最終話 世界の決まり(1)
「ねぇ、ウェルス卿。もう一度、確認するよ?
王からの私への伝言は、『人族との和平を求めるのなら、ここに一人で来るのだ。種族の代表同士、ゆっくりこの場所で、この世界の平和について、語り合おうではないか』で間違いない? 一言一句あってる?」
「はい」
王城から無事に帰ってきてくれた領主の話を、どきどきしながら聞いたあと――このやりとりは、もう三回目だ。
この伝言を、領主から聞いた話を含めて普通に解釈すれば、
『魔王よ、領主を助けたくば一人で来い。来るわけはないがな! もし来るなら、お前の話を聞いてやってやるが、そのあと殺してやろう!』
ってところかな……普通に解釈すれば。
だがこの伝言には、『ここ』などという曖昧な表現とか、主語がないとか、いくらでも拡大解釈する余地が残されている。
「あのさ……その人、大丈夫?」
「あの方は、すでに壊れていますので」
「そっか、それならいいんだ」と納得する。普通はだれかが気づいて注意すると思うが、誰も注意しなかったのか。
「じゃあ、ウェルス卿。私は言われた通りに、王様と平和について語り合って来るよ」
「エーネ様、教皇は何か自信がある様子でした。お気をつけください。私は、私の身など惜しくはありません。エーネ様に何かあるくらいでしたら、私が死にます」
領主は真剣な目で私にそう警告してくれた。
「ウェルス卿、気を付けます。だから大丈夫」
領主の好意に笑って応えてから、厳かに椅子に座り直した。
「では、東州領主アルフレッド・ウェルス。『3日後の正午に、そちらに伺う』と、人族の王に伝えてくれ」
「人族の王に『3日後の正午に、そちらに伺う』と伝言すればよろしいのですね? かしこまりました」
領主が恭しくそう応えたのを確認してから、準備のために、私は魔王城に転移した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
魔族領での手配は完了した。あとは明日、ただ頑張るのみ……
薄暗闇の中、現在私は、ベッドと壁の隙間に挟まって体操座りをしていた。かれこれ2時間ずっとこの状態だ。いい加減帰ってきてくれと、泣きそうになっていたときに部屋の扉を開く音が聞こえた。
「誰だ!」
警戒する人の声が聞こえて、ベッドごと斬り捨てられる前に小声で声を掛ける。
「勇者。私だ」
扉が閉まった音が聞こえたと同時に、目の前に勇者が現れる。勇者はベッドと壁の隙間に挟まる私を呆れたように見下ろしていた。
「魔王。こんな場所で何をしている……」
勇者が、私を起こそうと伸ばしてくれた手を掴んで、私は魔王城まで転移した。
「ここは……」
「そう、玉座の間だ。久しぶりだろう」
勇者に声を掛けながら、玉座ではなく、赤い絨毯の上に直接あぐらをかいた。「勇者も、座りなよ」と声を掛けると、勇者は私と向かい合うように座った。
「勇者。ずいぶんと帰りが遅いんだね……結構待ったよ」
「誰の所為だ……」
そうか、やはり勇者も出るのかと考えながら、あらかじめ用意していた瓶とコップを柱の陰から取り出して、私と勇者の間にどんと置く。
「右が酒で、左が果実水だ。私は酒が飲めないから、果実水にする」
自分のコップに、自分で瓶から果実水を注ぐ。
「勇者。飲みたい方を選んでくれ」
「では、こちらをもらうぞ」
勇者がもう一つの瓶から酒を同じように注ぎ、一人で勝手に飲み始めた。その様子を見て、私はため息をつきながら、自分のコップに注がれた果実水を飲んだ。
「勇者レグルスト・ルーベル。あなたにずっと聞きたかったんだけど、どうして私を殺そうとしないの?」
この勇者は、魔王を殺そうとしないし、魔王に殺されるとも思っていない。
「魔王と同じ理由だろう」
「そっか……」
ゆっくりと酒を飲みながら、そんなことを言う勇者に頷いた。思い返せば、勇者とも長い付き合いだ。
「私と、『友だち』になれたか?」
勇者が、静かに突然そんなことを言い始めて、勢いよく顔を上げる。
「えっ、どうして!? あ、あの歴史学者……」
今では遙か昔のように感じるけれども、私はここでその言葉を
『いつか勇者と友だちになりたい』
と、あの地図に書いたのだった。
あのときはただ勇者が魔族語を読めるか、そんなことを確認するためのものだった。
だけど、人は些細な行動に、驚くほど無意識に、己の願いを込めてしまうのだと思う。
「勇者は、明日どうするの?」
勇者の薄水色の目をまっすぐ見る。返答次第では、私は勇者を殺さなければならないが――
「私は、こんな時間に酒も飲んでしまったし、明日は2階で寝ているよ」
私はそんな事態になるとは、ちっとも思っていなかった。
「勇者レグルストに、魔王エーネの『友だち』の称号をやろう!」
「そんなものいらん」
勇者のステータスを確認してみたが、さすがに今回は『魔王の友だち』なんて項目は増えていなかった。ちくしょう
勇者が酒を置いて、真剣な表情で私を見つめる。
「魔王。本当に明日は一人で来るのか? 仲間は連れてこないのか?」
「もちろん私が一人で行くわけはないだろう」
自慢するように言うと、「そうだろうと思った」と勇者は苦笑していた。
「勇者。人族側は私が、本当に一人で来ると思っているの? 魔族の仲間を大勢連れてくるとは考えていないのかな?」
領主が警告してくれたように、教皇は私を必ず殺せる何かを、謁見の間にしかけているのだろう。それが何か――その場には、王とおそらく教皇本人もいるのだから、広範囲殲滅型の兵器ではないとは思う。勇者が聖剣を使う気がないのであれば、他に考えられるのはアウシアの加護でも受けた呪いの武器か何かか……その程度のものであれば、私が死ぬことはあっても、他の皆は大丈夫だろう。
「魔王。実を言うと、人族側は魔王の能力を大きく勘違いしている。魔王が能力を使えるのは、一日に最大2回程度だというのが通説だ」
「……え?」
一日2回どころか、私は一日最大9999回跳べる。どうしてそんな勘違いを……だけど、確かに人族に能力を見られた王都侵攻時や、聖女巡行時には往復時くらいしか跳ぶ姿しか見せていない。
いや、待て――
「ワイバーンが東州を攻めたとき、私は一日に何度も跳ぶ姿を見られたはずだ」
「それは、アルフレッド様が王都まで報告しなかったというのもあるが、おそらく、上に報告が届く前に握りつぶされたのだろう。魔族が、人を助けるはずがないからな」
私としてはありがたいのだが、大丈夫か人族……
「それに、魔王まだあるぞ」
勇者が少し楽しそうに言葉を続ける。
「王都にある魔法研究院の報告によると、魔王の能力は、距離や運ぶ物の大きさで、魔力の消費量が変わるらしい。魔族領に近い東州には、魔王は比較的簡単に転移できるが、王都は魔族領から一番遠いから、能力を使うのに大幅な制限が入るそうだ」
勇者は、少し笑いながらそんなことを教えてくれた。
「何という王都の人間にとって、都合の良い解釈だ」
「ローディスは、この報告を読んで腹がよじれるくらい笑っていた」
あの性根の腐っている歴史学者の高笑いが聞こえるようで、魔法研究院の人が少し気の毒に思えた。
「魔王の能力の制約上、魔王は直接王都の内部を攻めるようなことはできない。だからこそ、これまでそのようなことは起こらなかったし、今後もないと、王城の人間はそう考えている」
勇者はそう、私に洗いざらい教えてくれた。
「人は、自分にとって、都合の良い方、信じたい方を取るものだね」
「そうだな」
そう信じたい人族の魔族に対する『恐怖』、その根深さが伝わってきた。
「だから、魔王。明日は魔王と、多くても二人くらいの魔族が来ることしか想定されていない。警備もそれを前提として組まれていて、私もそこに組み込まれている。
魔王を殺すためにアウシア教の奴らが、何かを謁見の間に仕掛けていたようだが、それが何かまでは、すまないが把握はできなかった」
「勇者。そこまで私に教えていいの?」
勇者が、あまりに自分が知っていることすべてを私に教えてくれるので、思わずそう聞くと、勇者は眉間に皺を寄せた。
「魔王。今、自分が誰を助けるために、動いているのかを忘れたのか? 私がアルフレッド様に敵対するわけなどないだろう」
そうだった。そのことが頭から完全に抜け落ちていた。
勇者に想定していたよりも多くのことを聞けた。あとは明日の本番のみ……
姿勢を正して、目の前の白金色の髪の、相変わらず嫌みなくらい整った容貌の男性の顔をまっすぐ見つめる
「レグルスト、今日は教えてくれてありがとう。明日は頑張ります」
「エーネ。明日何かあれば、私は君を助けよう」
勇者が、初めて私の名を呼んだのだ。
「魔王。私はもう帰る」
「イスカに会っていかない?」
立ち上がった勇者に私がそう聞くと、勇者は慌てて私から目を逸らして「明日も早いからいい」と断った。
律儀にも悪魔族への訓練は続けてくれている勇者は、かなり頑張ってイスカから逃げ続けている。イスカの頼みをばっさり断れないのなら、もう諦めて観念すればいいものを……
「勇者。今日は良い情報をくれたし、私も君に良いことを教えよう」
なんだと私を見下ろす勇者の顔をまっすぐ見上げる。
「私もつい最近知ったのだけれど――」
私がずっと知りたかったこと。けれども、聞きたくても本人には直接聞けなかったことは、この間遊びに来ていたマーシェがあっさりと教えてくれた。
「イスカは1500歳だ」
私の言葉に、完全に隙だらけの勇者様の手に触れて、勇者の部屋まで転移する。
「『あなたに決めたの』か……」
勇者の耳元でそう呟いてから、もう諦めろと――固まっている勇者の肩を2度叩いたあと、私は魔王城に戻った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
手で何度か触れて、頭の『角』の装着具合を確認する。
「魔王に見えるかな?」
「見えない」
ユーリスの前で、上等な漆黒のローブ姿を見せつけるようにくるりと一回転するが、ばっさりと切られてしまった。
ユーリスは、今日王城まで一緒に連れて行ってもらえないので、機嫌が悪い。3日前からずっと口をへの字にしている。
「魔王様。ご準備はよろしいですか?」
イスカだけでなく、今日はアーガルもいつもの山賊みたいな格好ではなく、将軍様のような正装をしている。
「うん。そろそろ行こうか」
イスカの方を向いてそう答えてから、小さい子どものようにうつむいているユーリスの方をもう一度振り返る。ユーリスはもう無駄に大きく成長してしまったので、小さい頃のように万歳をさせて顔を上げさせることはできない。
うむ、どうするか……
……うん、この手でいこう。
何も言わずに、ユーリスの真正面に回り、体の横に降ろされたユーリスの両手をがっちり掴んで――私は転移した。
突然、青い空に投げ出されて、ユーリスは驚いた様子で手を繋いでいる私を見上げた。
「ユーリス、行ってきます!!」
風にかき消されないようにそう叫ぶと、ユーリスは少し呆れて――泣きそうな顔で私を見たあと、微笑んだ。
転移で戻ってきて、両足が地面に着いた瞬間、ユーリスに抱きしめられる。
「エーネ。行ってらっしゃい」
「行ってきます。ユーリス」
痛いほど抱きしめられると、泣いてしまいそうだ。名残惜しいけれど体を離して、ユーリスの顔をのぞき込むようにもう一度笑い掛けてから、後ろを向いた。
部屋の入り口で待っていてくれている、イスカとアーガルのもとまで跳ぶ。二人が私の方に伸ばしてきた手に、片方ずつ手を伸ばした。
「じゃあ、二人とも頼むよ。私は弱いんだから、ちゃんと守ってね!」
「お任せください」「任せてくだせえ」
当たり前の顔でそう答えてくれる二人を見上げる。
「イスカ、アーガル。行こう!」
「はい!」
二人の返事が同時に返ってきた瞬間――私は転移した。
正方形の箱のような形の、広くて背の高い部屋だ。その中央、私たちが今居る赤い絨毯の先に、豪勢な玉座が見える。その玉座の上に、素人の作った下手な飾り物のような、顔色の悪い50代くらいの男が座っていた。
私が数歩前に進むと、左右にいるイスカとアーガルがぴたりと付いてきた。玉座との距離を目で測って、このくらいの距離でいいだろうというところで止まる。
2階に目を移すと、ちょうど玉座の真上の位置に勇者が立って、こちらをまっすぐ見下ろしていた。勇者を見つけたイスカが今どんな顔をしているのかは確認できないけれど、ぶんぶん手を振っていないだけでよしとしよう。
「しばらくここで待て」
「はっ!」
厳かにそう告げて、イスカとアーガルの返事を聞いてから、私は魔王城に戻った。
「ラウリィ。クユーゲル」
私を待ってくれていた、魔人族のラウリィと、竜人族のクユーゲルに声を掛ける。
「行こうか」
「はい」
二人の手を掴んで、イスカとアーガルの少し後ろに転移して、二人の手を離す。二人はゆっくりと歩いて、事前に散々練習した位置――それぞれイスカとアーガルの斜め後ろで止まった。
ざわざわと人族どもが、動揺している声を聞きながら、さらに転移する。
猫人族のメルメルのお父さんのメルダス、エルフ族のおばばの孫娘のイルミネッタなど、強い種族を円を作るように外側に順番に置いていく。その後、犬人族や羊人族などの弱い種族を内側に並べていった。
イスカアーガルを先頭として、前から、各種族がよく見えるように魔王城で何度も、並び換えを行った、完璧な配置。
私の表情など見えないだろうけれど、人族の王に向かって傲慢に笑いかける。
「貴様! 何を考えておる!」
玉座の横で真っ赤な顔でそんなことを叫ぶ、真っ白の服の老人は無視して、最後の2人を迎えに行く。
「では、行こうか」
最後の二人を連れて、人族どもに見せつけるように、イスカとアーガルよりさらに前、最前列に戻った。
私の右手側には、薄く白く輝く、直径50センチくらいの大玉――
ポンプのように私の魔力を吸い上げる、精霊族の族長が。
そして、私の左手側には、頭からつま先までを神々しく白一色で染める――
白き翼を持つもの。
これですべてだ。
「人族の長よ! ここにいるのは、魔族領に住む16種族の長である! そして私は魔王エーネ! 本日はドラゴン族族長の代理としてここに来た!」
王に見えるように、脇に抱えた大きな巻物――おじいちゃんの爪で押印してもらった、代理人状を掲げる。
「さぁ人族の長よ! 我ら種族の代表同士、今日は『世界の平和』について、存分に語り合おうではないか!」




