43話 魔王、領主の夢を聞く
あの村かな……頭の中で開いた地図と、地形を照らし合わせる。近くの木の陰に降りて、村まで徒歩で移動すると、大きな建物の横に、立派な馬車が止まっているのが見えた。恐らくあれが領主の馬車だ。待ち合わせ場所はここで合っているだろう。
馬車の止まっている建物の前まで歩くと、建物の入り口に立った衛兵に止められた。
「何者だ」
領主から話は通っているはずだが、屈強そうな兵士に見下ろされると緊張してしまう。
「あのー、エーネと申します」
「失礼しました。領主様がお待ちでございます」
「ありがとうございます」
兵士が恭しく開いてくれた扉を潜ると、中は至って普通の村の宿屋だ。そこで、その場所にまったく似合わない、高価な服を着た人々と、鎧を着けた兵士がくつろいでいた。
宿屋の中に入ってきた私を見て、私の正体を知っているごく一部の人間が、緊張した顔で姿勢を正した。
「領主様を呼んで参ります」
執事の一人がそう言って、2階に上がった。
領主は仕事をしているのだろう。待っている間に近くの空いた席に座る。今日ここでの私の立場は、『魔王エーネ』ではない。『王立研究員の変人研究者エーネ』だ。
「久しぶりだね。エーネ」
階段から声が聞こえたので、振り返ると、完璧に演技をした領主が見えた。
「はい。お久しぶりでございます、ウェルス様」
「出発は明日だ。君も今日は移動で疲れているだろう。ゆっくりと休むがいい。ミンチェル、お部屋に案内してやれ」
「かしこまりました」
領主を呼びに行った執事に連れられて、2階の部屋に案内される。ベッドがひとつしかない小さな部屋だ。
「エーネ様。領主様が、あと1時間ほどしてからお越しくださいと。2つ右隣の部屋でございます」
「わかった。跳んで迎えに行くと伝えてくれ」
「かしこまりました」
執事が部屋を出て行った。
わざわざこんな狭い場所で待つ必要もない。1時間後に戻ってこよう。魔王城の自分の部屋に戻って仕事をしてから、直接領主の部屋に転移した。
領主は椅子に座って、紙をめくっていた。私に気がついて、口を開こうとするので、シーッとジェスチャーをする。この安宿だと、話し声が壁を伝わるだろう。
足音が響かないように、領主に近づいて、領主に手を伸ばした。領主は私の意図を理解したのか、そっと私の手に触れる。
「エーネ様。ここは?」
「もちろん魔王城だ」
会議室の椅子に座って、反対側の席に座るように、笑顔で領主を促した。
「あれから何か進捗はあった?」
「おおむね順調に進んでいるとの報告を受けております」
ラウリィの入れてくれた紅茶を飲みながら、領主と沼地開拓団の進捗会議をする。
「ただ、士気はあまり高くないと……」
「そうだろうな」
なぜ開拓するのか、その必要性を理解できていないたろうし、どうやるのか具体的な指示も出されていないので、やる方は大変だ。
「ウェルス卿。明日は、あなたが現場の人をうまく扇動する必要があるな。毎度、押しつけてしまってすまない」
現場の人に頑張ってもらうためには、偉い人も体当たりでその思いを伝える必要がある。
自分の力が何かを変える、役に立つ。そう思えないと、人は工夫をしない。
「私の民への説明ですので、私がするのが当然です」
「えっと、侮辱するつもりはなかったんだ。王立研究員の研究者は、領主よりはその辺をうろうろしていても不審に思われないから、必要なときに、好きに使ってくれ」
「エーネ様。ありがとうございます」
領主が頭を下げたそのとき――バンッと会議室の扉が開いた。
「あれっ、エーネ? 仕事じゃなかったの?」
あの扉、重いはずなんだけどな……
「仕事中さ……」
ユーリスの視線が私の向かいの領主に移る。
「こんばんは!」
領主がユーリスを見て、目を見開いた。
「聖女様でございますか?」
「はい! 僕は聖女ユーリスです!」
「お元気そうで何よりでございます」
額に手を当てたい気分だったが、ユーリスはすくすく成長してもう9歳になったし、健康そのものだ――何も恥ずべきことはない、はず。
「えっと……言い訳かもしれないけれど、ちゃんと気を配っているつもりだよ」
領主に向かって取り繕うように説明すると、ユーリスがこちらを向いて、不機嫌そうな顔で私の顔を見る。
「エーネ、最近仕事、仕事って僕のことみんなに押しつけて、構ってなんかいないじゃないか」
「いや、最近は稲を集める仕事があってさ……うん、まぁ仕事なんだけどね?」
「明日は?」
目線だけでユーリスが、無言の圧力を掛けてくる。
「明日も……仕事だ。わかった。その次の日は、ユーリスのこと最優先するよ。どこか遊びに行こう」
「うん、約束だ!」
一転して明るく笑ったユーリスの背中を押して、「はい。もう寝るんだ」と部屋から追い出す。
「お休みなさい!」
領主に向かって、手を振ったユーリスに、「お休みなさいませ」と領主が頭を下げて答えた。
会議室に戻り、どっと疲れて椅子に座り込む。そんな私を、領主が何かを言いたげに見ていた。
「なんだ?」
「いえ、何でもありません」
領主は小さく笑っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大きな馬車にひたすら揺られる。
領主の馬車なので、この世界では揺れにくい良い馬車のはずだ。
「ウェルス様。あと、どのくらいで到着しますか?」
王立研究員が突如辺境に現れたら不自然だろうと、初めの一回くらいは普通に馬車で向かおうと心に決めたが、その心はもう折れそうだ。馬車ごと抱えて、転移したい。
「エーネ様。あと6時間ほどでございます」
領主の代わりに、執事が答えた。ぽきりと心が折れる音に――
「ミンチェル様。ありがとうございます」
ハンバーグ、豚の生姜焼き、鶏の唐揚げ――
米の添え物を頭に思い浮かべて、無理矢理意識を逸らした。
着いた――帰りは無理だ、領主ごめん。毛布を丸めたものを、ダミーとして持って帰ってもらおう。
「お手を」
「ありがとうございます」
馬車から降りると、見渡す限り、草木の少ない湿地帯が広がっていた。地上から見ると上空から見る景色よりも、広く感じてしまう。
これは……別の場所から土を持ってきて、多少埋め立てる必要があるな。そのための土を運ぶのに、人を雇うのだとしたら莫大な金が必要になる。うーん。私が転移で土運びを手伝おうか?
だが、その仕事に国境沿いの村の人を使ってきちんと給料を払えば、国境沿いの人々が引っ越す余裕もできるのではないだろうか。
そうだな……私を使うのはタダだが、公共事業として、この地方にじゃぶじゃぶお金を注ぐのも、ここが潤っていいだろう。そのためにも、やはり私も人族のお金を積極的に稼ぐ必要があるな――よし、金を稼ごう。
「エーネ様、どうかなさいましたか?」
「あ、はい。行きます」
ぼーっと見ていた沼地の彼方から視線を戻して、領主一行のあとを追いかけた。
それにしても、新しく建てられた家が数軒あるだけで、本当に何もないところだ。
わずかに広がる固い地面に、薄汚れた、痩せた男たちが集まっている。そんな男たちが自分たちの前に立つ領主をギラギラした目で見上げていた。
「私の至らぬところでもあるのだが、我らが東州は貧しい。麦の良く育つ豊穣な土地は少なく、国境に近いため幾度となく魔族との戦争にかり出される。
だが、この植物――そこにおられるエーネ殿が研究しているこの植物は、そんな状況を覆すことのできる素晴らしい植物だ。
見渡す限りのこの沼地――この広大な土地を開発しろなどど、君たちには酷なことを頼んでいる。だが、ここがこの植物でいっぱいになれば、我らが東州の民の暮らしは、今と比較にならないくらい、豊かなものとなるだろう。
私は西州に広がる広大な麦畑――それを上回るような、黄金色をこの地で見たいのだ。いや、君たち東州の民に見せてあげたいと思っている」
私は、彼ら東州の民の生活など知らない。彼らが今まで、どんな思いで生きてきたかなど、知るよしもない。
だから、夢を語る領主の言葉に、どれほどの願いが込められているのかはわからない。
領主を真剣な目で見上げる男たちが、その話を、どんな思いで聞いているのかはわからない。
わからないが――
そんな彼らのこれからの人生を、私は最期まで見届けようと思った。




