最終話 世界の決まり(3)
結局、人族の王は呆けたように地面に座り込んで、一向に立ち上がろうとしない。そのまま始めてしまっても別にいいのだが、やりにくいので、魔王城から椅子を持ってきて、「座らせてやれ」とアーガルのに命令して、王を椅子に座らせた。
一人だけ座っている、私たちから目を逸らすように下を向いている人族の王を冷ややかに眺める。王冠の土台としては最適なのかもしれないが、人族たちはこの王で本当にいいのだろうか? まぁ、今回の私たちにとっては好都合だからいいだろう。
「では、族長の皆さん。今回は『この世界の平和』について語り合おうと思う。
われわれはそれぞれ能力が異なる上に、考え方も違う。そういった、まったく別の存在のものたちが、隣り合って生活するためには、やはり何らかの『決まり』を作っておくべきだと思うんだ。
そこで、この機会だから、それぞれがどういうことをお互いに求めているか、一度話し合ってみないか?」
「お互いに求めることですか?」
イスカの問いに頷く。
「あぁ、例えば、犬人族の族長に確認したいのだが、悪魔族はやはり、怖いだろう?」
犬人族の族長が耳を伏せて、イスカと私を、凄い勢いで交互に見ている。
「は、はい。少し」
しばらくしてから、やっと口を開いた。
「そうだろう。犬人族だけではなく、力に自信のない種族は悪魔族のことが多かれ少なかれ怖いはずだ」
一斉に頷きはじめた周囲の族長たちの顔を、イスカは「え?」、「え?」と理由がわからないようで、戸惑いながら順に見ていた。
「こういった種族が悪魔族に求めるのは、『自分たちを傷つけないで欲しい』と言ったところだと思うけれど、他に何かあるかな?」
兎人族の族長が恐る恐る手を挙げたので、「どうぞ」と指定する。
「その、できれば、なのですが……強い魔獣に襲われているときは助けて欲しいです」
「私が見かければ、そのくらいのことはもちろんします!」
イスカが少し憤慨するようにそう言ったのを見て、兎人族の族長は、片耳を少し下げて嬉しそうな顔をした。
「では、強い種族。悪魔族や鬼人族、竜人族と言ったものは、何か他の種族に求めることはあるかな?」
魔族領で暮らすのに何ら苦労しない強い種族からは、お酒が欲しい。強い者と戦いたい。村の周りをうろうろしないで欲しい。私たちを探そうとしないで欲しいといった、バラバラの意見が出て来た。
この世界の法律なんてものを決められるとは思っていないが、ここまでそれぞれの望みがバラバラだと、世界のルールなんてものを決めることなどできるのだろうか。
「他に何かあったら、どんどん挙げてくれ」
私は書記に徹して、族長同士が相談しながら出してくれる意見をまとめていく。
戦いたい・戦いたくない。構ってほしい・放っておいてほしいなど、種族ごとに真逆の意見が出てくることも多い。
立って机を囲む、族長さんたちの顔を順に見る。
「こんな風に、私たちがそれぞれに望んでいることはまったく違う。仲良く暮らすためには、相手が自分と違うという前提で考えなければならないと思うんだ。
各種族間の決まり事としては、『相手の話を聞く』、『他人が嫌がることは止める』とかそんな感じになるのかな。他に意見があれば教えてくれ」
「魔王様。『他人の嫌がることをしない』ではなく、『他人が楽しくなるようなことをする』の方がよくはありませんか?」
精霊族の族長さんがのほほんとそんなことを言った。イスカが、「そうですよ! そちらの方が面白いですし!」と賛成している。
他の族長さんも交えて、わいわい騒ぎながら、少しずつ修正していく。
「じゃあ、私たちの世界の決まりはこんな感じでいいかな?」
魔族語、人族語の両方で書いた紙を、皆に見えるよう机の上に大きく広げる。
『魔族・人族問わず、互いが楽しく暮らせるように協力する』
破ったときの罰則もなければ、改訂や破棄のためのルールもない。口約束のような、そのたった一つの決まり。
だけど、細かいルールがあったとして、魔族がそんなの気にするわけがないし、覚えられるはずもないのだ。まずは、頭の片隅に残るこの程度の決まりから始めよう。問題があればまた集まって変えればいい。
「魔王様。ここの『魔族・人族問わず』ってのはいるんですか?」
アーガルが指摘したのは、私が最後に付け足した文字だ。
「あぁ、うん。それがないと屁理屈をこねられる可能性があるから、入れておいた方がいいと思う」
人族に「この『互いが』の文字の中に魔族が含まれているなど、考えてもみなかった」などと言われる可能性は十分にある。他にもこの決まりに穴はあるだろうけれど、その穴を突くのは私か人族か魔人族ぐらいだろう。
「じゃあ、皆のもの、この世界の決まりはこれでいいかな? 反論があれば言ってくれ」
反論が上がらないのを確認してから――今まで、この会話をすべて魔族語で行っていたことに気づいた。せ、せっかくここにいる半分近くの族長は人族語が話せるのに、すっかり忘れていた。
人族の王の顔をちらりと見るが、王はつまらなさそうに下を向いたままだ。
「人族の王よ。世界の決まりはこれで良いかな?」
「よい」
王が見もしないでそう答えたのを、何だかなぁと思いつつ、周囲に待機している人族たちにも聞こえるように声を張り上げる。
「本日この場所で各種族の長が集まって決めた『この世界の決まり』は、後日、紙に清書したものを、私、魔王エーネがお届けする。各種族の長はそれを自分たちの種族に広めてほしい!」
魔族領は族長に一枚ずつでいいとして、人族領は少なくとも各州に一枚ずつは配ろう。
「では、これにて、第一回種族会議は閉会する!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
会議に使用していたテーブルを魔王城に戻しに行ったあと、椅子を返して欲しくて、そこに座っている人族の王を見る。この王を先に、玉座に戻せばよいのだろうか?
「すまない。人族の王はどこにお返しすればいい?」
近くにいる人族たちに向けて聞いてみるが、誰もが私から目を逸らして、答えようとしない。
どうせ、私たちがいなくなれば、王は自分の部屋に帰るのだろう。だったら、わざわざ専用の道具で登り降りさせる手間を省くために、私が今から部屋に送ってやるか。
「では、直接王を王の部屋に送るが、問題はないか?」
当然のごとく誰からも返事はないので、近くにいたイスカを連れて、王の部屋まで転移した。
さっきと同じように、王がどさっと地面に座り込む。
歴史学者の情報だけで跳んで来てみたが、やけに悪趣味な装飾品の多い、広い豪奢な部屋だ。おそらくここで間違いないだろう。
それにしても、この王は最後まで私の目を見ようともしなかったし、まるでそれ以外の言葉を知らないかのように「よし」としか言わなかった。
人は、何度も何度も、己の行動を否定されると、人に求められる行動しかとらなくなる。
「人族の王ジーリィードよ。またな」
王の前にしゃがんで、まっすぐ王の目をのぞき込んでそう言ってから、私は謁見の間に戻った。
空になった玉座を、もう一度見上げる。
ローブを翻して後ろで待っている、皆の方を振り返り、
「では、帰るか」
私たちは魔族領に戻った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「エーネ、お帰り……!」
「エーネ様。お帰りなさいませ」
「ただいま。ユーリス、パメラ」
二人は笑顔で、帰ってきた私たちを歓迎してくれた。
思えば、行きのときは『今日、自分は死ぬかもしれない』といつものように考えていたのに、終わってみて思い返すのは『人族のみなさん、ごめんなさい』だ。
彼らの心の傷が、深くないことを祈ろう。
「魔王様」
呼ばれて振り返ると、ラウリィのお兄さんのラッツェさんがいた。
魔人族の族長は、本来はこのラッツェさんだ。だけど、今回の種族会議では人族に思いっきり顔バレしてしまうため、隠密スキルなんてものを所持してまで、身を隠しているラッツェさんは、それを嫌がってあっさりとラウリィに族長の座を渡してしまった。それを返して欲しいのだろう。
「あ、ラウリィ!」
城に戻ってきて、さっそく働き始めようとしていたラウリィに声を掛ける。ラウリィはこちらにやってきて、私の横に立つ自らの兄を冷たい目で一瞥したあと、私の方を向いてにっこりと微笑んだ。
皆、聞いてくれ! あのラウリィが微笑んだのだ!
ラウリィの微笑に戸惑っていると、ラウリィがなぜか恭しく私に礼をした。
「魔王様。魔人族族長ラウリィは、これまでの魔人族から魔王様への『貸し』、そのすべてを放棄することを、この場で宣言いたします。また、魔人族は魔王様に、変わらぬ忠誠をお誓いいたします。今後とも我々を好きにお使いくださいませ」
人族領で活動しても目立たない魔族は、魔人族だけだ。そのため魔人族にしか頼めないことは多い。もちろん私は頼み事をするたびに、魔人族の族長であるラッツェさんにお返しをしようとした。けれども、ラッツェさんは私からお金や物などというものは決して受け取ってくれず、「また、機会があるときに」と、そのツケは絶望を感じるほど順調に貯まっていたのだった。
一体、私はいつ何を、これまでの代価としてまとめて払わなければならないのだろうと、私はずっと恐怖していた。
ラウリィの突然の行動に驚いたけれども、同じように驚くラッツェさんが口を開く前に、私も宣言する。
「魔人族族長ラウリィ、そのお気持ち感謝いたします。今後とも、その忠誠に恥じぬよう努力することを、魔王エーネは約束します」
よし! 邪魔される前に言い切った! ラウリィとハイタッチしたい気分だ。
ラッツェさんは怒りの目でラウリィを見ていたが、ふと諦めた表情に変わった。ラッツェさんが見つめる先にいるラウリィは、それはもう――満面の笑顔だった。
初めて見るラウリィの心からの笑顔は、それはそれは黒くて、かわいらしかった。
すべての種族の族長を村まで送り返し、パメラの用意してくれていた豪勢な晩ご飯を食べたあと、ラウリィの用意してくれた風呂でゆっくり体の疲れを取った。
そして、私は寝る前の日課として、今日のことを日記に書いていた。いつもより長い日記――そこにある一文を書いたあと、私は固まった。
完全に忘れていた。
立ち上がって、ローブを羽織り、その場から転移する。
「あっ! まおう!」
おいおい、アルファ。子どもはもう寝る時間だろうと思わず言いそうになったが、アルファの顔の真下に、私がずっと忘れていたその老人はいた。地面にうつむいて、倒れている。
「ま、まおう! おれ、いたずらしてないぞ! ほんとだぞ!」
「……」
「じつは、すこしさわった! でも、すこしだけだぞ! つばさのさきだけだ!」
アルファが私に向かって必死に言い訳をするのを聞きながら、老人に近づいてHPを確認する。もともとのHPを知らないので、何とも言えないが、普通の老人よりも多いくらいだ。死んだりはしていない。
「起きてください。もう大丈夫ですよ」
満点の星空の下、私はできるだけ優しく、倒れている老人に声を掛ける。
老人はゆっくりと顔を上げて私を見た。
「はじめまして、アウシア教教皇エザル・アウメシアス」
暗くて、私の顔は老人には見えないだろうと思うけれど――
「私は、魔王、エーネだ」
私は老人に優しく微笑みかけた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
種族会議で決めた『この世界の決まり』は、字の綺麗なウェルス卿に頼んで人族語で書いてもらったものを、人族領の各領主に届けてきた。皆、最後は何とか受け取ってはくれたが、各地でそれはもう大歓迎を受けた。
魔族語、人族語の両方の文字で書かれたものを、魔王の執務室の壁――ラウリィにかつてぶち抜かれた辺りによく見えるように飾る。
『魔族・人族問わず、互いが楽しく暮らせるように協力する』
この決まりが、私たち魔族への戒めではなく、人族が心安らかに暮らすための助けとなるものになればいいと、私は願っている。
しばらくその決まりを立って眺めてから、おもむろに転移した先は、部屋の仕切りが取り払われた広い部屋だ。その白い壁しかない広大な空間を、壁を見上げながら、壁に沿ってゆっくりと歩く。
その部屋――竜人族クルーゼルに与えた、壁画が描かれるための部屋は……15年前と何一つ変わっていなかった。
「いや、ずっと完成しなければいいのに……とか少し考えてしまったけれど、普通は今日、ここで完成を見られるものではないのか!?」
最終話なんだぞ! と一人、壁に向かって文句を言っていると、私の隣に、やけに色の白い竜人族が静かに立った。
「魔王様。よく見てください。壁にうっすらと白い線が描いてあるでしょう?」
顔を近づけてみると、確かに薄い下書きが入っている。
「ほんとうだ、気がつかなかった。では、これをしっかり描き込めば完成かな?」
「違います。それは、また消します」
「えっ!? どうして?」
「魔王様が悪いのです。これでいいかと思えば、また新しい人を連れてくる……それに、まだ私がこれを描き始めてわずか15年。そんなに早く完成するはずがないでしょう? 私が、竜人族の村のあの絵を描くのに何年かかったと思っているのですか。200年ですよ、200年」
「自慢気に言うこと!? 族長さん――きみのお父さんがかわいそうだろう!?」
竜人族の族長さんと初めて会ったときの、あの嘆きの理由がわかるような気がした。
「ですので、少なくとも同じくらいの時間は必要です」
「もういい、わかったよ。ちゃんと待ちますよ」
クルーゼルの横でぷいぷい文句を言ってから、二人で再び真っ白な壁を見上げる。私には何も見えない。ただの白い壁だ。
だが、横の竜人族の目には、今壮大な絵が、壁に浮かび上がっているのだろう。
200年。最低でも200年か……
そう考えながら、魔王城の頂上に転移する。いつものように、魔王城先端の角のようなものを掴みながら、その場に立ってこの世界の景色を眺める。
私がこの世界に来てから約20年、本当にいろいろなことがあった。
今ここから見える景色は、この世界に来て2日目のあの日に見た景色と、まったく変わっていない。
だけど、永遠なんてものはない。いつか、この景色も今とはすっかり別のものになってしまうのだろう……
でも、だから何だと言うのだ。
私たちには『今』しかない。今、このとき、この世界に生きているんだ。
私が今を楽しみたいから、
皆に今を楽しんでほしいから、
だから――
「今日も、頑張って仕事をしますか!」
この世界を見渡しながら、うーんと両手を上に伸ばして――
すとんと手を下に降ろすと同時に、私は転移した。




