幕間 魔王、暗躍す
(カケルが猫人族の村で遊んでいる間の魔王様のお話です)
「こんばんは。ウェルス卿」
私がそう呼びかけると、机の上で書きものをしていた東州領主は顔を上げて少し困ったような顔をした。
「エーネ様。私のことは以前と同じようにミンチェルとお呼びください。アルフレッド様の前でそう言われるのは、慣れません」
王城へ殴り込みに行ったあの事件のあと、レグルストと同じように東州領主もその座を譲ってしまった。今は予定通り、前領主アルフレッド・ウェルス卿の養子だったミンチェルが東州領主になっている。まぁでもアルフレッドは隠居せずに、領主の館で引き続きびしばしとミンチェルを鍛えているから、傍から見ると判子を押す人が変わっただけだ。
「いい加減慣れないと、ねぇアルフレッド? 君もせっかく引退したんだから、少しくらい休んだら」
ミンチェルの横で書類の確認をしていた前領主アルフレッドが、こちらを見てとぼけたような顔をした。
「相変わらず仕事好きだなぁ」
「エーネ様もでしょう?」
「えっ、私? そんなことはないよ……?」
そう答えてから今日ここに来た用件を思い出して、頭を掻いた。というかここ数日魔王城には寝に帰るだけだし、カケルのことも放りっぱなしになってしまっている。
「レグの子どもが生まれたら、アルフレッドはしばらく魔族領でゆっくりするんだ。じゃないと君はずっとここに籠もっていそうだしね。ミンチェルもそのつもりで教えてもらうといいじゃないかな」
「エーネ様。予定では4ヶ月後くらいで間違いありませんね?」
そう言うアルフレッドの顔は『祖父』だ。
「魔族だから何ヶ月で生まれるのかいまいちよく分からないんだけど、前回の経験を踏まえるとそのくらいだと思う。アルフレッド。それまでに二人の娘の名前、ちゃんと考えておくんだよ?」
「もう考えました」
アルフレッドがどこぞの誰かさんのようなことを言って笑っている。
悪魔族は命名権にこだわりはないらしく、また私に付けてもらおうとしていたので、アルフレッドに投げつけた。レグルストも喜んでいたし、この人もどう見ても喜んでいる。
「それで、エーネ様。本日のご用件はそれですか? 新しいお酒のご用意は、申し訳ございませんがまだでございます」
「あっ、いや違う。今日はね……」
そこまで言って私の言葉を待っている、アルフレッドを見つめる。
「もう休めと言っておいて何だけど――アルフレッド。君、王様やるつもりはない?」
私の言葉にアルフレッドが珍しく固まっている。
「あの……どう言った意味でしょうか?」
「あぁ、魔族の王ではないよ、人族の王だ。ちょっとつい最近、人族の王族と喧嘩をしてしまって、現在2人の王族は魔族領に追放しているんだ。だから、今、王都に王が不在なんだよ」
アルフレッドが額を押さえている。
「エーネ様。もう少し詳しく教えて頂いてよろしいですか……?」
「勇者召還ですか……」
「うん。レグルストが勇者でなくなったことは隠していてごめんね。その召還された新しい勇者は今、私のところにいるんだけど、この子は馬――純粋な子だから大丈夫だと思う」
「それで、王と王女はどのようなご様子で……?」
あの王に利用価値は見出していても、忠誠を持つ人なんていないと思っていた。だけど、アルフレッドは不安げな様子だ。
「アルフレッド。私はあの王たちが魔獣に殺されないように護衛をしている。本人たちに生きる気力があれば、帰ってこられるようにそういう処置にした。だけど、彼らが生きて帰ることは期待しない方がいい。彼らは死ぬよ」
その場から一歩も動こうとしない二人の王族。まるで誰かが自分たちを助けに来てくれるのが、当たり前だと考えている彼ら。
あのとき、ためらったりなんかせずに殺してあげた方が良かったのだろうか。
そんなことを考えている私は、何様のつもりなのだろう。
「アルフレッド。ここ数日王城を見張っていたけれど、王がいなくてもあの城はなんの問題もなく動いている。表向きはそう見えるよ。だけど、これから先、王族がいなくなったことを王城が公表するのかはわからないだろうけれど、裏は荒れるだろう。君は誰が動き始めると思う?」
アルフレッドは静かに考え込んでいる。
「西州か、南州かと……」
「州の力関係を見れば、まぁそうだろうね。君がそのつもりなら、私は君を後押ししようと思うんだけれど、どうかな?」
「エーネ様、私は東州領主です。貧乏州の経営は誰より慣れていても、国の経営はできません」
アルフレッドはそう言って困ったような顔で笑った。
「うーん、そのくらいどうにかなると思うけどな。でも東州はまだまだやることがたくさんあるし、無理には言わないよ」
私はそう言ってから、立ち上がった。
この世界のことを真面目に考えてくれている二人の領主の顔を順番に見る。
「ウェルス卿。私が知っている世界では、王様は血筋ではなく投票で決めるんだ。この世界もどのくらい先かはわからないけれど、いずれそうなるだろう。そして、今は貴族が担っている文官――その仕事は貴族とか庶民とか関係なく、試験で選ばれていた。
これからどう言った方法にするかはまだ考えているところだけれど、私はこの世界の文官からゆっくり変えていこうと思う。多くの権利を無償で得ている貴族には悪いけれど、私はもう少し皆が楽に暮らせるようになって欲しいんだ」
「人族が豊かになれば、魔族を襲う理由がなくなるから――ですか?」
静かに私を見つめるアルフレッドの言葉に、私は大きく頷いた。
「あぁ、そうだよ。もちろんそう言う理由だとも。でも、そんなに急には変えないよ? 私には時間がたくさんあるからね」
「えぇ。ありがとうございます」
アルフレッドが王を殺した私に対して笑ってくれて、少しほっとした。
「じゃあ、またね。アルフレッド、ミンチェル」
「はい。またいつでもお越しください」
二人に手を振って、私はその場から転移した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「どうだ?」
「昨日と変わらずです」
森に転移して、すぐに現れた二人の魔人族に確認をする。昨日と変わらずか……
「今から、会いに行く」
「お供いたします」
小さな川があって、食べられる木の実が近くに生っている広場のような場所。私が放置した、そんなひとまずは生きていける地に、木の実を採り尽くしたあとも二人の王族は留まっていた。木の実がなくなって、2日ほど。そろそろ限界だろう。
王が倒れている横で、木に寄り添うように膝を抱えている王女が見える。なぜ横にならないのだろう。王女は気が張っているのか、近づいた私の足音に顔を上げた。
「光を」
私の声で、私の横に灯籠のような優しい光が現れる。これで王女にも私の姿が見えるだろう。
王女は、私のことを憎悪のこもった目で睨んでいる。
「なぜ、動かない。人族領の位置なら、この森を出れば中央山脈が見えるから分かるだろう」
王女は私を睨んだまま、何も答えない。乱れた髪に汚れた服。王女はもうしゃべる気力もないのかもしれない。
傀儡とは言え、私たちを目の敵にする人族の王族が邪魔だった。私たち魔族のことを少しでも考えてくれる王なら、殺さなくてもいいんじゃないかと――ラッツェさんをけん制する意味もあったけど、私はそう判断してこの二人を魔族領に送った。だけど……
「王女。私が間違っていたのかもしれない」
そう言ってから、王女に近づいた。王女はMPが一般人より少し多いくらいで、強くはない。弱い私でも何とかなるだろう。
「すまない。せめて私が手を下そう」
私にも気を失うリスクがあるけれど、高高度に転移すれば落ちる間に意識を失うだろう。私がナイフで刺すよりもよっぽど痛くはない。
ゆっくりと私が手を伸ばしたとき、王女が私の手を、勢いよく手の甲ではじいた。
「触るな! 無礼者!」
王女はどこにそんな元気があったんだと言いたくなるくらいこちらを睨んでいる。
「魔族を根絶やしにするまでは死なない! そのためだったら――」
王女はそこまで言って、意識を失って横に倒れた。
「こう言っておりますがいかがなさいますか? 殺しますか?」
淡々と流ちょうな人族語で話しかけてくる魔人族に、私も人族語で答える。
「いや、いい。ちょうど良いことを思いついた」
『魔族を根絶やし』か。
必死に生きようとしている少女相手に、こんなことを考えてしまう私はクズだなと思いながら、私はそうさせないための仕込みを行うために、深い森へと転移した。
「エイグ。ちょっといいかな」
「こんな遅くにどうかしたのですか魔王様」
ふわふわと私のところまで飛んできた精霊族族長に話しかける。
「MP吸収スキルを持っている精霊族に、少し手伝って欲しいことがあるんだ」
私は、卑怯者の魔王らしく笑った。




