50話 魔王、勇者の策略にはまる
執務室に開いた大穴は、ドワーフのおやっさんと犬人族に見てもらったところ、直すのに一月くらいかかると言われた。しばらく、寒い中仕事をすることになるが、それは私の責任だし我慢しよう。
「魔王様。ご質問をよろしいでしょうか」
夕食を食べ終わって、休憩しているとラウリィが話しかけてきた。
どう見ても可憐な美少女なのに、あのときイスカたちを呼びに行く手間を惜しんで、一瞬で壁を破壊した張本人だ。自然に背筋が伸びる。
「何かね」
「魔王様に、傷を付けた人族はどなたでしょうか」
う……来た。このいつもと同じ無表情。油断してはならない。言い方を間違えれば、待つのは死のみ……
「アウシア教のやつだよ。『アウシア様のために』って言っていたし」
「なぜ魔王様のお顔をご存じなのでしょうか?」
どう誤魔化そうと考えて、ラウリィの質問に黙っていると――
「魔王様。魔王様は東州に行っていた。それで、間違いはございませんか?」
「ラウリィ。東州領主は関係はない。彼がそんなことをする利点は今はない」
あのとき領主に勧められて私は祭りを見に行ったけれど、領主が仕込んだとは思えない。まぁ、可能性としてはわずかばかり考えたけど、本気で殺すつもりならあんな方法は取らないだろうし、私は領主を信じていた。
黙っていれば、関係のない人も巻き込まれかねない。ここは正直に言おう。
「私の顔がばれていたのは、あの場にエミリーがいたからだ」
「エミリー……あぁ、あの魔法使いですか。わかりました。今度王都に行ったときに処理いたします」
ラウリィは、いつものように無表情だ。
当然そう来るだろうと予想はしていた。その顔をまっすぐ見つめる。
「ラウリィ。それは無用だ」
「無用? なぜですか?」
「だって、エミリーはあのとき『違う』と言っていた。どうやら、違っていたらしい」
「おっしゃることの意味がよくわかりませんが」
エミリーがあのとき「ざまあみろ」と笑っていたら、私も復讐することを少しは考えたかもしれない。だけど、エミリーは「違う」と叫んでいた。王都に住んでいるはずのエミリーがなぜあのときあの場所で、アウシア教の奴らといたのか、その理由はわからないけれど、色々あったのだろう。
色々あって、あの場所に居たけど、何かが違った――うまく説明できないけど、もうそれでいいじゃないか。
「わざわざ殺すまでもない。捨て置け」
「……かしこまりました」
私がラウリィににっこり笑いかけると、ラウリィがぷいと顔を逸らした。ラウリィは怒っていると分かるときの方が、安心できるな。
「ラウリィ。好きだよ」
「存じております」
氷漬けにはされなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
勇者が静かに剣を持って立つ前で、ユーリスが膝をたてて、地面に刺した自分の剣にもたれかかっている。その肩が大きく上下していた。
「ユーリス、筋はいい。だが、殺気を込めすぎている。殺意だけでは、敵は殺せない。力をただぶつけて、叩き潰せるほどの力は私たち人族にはない。力は流して、上手く利用するだけのものだ」
「はい!」
「では、もう一度だ。立て」
もう限界だろうと、そう見えていたユーリスが立ち上がって、再び勇者相手に剣を振るう。
人族の剣も学びたいから、強い人を紹介してくれとユーリスに頼まれて、A級冒険者のジョッシュと勇者を紹介した。勇者は、王都の騎士団の団長をやっているだけあって、教えるのがうまい。さっきからユーリスの欠点を、ユーリス自身に分からせるように剣を振るっている。
それにしても……いいのだろうか? ユーリスと勇者が戦っているのは、魔王城の中庭だ。そして、観戦するのは私、魔王と魔王軍将軍イスカである。
「ユーリス、お疲れ」
ユーリスが、ひどく疲れた顔でこちらに戻ってきた。ユーリスと入れ替わるように、イスカが剣を持って立ち上がり、翼を広げて勇者のところに飛んでいく。
ユーリスにタオルを手渡すと、ごしごしと汗を拭いていた。そして、自分の横にある、空の木のコップを拾い上げて、魔法で水を注いでごくごくと音を立てて飲み始めた。いいなぁ、魔法。
ユーリスが真剣な目で見つめる方向に、私も目を移すと、イスカと勇者がそれぞれの流儀で剣を構えて、にらみ合っていた。
イスカは、以前は上空に上がって力で押すような直線的な動きが多かったけれど、最近は無意味に飛ばなくなった。それどころか、翼と強靱な体を最大限利用した、人間にはまねできないアクロバティックな動きで、勇者を翻弄することが多い。
ただまっすぐ突っ込んで、子猫のようにあしらわれていたイスカはもういない。最近は勇者が「まいった」と言うことの方が多くなった。
試合が終わって、イスカと勇者がこちらに歩いてくる。イスカは楽しかったのだろう――満面の笑みだ。勇者は、今年で35歳くらいだろうか? さすがにちょっと老けたが、イケメンが男前になったような感じだ。くそう。これだからイケメンは。
「何だ」
「あぁ、勇者。二人の相手、ありがとう」
どうでもいい考えは横に置いて、勇者に丁寧に礼をする。
「気にするな。私は少し休憩をする」
慣れた様子で、勇者は水飲み場に向かった。
「魔王様!」
イスカがものすごい笑顔でこちらに飛んでくる。イスカのこの表情は嫌な予感しかしない。
「魔王様! 聞いてください。勇者が村の稽古を付けてくれると!」
「えっ!? 勇者が本当にそんなこと言ったの?」
「さっき頼むと、『いい』と言ってくれました。ちゃんと人族語で聞きましたから!」
イスカが、嬉しそうに剣を抱きしめてくるくると回っている。
イスカの話が本当だとしたら、悪魔族の稽古を勇者が付けるのか……? いや、それってありなの? 何というか、世界情勢的に。
休憩中で申し訳ないが、勇者に確認しに行く。
「勇者。悪魔族村の稽古を付けてくれるって本当?」
イスカの勘違いか、頼み間違いかと思ったけれど、勇者はあっさり「あぁ」と答えた。
その答えを聞いた私の方が動揺する。いや――魔王的には勇者に悪魔族を鍛えてもらって得るものしかないから、放っておくのが最善か。イスカを怒らせるのは怖いし。
考え込んでいると、「行くか」と勇者が立ち上がった。
「もういいの?」
「私の方は問題ない」
イスカを呼びに行って、悪魔族の村まで転移した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さすがの悪魔族も、勇者の周りを警戒しながら飛んでいて、誰一人手出ししようとしない。
「すごいな。こんなにいるのか」
「まぁ、村だからね」
勇者は少し驚いた様子で上空を見上げている。
族長であるイスカが、悪魔族を一カ所に集めて、今回の経緯について説明する。さすがの悪魔族も、村まで勇者が来るとは思っていなかったのか、さっきから「おお」とどよめきが何度も上がる。
「では、戦いたい者! 早い者勝ちだ!」
「はい! はい。ユメニアやりまーす!」
ユメニアがそう一番に宣言して、元気よく、魔槍ロンギヌスを抱えて飛んできた。
そして、勇者に当然のごとく、子猫のようにあしらわれていた。
「魔王様。勇者って強いんだね」
ユメニアが足を伸ばして座っている。髪が額に張り付くくら大量の汗をかいているが、それをまったく拭おうとしないので、代わりにごしごしとタオルで拭いてやった。
「勇者は、教えるのがうまいからな。ユメニアも強くなれるさ」
「ほんと?」
「あぁ、少し教えてもらうだけでイスカもずいぶん強くなったからな。ユメニアはもっと伸びるさ」
年齢的に、と続けそうになって慌てて周囲の確認をする。私は今、命の瀬戸際にいた気がする。
「へへ、そうだよね? もう、人族殺せなくなったけど、魔王様、わたし頑張ってもっともっと強くなるね!」
周囲の警戒をしすぎて、ユメニアの言葉がよく聞こえなかった、気がする。
「ユメニア。『人族が殺せなくなった』と聞こえた気がしたんだけど……私の気のせいだよね?」
「魔王様、さっき勇者と約束したの。稽古を付けてもらう人は『今後、自分の身に危険があるとき以外は、人族を殺さない』って。破ったら、針千本飲まないといけないんだって! イスカでもきっとできないよ、そんなの」
ユメニアは、針を一本一本飲むところを想像しているのか、痛そうに片目をつぶっている。
私はすっと立ち上がった。
「イスカ! ちょっと来い!!」
イスカを呼びつけて、イスカに聞くと、勇者とそういう約束をしたことをあっさりと認めた。
何てことだ!
単純――いや純粋な悪魔族相手にそんな約束をするとは、下手をすればというか、ほぼ確実に、私が人族を殺せと命令しても「針千本飲めないから、無理」と断られてしまう。
悪魔族の生態を熟知した作戦。なんたる策士――おのれ勇者め!
悪魔族を止めようと声を出しかけて、珍しく列なんか作って順番待ちをしている悪魔族の姿が目に入る。しばらくそれを見つめてから、ストンとその場に座った。
「『自分の身に危険があるとき以外は、人族を殺さない』か……」
勇者――いやレグルスト・ルーベルよ。いいだろう。貴様ら人族などに身の危険を感じることなどないくらい、悪魔族を鍛えてやろう。そのためにも、貴様を今以上に徹底的に活用してやるぞ。
覚悟しろよと笑いながら、悪魔族がじゃれつくように勇者に飛びかかるのを眺めていた。




