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魔王より、世界へ。  作者: 笹座 昴
3章 名前
33/98

31話 名前


「聖女。そろそろいいかな?」

「もう少し!」

これを何回繰り返しただろうか。「わかった。もう少しね」と、また言いそうになる気持ちを抑えて口を開く。

「聖女。夕方から夜のここも綺麗だよ。またあとで連れてきてあげるよ」

「え!? わかった、そうする!」

聖女が、私と手をつなぎながら、その場でよいしょと立ち上がる。

「今から、ドラゴンのところに行くんだよね?」

「あぁ、そうしてくれると助かるんだけど、いいかな?」

「いいよ!」

私は、あぐらをかいたそのままの姿勢で、おじいちゃんの側に転移した。


 聖女が再び口を大きく開けて、驚いている。そんな聖女の手をつないだまま、立ち上がって、今日もぽかぽか日差しを浴びて丸まっているおじいちゃんに声を掛けた。

「おじいちゃん。こんにちは」

「おぉ、魔王様。こんにちは」

おじいちゃんは私の顔を見ていて、私よりさらに下の位置にいる聖女には気づいていない様子だ。

「おじいちゃん、こっちにいるのが聖女様だ」

私の言葉にキョロキョロと視線を彷徨わせるおじいちゃんに、「えっと、もっと下。こっちだ」と位置を教えてあげる。おじいちゃんの目が、聖女を捕らえた。

「おぉ、小さい」

聖女は、おじいちゃんを見て、相変わらずぱくぱく口を動かしている。

「聖女。大きいだろう?」

「大きい! それにすごい魔力だ! お姉さんもすごいけど、このドラゴンはもっとすごいね!」

魔力にあまり敏感でない私には分からないが、聖女には何かが見えているのだろうか。何かを捕まえようとするかのように、おじいちゃんの周りの空気に、両手を伸ばしていた。

 聖女が上げていた両手をぱたりと降ろして、おじいちゃんの顔をまっすぐ見た。

「ねー、ドラゴン! そっちに行ってもいい?」

聖女がおじいちゃんに直接聞いて、そのまま駆けだして行きそうだったので、慌てて聖女の手を掴む。

「おじいちゃん。聖女がそっちに行きたいと言っている」

「いいよ」

おじいちゃんがだめだと言う訳がなかったけれど、おじいちゃんを前にして、この小さな子の度胸には驚かされる。おじいちゃんをじっと見つめている聖女を見下ろす。

「聖女。あのドラゴンが近づいていいって」

「お姉さんは、あのドラゴンが何を言ってるかわかるの?」

「うん」

「いいな!」

聖女の手をゆっくり離すと、聖女がおじいちゃんに向かって駆けだして行った。そしてそのまま、おじいちゃんのお腹の辺りに、体当たりするかのような勢いで、べたんと両手で抱きつく。


 えっ、ちょ――聖女の行動に度肝を抜かれていると、おじいちゃんから、優しい笑い声が聞こえてきた。

 おじいちゃんの体を、これでもかと言うくらい触っていた聖女が、不意におじいちゃんの顔の前に移動した。おじいちゃんの顔をまっすぐ見上げて、大きな声を出す。

「体の上に、乗っていいですか!」

「いいよ」

おじいちゃんは、聖女が何を言っているか分かってないだろうけど、あっさり返事をしていた。聖女がキラキラした目で私の方を向くので、

「いいって」

そうおじいちゃんの言葉を伝えてあげると、おじいちゃんの足あたりから、せっせとおじいちゃんの体の上を登り始めた。

「おじいちゃん。私も登るよ」

聖女が落ちないように、落ちてもすぐに助けられるように、聖女のあとを転移で追いかける。聖女は、丸まったおじいちゃん背中の辺りまで、這って移動したあと、両膝を突いて休憩していた。私はその横に立って、聖女が見つめている方向に目をやる。

「ねえ、あれは何……?」

聖女が息を飲むように見つめている先にあったのは、海だった。そういえばここは海が近かった。すっかり忘れていた。

「あぁ、あれが、海だ」

「あれがそうなの!?」

聖女の目は輝いているが、この高さだとあまり見えない。せっかくだから、もっと高いところから見せてあげよう。

「おじいちゃん。頭の上に移動するよ。そのあと、立ち上がってくれないかな。聖女に海を見せてあげたいんだ」

「わかった」

聖女の手を掴んで、おじいちゃんの頭の上に転移する。

「聖女。しゃがんで、ここを掴んで。今から動くからね」

聖女におじいちゃんの角を掴むように言って、聖女がしっかり握りしめるのを確認したあと、聖女の背中に手を回して、体を支える。

「おじいちゃん、いいよ」

おじいちゃんが、まずは頭を大きく動かさないように、ゆっくり体を起こした。「わっわっ」と聖女の驚く声が真下から聞こえる。おじいちゃんがいつもよりゆっくり立ち上がったあと、私たちの座っている首を、大きく上に伸ばした。

 聖女が、視線を海に向けたまま、首の動いている最中に立ち上がろうとするので、慌てて服を引っ張って押さえつける。おじいちゃんの首が最大限伸びて、おじいちゃんが顔を海に向けた。

「これ、全部海なの?」

「そうだ。ずっとずっと向こうまで、続いている。実は、私たちの住んでいる陸よりも、海の方が遙かに広いんだ」

「ほんとうに?」

「ああ。あとで地図を見せて教えてあげるよ」


 そのあと、場所が変わって再び聖女の「あれは何、これは何?」攻撃が始まったので、順番に教えてあげる。それも終われば、聖女は静かに海を見ていた。

 私とおじいちゃんもそれに付き合って、静かに海を見ていると、不意に聖女が顔をあげてこちらを見た。

「そういえば、このドラゴン、怪我してるんだよね! いつもだったらどこが悪いか、わかるんだけど、体が大きくて、さっきわかんなかったんだ。どこかな?」

聖女にゆっくり立つように言って、手をつかんで地面に転移する。

「おじいちゃん、ありがとう! 今度はちょっとしゃがんでくれないかな。聖女に翼を見せてもらいたいんだ!」

真面目な顔でおじいちゃんを見つめる聖女が走り出さないように、手を掴んで、体を動かすおじいちゃんを見上げる。おじいちゃんが足を折りたたんで、怪我をしている左の翼を開いた。

「翼の根元、見える?」

聖女の手を離すと、聖女は再びおじいちゃんの体の上を登り始めた。翼の根元に手の届く位置まで移動したあと、

「じゃぁ、治すね!」

私たちの返事も聞かずに、聖女が力を使い始めた。聖女の手元が光っている。おじいちゃんのHPを見て減っていないのを確認したあと、聖女の後ろに近づいて聖女のMPを確認すると、3000近くあったはずの聖女のMPが、凄い勢いで減っている。


 聖女のMPが0になって、聖女が両腕をがくりと落として、荒い息を吐いた。おじいちゃんの翼を見ると、傷は――そのままあった。

 聖女でも治せないのか……でも聖女は頑張ってくれた。私が沈んだ態度を取るのは失礼だ。

「聖女。大丈夫?」

「あーうん。それにしても、古い傷だね? 一回で治らなかったのなんて初めてだよ」

聖女はそう言ったあと、おじいちゃんの大きな傷を見上げて、手の甲で軽く叩いた。


「魔王様。眠い」

おじいちゃんからそんな声が聞こえて、見上げると、おじいちゃんが本当に眠そうに、うとうとしていた。慌てて聖女の手を掴んで、地面に戻る。

 私たちが地面に降りたのが分かったのか、おじいちゃんはいつも通り小さく丸まって、私たちの目の前で寝始めた。おじいちゃんの突然の行動に慌てて聖女を見る。

「えっと、聖女。これは何か変な効果じゃないよね?」

「傷を治したから、疲れているんだ」

聖女が淡々と告げる。

「え? 治ったの?」

「今日は奥の方をほんの少し治しただけだよ。また来ないと」


 そうか、おじいちゃんの傷、治るのか……その事実に、心の奥がじーんと温かくなったあと、疑ってごめんなさいと、聖女の前で膝を突いた。


「聖女。ありがとう。本当にありがとう」

聖女の小さな手を両手で握って、心から何度もお礼を言う。

「まだ治ってないよ?」

「わかっている。でも、ありがとう」

聖女は照れくさそうに少し顔を赤らめて、嬉しそうに笑った。



「聖女。待たせて済まない」

寝ているおじいちゃんの姿を、長い間、見つめてしまっていた。後ろを向くと、さっきまでいたはずの聖女がいない。慌てて探すと、聖女は寝ているおじいちゃんの顔の真ん前にしゃがんで、おじいちゃんの顔をじっと見ていた。

「聖女。戻ろう」

「うん」

立ち上がって、私の方に手を伸ばす、聖女の手を掴んだ。


「ねぇ、さっきのところに連れてって!」

魔王城に帰ってきて、開口一番、聖女がそう言った。元気だなぁ……

 窓から外を見ると、もう日が沈んでしまっている。

「聖女、ごめん。私がぼんやりしていたせいで、夕日は見逃してしまったよ。でも、今の時間は星がきれいだ。連れて行こう」

笑顔で私に手を伸ばす聖女に、「ちょっと待って」と言ってから、転移して毛布を取りに行く。右手に毛布を抱えて、左手に聖女の手を握って、魔王城の頂上に転移した。



「ちょっと聖女、落ちる! 落ちるから!」

抱えていた毛布は足下に投げ捨てて、上を見上げたまま、そのまま後ろに倒れそうになる聖女の腰を慌てて支える。

「星は逃げないから、ここに座って?」

広げた足の間に、聖女を無理矢理座らせる。正座の体勢で、首を90度傾けて上を見ている聖女の肩に、持ってきた毛布を掛けてあげた。

「魔族領は暗いからね。よく見えるでしょ?」

聖女に言葉はない。さっきから私の声は、聖女に届いているのだろうか。

 まぁ、いいや。目を見開いて上を見ている聖女の横顔をのぞき見てから、私も同じように上を見上げた。


「すごいね」

聖女がやっと口を開いた。

「だろう?」

ここから見える景色は、別に私のものではないけれど、感動している様子の聖女に自慢するように言う。

「あ! 僕、あの星知ってる! あっちもだ!」

聖女が,東の方の星を指さしている。

「人族領でも魔族領でも、空は同じだからね。見える星も同じだ」

「でも、いつもよりたくさんあるよ?」

「周囲が明るいと、その光に紛れて星が見にくくなってしまうんだ。王都は明るいからね。それに比べてここは、真っ暗だからよく見える」

「へぇー」

知っている星を探しているのだろうか。聖女はいろんな方角の空を、順番に眺めていた。


 星を見ている聖女のことを黙って待っていると、この世界の3つの月が出揃った。

「そういえば、聖女。あれが何か知っている? あの大きいの」

かつての世界では、『月』は一つしかなくて、月と言えば当たり前のようにあれを指していたけれど、この世界でも空に浮かぶひときわ大きな星のことを『月』と言うのだろうか。

「知らないの!?」

聖女はびっくりした顔でこちらを見た。

「うん、知らないんだ。教えてほしい」

私がそう言うと、聖女は嬉しそうに教えてくれた。

「あのね! あっちに見える少し白くて一番大きいのが、イシス。でね、あっちの黄色っぽいのが、メネサス。最後の赤いのが、リリアスだよ!」

「へー……」

一つ一つに名前があるのか……

「白いのがイシス、黄色がメネサス。赤いのがリリアスか」

と聖女に教えてもらった通りに、順番に声に出すと、

「うん! それでね! あっちにある、明るく輝いている星はルーメディア!」

そのまま聖女は「あれは、あれは」と星を順番に指して、次から次へと、その名前を教えてくれる。

「聖女、ま、待って! そんなにいっぺんに覚えられない」

メモ帳なんて持ってきていない。聖女が教えてくれた星の名前を、忘れないように口に出して、呪文のように繰り返した。

 だめだな。部屋に帰ったら紙に書こう。寝たら忘れる。



 空を見上げた聖女はいつまでも見ていられるような顔をしていたけれど、気温も下がってきたし、そろそろ引き上げよう。

「ねぇ、聖女」

「なあに?」

「君を、名前で呼んでもいいかな?」

聖女が空を見上げていた顔を降ろして、まっすぐこちらを見た。


「僕の名前? 僕に名前なんてあるの?」

聖女のステータスをもう一度確認する。そこには私と同じ『(なし)』ではなく、はっきりと『ユーリス』という聖女の名前があった。


 どうして知らない……なんで誰も教えてあげないんだ。

 静かな怒りに私は口を開いた。


「君の名前は『ユーリス』だ」

聖女が私に月の名前を教えてくれたように、はっきりと、聖女に聖女自身の名前を告げた。

「ユーリス……? それが僕の名前なの?」

「そうだ」

「ユーリス、ユーリス……」と、聖女が自分自身の名前を小さくつぶやいている。


 聖女はへへと、下を向いて幸せそうに笑ったあと、勢いよく顔を上げてこちらを見た。

「お姉さんの名前は?」

「えっ、私? 私は『まおう』だ」

「それは名前じゃないでしょ。僕、知っているんだよ」

聖女が私を見て、「本当の名前を教えて」と怒っている。

「すまない。隠している訳ではないんだ。私には名前がないんだよ」

「そうなの?」

頷くと、聖女は「うーん」と声に出して、一生懸命考えごとをしていた。


「決めた! あなたは『エーネ』だ」

「エーネ?」

「うん! どうかな?」

気に入った? と真剣な表情でこちらを見つめる聖女に対して,首を横に振るなんてできるはずがなく、半ば流されるように頷いてから、ふと自分のステータスを見ると、


 名前: エーネ


ステータスに反映されていた。

 早! 相変わらず、早!


「聖女。この名前、何か意味があったりするのかな……?」

古代語で『大魔王』とかいう意味だったらどうしよう。翻訳さん、知っていたら仕事して!

 私の内心を知ってか知らずか、聖女はきょとんとした表情で

「見たことないの? 珍しいのかな?」

そんなますます不安になるような、答えを返した。


「見たことないし、何を指しているのかさっぱりわからない……」

「そうなんだ……」

私の答えに、聖女は悲しそうに下を向いた。

「花の名前なんだ。僕の大好きな、きれいな色の花の名前なんだけど、やっぱり別の名前の方が――」

「いや、気に入った! ありがとう!」

聖女の手をがっしり握って、ぶんぶん振る。どんな花かは知らないけれど、変な花なんてないだろう。

 きれいな花か。魔族領にはあるのだろうか……

「エーネ、エーネ」

そう小さく自分の名前をつぶやいて、私に名前を付けてくれた聖女の顔を見る。聖女は――ユーリスは笑っていた。


「ユーリス、よろしく。初めまして、エーネです」



 ユーリスを連れて、自分の部屋に転移で戻ると、部屋の中にパメラがいた。ユーリスを見て、顔が引きつっている。

「あー、パメラ。こちら聖女様だ」

「初めまして、ユーリスです!」

ユーリスがパメラに向かって、子どもらしく片手を挙げて元気よく挨拶する。パメラはユーリスの前で膝を突いた。

「初めまして聖女様。私はパメラです。この城で働かせて頂いております」

「パメラ! ユーリスって呼んで!」

いきなりのユーリスの言葉に、戸惑っているパメラに

「だそうだ。名前で呼んであげてくれ」

そう告げると、パメラは私の顔も見て、困惑はさらに深まっているようだった。


「ユーリス様……よろしくお願いします」

やっとのことで出てきたパメラの言葉に、ユーリスが自慢するように笑顔で私を見上げた。


「あと、パメラ。私は『エーネ』だ」

「エーネ?」

「以前、名前を聞いてきただろう? 今日ユーリスが付けてくれたんだ。どうやら花の名前らしいけど、知っている?」

「はい!」

パメラはユーリスと私を順番に見て……そう、目が赤くなるくらい、自分のことのように喜んでくれていた。


「これからも、よろしくお願いいたします。エーネ様」

大切に、大切に、思いを込めてそう言われてしまうと、まるで自分の名前が、本当に大切なものであるかのように、深く胸にしみた。



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