4話 魔王、悪魔と鬼ごっこをする
あれから色々試して、この転移能力に色々な制約があることがわかった。
まず、一度転移してから、再度転移するには1,2秒の待ち時間が必要だ。そして、一度に転移で運べる生き物は、左右の手で触れているそれぞれ一人ずつの最大2人まで。小動物君に協力してもらって足でも試したが、手で触れたものしか運べないようだった。
また、これが重要なのだが、生き物を転移で運びたいときには、その生き物の『肌』――首や、手のひらなどに触れなければならない。例えば、私が間違って誰かの服を掴んで転移すると、服を着ていた人ではなく、服の方だけを持って転移してしまうのだ。
おっと、ここで思考演算速度が従来の20倍ほどに加速されて、そのシーンが脳内に鮮やかに再現された諸君。残念ながら、私がそれに気づかされた相手は――イスカではない。
イスカでは、ないんだ。
うっぷ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あのさ、イスカ。この城、まったく人がいないね」
今日は朝からイスカに城の中を案内してもらっていた。この城の中に人というか魔族がいない。
「申し訳ございません……
魔王様が不在でしたので、近年は冒険者や勇者があまりここまでやって来ず、暇なので、皆故郷に帰ってしまいました。呼び戻されますか?」
イスカにそう聞かれて、しばらく考える。
「いや、いい」
城の中に大事なものがないのであれば、人族に攻められた場合、逃げる方が楽だ。そう考えると城の中に人は少ない方がいい。
「そういえば、城の掃除は誰がやってるの?」
魔王城は古そうな割には結構綺麗だ。掃除のおばあちゃんのような人が居るのだろうかと思って聞いてみると――
「ラウリィです」
「ラウリィだけ?」
「はい。ラウリィがすべて一人でやっております」
えっこの城全部を? と驚いていると、イスカがラウリィのところまで案内してくれた。
廊下で、ラウリィが姿勢良く立っている。掃除道具も持たず、目を閉じて集中している。ラウリィは一体何をしているのだろうかと、イスカと一緒に柱の陰から覗いていると、
「魔王様、何かご用でしょうか?」
私たちは即座に見つかった。
「あ、ごめん。邪魔するつもりはなかったんだ。掃除しているところ見たかったんだけど、見ててもいいかな?」
ラウリィは表情の乏しい顔で「どうぞ」と答えて、再び目を閉じた。
始めは何をしているのか全くわからなかったけれど、ラウリィの様子を注意深く見ていると、ラウリィの髪がかすかに揺れているのがわかった。ラウリィのステータスを見ると、MPが1ずつゆっくり減っている。風の魔法でほこりでも落としているのだろうかと聞いてみたかったが、邪魔しても悪いので、ラウリィのことを大人しく観ていた。
終わったのだろうか、ラウリィが静かに目を開く。
「魔王様、こちら側に移動していただけますか?」
言われたとおりに、通路の角から、ラウリィの後ろに移動する。
次は何をするのだろうかと、わくわくとラウリィのことを後ろから見ていると、ラウリィが急に体の前に両手を開いた。その両手の間に水の筒のようなものが現れ、ばしゃんと地面に落ちた後、私たちとは反対側に、水が、廊下全体を覆うようにまっすぐ流れていくのが見えた。
初めて見た本物の魔法に興奮していると、暖かい風がこちらに漂ってきた。地面を熱風で乾かしているのであろう、廊下に蜃気楼のようなもやが見える。それも、ラウリィが体の前に手を突き出すと、あっさり消えた。
「すごい!」
素直に感動してパチパチと拍手をする。そうしていると、二人がこちらを見ていることに気がついた。
拍手の文化が、この世界には、ないのかな……そもそも魔王様がはしゃいでいるのはまずいかもしれないと、拍手の勢いが少しずつ弱くなる。
けれども、「魔王様。ありがとうございます」と最後につぶやいたラウリィは、少し嬉しそうだった、と思う。
もう少し見ていたかったけれど、あまり長時間ボスが見ているのもやりにくいだろうし、ラウリィのもとを離れた。
イスカと二人で並んで歩きながら、イスカに話しかける。
「ラウリィは魔法が得意なんだね」
「ラウリィたち魔人族は、魔法が得意な種族なので」
イスカの答えにやっぱりそうなのかと納得する。それにしても、イスカの悪魔族は翼が生えているし、アーガルの鬼人族はやたらでかいし、魔族には色々な種類のものがいるんだなと感心する。
「よし。どうせだったら、顔見せついでに、他の種族にも会いに行ってみよう」
そうして、私は、魔王初のお仕事として、魔族領各地を巡ることに決めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
最初はどこに行くのがいいだろうかとイスカに相談して、イスカが一番良く知っている『悪魔族』に会いにいくことに決めた。イスカも村に久しぶりに帰るらしく、嬉しそうだ。
アーガルも一緒に行くかと聞いてみたが、
「申し訳ありません、魔王様。わしは遠慮させてもらいます」
アーガルは私に対しては申し訳なさそうに――けれども『絶対に嫌だ』という意思が感じられる様子で私の頼みを断った。何かあったのだろうか? 仕方ないので、悪魔族の村には、イスカと二人だけで行くことにした。
イスカの手に触れて、魔王城頂上に移動する。さすがにここから悪魔族の住んでいるところは見えないので、ここから見える範囲まで一度跳んで、そこからさらに跳ぶことにした。
イスカの指さす方向に3回跳び、目的地に着いた。場所はもうわかったので、帰りは一度の転移で帰れるだろう。
「もう着きましたか。は、早いですね………」
イスカが呆然とした様子で上を見上げている。その横に私も並んで、同じように上を見上げた。
目の前に、これ幅何メートル? と聞きたくなるくらい、大きな木がある。イスカの話によると、この大きな木に、悪魔族が住み着いているそうだ。
せっかくなので、悪魔族の村にお邪魔する前に、目の前の巨大な木に触れさせてもらうことにした。転移ですぐ近くまで跳んで、そっと木の表面に触れていると――
「イスカ!」
突然頭上から、声が聞こえた。声がした方向を見上げると、まぶしい太陽をちょうど遮るように、悪魔族が翼を大きく広げて降りてきて、上空からイスカに飛びかかっていた。
「イスカ、お帰りなさい!」
上空から降ってきた女性が、イスカに抱きついて――頬ずりしている。
「離せ! ミルグレ!」
イスカが怒って、抱きついていた女性を引っぺがして、地面に叩きつけるように投げ捨てた。
(えっ? 大丈夫かな……)
声を掛けようか迷っていると、地面にしなだれかかって嘆いていた女性ががばっと顔を上げてこちらを見た。
その表情に、本能的に、「あ、まずい」と思ったそのとき――
「もしかして、その気配は魔王様!? やだ、ちっちゃくて、かわいい!」
女性が地面を蹴って、すごい勢いでこちらに飛んできた。そのままイスカの制止の声も届かず、私は脇をがっつり捕まれて、上空に連れ去られた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
みなさん、綺麗なお姉さんは、好きですか?
私は現在、あの巨大な木の中央付近で、背の高い、薄手の服を着た、翼の生えたたくさんの美女達に囲まれていた。それだけを聞くと、天国のような環境だったが、ひそかに美女たちのステータスを覗くと、さすがイスカと同種族だけあって皆強い。
距離が少し――いやかなり、近いこともあって、ライオンの檻に入れられた一匹の子ネズミのような気分だった。
さっきからほっぺたと、肩の辺りに優しく触れられている。すみません、翼はありません。果物は好きですが、そんなにいりません。
「イスカ! 助けて!!」
イスカが血相を変えて、こちらに近づこうと頑張ってるのが見えた。悪魔族の皆は、空を飛んでいるので、かき分けてこちらに来るのも大変そうだ……イスカが、遠い……
そのときやっと、私は自分の能力を思い出した。一旦、イスカの真後ろに跳び、イスカをつかんで、悪魔族の群衆から距離をとるように再度転移する。イスカを自分の前に立たせて、その後ろに隠れた。
「お前たち、何をやっているんだ! 止まれ!」
イスカが、威勢良く悪魔族の軍勢を怒鳴りつけているが――
「えー! 今のどうやったの!?」
「イスカ! 久しぶりのお客さんなんだから、別にいいじゃない」
綺麗なお姉さんたちには、全く反省の色がない。アーガルがここに来るのを全力で拒否した理由が、よくわかった。
何とか悪魔族全員を集会所のような場所に集めて、大人しく座って頂くことに成功した。
イスカが、その群衆の前に立つ。
「こちらは、今代の魔王様だ。皆のもの、失礼のないように!」
「はーい!」
イスカは私のことを格好よく紹介してくれているが、悪魔族の皆は、絶対にわかってないだろう。
「魔王様は、何しにここに来たんですか?」
「顔見せと、悪魔族がどんな種族か知りたかったんだけど、大体わかったよ……」
私は、ため息まじりにそう答えた。
「あと、この村で誰か、何か困っていることはあるかな?」
一応、魔族領のトップとして聞いておこうと、私が、悪魔族全体にそう呼びかけると、何人かが勢いよく手をあげた。
「最近、暇です」
「戦いたいです!」
そんな声が次々と上がる。
うん、なんとなくわかっていたけど、君たち血の気が多いな。
「うん。それは機会があったら頼むよ。君たちは強いから」
私のその言葉に、何人かが飛んで喜んでいた。
悪魔族全体集会が終わった後、再び悪魔族に捕獲されそうになったので、即座に私は転移で逃げた。悪魔族の村の入り口のような場所に跳ぶと、すぐに追っ手が来る。蜂の軍団に全力で狙われ続けている気分だ。開けた、地面のある場所に逃げると、誰かがすぐに飛んできた。
このままではだめだ。どこか悪魔族が飛びにくいところに逃げないと……そう思い上を見上げると、巨大な木の枝が生い茂っているのが見えた。
「この木、登っても問題ない?」
私を捕らえようと、両手を広げて近づいてきていた悪魔族の人に、後ろに下がりながら大声でそう聞いた。
「え!? いいですよ!」
なぜか、答える声はすごく嬉しそうだ。この木が村の神聖なものでないのであれば、遠慮なく登らせてもらおう。ちまちま登らずに、見える範囲ぎりぎりにあった手頃な大きさの木の枝まで、一気に転移した。
近くにあった小枝をつかんで立ち、ふうと息を吐く。はるか下から
「そっちにいる?」
「いない!」
と確認し合う声が聞こえる。
そのまま10秒も経っただろうか――
「いた!」
さすがにあちらの見間違いだろうと信じて、ゆっくり下を向くと、一人の悪魔族がまっすぐこちらを指さしていた。血相を変えて、私もさらに上を目指す。
この転移能力は、どうやら転移先に何かものがあると――それがたとえ葉っぱ一枚であっても――転移できなくなるらしい。上に行けば行くほど、葉が生い茂って、私が直接転移できる空間が少なくなった。
最後は細い木の幹に座って、せめて姿を隠すように周囲に生い茂る葉の下に潜って、目をつぶって丸まっていた。
「いたー!!」
ごそごそ葉をかき分ける音が近づいてきて、ついに間近からそう聞こえたときは、もう諦めて顔をあげた。声の聞こえた右斜め下を向くと、細い木の枝に、濃い紫の髪をした悪魔族の女の子がぶら下がっているのが見えた。
顔に土を付けて、服も汚れたその女の子に、私はしぶしぶ両手を上げる。
「降参する」
私がそう言うと、女の子は「あはは!」と、可笑しくて可笑しくてたまらないとでも言うように笑い始めた。それにつられて、周囲の悪魔族からも楽しそうな笑い声がする。
「わたしはユメニア! 魔王様ありがとう。楽しかった!」
「どうも」
悪魔族の皆さんに全力で遊ばれていたことに納得がいかず、私はそっぽを向いてそう返した。
でもまぁ、暇だ暇だと文句を言っていた皆がすごく楽しそうだった。たまには遊んでやるかと、まだ聞こえてくる愉しげな声を聞いて、私は思った。
「ユメニア。頼みがあるんだけど」
最後にこれくらいはいいだろう? と、悪魔族の誰かにやってもらいたかったことを、私を捕まえたユメニア頼んで見ることにした。ユメニアは目を輝かせて、
「何! 何!」
とこちらに飛びかからん勢いで聞いてくる。
「ここに立って、私を後ろから抱えて。落とさないように」
そうユメニアに指示すると、「こうかな?」とユメニアが私の腕の下にがっつり抱きついたのがわかった。ユメニアの腕を押して、動かないことを確認する。
「よし、じゃあ今から、上に跳ぶから、そのままの位置で飛び続けてね」
そう言って、今いる巨木の、さらに上に転移した。
「う、うわぁ!」
耳のすぐ近くで叫ぶ声が聞こえる。徐々に降下し始めたので、失敗かと思った瞬間、バサッと翼の開く音がした。
翼が風を叩く力強い音と、上向きの力を感じて、落下が止まった。落下が止まると、先ほどまでうるさかった風の音が一気に静かになった。
眼下に海が見える。
「きれー。こんなに高いところ初めて来たよ!」
太陽を反射してキラキラ光っている海を、二人で言葉少なげに眺める。
「ユメニア、反対側も見たい」
その言葉にユメニアがぐるっと半回転すると、私の足が遠心力で大きく揺れた。今度は大陸と森が見える。
「魔王様、あれ何ー?」
私を右手だけで抱え直したユメニアが、こことはちょうど魔族領の反対側に位置する中央山脈を指さした。
「中央山脈」
「あれがそうなんだ。人族がいるとこだよね?」
「人族領はあの山を越えた向こうだ」
昨日知った知識を披露すると、「へー」とユメニアから感心するような声が返ってきた。中央山脈は下からだと、エルフの森が邪魔になって見えないのだろう。
もう少し見ていたかったが、そろそろ腕が痛い。私はぶら下がっているだけだが、ユメニアは重くはないのだろうか。
「そろそろ帰ろう」
ユメニアの腕を軽く叩いてそう声をかけると、ユメニアがゆっくり旋回し始めた。ぐるりと、目の前を、この世界が横切る。
「広いんだねー」
ユメニアがささやいた。
イスカのところに戻ると、イスカにすごい勢いで頭を下げて謝られた。イスカの様子とは正反対に、多くの悪魔族は笑顔だ。また鬼ごっこが始まってはたまらないと、今日は帰ることにした。
「魔王様。また来てねー!!」
ユメニアの大きな声が聞こえる。悪魔族に並んで手を振って見送られる中、軽く手を上げて答えてから、魔王城に戻った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「イスカ」
「は、はい!」
会議室で向かい合って、ラウリィの入れてくれた紅茶を飲みながら、優雅に足を組んだ私がイスカに声をかけると、イスカは翼を小さくして、こちらを伺うように返事をした。
「イスカだけ……ずいぶん違うんだね。悪魔族の中で」
会う前は、悪魔族はみんなイスカのような武将っぽい人なのだろうと思い込んでいた。知っていたら私も警戒した。
「私は族長なので……今はミルグレが代理をしていますが……」
一番始めに私を誘拐したあの人が族長代理か……
イスカだけが、ちゃんとしていることに、せめて心から感謝しよう。
「わかった。それで質問なんだけど、飛ぶ種族って他にもいるの?」
頭を切り替えて、イスカにそんな質問をする。
「飛ぶ種族ですか? 私たちだけです」
「飛ぶ生き物の中で、警戒すべきものは?」
私の質問にイスカはうーんと考えて、
「ワイバーンとドラゴンですかね……」
と答えた。懐から地図を出して、どのあたりに住んでいるか教えてもらう。
よし、大丈夫そうだな。
「魔王様、どうかしましたか?」
「ちょっと、行ってくるよ」
「どこにですか?」
「人族領」
転移する直前に、「まっ」とイスカが何かを言いかける声が聞こえた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
直接人族領に転移してもよかったけれど、地図の縮尺がよくわからないので、魔族領から少しずつ転移で移動することにした。ワイバーンは中央山脈に住んでいるらしいので、中央山脈を大きく避けた海側から移動する。
空中に転移をしてから、落下する速度が大きくなる前に、次のエリアに移動する。もう日は落ちているので、周囲は真っ暗だ。あまり景色を楽しむ余裕はないけれど、空の生き物さえ警戒すれば、誰にも見つからずに安全に人族領まで行けるだろう。
50回くらい跳んだだろうか、中央山脈を越えた辺りまで来た。
「このあたりから、人族領か……」
初めて来た人族領は、魔族領と明確な違いがあるわけではなく、同じように大地一面に緑が広がっていた。
落下の時間を長くして、注意深く空中から集落を探す。20分くらい跳び回って、森の切れ目にやっと村らしきものを発見した。
見つからないように、一度村の近くの森に転移し、木の陰に隠れて、そっと村の様子を伺う。簡素な柵の中に、数軒の家がぎっちりと身を寄せあっていた。その中の一軒の家から、かすかな灯りが漏れている。
何か懐かしいように感じるその灯りを、静かに30分ほど見つめてから、私は魔王城に帰った。