55話 前触れ
今年は、稲の試作面積をこれまでの3倍に拡張して栽培を行っていて、今のところ順調に育っている。今年は、私たちだけではなく、世話になった人たちにも試食させてあげることができるだろう。米炊き用の土鍋も犬人族に特注して作ってもらったし、準備は万端だ。
そう鼻歌を歌いたい気分で、開拓団の村に転移すると――金色に染まりつつあった稲はすべて消えていた。
近くで作業していた男につかみかかる。
「これはどういうことだ!」
「あっ、エーネ様」
男は私の顔を見て、ほっとした顔をしたあと、くしゃっと顔が歪めた。
「エーネ様、これを見てください」
私の前に立っている開拓団団長は、私に足下の何かを見るように促しているが、そんなもの目に入らなかった。これまで、『稲がない』ということにしか気づいていなかったが、周りを見渡すと、あれだけ綺麗に整えられていた水田が、ぐちゃぐちゃになっている。
「エーネ様?」
「すまない」
団長の声に足下を見ると、これは――
「馬か?」
「はい。3日前、夜中に賊が押し入りまして、朝確認したところ、稲は踏み荒らされておりまして、水田もこうなっていました」
「無事なのか! けが人はいないのか!」
開拓団団長につかみかかると、開拓団団長はバツの悪そうな顔をした。
「えー、私ら全員隠れていましたので……」
「全員、生きているんだな!」
「……はい」
「お前たちは兵士ではない。良い判断だ!」
良かったと、安心して肩を落とす。
それにしても、誰がこんなことをしたんだ。わざわざ水田を壊して、食べ物を踏みつぶすなど……せめて収穫して帰れよ! 3日前だと、転移で上空から探しても、もうどこに行ったかはわからない。だが、この世界で馬を所有している人物は限られるし、これはどう見ても盗賊の仕業ではなく、どこぞのお偉いさんの嫌がらせだ。犯人はじきに見つかるだろう。
静かに、荒らされた水田を見ていると、開拓団の連中が私の周りに集まってきていた。
「私は領主にこの件を報告してくる。君たちに何かあったら困るから、安全が確認できるまで強い魔族を派遣するよ」
「女性ですか?」
鬼人族を送るつもりだったが、こんなときにそんな冗談を言われてしまったら、応えない訳にはいかない。大分不安だが、マイカを送るか。
「当たり前だろう」
私が笑ってそう言うと、男たちの間から「魔王様。最高!」と歓声が上がった。
笑顔の男たちに手を振られながら、領主の館に転移すると、領主は忙しそうに何かの準備をしていた。
「エーネ様。ちょうど良いところに。出立する前にお会いできて良かった」
領主が転移してきた私の顔を見て、ほっとしている。
「私も、緊急の用件があったのだけど……ウェルス卿、出かけるの?」
「はい。王都に呼び出されまして」
領主の言葉に息をのむ。
「さっき、開拓団のところに行ってきたら、水田が荒らされていた。稲は全滅だったよ」
領主は驚いた顔をしたあと、どこか納得するように「そうですか……」と呟いていた。
領主のその顔を見て、賊の正体がわかった。水田が荒らされたことと、領主が急に王都に呼び出されたことが無関係でないとしたら――
「ウェルス卿。王都に行ってはいけない」
私が懇願するように言うと、領主は優しい目で私を見下ろした。
「エーネ様。王に呼び出されたのです。行かない訳には参りません」
「だったら――」
その相手を私が一掃してやろう。
そう笑っていいかけたとき
「エーネ様、それはだめです。そんなことをしてしまったら、あなたの夢が遠ざかってしまう」
領主が私を諭すように言った。
私の夢って、何だよ……そう思いながら、私をまっすぐ見つめてくる領主の目から逃れるように下を向いた。
「それは、あなたが居なくなっても同じことだ……」
「エーネ様。彼らが私にどんな罪状を押しつけるのかは知りませんが、私はこれでも東州領主、大貴族です。王城に登ったその日に、首を刎ねられることはありませんよ」
「それは本当?」
「はい」
顔を上げると領主は、優しい目で私に頷いた。
「わかった。あなたが牢屋に繋がれたら、私が私の能力で牢屋の中まで迎えに行くよ。そのあと魔族領から、東州を乗っ取ればいい。それですべて元通りだ」
自分で考えながら言ううちに、段々これで良い気がしてきた。領主は何も言わず、静かに私を見つめていた。
「それで、エーネ様。あなた様に頼みがあるのですが」
「何?」
領主の言葉に私がパッと顔を上げる。
「これから馬車で王都の別邸まで移動する予定なのですが、私も歳なので、エーネ様のお力で送って頂いてよいでしょうか?」
「もちろんいいよ。もちろんだ」
「では、今日先に空馬車を送ります。馬車が王都に到着する10日後、またこちらに来て頂いてよろしいでしょうか。私はそれまでここで仕事をしております」
相変わらず、仕事熱心な人だ。
「わかった。では、10日後にまた来るよ」
「はい。よろしくお願いいたします」
これから10日間は、今後どんな事態が起こってもいいように、脳内シミュレートとその対策準備だ。
だれが、領主を殺させてやるものか――私はそう決意して、魔王城に戻った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
領主が肩にマントを着けて、いつもより豪華な服で立っている。
「では、ミンチェル。あとはまかせたぞ」
「お任せください」
執事のミンチェルが領主に恭しく礼をしている。
領主が私の方を向いた。
「エーネ様。このミンチェルは、私の養子でして、次代の領主にと決めております。私にもしものことがありましたら、このミンチェルにもご助力をどうかお願いいたします」
深く私に向かって礼をする領主に「わかった」と伝える。
「でも、ウェルス卿。あなたが殺されることがあったら、私はもう我慢しない――無能な王は廃止する。だから生きて帰るように。いいね?」
「かしこまりました」
顔を上げた領主に、へへと子どものように笑いかけると、領主は困ったような顔をしたあと、いつもの優しい目で笑った。




