幕間3 悪友の見解
「魔族め……いつか――必ず滅ぼしてやる!」
子どもの頃の願いを、素直に、信じ続けられれば、どれほど楽だっただろうか。
あの頃の強い想いはもう両手からこぼれ落ちてしまったけれど、目を閉じて思い出すのはいつもあの頃の景色――荒らされた畑を前に、無気力な顔で立ち尽くす人々の姿だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おい、ローディス。私だ」
社交辞令程度のノックをしてから、返事のない扉を開けると、部屋の主は留守だった。呼び出したのはあちらだが、そんなことだろうと思っていた。いつものことだ。
積み上がった本を避けて、長いすがあるはずの場所に移動し、本を適当に横にどかして現れた長いすに寝転がる。この部屋には、部屋の中のものをほこりと紙に変えてしまうような魔法でもかかっているのだろうか。「よくそんなところで寝られるものだ」と、部屋の主には言われたことがあるが、外に比べれば、休めるだけこんな場所でも天国だ。
それに、この部屋の持ち主――『知識』以外のことにはまるで興味がない男にとっては、私の存在価値は下から数えた方が早いくらいらしい。私の存在を、まるでどうでもいいもののように無視してくれるこの環境が、私にとっては貴重で――私は用がないときでも、時折この場所に通って、休んでいた。
足音がして、扉が開く。目線だけ部屋の入り口の方に向けると、貴族しか住んでいないはずのここではあり得ない装いの男が、右手に持った紙束を見てぶつぶつ何かを言いながら、部屋の中に入ってくるところだった。
文字からは一瞬たりとも目を逸らさず、左手で何かを探るような仕草をしたあと、諦めたのだろうか、何もせずにその場に座り込んで、貪るように紙をめくっている。
灯りがほしかったのだろうと、代わりに魔法で灯りを点けてやるが、私の存在に気づいた様子もない。
今、声を掛けても無駄なことは、知っている。
私は、再び長いすに寝転んだ。
「レグ、起きろ。結果が出た」
「結果……?」
私に気がついたと言うことは、私を呼び出した用件を思い出したのだろうか。
「こっちだ」
手招きをされて、先ほどまでは本で埋まっていたはずのテーブルまで移動すると、この部屋の持ち主であるローディスは、高そうな布地で作られた袋を逆さにして、中に入っていたものを机の上にばらまいた。出てきたのは、色とりどり割れた宝石や、水晶だ。
「おい、ローディス!」
これは、王都近くにドラゴンが転移してきた場所に落ちていた、調査対象物だったはずだ。この男が大貴族といえども、雑に扱ってよいものではない。
「レグ。こいつの意味がわかった」
ローディスは勿体ぶるようににやにやしながら、私の顔を観察するように眺めている。
「呼び出しておいて、勿体ぶるな。それで、何なんだ。これは」
「これはな――ただの『ガラクタ』だ」
ここだけの秘密――そんな声が聞こえそうな言い方だった。
「ガラクタ? どういうことだ」
「そのままだ。これに力なんてものはない。調査していた魔法研究院のやつらは頭を抱えていたよ」
ローディスはその様子を思い出したのか、くっくっくと意地悪く笑っていた。
「上に『この1ヶ月、必死に調べましたが、何もわかりませんでした。ただのガラクタだと思います』なんて報告するわけにはいかないから、奴ら必死になってこのガラクタの存在理由を作りあげるだろうな」
「それは……」
「なぁ、面白いだろう。このガラクタだけで、この騒ぎだ」
ローディスは笑いながら、机の上のガラクタを、袋の中に戻していた。
ローディスが椅子を掘り出し、机の前に置いて、そのときだけは貴族であることを思い出したかのような優雅な仕草で椅子に座った。ローディスが私の方を見る。
「レグ。お前に直接聞きたかったんだが、ドラゴンと一緒にいた、あの黒いローブのやつが魔王で間違いないんだな?」
「そうだ」
『勇者』は魔王のことが感覚的に分かる。魔王が王都を去る直前、あの距離まで接近した魔王の存在を勇者が認識できない訳がないので、上には正直に報告した。
「そうか、そうか」
ローディスは何がおかしいのか、私の答えに再び笑い出す。
「このガラクタを偶然あの場所に落とした可能性もあるが、そうではないと仮定すると、このガラクタを意図的にあの場所に撒いたのはおそらく魔王ということになる。どうして魔王はそんなことをしたんだろうな?」
教師が、答えのわかっている問いかけをわざわざ生徒に聞くような、嫌みのこもった質問に、私は視線を逸らす。
「なぁ、レグ。何か見解はあるか。お前は、あの戦いの前に魔王に会っていたのだろう?」
なぜ知っていると、その言葉に反応して顔を上げ、悪魔のように笑ったローディスと目が合って、はめられたと気づく。
「勇者様は素直だなぁ」
反論する気は起きなかった。
「いや何、勇者様の登場が、物語のようにあまりにも良くできていたものだから、もしやと思っていたんだけれど、まさか本当にそうだったとは……レグ、魔王に魂を売った感想はどうだ? ちゃんと、高く売りつけたんだろうな?」
「私は人族を裏切ってなどいない!」
「そんなことどうでもいいから、一から全部話せ」
本当に人族のことなんかどうでもいい様子の男に、私は洗いざらい話すことになった。
「ちょっと待てレグ。お前、4年前に受け取った『友だちになってください』っていう言葉と、今回もらったこの手紙だけで、のこのこと魔王に会いに行ったのか? 本当に?」
目の前の男は「信じられない!」と涙が出そうなくらい笑っている。
4年前に魔王城で手に入れた地図に書いてあった言葉を解読したのは、この男だ。
『勇者へ いつかお友だちになりたいです 魔王』なんていう、ふざけているとしか思えない言葉を初めて聞いたときは、この男が私をからかっているのだと思った。
「そもそもこの手紙、どうやって受け取った?」
「それは……魔王から口止めされている」
私の言葉にローディスはうんざりした顔をしている。
「わかった。誰にも言わない、だから教えろ」
「ローディス。一つ間違えれば、人が大勢死ぬんだ」
「私には話す相手などいないし、誰にも話さないとローディス・ガールベルグの名にかけて約束する。もし私が話したら、私も含め、上位貴族の首をここに並べてやろう」
この男が一度断言したことを破らないことは知っているし、この男がここまで言うことを私が断った場合、勝手に調べだして、その結果エミリーを誘拐・監禁・拷問くらいは朝飯前だろう。
「ローディス、約束だ。破った場合は、私がお前の首を刎ねる――エミリーが、王都で魔王から直接受け取ったらしい。それを私に渡してくれた」
「エミリー?」
「私の仲間だよ。魔法使いだ」
「魔王が、直接、王都に来た……しかも、手紙の中身は、他の誰かに見られても支障がないように、いかにも勇者様が受け取りそうな内容の恋文に偽装したものか……」
ローディスは魔王からの手紙を、新しいおもちゃを手に入れたかのように眺めていた。
「レグ、この恋文で魔王に呼び出されたから、仲間3人だけを連れてのこのこ魔王に会いに行った、で合っているか?」
ローディスは確認するようにこちらを見ているが、その通りなので黙るしかない。
「レグ。白昼堂々王都に現れるような魔王が、その手紙に書いている通りに何もしてこないと、本当にそう思ったのか? レグルスト。実は、お前、死にたいのか?」
「そうではない……」
「そして魔王も、のこのこ現れた馬鹿な勇者をはめたりはせず、言葉通りに何もしてこなかった……それは、すごい!」
私の行動は、この男が言うとおり馬鹿なのだろう。そして、この男は性格が悪い。
自らの性格の悪さを自覚してくれていることが、頭が切れること以外で唯一の、この男の長所だと私は思う。
「レグ。続きを話せ」
生まれたときから命令することに慣れている人間に、言われたとおりに魔王と会った際の出来事の説明をする。説明している途中で、「もっと詳しく話せ」や「どうしてその話になった」などと、詳しい説明を求められるので、結局、魔王との会話のほぼすべてを再現することになった。
「へぇ……」
話が終わってからローディスは、何かを考える風に笑って、時折頷きながら、それしか言わない。
「レグ。仮に魔王が言ったとおりに、魔王の目的が『勇者を魔族領に来させない』ことと『王都の人間に分からせる』ことであったとしよう。そうだとしても、なぜ今回のような回りくどい方法を採る必要がある? 私であれば、王都を人質に勇者と交渉する、もしくは勇者不在の王都を先に攻めるという手段を取る」
「あの巨大なドラゴンを、そう簡単に、何度も動かせないのではないのか?」
「魔王の能力の制約上、これらの手段が取れなかったいう可能性は確かにある。魔王が王都に来てから能力を使ったのは、ドラゴンから落ちたときの一度のみ。『あの能力は魔力の消費が大きい』というのが魔法研究院のやつらの見解だ。このガラクタはそれを補うためのもの、というような話が、これから魔法研究院ででっち上げられるのだろうな。
だが、レグ。お前は目の前で魔王が、短時間に少なくとも4回は能力を使うのを見たのだろう?」
確かに、指摘されればそうだ……私が見ただけでも、魔王は、私たちの前に姿を現したときと、椅子を取りに行くとき、帰るときで、数えてみると7回も、あの短時間の間に能力を使っていた。
「私が見たのは7回だな。椅子を持ち帰る姿は見なかったが、行きと同じように2回に分けて持ち帰ったのなら、あと4回は増える。だが、魔王一人のときと、ドラゴンなどという大きなものを運んだときとで、消費する魔力が違うのではないか?」
「それもあり得るが、仮にそうだとして、なぜ、王都の目の前で、一切の能力の使用を控える? 目の前で魔王が、たとえ自分だけでも頻繁に能力を使えば、私たちは『ドラゴンも、同じように簡単に動かせる可能性がある』と考える。その方が魔王にとっての利点は大きいはずだ。
なぜ私たちに『あの能力は滅多に使えない』などと印象づける必要がある?」
その理由が私にわかるはずもなく、黙っていると、しばらく虚ろな目をして考えごとをしていたローディスが、再び口を開いた。
「引っかかるが、単に魔力の温存をしていた可能性もある。
話は少し逸れたが、この魔王は、今回の件も含め、回りくどい手段ばかり採っている。詳細な地図を作って勇者を誘導したり、勇者に手紙を書いて事前に交渉を行ったり――これらの行動は、極めて魔族らしくない。
私たち人族よりも、遙かに力のある魔族という種族は、本来、こんな手段は採らない。採る必要がない。それはこの部屋にあるすべての歴史書がそう伝えている」
ローディスは,壁一面を埋めている、古い、色あせた本たちを見ていた。
ローディスがこちらを振り返る。
「なぁ、レグ。この魔王は一体何者なんだろうな?」
ローディスの笑顔と続く笑い声は、私が会ったあの魔王よりも、よっぽど魔王らしかった。
ローディスが、斜め上に視線を固定して、長考する様子に入ってから随分時間が経った。ローディスの用件が済んだのかはわからないが、今日はもうこの状態が解除されることはないだろう。
いつものことだ。そう思いながら立ち上がり、ローディスの前を横切ったときに
「レグルスト」
ローディスから、声がかかる。少し驚きながら立ち止まって、椅子に座ったローディスの方に、体を向けると、ちゃんと私の方に意識が向いている、はっきりとした視線がこちらに刺さった。
「レグルスト。お前が、教皇どもに止められている、『害獣退治』を代わりにやってくれている魔王には、ちゃんとお礼は言ったのか?」
目の前の男は、私の表情を悪魔のように観察している。
勇者に選ばれて、ただ自分の正義だけを信じていた私が初めて王都に行った15のとき、この男は私に向かって、今日の天候を教えるかのような軽々しい態度で、現実を叩きつけた――
「ゴブリンどもは魔族ではなくただの獣だ。アウシア教の作ったでまかせを、勇者とあろうものが、まさかまだ信じているのか」と。
そのときのことを思い返しながら、
「いや」
私があっさり口を開くと、ローディスはつまらなそうな顔をした。
「レグ。今、魔王に暗殺される可能性が最も高いのは、お前と王だ。特に王は、なぜ首がまだ胴と繋がっているのか、不思議でならない。お前も油断はするなよ」
「あぁ」
「何年か先にはなるかもしれないが、再び魔王がお前に接触してくる可能性は高い。つぎに魔王と何かあったときは、必ず私に相談するように」
この部屋に来て、ローディスが私に気づくことはまれだが、何も言い返さずに頷いておく。
「これからこの世界の歴史がどう変わるのか、楽しみだなぁ」
悪魔のように呟くローディスの言葉を背景に、私は部屋を出た。
これにて3章終了です。07年~08年の話でした。




