10話 待っていたもの
(9話から続きです)
「今日から貴様は『魔王軍雑兵』だ!」
魔樹コノーキナンノキの上で、私がやけくそ気味でそう叫ぶと、カケルのジョブが『魔王軍雑兵』に変わった。
あっ、ほんとに変わった。
呆然とその文字を見つめてから、再び地面に手を打ち付けた。
「くそう!」
私の横でカケルは「はは」と、場を誤魔化すように笑っていた。
地面に膝を突いてひとしきり嘆いてから、ゆっくり顔を上げる。
「カケル、言わなかった私が悪いんだけど、私たちの言葉には力があるようなんだ」
私が疲れた気分でそう呟くと、カケルが「俺は勇者だ!」と叫んだ。
『魔王軍雑兵』――変わらない文字を二人で見つめる。
「だめだー」「だめだな」
沈んだ気分でこれからのことを考えていると
「もしかして、この木の名前はエーネが付けたのか?」
カケルの声が聞こえて顔を上げる。木の幹に視点を合わせると『名前: 魔樹コノーキナンノキ』という特大文字が現れた。
「そうだよ」
私の言葉にカケルは馬鹿にするような顔でこちらを見た。
「何だ、文句あるのか!?」
「いや、すごいネーミングセンスだと思って」
「心の中でそう呼んでいたら、いつの間にか変わっていたんだから仕方ないだろう!」
カケルにそう食いついてから、カケルの服を掴んでいた自分に気づいて手を離した。カケルに今更、八つ当たりのようなことをしても仕方ない。
カケルから一歩後ろに下がった。
もういい。深呼吸してから、夕日を見つめる。今日の夕日はやけに心にしみるような色だ。
私は、夕日に向かってゆっくり口を開いた。
「このー木なんの木、気になる木ー!」
やけくそな私の歌声にカケルの声が続く。
「名前も知らない木ですからー!」
二人のへたくそな歌声が、風に乗っては消えていく。
「はなーが、咲くでしょうー」「はなーがさくでしょうー!」
今日も、いい風だ。
「帰るか」
「そうだな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ただいま……」
「お帰りなさいですにゃ」
人族語でそう言ったメルメルの顔をしばらく見つめてから、カケルを振り返る。なぜかカケルは、どや顔だった。
「よくやった。来月の昇進結果に期待するといい」
「ありがとうございます、魔王様!」
雑兵の次は何だろうと思いながら、居間の扉を開くと、中で休んでいたらしいユーリスが顔を上げた。
「エーネ?」
「ユーリスただいま」
少しこちらを睨むユーリスを見て、またカケルに一人で会いに行ってしまったことに気がついた。でも、もうその心配も意味がなくなった。
「ユーリス。もう気にしなくて大丈夫だ。カケルは勇者ではなくなったよ……」
「勇者ではなくなった?」
「うん。俺、勇者クビになった。今の立場は魔王軍雑兵です!」
さっきからカケルはノリノリだ。この少年も動揺しているのだろう。
「聖剣も使えない?」
ユーリスのその言葉にカケルのスキル欄を見る。
聖剣スキルはなくなっているけれど、聖耐性スキルとカケル固有の逆境スキルはそのままだ。聖耐性スキルは、レグルストも持っていたから勇者固有だと思うのだけれど、どうしてカケルの聖耐性スキルはそのままなのだろうか。
「聖剣は、もう使えねー」
そう言って下を向いたカケルはさすがに少し凹んでいるように見える。だけど、カケルはすぐに顔を上げた。
「でもこのまま頑張るぜ。これからもよろしくな!」
明るく笑う黒髪の少年を驚いて見つめる。
もう私にこの少年の面倒を見る利点はないのだけれど――仕方ない。拾ってしまったのだから仕方ない。
「まずは仕事だな。考えておくよ雑兵君」
私がそう言うと、カケルは「うげー」と顔をしかめていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
久しぶりにゆっくりと食事をしたあと、そう言えばさっき魔樹の上で暴走中に、少し気になったことをカケルに聞いてみた。
「ねぇカケル。さっき歌っていて思ったのだけれど、どうしてあの歌を知っているの? カケルにとっては結構古いものだよね?」
私たちは25歳以上年が離れている。あのコマーシャルは、私が幼いころからやっていたけれど、そこから20年たった今でも続いているのだろうか。
「ん? 俺がちっさい頃からやってたぜ? でも、そーか。俺とエーネは――27歳くらい年が離れているからそう言えばそうだな。エーネが小さいころって、こうガチャガチャつまみをひねって、テレビのチャンネル変えてた時代だろ?」
今度は私がカケルの言葉に頭をひねる。幼い頃の記憶ははっきりとはしていないけれど、テレビはリモコンのあるブラウン管式だったと思う。
「いや、小さい頃は分厚いテレビだったけれど、リモコンはちゃんとあったよ。でも、そう言えば20年経ってもテレビは続いているの? 私の時代は……あれ何て名前だったかな? あーその、離れた場所を繋ぐ機械が発展してきて、もうテレビは廃れてきていた印象があったよ。私は確かテレビも持っていなかったし」
テレビと言う名前は思い出せるけれど、部屋にあったあの黒い機械といつもカバンに入れていた平たい小さな機械の名前が思い出せない。私にとってはそちらの方がよく使っていたものなのだろう。
あれ、何て名前だったかなと頑張って思い出していると、カケルが疑問に思うような顔でこちらを見ていた。
「エーネって何年生まれ?」
「ごめん。それは覚えていないんだ」
歳を隠している訳ではなく、これは本当に思い出せない。
「じゃあ、落ちる前に何があったか覚えてる? どんなことでもいいから」
カケルの言葉に落ちる直前のことを必死に思い出す。
「にんじんが3本で確か128円だった」
「何でそんなこと覚えているんだよ! にんじんの値段とか知るかよ。他になんかないの?」
他に、他に……
うーん、時系列がちぐはぐだから深く考えようとすると頭がクラクラする。できればニュースになるようなことだ。
「あっ、そういえば。もうすぐオリンピックが開かれるって盛り上がっていたな」
「オリンピック? 日本でだよな」
「えっ、たぶん。会場がどこだったかは、思い出せない」
会場、会場。必死に頭をひねっていると、別のことを思い出した。
「あぁそう言えば、揉めていたよ。エンブレムを何にするかで」
ニュースを見ながら「あぁこの人たち大変だなと、他人事のように思っていた。実際他人事だったし」。これでいつのことか分かるかなとカケルを見ると、カケルは首をひねっていた。
「新幹線は通ってた?」
「あ、うん。もちろんだよ。私は移動物としては飛行機の方が好きだったけれど」
鉄道に、飛行機に、あとあの地面を走る乗り物は何だったかな……? あー、『車』だ。カケルと話していると結構思いだすものが多い。
深刻そうな顔をしたカケルがこちらを見つめていた。
「エーネ。俺と生まれた時代あんま変わらないと思う」
「変わらない?」
カケルがこくりと頷いた。
「俺がここに来たのは2017年の3月。東京オリンピックのエンブレムで揉めていたのがいつだったかは忘れたけど、1年前かそこらのことだったと思う」
「20年前にここに来た私がそれを知っていると言うことは、時間の流れ方がこの世界とあっちでは違うのかな?」
カケルは「そ、そういうことになるのか」と驚いた顔をしていた。
「ふーん、じゃあ可能性としてあるのは、こっちの世界の方が流れる時間が常に早いのか、もしくは時間の流れ方に乱れがあるかかな。戻ることを考えると、こっちの世界の方が今のところは時間の流れが早くて良かったね。カケルが頑張って向こうに帰っても、向こうの人たちがもう全員死んでました、とかなっていると悲しいからさ」
動揺しているカケルを落ち着かせるために、大きく頷いた。
そうか、カケルは私とほぼ同じ時代から来たのか。だったら、カケルは知っているかもしれない。
「ねぇ、カケル。知っていたら教えて欲しいんだけど、机の引き出しから出てくる青いものって何か分かるかな?」
カケルは「は?」と意味が分からないように口を開けている。カケルは知らないのかな。
「えっと、私の能力はその青いものと関係のあるピンクの扉から取ったんだけど、名前が思い出せなくて」
「そんなもの日本人だったら分かるに決まってるだろう。それは――」
カケルが教えてくれたその青いものの名前。
その名前を聞いた瞬間、記憶が頭の奥深くから溢れてきて――突然防火扉が下りたように、それが止められるのがわかった。
「うぅ……」
記憶の奔流に、頭を抱えて床にしゃがみ込む。
もうそれ以上のことは思い出すことはできない。
でも……色々分かった。
あの小さい女の子が机の上で何を待っていて、どうしてそれを待っていたのかその理由がわかった。
私は――私は小さいころ、誰かに手を繋いでもらいたかった。
私の隣に座って、手を繋いで振り返って、私に笑いかけて欲しかった。
もう誰でもよかった。何だってよかったんだ。
宿題をしろなんて言わせない。迷惑はかけないから私のところに来て欲しかった。
当たり前のはずのことは諦めて、神にすがるような気持ちで私は待っていた。
ずっとずっと、待っていた。
「エーネ!」
いつの間にかユーリスが私のすぐ側にしゃがんで、私の手を掴んで心配そうな顔でのぞき込んでいる。
幼いころの面影が残るその顔を見てわかった。
そうか――だから私は、私に伸ばされるその小さな手をどうしても離したくはなかったのか。
不憫な境遇に、手を差し伸べているつもりだった。でも、思い出してみれば先にこの子に手を伸ばしたのは私の方だ。この子だったら拒まないとでも、無意識のうちに考えていたのだろうか。
何て身勝手な理由だろう。
私は、やはりこの子にはふさわしくはない。
これまで悩んで、何度も考えてそう言う結論には至っていたけれど、今、はっきりとわかった。
「ユーリス……」
左目から少しあふれてしまっていた涙を拭きながら、何か説明をしなくてはと必死に考えていたけれど、頭の中には酷い言葉しか浮かんでこなかった。
だから私は、私の手を掴むユーリスの手を振り払って、その場から逃げた。




