくつか今日みたいなかけらは見つけたの?」
私の言葉にラッツェさんは静かに首を振った。
「何か見つかれば手がかりになるとは思うのですが、まったく見つかっておりません」
「そもそも見つかるような場所にはもうないってこともあり得るのかな?」
「海に沈んでいるのであれば、それでもいいのですが――私はあの方にただ静かに眠っていただきたい」
人の手が届くような場所にないことを証明するためには、世界中を探さなくてはならない。
ささやかな願いに、なんて残酷な仕打ちだろうか。
「ラッツェ。見つからない探し物は、これまで探していないところを探すといい。そんな探し物をするのにぴったりな人がここにいる。座標を教えてくれればどんなところにでも跳べるから、紙にでもまとめておいてくれ」
頑張ってウインクした私に、ラッツェさんは苦笑していた。
「魔王様。人族領を探し始めたのはわずか200年ほどです。探していない場所の方が多いですよ」
「うむ、そうか。でも時間はあるし、私が殺されないように焦らずゆっくりやろう」
少し焦ってしまったのが恥ずかしくなってそう言うと、ラッツェさんは木から立ち上がって、私の前で片膝を突いて頭を下げた。
「魔王様に変わらぬ忠誠を」
この『魔王様』は私のことではなくてたぶん彼らの魔王様で――うん、では私は何て返せばいいのだろうかとおろおろしていると、顔を上げたラッツェさんにいつもと同じ笑顔で微笑まれた。




