30話 魔王、聖女を誘拐する
宿場の窓から、斜め向かいにある、今日もまがまがしい空気を放っている白い建物を見つめる。
「うん。皆の前で偉そうに啖呵を切ったけれど、できる気がしないな」
あれに向かって転移とか無理だろう。無理無理だ。
聖女が庶民の前に姿を見せるのは、1年に一度のアウシア教の聖誕祭のときだけだ。聖女のいる教会内部に直接転移ができない以上、聖女を誘拐するにはそのときを狙うしかない。
そう考えて、王都にあるおかまの経営する情報屋経由で、教会の斜め向かいにある宿屋の一部屋を聖誕祭の日まで押さえてもらった。
そして今日は、一週間後に迫っている聖誕祭に向けて、下見に来ていたのだが……
今回の作戦はシンプルに、転移する、聖女を捕まえる、転移する、以上だ。私が姿を見せた聖女の側に、転移できなければ話にならない。
もう一度、教会を見つめる。
うん。試しに転移するわけにはいかないし、あとは当日の私、頑張り給え。
当日の自分に丸投げして、今日はその場を引き上げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
椅子に座って、窓枠に肘を置いて、窓から教会を眺める。
聖誕祭の今日は、聖女を一目見ようと、明るい顔をした表情の人が,教会にたくさん集まっていた。
教会に、視線を動かす。さすがに何十時間も見続けただけあって、少しだけ、ほんのちょっとだけ慣れてきたかなと思う。魔王城での予行演習は何度もやった。あとはもう、気合いだ気合い。もう一度、真っ黒なフードを被り直した。
教会で聖誕祭が始まった。表情が乏しく、聞き取りにくい声のおじいさんの話のあと、15人くらいの白い服を来た子どもたちが、教会の前で並んで、きれいな歌声で歌い始めた。去年は途中から見ていたらしい――初めて聞く朗々と響く美しい歌声に、歌詞はよくわからなかったけれど、感動した。
聖歌隊の子どもたちが拍手の中、引き上げたあと、再び別のおじさんの話が続く。宿屋の椅子にだらしなくもたれながら、おじさんの話が終わるのを待つ。
そんなことが2時間くらい続いた。よくよく考えれば、去年聖女を見たときは、お昼を過ぎていた気がする。ということは、少なくともあと1時間はかかるな。目線を下にやると、立ったままおっさんたちの話を、大切なお話であるかのように、真剣に聞いている人たちがいる。私には無理だ――素直に尊敬した。
私の集中力を切らすことが目的だとしたら、この時点で負けていたと言わざるを得ない。私が椅子にもたれかかって、椅子を前後に大きく揺らしていると、歓声が聞こえた。その音に、椅子から慌てて立ち上がる。
「天使だ」
天使は髪と同じ色の、金色の細かな刺繍の付いた白色のローブのような服を着ていた。去年よりも、近い位置にいるので、表情がよく分かる。民衆を見て、えくぼを作ってにっこりと、完璧に微笑んでいた。
無意識のうちに窓にべたっと張り付いて見ていたことに気づいて、慌てて体を離す。聖女のもとに転移するのは、聖女が民衆に向かって花を撒く、その瞬間だ。
「落ち着け。落ち着け……」
呼吸がしやすいように襟元を手で引っ張って、誰もいない宿屋でそう何度も声に出して、心臓をなだめた。
聖女が民衆に向けて、手を振って、また歓声が上がる。そのあと偉そうなおじさんが現れ、民衆に向かって何かを話していた。聖女は、話を聞いている民衆の様子を――聖女からは,何か面白いものでも見えるのだろうか――宝物を見るかのような、キラキラした目で見下ろしていた。
話をしていたおじさんが台から降りた。
そろそろだ。
立ち上がって、大きく深呼吸する。何度も練習したこれからの動作を、脳裏に浮かび上がらせるために、静かに目を閉じた。
しばらくしてゆっくり目を開くと、視界には、ただ青い花と天使だけが見えた。
「さあ、行こう」
そのときだけは何もかも忘れて、天使のいる暖かな空間に、私は引きつけられるように転移した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
転移した瞬間、目の前に白い外壁が見えた。そして、真っ逆さまになった今の私から見れば上の方向に重力で引っ張られる。
再転移が可能となるまでのわずか2秒間、外壁に沿って頭から落ち続ける。まるで私の時間だけが引き延ばされているかのように、世界は静かだった。
空を舞う青い花と、こちらを見て大きく見開くエメラルドグリーンのきれいな瞳が見えた瞬間、青い花を握っているその小さな手に、自分の手を伸ばした。
聖女の手に、触れただけだと思っていた――
だが、転移してから自分の手を見れば、意外なほどしっかりと、私は聖女の小さな手を握りしめていた。
逆さまのまま、アーガルとイスカに一本ずつ足を捕まれた体勢で、自分の手元から下に目を移すと、驚いた顔でこちらを見上げていたらしい聖女と目が合った。
「やぁ、聖女。初めまして。私は魔王だ」
聖女に笑顔でそう言ってから、アーガルとイスカにゆっくり地面に降ろしてもらって、両手を突いて逆立ちの体勢から、両足を地面に降ろした。一度立ち上がって、後ろを向いて変に服がめくれていないかを確認してから、逆さまになっても取れていなかったフードを取り払った。
私を大きく見上げていた聖女と、目線を合わせるようにしゃがむ。
「聖女。魔王城にようこそ!」
未だ驚いている聖女に、笑顔で心からの歓迎の言葉を告げたあと、私はそのままの笑顔で固まった。
名前: ユーリス
種族: 人族
ジョブ: 聖女
スキル: 癒やし+,聖耐性Lv 99,聖魔法Lv 35
信仰神アウシアからの寵愛:
HP: 340
MP: 2821
攻撃: 14
防御: 32
魔法攻撃: 578
魔法防御: 721
背中を冷たいものが流れる。聖魔法なんて使える人を初めて見たので、どれくらいの威力か分からないけれど、名称からして恐らく私に対して『こうかは ばつぐんだ』だろう。それに加えて、聖女の魔法攻撃が578もある。
うん。この愛らしい子どもが本気になれば、私なんて一撃だ。
慣れとは恐ろしいもので、そう考えると「まぁいつも通りだな」とあっさり平常心を取り戻すことができた。
そして、スキルの下にある神からの補正――スキルの癒やしに『+』が付いているのは、このためだろう。私以外に付いている人は初めて見た。
アウシアからの『寵愛』。
そのまがまがしい、まとわりつくような文字に、少し不安そうな表情で私を見ている聖女から、うっと視線を逸らした。
意を決してそっと、聖女の両肩に手を置いてみるが、魔王の私の手でも、はじかれるようなことはない。私たちを滅ぼさんとする、この神からの『寵愛』がどういう効果かはわからないけれど、今は気にするのは止めよう。
「魔王……? 僕を食べるの……?」
目の前から、小さな子どものたどたどしい声が聞こえてきた。
「食べない、食べない! 私たちは人なんか食べない!」
「そうなの?」
「そうだ。そもそも人なんて食べるとこなんて少ないだろう? 魔族はたくさん食べるんだ。そんな獲物狙ってどうする?」
聖女は「そっかー」とかわいらしく納得してくれていたけれど、何を言っているんだ私は。
「いやいや、そうじゃない。私たちは人を食べないし、君を傷つけたりはしない」
聖女はまっすぐ私の目を見たあと、室内にいたイスカとアーガルに視線を移した。
「鬼と、悪魔……?」
「あぁ、私の大切な仲間だ。鬼人族の方がアーガルで、悪魔族の方がイスカだな」
聖女は、なぜか自分の小さな足を見下ろしていた。
「ここは、地獄なの? 僕、悪いことをしたの?」
言葉とは裏腹に、聖女は子どもらしい好奇心を持った目で、周囲を見回していた。
「ここは地獄じゃない、と思う。君がさっきまでいた世界と同じだよ。距離が離れているだけだ。君は悪いことなんてしていないし、悪いことをしたからといって、悪魔や鬼なんかが地獄に連れて行ったりはしない」
「そうなの?」
「そうだ。何で私たちが、わざわざ人族を監視して、そんなことをしなくちゃならない? 私たちに何の得がある? 面倒くさいじゃないか」
聖女はうーんと、私の言葉を考え込んでいる。だめだ。私のせいでもあるが話が進まない。
私は聖女におじいちゃんの怪我を治してもらわなければならない。そのためにも、まずは魔族に対する誤解を解かないと。
聖女の前に膝を突いて、聖女の手を優しく握る。
そのまま、私のお気に入りの場所である、魔王城の頂上に転移した。
「……」
無言のまま、口だけを大きく開いて、目を見開いて周囲の景色を見ている聖女が屋根から落ちないように、あぐらをかいた私の膝の上に座らせる。
「見渡す範囲全部、魔族領だ。あっちにある大きな山の向こうが、人族領だな」
「あれは何!?」
聖女が身を乗り出して見ようとするので、慌てて聖女の腹囲を囲い込むように手を回す。「あれ、あれ」と興奮した様子の聖女が指さす方を見れば――
「……川だ。えっと、あのキラキラ光っていて、水が流れているものであっているよね?」
「あれが川なの? あんなに大きいとは思わなかった!」
聖女はこちらを振り返って、私に報告するように,満面の笑顔で川のある方角を、小さな指で指し続けていた。
「じゃあ海は!? 海は!?」
聖女が首をキョロキョロと動かしている。
「海はここからだと見えないな。あとで連れて行ってあげよう」
「本当に!?」
「ああ」
こんなに喜んでくれるのだったら、連れて行ってあげよう。そんな気持ちで私は軽々しく約束した。まぁ私の転移能力は、本来はそういうための力だ。
「あっちも見たい!」
聖女が後ろを指すので、ゆっくりその場で右回りする。聖女が、体をますます前に倒すので、必死になって捕まえていた。
「あれ!」
ピシッと音が聞こえそうなほど元気よく、聖女が、北の森を指さしている。
「あれは、森だな。私たちは北の森と呼んでいる」
「一本しかないのに、森なの?」
一本しかない? 言われてみれば、北の森は木が密集していて、一つの塊のようにしか見えなかった。
「ここから見れば、一つしかないように見えるけど、あれはたくさんの木が集まったものなんだ。一本一本の木が、密集するとああなる」
「へぇー!」
「あの森には、精霊が住んでいるんだ」
「精霊?」
「こう丸くって、いろんな色に光っていて、面白い種族だよ」
「精霊も魔族なの?」
「うん」
そのあとも、あれは何、あれは何? と、見渡す範囲ものすべてを聞く勢いで、聖女は私に質問してきた。本当に今日、初めて見るのだろう。笑顔の聖女は年相応で、実にかわいらしかったけれど、その笑顔の理由が――少し悲しかった。
聖女があまりに喜んでくれるので、ここに連れてきた目的をすっかり忘れてしまっていた。今更だけれど、話を再開する。
「アウシア教が、私たち魔族のことをどんな風に言っているなんてよくは知らないから、君に必要な答えじゃないかもしれないけど、私たちは、魔族は無意味に人族と戦いたい訳じゃない。私たちは、この魔族領で静かに暮らしたいだけなんだ。
私たちにも、人族と同じように家族がいて、仲間がいる――心もあって、毎日を大切に生きている。ただ、魔族は人族と時間の流れであったり、能力であったり、そのあたりが大きく違うから、人族とまったく同じとは言えない。でも、そんなこと些細なことじゃないかと私は思っている。まぁ、君には君の考えがあると思うから、そのあたりは君自信で判断してほしい」
「僕の考え?」
「そう。君の考え」
初めて聞く言葉のように、一生懸命言葉の意味を考えている聖女の顔を静かに見つめる。
始めは、断られたら無理矢理にでもさせようと思っていた。皆の前ではそう啖呵も切った。
でも、私には無理だ。
「ねぇ、聖女。君に……お願いがあるんだ。断ってくれても、海には連れて行ってあげるし、君が他にも望むところがあれば、見せてあげよう。いきなりこんなところまで連れてきてしまったし、君もせっかくここまで来たんだしね。
それで、私の願いって言うのは……君がよければ、私の友を、ドラゴンのおじいちゃんの怪我を治してくれないか?」
聖女が私の膝の上で、ぐるりとこちらを見直した。至近距離から見上げられる。
「ドラゴンって、前の冬に、王都に来たやつ?」
「うん……そうだ」
できれば隠しておきたかったけれど、そんな卑怯で浅はかな考えは、あっさり砕かれた。
断られても仕方ない――
「わかった」
「いやわかったって、聖女、君、理解できているのか? 断ってくれても良いんだぞ。君に、危害を加えたりなんか絶対しない」
「友だちの怪我、治したいんでしょ?」
ねっ? と優しくのぞき込む聖女に対して、私は素直に、こくりと頷いた。
聖女はニコニコと私の顔を見ていたが、不意に慌てたように、はっと表情を変える。
「でも、僕、勝手に力を使っていいのかな……?」
「君自身の力は、君自身が使うか使わないかを決めるべきだ。誰かに指図されるものではない。その代わり、力を使うことへの責任は自分に返ってくる」
子どもは大人が思っているより、遙かによく物事を理解しているし、考えてもいる。けれども、さすがにこの責任をまだ6歳の聖女にすべて押しつけるのは、私が無責任すぎる。
「怪我を治してくれたあとは、二度とおじいちゃんを人族領に向かわせないと誓うよ。君がおじいちゃんの怪我を治したことを、後悔するようなことは絶対にしない」
「どうして?」
「どうしてって……もしかして、私たちが王都で何をしたのか知らないのか?」
「ドラゴンが冬に遊びに来たのは、僕も知っているよ。教会の窓からでも、魔力が流れるのははっきり見えていたから。あんなにきれいな魔力は、初めて見たよ」
そんな流れ星を見たことを自慢するような、軽い言葉に、動揺する。
「えっと……私たちは王都に遊びに来ていたわけではないよ?」
「そうなの? じゃあ、何しに来てたの?」
小さく首をかしげた聖女に、私は正直な気持ちが口から出た。
「誰も、無意味に死んでほしくなかった。そのために、王都に行った」
「よくわからないけど、うまくいった?」
「……ああ」
「よかったね!」
聖女は笑顔でそう言ったあと、我慢できないように再び景色に夢中になっていた。




