54話 魔王、聖女と世界を巡る(1)
ジョッシュが、勇者と比べて小ぶりの剣を力なく構えている。その正面にユーリスが腕に籠手だけを付けて、素手で相対していた。
A級冒険者のジョッシュは勇者ほど剣の達人という訳ではないけれど、冒険者らしい実際の戦いで役立つテクニック――足払いやフェイント、魔法を使ったけん制などに優れていた。
それにしても、ユーリスはどうして素手なのだろう? 最近のユーリスは剣術ではなく、アーガルに教えてもらった格闘術を積極的に鍛えているように見える。
二人から少し離れた位置で、真剣な表情でお互いを見据えている二人の姿を眺めてると,ジョッシュが先に動いた。剣でユーリスの顔を突き刺すようなフェイントを掛けたあと、右斜め上から切り落とすように剣を動かす。ユーリスはジョッシュがフェイントを掛けるのを読んでいたのか、フェイントにはかからず、上から落ちてくる剣の下に潜るように膝を落とした。そのまま、左の籠手でジョッシュの剣の軌道を流しながら、ジョッシュの首元に右手を伸ばし、その服を掴む。
ユーリスが剣の軌道を完全に流し終えた左手でジョッシュの右腕を掴んだと同時に、体を大きくひねってジョッシュを地面に叩きつけた。地面にぶつかった瞬間、ジョッシュから「うげっ」とうめき声が上がる。
ユーリスに右手と首を地面に押しつけられたジョッシュは、唯一動く左手で脚に装備していたナイフを素早く取り出し、ユーリスを払いのけるように斬り付けた。ユーリスは体を右に開くようにナイフの軌道を避けたあと、さっとジョッシュから飛び退いた。
ジョッシュは体から離れたユーリスを追撃するように、斬り付けたナイフをユーリスに向かって投擲するが、ユーリスが2,3何か言葉を発すると同時に現れた緑の障壁に、ナイフははじかれた。
その間に体を起こして,膝立ちでユーリスをけん制するように剣を構えるジョッシュに対して、ユーリスは逆に大きく跳び下がって――虚ろな目で詠唱を開始した。
あふれんほどの魔力が目に見える。これは、聖魔法の光だ。よし、危ないから私も少し下がろう。
「待て! まいった、まいった!」
ジョッシュが剣を地面に置いて,両手を挙げて必死に降参している。ユーリスはそれを冷ややかな目で見たあと、手を振って自分の周りに集まっていた魔力を散らした。
「殺す気かよ……」
ジョッシュが、服に付いた砂を払って、文句を言いながら立ち上がる。それを静かに見ていたユーリスが、くるりとこちらを振り返った。
「エーネ、やっと勝てた!」
「おめでとう」
ユーリスは拳を握って、喜びをかみしめている。これまで散々痛めつけられてきて、初めて勝てたのだから嬉しいのだろう。
それにしても、ユーリスがついにA級冒険者に勝った……魔法も使用していたので、単純な力勝負ではないかもしれないけれど、それでも勝てたのだ。
「ジョッシュ。残念だったな!」
「嫌みかよ」
私の方に近づいてきたジョッシュに、笑顔で声を掛ける。
「17のガキに負けるとは、俺も歳を取ったもんだ……」
「そういうことを言うのは、もうおっさんの証だよ」
「うるせぇ。お前の方は何歳なんだよ!」
そんな風に二人で騒いでいると、ユーリスもこちらにやってきた。
ユーリスはジョッシュから少し離れた位置で立ち止まり、ジョッシュを見つめる。そんなユーリスのことを、少し背の高いジョッシュが真面目な表情で見下ろしていた。
「お前はもうクビだ。訓練で俺を消滅させようとするやつと、俺はもう戦いたくねぇ」
「ジョッシュさん、これまでありがとうございます。お世話になりました」
ユーリスがジョッシュに深く頭を下げた。
ユーリスはこれまで、本当に頑張っていた。ジョッシュに勝てないのが、さぞ悔しかったのだろう。あんなのに負けるのが悔しい理由は、よくわかる。
「ユーリス、本当におめでとう。せっかくだし、記念に贈りたいんだけれど、何か欲しいものはあるかな? 私に用意できるものであれば、何でも言ってくれて構わない」
私は魔王なのだ。領主のツテも使えば、大抵のものは手に入るぞ。
「お前、そういうことを軽々しく聞くなよ」
なぜかジョッシュからそんなことを言われ、どうしてと聞こうとしたときに「エーネ」と後ろから名前を呼ばれる。その声に振り返ると、ユーリスが真剣な目で私を見つめていた。
「僕は人族領に行く」
「わかった。協力しよう」
ジョッシュに勝つというのが、ユーリスにとっての節目だったのだろうか。
ユーリスが12歳のときに宣言した、ユーリス自身の決意の言葉を思い出していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
聖女が、人族領で人々を癒やしに回る。言葉で表せば良いことのはずなのに、問題は色々あった。
まずは……私だ。ユーリス自身は、自分の身は自分で守れるくらい強くなったから問題はない。だけど、私を守るのはどうしよう? 私しか転移できないので私は行かなくてはならないのだが、私が一番の足手まといだ。
ラウリィを連れて行ってもいいが、ラウリィにも仕事があるから、そう何度も連れ出す訳にはいかない。いつものようにルングとヤッグに手伝ってもらうか……
あとは――
「ユーリス。あのさ、治療の代価――報酬はどうするつもり?」
「もちろんお金なんていらないよ? 僕がもらってどうするのさ」
ユーリスは朗らかに笑って答えた。私の予想通り、ユーリスは無欲だった。
「いや、それ自体は悪いことではないけれど、ユーリスの能力は強力なんだ。
ユーリスが『癒やし』を無料でやってしまうと、普段村人を癒やしているひとが『どうして金を取るんだ。お前よりも凄いあの聖女様が無料でやっているのに』と言われてしまう。その人はそれで生きているんだからお金を貰えなければ生きていけない。ユーリスがいないときは当然その人が必要なのだから、その人たちの迷惑にならないためにも、ユーリスはユーリスの能力に合った報酬を貰うべきだと思う」
つぶれた足も復活させてしまう聖女の能力。それに見合った報酬など、一体どのくらいのものになるのだろうか? 我が子のためであれば、全財産を差し出す親も当然いるだろう。ユーリスは、それをすべて受け取らなくてはならないのだろうか――これでは強欲の聖女様だ。
これまで、散々悩んで結局良い解決方法が思い浮かばなかった。一番マシなのが、個人の資産量に応じて、受け取るものの割合を変動させることかな……一体この世界で、私はどんなビジネスを始めるつもりだ。
うーんと引き続き悩んでいると、ユーリスから声が掛かる。
「エーネ。そこまでのことは考えていなかったけど、僕は僕が癒やした人にお金の代わりに約束を、『魔族を傷つけない』と約束してもらうつもりだ」
ユーリスの発言に困惑しながらユーリスの顔を見ると、ユーリスはこれでいいかなと笑顔で私の顔を伺っていた。
勇者が悪魔族と約束した内容と意味は同じだけど、対価が全く違う。
「ユーリス。命と引き替えに、人の信仰を変えさせるのはよくないと思う」
娘を救いたければ、アウシア教を辞めろとそう脅しているようなものだ。アウシア教の味方をしたいわけではないし、むしろあの忌々しいアウシア教の信者が少なくなってくれれば、魔王としては嬉しい限りだけど、だからこそユーリスがそれを代価として求めるのは良くないことだと思った。
「エーネ。僕はアウシア教を辞めろだなんて頼んでいない。魔族を傷つけないで欲しいと頼むだけだ」
「それの意味はほとんど同じだろう?」
「別にアウシア教の人でも、魔族を殺そうとしない人はたくさん居るじゃないか。僕は別々のことだと思う」
ユーリスの言葉に、勇者や領主を筆頭に、心当たりのある者が浮かび上がんでくる。
だけど……
「だけど、その……『人の心』を代価に求めるのは――」
私はさっきから一体何を、こんなにこだわっているのだろうか。
ユーリスは、はっきりしない私をただまっすぐ見ていた。
「エーネ。僕が魔族を傷つけないで欲しいと頼むことは、そんなにいけない?
僕は僕が治療した人が、魔族を殺すところなんて見たくない。僕は自分が一生後悔するようなことはしたくない――治さなければよかった、あのまま殺しておけばよかったなんて思いたくない」
ユーリスの真摯な言葉を聞いて、自分がユーリスの気持ちなんてまったく考えもしていなかったことに気づき、恥ずかしくなった。
「僕が治した人族が、魔族を傷つけたら、次は僕は魔族領を癒やしに回らなくてはならない。そんなことしたら、僕はいつまでたっても休めないだろう?」
ユーリスは最後は、私に同意を求めるように軽く笑った。
「ユーリス、わかった」
「良かった……」
ユーリスは同意した私を見て、嬉しそうに笑った。
そうか……そのユーリスの笑顔を見て私は理解した。
私は、私が世界に嫌われているのは平気だが、ユーリスが嫌われるのは我慢がならなかったのだ。
「ユーリス。私は……君が魔族に荷担するような発言を公にして欲しくなかった。そんなことをすれば、きっと君は『魔族領に長く居すぎたために、魔族に味方するようになった聖女様だ』と言われてしまう。いや、事実私はそういうことをしたのだけれど、私がしたことに対してユーリスが悪く言われるのは嫌だったんだ。
ユーリスの気持ちなどまったく考えていなかった。すまない」
「僕はそんな風に言われても平気だ」
「そう言うと思ったから嫌だったんだよ」
魔族に荷担する聖女様か……だったらそんな評価を帳消しにするくらい。私が聖女様の馬として働こう。
私の能力はおそらく世界初だ。ならば、こんな方法で世界を巡行する聖女様も初だろう。
そう――ただ私が頑張ればいいのだと思えるようになって、ユーリスの顔を見ると、ユーリスはどきりとするほどの優しい目で私を見ていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ユーリスは、神々しいまでの真っ白の服を着ている。かつて誘拐してきたときに来ていた服とよく似たデザインのその服は、ユーリスにとても似合っていた。ユーリスはその服を見下ろして、顔をしかめて嫌がっていたけど。
一方私は魔王のローブは今日はやめて普通の服だ。神々しいユーリスの横に立つと、かばん持ちといった感じだな。聖女様のお馬としてお仕事頑張ります!
ルングとヤッグとユーリスを連れて、まずは領主に会いに行った。
「聖女様。よくお似合いですね」
「ありがとうございます……」
領主が明らかに心から褒めているのに、ユーリスは嫌そうだった。
「ウェルス卿。まずは試験的に東州を中心に回ろうと思う。私たちの情報が流れてきても、それとなく無視してくれると助かるよ。あと、何か巡行の方法に関して指摘するところがあれば言ってほしい」
「かしこまりました」
領主から、アウシア教の敬虔な信者の数が少ない村のリストも受け取った。まずは私が攻撃されたり、ユーリスが誘拐される可能性の低い、このリストの村々から回ろう。
「では、ユーリス行こうか」
私の声に、ユーリスが私の手を握った。




