39話 魔王、名付け親になる
「魔王様、落ち着きなよ」
「大丈夫だよ。アメニア初めてじゃないし」
どうしても落ち着かなくて、立ったり座ったりしていると、同じ部屋で待機していた悪魔族たちに怒られた。
とうとう、アメニアの子どもが生まれるらしい。さっきまでは、私も分娩室に入れてもらっていたのだけれど、目障りだから出て行けと追い出された。
本日の私の役割はいざというときに、魔王城で待機しているユーリスを呼びに行くことだ。真面目なユーリスのことだ。もうずいぶん遅い時間だが、パメラと眠らずに待機していてくれているのだろう。
私は無力だ。何の役にも立たない……
「魔王様。だから、座って待つ!」
無意識のうちに立とうとした肩を、隣の悪魔族に押さえつけられた。
「魔王様。アメニアに名前を考えるように、言われたんでしょ? 今のうちに考えときなよ」
「もう考えている」
「そうなの?」
アメニアから、「魔王様。名前お願いね」と大きなお腹でさらっと頼まれたのは一週間前だ。「えっ、私が」と、それはそれは動揺したのだけれど、なぜか皆にもそう言われてしまって、私が付けることに決まり――いつ生まれても大丈夫なように、徹夜で女の子の名前を考えた。
頭に刻印されているんじゃないかと思うくらい繰り返し念じたので、もう忘れはしないと思うけれど、忘れないように名前を書いた紙も用意してきて準備万端だ。
膝の上で手をぎゅっと握って、私は正座で待機する。
「魔王様。まだかかるんだから、待ってる間に一緒にオセロやろ?」
オセロは最近私が、盤をプレゼントして、悪魔族にルールを教えてあげた新しいおもちゃだ。将棋などという難しい遊びは覚えられないだろうと考えて、オセロにしたのだけれど、悪魔族たちは盤の順番待ちが起こるくらい楽しそうに遊んでくれている。
目の前で二人の悪魔族が「ね? お願い」とかわいらしく、私の顔をのぞき込んでいる。その顔を見つめ返す。
「面倒だ……二人同時にかかってくるがいい」
私の返事に、キャーと歓声があがり、2面のオセロが私の前に用意された。
こっちの面は、もう私の狙い通りにしか石を置くことができない状態にできた。あっちの面は、あと2手か……
ほぼ一色に染まった盤面を眺めながら、そんなことを考えていると――
赤ん坊の泣き声が聞こえた。
頭で考えるより先に転移したらしく、気づいたときには分娩室に入ってすぐのところに立っていた。
「アメニア!」
「魔王様、早いわね……」
少し疲れた顔のアメニアが、私を見て笑っていた。よかった……アメニアは無事だ。
分娩室に詰めていた年長の悪魔族が、生まれた赤ん坊の周りで、せっせと働いている。今、私が近づくのは絶対に邪魔だ。ここで待機しよう。
「アメニア。はい」
ミルグレが、きれいに拭いた赤子をアメニアに渡す。アメニアは、赤子を抱いて、幸せそうに、その小さな手を触っていた。
「ミルグレ。その……近づいてもいいかな?」
「あら、魔王様いたの? いいわよ」
走らないようにアメニアと赤ん坊にゆっくり近づく。うわ、すごい――赤ん坊の背に小さな黒い翼が生えていた。
しばらくアメニアの横から、アメニアの腕の中の赤ん坊を見ていると、
「魔王様。抱っこする?」
アメニアが横目で私にそう聞いてきた。
「いや、いいよ! 落としたら危ないから」
「大丈夫よ」
なぜか私が押し切られるように、大切な赤ん坊を渡される。
持ち方がわからない。さっきアメニアが持っていたように持っているつもりだけれど、これで合っているのだろうか。必死に赤ん坊を抱えていると、アメニアが優しく笑う声が耳に届いた。
私の胸にいる、小さな小さな赤ん坊を見つめる。
「アイリス。ようこそ、世界へ」
笑顔で名前を伝えると、世界に聞こえるくらいの大きな声で、再び赤ん坊が泣き始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(※時系列的に次話よりも後の話です)
「アメニア、持ってきたよ」
アメニアに頼まれていた清潔な布の山を抱えて、アメニアの家にやってきたが、布の山で前が見えない。
「魔王様、そこに置いて良いわよ」
「わかった」
念のため赤ん坊が足下にいないかを頑張って確認してから、どさっと布を置く。ふー。私は布を抱えて転移してきただけだけど、腰をさする。
「魔王様。ありがとう」
「おやすいご用さ」
そう答えながら、アメニアの方を向くと、ぱたぱたと小さな翼を羽ばたかせて、こちらに飛んでくる赤ん坊が見えた。
「なっ! なっ!」
なんで飛んでんの!? まだ1歳にもなってないよね!?
「最近、飛び始めたの。落ちたら泣くし、困っちゃうわ」
アメニアは、言葉に反してちっとも困ってないように、嬉しそうに笑っている。
「アイリス、まだ、歩けてもいないよね……?」
「えぇ、まだよ」
「歩く前に飛ぶの?」
「もちろんよ。そういえば、翼のない種族はどうするのかしら。魔王様、知っている?」
ハイハイという代物があってだな……
ハイハイについて説明してこれほどまでに驚かれるとは思ってもみなかった。人生色々あるものだ。
それにしても、翼用の穴の開けられた服から飛び出た小さな黒い翼が、懸命に羽ばたいている姿は――鼻血が出そうなほど、かわいいな。
下を向いて懸命に羽ばたくその姿を、立って眺めていると、まだ少ない量の黒髪の赤ん坊が、頭から私のお腹に突進してきた。私のHPが3減った。
「アイリス」
私のお腹にぶつかったまま、もぞもぞと下を向いていた赤ん坊に声をかけると、悪魔族の中では唯一の、きれいな黄緑色の目をした赤ん坊が――私を見上げて笑った。




