48話 伝えたいこと
「アーガル、今から領主のところに行ってくるけど、何か希望はある?」
「おお、魔王様。前の酒、あの辛いやつ最高だったと伝えてくだせぇ」
「結局、どれもうまいんだろ。ほんとにもう」
私が呆れて言うと、アーガルが、がははと笑った。
「いつか、一緒に酒を飲みたいものです」
「そうだね」
かつて魔王城の隠し部屋で見つけたお酒――アーガルが私に忠誠を誓うことになった、あの幻のお酒はまだ見つからないけれど、東州領主ウェルス卿が人族領の各地から集めてくれるお酒は、舌をうならせるものばかりらしい。
毎度毎度、新しい一本が手に入るたびに、鬼人族の村で宴会が開かれる。そこで、一本のお酒を巡って、男たちの暑苦しい戦いが繰り広げられるわけだ。
死屍累々の鬼人族の男たちを、犬人族が慣れた様子で手当てをする。力の強い鬼人族と気配りはできるけど弱い犬人族。この2つの村の関係を見ると、いつも世界はよくできているなと感心する。
「じゃあ、行ってくるよ」
「お土産楽しみにしてます」
ほくほくした笑顔で待機しているアーガルに手を振ってから、私は転移した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「こんばんは」
「エーネ様。ようこそお越しくださいました」
「ウェルス卿。はいこれ、開拓団からの手紙だ」
領主に沼地開拓団団長からの手紙を渡すと、領主はその場で手紙を開いて目を通し始めた。
「豪雨のせいですか……」
「自然の気まぐれだからね。見てきたけど、あれは仕方ないよ。誰も巻き込まれなくてよかった」
今年は豪雨のせいで、川の水が増水し、一部堤防が壊れてしまった。今日領主に渡した手紙では、開発を一時止めて、その復旧作業に取りかかりますとの内容が書かれている。
沼地開発からを始めてから早いものでもう6年経った。あの沼地しかなかった地域に、徐々に水田のようなものが姿を現し、昨年からは稲の試験栽培も始まった。残念ながら、昨年の稲は途中で全滅してしまったけれど、今年はその中でも最後まで残っていた種類の稲を、水の量や、植え付け時期、そういうのを色々変えて試験している。
開拓団のみんなは、私が領主の手紙や、大量の食料、燃料などを抱えて突然現れても、もう何も言わなくなった。
領主が紙を取り出し、ささっと返事を書く。それを側に控えていた執事のミンチェルに渡すと、手紙の形になって返ってきた。
「エーネ様。こちらをお願いいたします」
「了解です。お預かりしました」
領主の手紙を懐に入れる。私が立ち上がると、執事が縦長の包みを持って現れた。
「エーネ様。こちらが今回のお酒です。南州、エジループ村のワインを取り寄せました」
「ウェルス卿、いつもありがとう。そうだ、アーガルが『前回の辛いものが美味しかった』と言っていたよ。あと『いつかあなたと一緒に飲みたい』と」
アーガルたち鬼人族は大きいので目立つ。そう軽々しく人族領には入れられない。
「ええ。私からも『喜んで』とお伝えください」
領主は、そう言って微笑んでから、私に向かって礼をした。
人族と魔族、2つの種族が仲良く酒を交わす。そんな時代は、かつて想像もできなかった。
だけど、今は、必死になってアーガルの暴走を止める自分の姿が脳裏に現れるくらい、手の届く距離にあるような夢のように感じた。
「じゃあ、ウェルス卿。また来ます。手紙は任せてね」
「はい、よろしくお願いいたします。エーネ様。話は変わりますが、本日は東州で祭りをしております。今年は、なぜか質のいい魔力石が格安で市場に流れまして、古かった魔力灯を新調することができました。本日はすべての灯りを点しますので、よろしければ、ご覧ください」
「ふふ。わかった」
領主に笑って手を振って、私は魔王城ではなく、東州の森の中に転移した。
森の中から町の方角に向かって歩くと、笛の音色と、人が楽しそうに騒ぐ声が聞こえる。
「ほんとだ。今日は町が明るい」
いつもは、窓からぽつぽつと灯りが漏れるくらいなのに、今日の町は、王都以上に明るく輝いている。その色とりどりの灯りを、頭を上に傾けて見ながら歩いていると、突然声を掛けられた。
「エーネ。こんな時間に珍しいな」
A級冒険者のジョッシュが、いつものよろよろの冒険装備ではなく、ちゃんときれいな鎧のようなものを身につけて立っていた。
「あれ、ジョッシュさん。仕事ですか」
誰に聞かれるかもわからないので、魔王口調ではなくE級冒険者らしくちゃんと敬語を使う。
「今日は、ギルド員は、普通は、仕事だ」
ジョッシュは一言一言強調するように答えた。不真面目なギルド員である私は、知らなかったので「へー」と頷づく。
「私は仕事ではないので、もう行きます」
「嫌みか」
ジョッシュに笑って答えてから、一番明るく輝いている町の中央に吸い寄せられるように歩みを進めた。
B級冒険者のジストや、何人かの顔見知りのギルド員に手を振りながら、町の中央にたどり着くと、数十人、いや百人を越えているかもしれない――そのくらいの数の男女が、手をつないで輪になって、音楽に合わせて踊っていた。
女性は皆、赤いおそろいの民族衣装のようなものを来ている。東州は豊かな土地ではない。けれども、今日は皆そんなことを吹き飛ばすかのように、楽しく笑顔で踊っていた。
一人で来るのではなく、パメラやラウリィなど、人族領に連れてきても問題にならない人を連れてきて、見せてあげれば良かった。
くるくる楽しそうに踊る人たちと、町を明るく照らす街灯。そんな、かつての世界を思い出させるような世界に、私は、このとき意識を奪われていた。
かつての世界のことを思い出せるということは、かつての世界で見たこの光景は、私にとって大事なものではなかったらしい。今の自分と同じように、ただ、幸せそうに踊る人たちを眺めるだけだったのだろう。
私は、人族領での自分の立場を忘れて、そんなことに意識を取られていた。
だから、その男に――他の人と同じような笑顔を浮かべて、私とすれ違うように近づいてきた男に、私は何の注意も払っていなかった。
そして、頭で理解できない衝撃と
「魔族よ滅びよ。アウシア様の御ために!」
そんな声が耳に入ってきたときには、もう遅かった。
取り返しが付かないくらい――遅かったのだ。
笑顔で私の左脇腹に剣を突き立てた男が、剣をもっと深く押し込むために、さらに体重を掛けてくる。その男の向こうで、
「違う! 違うの! 私は――」
聞き覚えのある、女性の声が聞こえた気がした。
そのとき、私はやっと、自分の世界に転移した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
足が、地面に着く。それはわかったけれど、両足は何の支えにもならなくて、膝を突いて、そのままどさっと横に倒れる。
転移で、男の剣が抜けたからであろう――私のお腹から、勢いよく血があふれるのが分かった。
でも、私は何もできなかった。
しばらく何もできずにその場で倒れていると
「魔王様! 魔王様!」
ラウリィの声が聞こえてきた。薄目を開けると、血相を変えた様子のラウリィの顔が見えた。
「魔王様。一度起こします!」
ラウリィがそう言ってから、私を抱えて私をベッドに移動させる。そのまま、ラウリィが私の部屋から出て行ったのがわかった瞬間、隣の部屋から大轟音が聞こえた。
部屋に戻ってきたラウリィが、私のお腹の傷にたくさんの白いタオルを押しつけてくれているが、そのタオルはみるみるうちに真っ赤に染まる。
あぁ、これはだめだと、他人事のように思った。
ラウリィが、唇をかんで考え込んでいる。
「魔王様。焼きます!」
「ラウリィ。……いいんだ」
あの剣は、ナイフなんてものではなかった。表面だけを焼いて穴を防いでも、中はどうしようもないだろう。
私の言葉にラウリィのかわいい顔が、くしゃっと歪む。ラウリィには、私のせいでそんな顔をしないで欲しかった。私は、笑って欲しかった。
「ラウリィ、好きだよ。皆にも、そう――」
「知っています! そんなこと皆、知っています!」
そっか。良かった。
言葉に出したつもりだったけれど、言葉には出なかった。
そのとき――隣の部屋からガシャンと窓が割れる音がして
「魔王様!!」
イスカが部屋に入ってくるのが分かった。
「エーネ! エーネ!」
ユーリスの声も聞こえて,顔を部屋の入り口に向ける。
「ユーリス待て! 何をするつもりだ」
イスカが、必死にこちらに近づこうとするユーリスを羽交い締めして、止めているのが見えた。
「何って! エーネを、治すに……」
ユーリスが、急に力をなくしたように、下を向いた。
「うそだ。うそだ」
ユーリスは下を向いて、何度も何度もそう呟いていた。
「ユーリス……」
私がユーリスの方に手を伸ばしながら声を出すと、ユーリスがこちらに走ってきて私の手を両手で握りしめた。
「エーネ」
目の前に、つい先日15歳になったユーリスの綺麗な顔が見える。
そのユーリスの笑顔が見たいのに、今のユーリスはそれとはほど遠い顔をしていた。
「ユーリス」
伝えたいことが、たくさん合ったはずなのに、何も言葉が出てこない。
「ユーリス……仕方ないんだ」
私が怪我をしたのは、私がドジを踏んだからで、怪我を治せないユーリスの責任ではない。そう伝えたかったけれど、もうその体力がなかった。
ユーリスは私の手を凄い力で握って、小さな子どものように下を向いて首を振っている。
「いやだ。いやだ!!」
ユーリスは私を見上げて悲鳴を上げるようにそう叫んでから、倒れ込むように走って、部屋を出て行ってしまった。
私はあの子に、大切なことをすべて伝えることができただろうか。世界を見せてあげることができただろうか。
もう、頭が上手く動かない。
「机の、2段目の奥……」
熱に浮かされるように言葉を絞り出すと、ラウリィが走って私の机に向かって、中のものを取り出す。
「手紙……みんなの分」
転移で逃げ出すことのできる私がもし死ぬとしたら、突然だ。だから、一年ごとに更新した遺書を、いつもあの引き出しの中に用意していた。
もう何を書いたのか、思い出す気力もないけれど、皆に、伝えたいことはあの中に書いたはずだ。
私がやり残したこと――それも、次代の魔王宛に、手紙を書いた。
あぁ……どうか神様、次の魔王が、優しい人でありますように。
私の大切な人たちに、優しい人でありますように……
神に届けと最後の気力を振り絞って、心の中でそう何度も叫んでいるうちに、意識は深い闇へと沈んだ。




