53話 魔王、宴を開く(2)
頭が完全に停止する。言葉の意味が頭の中に入ってこない。
「魔王様よ。イスカが勇者様に『あなたの子どもが欲しい。あなたに決めたの』と頼んでいるんだ。さっきから」
ジョッシュが、わざわざ途中の声色を変えて説明してくれた。
「……えっ?」
いや、ちょっと待て。え? いや、あの二人結構長い付き合いだし、悪魔族が強い人好きなのは知っているけどね。だ、だけど、勇者ですよ? 勇者。
「勇者は、何て言っているの?」
「『私は、勇者だから……そう言うのは、あり得ない』ってさ」
ジョッシュが今度は勇者の真似をしながら答えた。
あり得ない?
「ねぇ、『あり得ない』って、本当に勇者がそう言ったの?」
周りの人たちに確認すると、少しおびえながら、全員が頷いた。
『あり得ない』だって…… あの、イスカが――あの強くて美しいイスカが必死に頼んで『あり得ない』だと? ふざけるなよ。
「いいぞ、魔王! そのままがつんと行け!」
ジョッシュの声が後ろから聞こえて、周囲を見ると、野次馬たちは私から離れるように距離を取っていた。
「魔王?」
勇者がすぐ近くで魔力を垂れ流している私に気がついたらしく、こちらを向いた。その顔を見て、ふつふつと怒りが沸いてくる。
「おい、レグルスト・ルーベル……一体イスカの何が気に入らないんだ。わかるように説明してみろ」
「いや、だから……」
勇者は私から目を逸らす。
頭の冷静な部分では、人族のために生きる『勇者』が悪魔族と子をなす――勇者の方はパッと行って、パッとやれば済むとは言え――その心理的なハードルの高さはよく理解できた。むしろ、この問いかけに悩んでいるように見える時点で、勇者はイスカのことを相当気に入っているに違いない。
私に何と説明するかを必死に考えている勇者の隣で、イスカが「お願い、勇者。どうしてもだめ?」と人族語で勇者に頼みこんでいた。
あのイスカが、相手の了承を待っている! なんて健気なんだ。今だけはそう見える。
勇者。君には色々と世話にはなっているが……私は愛する自分の部下の頼みを優先する。すまないな!
私は、私の体から出る魔力量を、一段階アップさせて、敢えて勇者の良心が痛む言葉を選択する。
「イスカはな、お前と話したくて人族語を勉強したんだぞ!(戦いたくてだけど) それなのに、お前って男は――『勇者』がそれを無下にするのか? 見損なったぞ」
ハッと鼻で笑うと、勇者は下を向いた。
「魔王、すまない。私は今、頭が整理できていない。返事は待ってくれ」
「それは私に言うことではなかろう!」
私が怒鳴りつけると、勇者はゆっくりとイスカの方を向いた。
「イスカ。その……返事は待ってくれ」
勇者のその言葉に、
「わかった。待つ」
イスカは嬉しそうに笑った。
結局、勇者に「はい」と言わせることができなかった。次なる作戦を静かに頭の中で練っていると、肩を叩かれた。
「魔王。周りがびびってるぞ」
あのジョッシュに、指摘されてしまった。落ち着こうと、大きく息を吐いてから、出しっぱなしだった魔力をオフにする。
「まぁでも、あの勇者様も結局女には勝てないんだな」
ジョッシュの言葉に「えっ」とジョッシュを見上げると、ジョッシュはとんとんと子どもに物事を教えるように私の肩を叩いた。
「魔王様よ。男はな、下半身で考える生き物だ。あの悪魔の頼みを今日断れなかった時点で、勇者様の未来は決まったようなもんよ」
「いや、それは君だけだろ? 男で一括りにするなよ」
呆れて見上げた私を、お子様だなぁと笑ったジョッシュの顔を、私は数年後に思い返すことになる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それにしても、どっと疲れた。その場にどさっと座り込む。
「エーネ。はい、水」
「ありがとう」
ユーリスからコップを受け取って、水を飲む。下を向いて息を吐いていると
「おい、ユーリス。お前、ずいぶんと嬉しそうじゃないか。そんなに勇者とイスカがくっつくのが嬉しいのか?」
ジョッシュはまだそこにいた。ジョッシュの顔を見上げて、ため息をつく。
ジョッシュはユーリスを見ながら、にやにやしている。
「二人は僕の師匠だから……幸せになってくれると嬉しい」
「勇者が、イスカみたいな、背の高い美女が好みで良かったな!」
その言外に込められた意味に、ジョッシュを睨むと、ジョッシュはさっと私から目を逸らした。悪かったな、小さくて。魔族の中に紛れると小さく見えるが、別に人族の中では普通なんだぞ……
「なぁ、魔王様よ。実際問題できるのか? 魔族と人族の間に、子どもは?」
ジョッシュに無理矢理話を逸らされたが、知っていることなので答えてやる。
「少なくとも、悪魔族であれば可能だ」
悪魔族と猫人族の間でいけるのであれば、人族ともきっと可能なのだろう。
「少なくとも?」
「他の組み合わせに関しては知らん」
「へー。で、魔王様は、何族なんだ? ぱっと見、人族にしか見えないが」
ジョッシュの質問にぎくっとなるが、ここで聞かれて答えないのは不自然だ――
「魔王は、魔神族と決まっている」
ジョッシュは私の体をじろじろと見回していた。
まさか私の種族を初めて聞いてきたのが、こいつとは……あまり聞かれたくない質問なので、必死に話を逸らす。
「ジョッシュ。お前とマイカの仲はどうなんだ? 」
遠くの方で、笛の音に合わせて悪魔族のマイカが楽しそうに踊っているのが見える。ジョッシュも一度そちらを見たあと、こちらを振り返った。
「あいつは、ない」
ジョッシュの一刀両断するような口調に少し驚く。
「好みではなかったのか?」
「魔王様よ。俺のは勇者様の聖剣とは違って、ただの剣なんだ。もがれたら、困る」
もがれるって……
「聞いた私が馬鹿だったよ」
「なぁ、魔王。シャクズークの旦那みたいな気配りのできる女はいないのか?」
なぜ、ジョッシュはこんなにもシャクズークを尊敬しているのか……まあ、ジョッシュの冒険日誌の内容を思い返せば、その気持ちもよく分かる。ジョッシュは毎回誰かさんが引き起こしたトラブルの所為で、「お前がヒロインかよ」と言いたくなるくらい命の危険に合っていて、その度にシャクズークに助けられている。
シャクズークのような女性か。シャクズークは真面目な竜人族の中でも、とりわけしっかりしている上に、サバイバル能力も高いからなぁ。
「居ないんじゃ。まぁ、気配りができるという点では,犬人族か?」
「何!? 犬人族、犬人族って……メリアンちゃん!?」
犬人族のメリアンは確かに今日給仕の美女の中にいたが、なぜ名前を覚えている。
「魔王。仲を取り持ってくれ!」
「絶対に、嫌だ」
ジョッシュは私の言葉を無視して、「メリアンちゃん」と乙女のように空に祈っていた。
ジョッシュが私たちにやっと飽きてくれたのか、どこかに行ってくれた。
「やっと、行ったか」
水を飲もうと、地面に置いていたコップに手を伸ばして、ごくんと大きく一口飲んだ瞬間――喉を刺すような痛みに、ゴホッゴホッと咳き込む。
「エーネ!?」
「あぁ、ユーリス大丈夫だ。いつの間にか誰かが酒とすり替えたらしい」
ユーリスは私の喉に触れて、毒でないことを確認したのか、ほっと息を吐いた。
少ししか飲んでいないが、私は確か酒に弱い上に、これは度数の高い酒だ。
「ユーリス。水が飲みたいんだ」
私はどれだけ水が好きなんだと思いながら、コップの中に入っていた酒を捨てて、コップをユーリスに渡す。ユーリスは急いだ様子で、コップの中に水を注いでくれた。
「ありがとう」
胃に入ってしまった酒を薄めるために、水を一気飲みする。
ほんと誰だよ。こんなイタズラしたの。
静かにたき火を眺めていると、体が温かくなって、だんだん眠くなってきた。そう言えば、さっきユーリスに水を注いでもらったとき、コップを洗わなかった。コップの中に酒が少し残っていたのか……
だめだ、起きろ私! 私には、皆を送り返すという、私にしかできない仕事がある。寝ては――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目を開くと、視界が青かった。「何だこれ」と思いながら手で払いのけると、その何かは、すーっと視界の端に飛んでいった。
「えっ!? ルング?」
がばっと起き上がると、私のお腹の上にいたらしいヤッグがころりと横に落ちる。私が手で払いのけてしまったルングは、部屋の端まで飛んでいって壁にぶつかったあと、よろよろと地面に墜落した。
「ルング! 大丈夫!? 怪我は……」
ルングを両手ですくい上げてHPを確認すると、2しか減っていなかった。弱い私の攻撃でよかった――ルングはさっきまで寝ていたのか、そのあと確かな動きで私の肩まで移動してきた。
ん? どうしてルングとヤッグがここにいる? 昨日は……
私は昨日のことを思い出して、一気に血の気が引いた。
中庭に転移すると、男どもがバタバタと倒れていた。鬼人族の村でよく見る光景だ。
あいつらは別にあのままでもいい。問題は――
「ラウリィ。領主を知らないか?」
朝からせっせと働くラウリィを捕まえる。
「領主でしたら、昨日は用意したお部屋にご案内いたしました」
「ラウリィ――」
好きだ! と抱きつこうとしたら、さっと、避けられた。
この人はきっと今日も仕事だろう。ちゃんと帰すつもりだったのに……
「ウェルス卿。昨日はすみませんでした」
勢いよく頭を下げると、領主は笑っていた。
「エーネ様、おはようございます。昨日はよくして頂きましたし、まさか魔王城に泊まるとは――貴重な経験でしたよ」
「ごめんなさい」
「それにしても、風呂というものはいいものですね」
まさかラウリィ、領主のために風呂まで用意してくれるとは! ほんとラウリィは我が城の誇る(以下略)。
ふふんと自慢気に私は答える。
「そうだろう? あれだけの湯を張れる人材が少ないから、魔族領でも珍しいんだけどね。また、入りたければ私に言うと良い。連れてこよう」
「ありがとうございます」
領主の前に立って、領主をまっすぐ見つめる
「ねえ、ウェルス卿。昨日、あなたは魔族と酒を飲んだ」
「はい」
「アーガルなんかはもう、私が命令しなくても、あなたの味方をするだろう。私ももちろんあなたの味方だ。
この魔族領には、いろいろな力を持った、たくさんの種族がいる。それを使いこなせるようになれれば、あなたは――いや東州は、きっと最強だ」
「東州は魔族領と一番近い。ねぇウェルス卿。我々をうまく使いこなしてくれ」
最後はにっこりと笑った。
「エーネ様はいつも難しいことを、おっしゃいますね」
領主は困った顔をしていたが、その目は、先を見つめていた。
「応援しているよ」
私たちは、己の目的のためにお互いを利用する、共犯者のような関係だ。
優先するのは自分自身――例えそうだったとしても、何と良い相棒を紹介してくれたものだと、その出会いに感謝した。
領主も、私のことをそう思ってくれていると嬉しい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
開拓団の連中を村まで送り届けると、二日酔いで頭が痛むのか、皆はさっそく床に寝転び始めた。
「エーネ様。今日は無理っす」
仁王立ちしている私に対して、辛そうに男が声を上げる。
こいつらもよく働いてくれていることだし、今日くらいは別に良いだろう。それにしても、沼地開発を最優先したこともあって、ここにはむさ苦しい男しかいない。昨日の宴会でのはしゃぎ振りから、それが少し不憫に思えた。
「あのさ……いつかウェルス卿に、きれいなお嫁さんをここに派遣してもらうように頼んでおくよ」
私の言葉に、男たちが勢いよく体を起こし、すぐ近くにいた男が私にすがりついてきた。
「エーネ様。『いつか』って、いつですか!?」
その表情のあまりの真剣さに私は押されてしまい、反射的に答えてしまう。
「え……君たちが頑張ったら?」
開拓団団長が、すっと立ち上がった。
「今日は、作業が途中になっている南の沼の整地だ」
「うーっす!」
寝転んでいた男たちが元気よく立ち上がり、それぞれの道具を持って、働きに出て行ってしまった。
部屋に一人残された私は、呆れたように扉を開け、外に出た。
まぶしい日差しの中で、男たちが慣れた手つきで農具を動かし、時折私の方を見て手を振って、『頑張っている』ことをアピールしてくる。
見てるよ。ちゃんと見てるさ。
君たちの子どもたちには、私に米を届けるという重要な任務がある。
そうと決まれば、領主に頼んでみるかと、私は、青い空を見上げた。




