46話 魔王、世界の狭さを知る
中庭で、ユーリスとアーガルが戦っている。
それ自体は、これまでもときどき見かけた姿だ。だけど――
「イスカ! アーガル、あれやり過ぎだろう。 ユーリス、ひどい怪我しているじゃないか!」
なぜか今日は、木刀じゃなくて素手だ。ユーリスはアーガルと体格しからして違うので、ユーリスはそれはもうすごいあざだらけになっている。治せると言ったって、痛いものは痛いだろう。
「ユーリスが、本気で鍛えてほしいと」
イスカの言葉に、反射的に言い返そうとして、無理矢理口を閉じた。
ユーリスの決意だ。私がとやかく言い出すものではない。そんなことは、頭ではわかっている……わかっているが……
「魔王様。骨の折り方は心得ております」
「そんな心得はいらん!」
イスカを睨むと、イスカはへへんと自慢気に笑った。褒めてない。
「でも魔王様、良いのでしょうか?」
真面目な表情で、こちらに向き直したイスカに「何が?」と尋ねる。
「私たちはユーリスを喜んで鍛えていますが、その……良いのでしょうか? ユーリスも一応人族ですし……」
ユーリスが、私たちと敵対する可能性か……聖女として、そういう立場になる可能性はゼロじゃない。ユーリスには、私を殺せる、忌々しいあの神の力がある。
「人族と敵対しないようにするのが、私の仕事だが……もし、ユーリスと戦うことになったとき、ユーリスがどこの誰かも知らないやつに、敗れて死んだら嫌じゃないか? ユーリスが強くなりたいと言うんだったら、そのことは別に気にしなくていいんじゃないかな」
「そうですよね! ユーリスは、私たちしか止められないくらい強くします!」
「イスカ。そこまでは必要ないんじゃ……」
悩みが吹っ切れたように木刀を振り回し始めたイスカを、私は慌てて止めた。
ユーリスが私を殺そうとすることなど、そんなことあるのだろうか。
もし、そんなことになったら――もしユーリスをそんな事態に追い込んでしまったのなら、イスカとアーガルを出すまでもなく、私はきっと喜んでその責任を取るだろう。
そんな未来を作らないのが、今の私の仕事だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「へぇー。そんなことがあったんだ。うん、魔王様が悪いよ」
「えっ!?」
久しぶりに魔王城に遊びに来たマーシェに、ユーリスとの先日の一件を話すと、開口一番にそう言われた。
「うん。だって、私もやられたから気持ちはよくわかる」
「マ、マーシェ!?」
マーシェはうんうんと頷いている。あのときも確かに強引だったけど、まさか、マーシェに恨まれているとは……
「今の生活に満足しているから、別にあのときの魔王様が全部間違っているとは思わないんだけど、私はここで暮らすの楽しかったんだよ? そういう気持ちを考えずに、押しつけるのは失礼だと思うな」
ごもっともだ……返す言葉もない。
「あのときは、すみませんでした」
頭を下げると、マーシェがふふんと笑った。
「魔王様。私、精霊族に会いたいな」
「……ご案内いたします」
マーシェが光の粒に囲まれて、慌てて私に助けを求めるのを私は笑って拒んだ。
「大人げない!」と、あとでマーシェに叱られた。
「そう言えば、魔王様。私、正規の研究者になれたんだ」
マーシェは前まで、王都の研究所の研究補助員だった。身分が高くないから、正規の研究員になるのは無理だと本人が言っていたのに、無事になれたのか。実は、貧乏貴族の身分でも買おうかと手配はしていたのだが、使わずに済んだのであれば、それはよかった。
「おめでとう。マーシェ」
「ありがとう」
マーシェは心底嬉しそうに笑った。
「マーシェは、どういうことを研究しているの?」
「今は歴史だよ。何か、研究所に変な研究者がいてさ。一人で図書館で本を読んでいたら、その人に、魔族語が読めることがばれちゃってね。なんか気づいたときには、その人の部下として正規採用になったんだ。私の身分とかすっ飛ばしちゃうなんて、その人大貴族なんだけど変な人だよね」
マーシェの話に、心当たりのある人物が思い浮かんで、私は固まった。
私はあの男に、マーシェのことなんて、名前を言っていないどころか、存在を感知されることも言っていないはずだ。
そうだ。そうだよな。だから、きっと人違いだと、マーシェにその変人貴族の名前を確認した瞬間――世界の狭さを思い知った。
「マーシェ、ちょっと待っていてくれ……すぐ戻る」
そう言い残して、王都にある、奴の部屋に転移した。
あの変人は、今日も床に尻が縫い付けられているように、地べたに座って静かに本を読んでいた。これを待っていては日が暮れるのは知っているので、目の前で魔力を放出して、男の本能に呼びかけて、男の顔を無理矢理上げさせる。
「ローディス・ガールベルグ。君が新しく雇った研究者の女の子、もし本人の意思を無視して、その子に手を出したら――そうだな。君の世界を。この部屋を。すべて燃やそう」
「わかった」
そんなことで邪魔をするなと言いたげに本に顔を戻した男の姿を確認してから、魔王城に転移した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「またね、魔王様。人族に関する諜報活動頑張ります!」
「そんなこと頑張らなくていいから、気を付けて。元気でね」
立場上マーシェの上司であるあの変人貴族に関しては、おそらくあれで大丈夫なはずだ。というか元々研究にしか興味がない男だ。マーシェに何かをするところは想像できない。
それに、マーシェが研究の役に立つならば、きっとマーシェのことを守ってくれるだろう――本人はそんなこと意図しないだろうけど。
パメラが最後にマーシェをぎゅっと抱きしめる。
パメラが楽しそうに生活していないと、マーシェがパメラを連れ帰ってしまうかもしれない。毎回、別れの挨拶のときは、少しどきどきしてしまう。
優しい目でマーシェを見つめるパメラの横に並んで、「またねー!」とマーシェに大きく手を振った。




