22話 魔王、王都を見学する
パメラが私の部下になってくれたときから、魔王の翻訳効果でパメラの言葉が分かるようになった。しかも、なぜかその翻訳効果はパメラだけじゃなくて、他の人族にも発動する。仕組み上おかしい気がするが、人族の言葉が分かるようになって文句はない。神にばれないように、このことは黙っておこう。
ただ、魔王の翻訳効果はあくまで耳で聞く言葉だけで、文字は分からないままだ。そのためパメラには引き続き人族の文字の読み書きを教えてもらっていた。執務室にある人族の本が、すらすら読めるようになるくらいまでは,人族語の勉強は頑張ろう。
そして、パメラと人族語でスムーズに会話できるようになって、これまで思い違いしていた言葉がいつくかあったことが発覚した。
「“魔王様”っていうのは、人族語でいうと『魔王様』だよ」
「これまで“魔王様”というお名前だと思っていました……」
パメラが初めて知った事実に愕然としている。私の方は、パメラがそう勘違いしているのだろうなということは、薄々気がついていたけれど――
「私は魔族の王様だけど、君たちの王様ではなかったから、“様”を付けさせるのは申し訳ないなと思っていたんだ。だけど、説明するにも言葉がわからなかったし、この城では皆が私のことをそう呼ぶから、その……いいかなって。ごめん」
下を向いたままのパメラに、言い訳するように説明すると、パメラが真剣な表情で顔を上げた。
「魔王様、お名前を教えて頂けますか?」
「えっと、教えてあげたいんだけど、色々あって私には名前がないんだ」
自分のステータスを見ると,名前欄は相変わらず『なし』だった。元の名前は何だったんだろう? あの日から7年経って、今更自分の名前を思い出せる気はしなかった。
「そうなのですか……?」
「うん。だから悪いけれど、魔王様が名前みたいなものなんだ。そう呼んでほしい」
魔王はこの世界に私しかいないし、識別には困らないから、まぁいいやと自分では気にしてこなかった。けれども、目の前のパメラが、私の代わりに大いにショックを受けているので、何だか私は申し訳なくなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
人族の言葉がわかるようになった。さぁ、やっと人族の都市を堂々と見学が出来る。
私はさっそく、人族の王都に見学に行ってみることに決めた。
「パメラ、どうかな? 人族に見える?」
パメラの前で、ポーズをとる。パメラは少し離れたところから私をじーっと見て、私の前髪を持っていた櫛でといてくれた。
「はい、これで大丈夫です。お可愛いですよ」
「ありがとう」
パメラに礼を言いつつ顔を横に向けると……隣に似たような格好をした、ふわふわした茶色の髪の美少女がいた。
今日は人族の都市で不用意に目立たないようにするために、パメラにファッションチェックをしてもらっている。問題は、一緒に行く予定のラウリィさんが美少女すぎることだ。しかもラウリィは人族語がしゃべれないから、いつも以上に無口だ。
寡黙な美少女……
「目立つよね?」
「魔王様もいますし、大丈夫だと思いますが……」
それどういう意味だよ……
結局、他に良さそうな服もないので、このままの格好で行くことになった。
「さぁ、行こうか」
ラウリィとパメラの手を掴む。パメラは緊張しているのか、少し手が湿っていた。
「では人族の王都に出発しまーす」
私は、二人の返事も聞かずに転移した。
いきなり街中に転移はできないので、転移先は王都近くの木立の中だ。
目の前に王都をぐるりと囲む巨大な城壁が見える。国境沿いに住んでいたパメラは人族領最奥にある王都には来たことがないらしく、城壁を驚いた顔で見上げていた。
「門はあっちだ。行こう」
ここからでは見えないが、上空から王都を見たときは確かあっち側にあったはずだ。突っ立っている二人を連れて、城壁沿いを門の方角に向かって移動する。
思っていたよりも、はるかに歩いた。足で歩くとは、なんて時間がかかることなんだ……
20分ほど歩いて、やっと門が見えてきた。大きな荷物を背負った旅人や、荷馬車を引いた人が門をくぐっているのが見える。
「ねぇパメラ。王都に入るのに、通行証とかはいらないの?」
「通行証とは何でしょうか……?」
立ち止まったパメラの顔色は、少し悪い。
ははは。3人とも田舎者だから、王都への入り方もわかんないんだよね。でも、通行証がなかったとしても、いきなり斬りかかられたりはしないよね。たぶん。
門の前に列が出来ていたので、その最後尾に並ぶ。他の2人が緊張しないように、平静を装って、前の人の様子を伺いながら一歩また一歩と前に進む。
門の入り口のところに、右手に大きな槍を持って、濃い青の制服を来た兵士さんが立っているのが見えた。通行人に対して、何やら質問をしているようだ。
ついに私たちの番が来た。兵士さんがじろじろと、私たち3人の顔を順番に見るのが分かった。2人をかばうように一歩前に出る。
「女3人か。目的は」
「か、か、買い出しに来ました」
「そうか。通れ」
子鹿のような足をした私の前で、兵士さんが手元の紙にさらさらと文字を書き込んでいる。あんなに緊張したのに、魔族だとばれることもなく、あっさりと王都に入ることができた。
「わー、すごい!」
門をくぐると、目の前に大きな道が通っていた。まっすぐ道が続く、その道の果てに、大きな白色のお城が見える。あれが、王城だろう。
王城へと続く大通りの脇で、出店のようなものが数え切れないほど並んでいる。店員さんが食べ物や、布など色とりどりのものを、通行人に売りつけようと、元気よく声を上げているのが見えた。
この世界の人々の容姿はばらばらだ。いろいろな肌の色の人や、髪の色の人、目の色の人がいる。けれども、私のような真っ黒の髪色の人は非常に少なかった。
「ちょっと、あんた。邪魔だよ」
門を出てすぐのところで、馬鹿みたいに口を開けて突っ立っているとおばさんに注意されてしまった。おばさんに煩わしげに声を掛けられたその瞬間、ラウリィの方から冷気が漂ってくる。
「す、すみません」
慌てておばさんに謝りながら、2人の手を引いて、邪魔にならないところまで移動する。
「ラウリィ、念押ししとくけど、街中で魔法を使っちゃだめだからね」
「はい。わかっております」
返事はいいけど、本当かなぁ……ラウリィに大人しくしてもらうためにも、今日は私が穏便に過ごさないと。
「今日の目的は、人族領の視察です。危ないことはしません。お互い、はぐれないように気を付けましょう」
引率の先生のように手を挙げて宣言する。
パメラに教えてもらった常識的な金額のお金は、しっかり持った。
「さぁ、行こう!」
私が一番はしゃいでいた。
「“魔王様”。出店のものを受け取ったら買わされてしまうので、受け取ったらだめですよ」
人族領を歩く今日のために、自分に偽名をつけることも考えたけれど、魔王という単語呼び方は人族語と魔族語で違うので、パメラには魔族語で魔王と呼んでもらうことにした。
「わかってるって」
パメラにそう答えながら、顔は出店の方向を向いたままだ。
「ねぇパメラ。あの良い匂いのする串焼きは何?」
「お嬢ちゃん、これはジャイアントバードの香味焼きだよ。さぁ、食べな食べな。お嬢ちゃんたち可愛いから1本、1銅貨のところ、3本で2銅貨だ!」
はいと目の前に出された3本の串焼きを、無意識のうちに受け取ってしまった。我に返ってから懐から銅貨を2枚出して、はちまきを巻いた出店のおじさんに渡す。
「まいど!」
2人を連れて、出店で買ったものを食べる広場のようなところまで移動する。へへーと笑って誤魔化してから、パメラとラウリィに串焼きを渡した。
熱いのでふーふーして少し冷ましてから、かぶりつく。おお、これはうまい。
「魔王様、おいしいです。ありがとうございます。少し変わった味がしますね」
ラウリィが食べながら、小声で話しかけてきた。
「香味焼きって言ってたから、何か香辛料を使ってるのかな?」
「香辛料……」
ラウリィが初めて聞く言葉のようにつぶやいている。パメラが来るまで、魔王城の食卓に調味料といえば塩しか存在しなかったからな。
「パメラ、香辛料ってあまり城にないよね。買っていこうか。何か他に欲しいものはある?」
「魔王様。魔王城のどこかで花を育ててみようと思うのですが……」
「それはいいね。いい物がないか見に行こう」
食べ終わった串を捨ててから、大通りに戻った。
「いやー、買った買った」
3人で買い物袋を抱えて、ちょうど見つけた公園のような場所で休憩をする。
「魔王様。油にいろいろな種類があるとは知りませんでした」
ラウリィが、植物油が入った小瓶を大事そうに抱えている。魔王城で使っている油は採り立てで鮮度抜群だけど、動物由来だからやっぱり少し鼻につく。この店の油は植物から採ったものだと説明してもまったく信じてくれなかったラウリィが、油を一口なめたときの顔は面白かった。
「人族領は変わったものが多いから、楽しいね」
「魔王様。お言葉ですが、刃物や肉や毛皮の豊富さは、魔族領の方が遙かにすぐれております」
私の言葉にラウリィがムキになったかのように反論する。確かに、素人目にも刃物の輝きが全く違うのはすぐにわかった。こっちは鍛冶王が作ったのを愛用しているからな。
「あぁ、そうだね。その辺はこちらのものが人族に高く売れそうだよね」
今日の目的は何だったかなと思いつつも、出店で腹がふくれた状態で、のんびり雲を見上げながら、公園で日向ぼっこをするのは気持ちよかった。
「帰ろっか」
今日は王城も見に行きたかったけれど、こんなに大量の紙袋を持って見に行くには、距離が遠い。また遊びに来よう。
帰るときは、出店で絡まれないように、大通りの一本向こうの裏通りを通って帰ることにした。上を見上げると建物と建物の間に洗濯物がひるがえっている。子どもたちが石を蹴って遊んでいる横を縦に並んで通らせてもらった。
そうやって、人族の暮らしを眺めながら歩いているときに、建物の向こうから何やら騒がしい声が聞こえた。十字路まで進み、声の聞こえた方向に目を向けたとき――
思わず右手に持っていた紙袋を落とした。
「どうかなさいましたか?」
ラウリィが私に声を掛けながら、落とした紙袋を代わりに拾ってくれている。
けれど――そんなことは今、どうでもよかった。
「何だ、あの建物は……」
目の前に見えているものから目が離せない。外観は教会のように見える。背が高くて、白い綺麗な建物だ。その前に人がたくさん集まっているのが見える。
けれども、目で見えるものとは別に、何かすべてを拒絶されるような、禍々しい気配が伝わってくる。あの建物にはこれ以上近づきたくない。
気持ち悪い。絶対に嫌だ。
「魔王様。顔色が悪いですが大丈夫ですか?」
後ろから声を掛けられて、凄い勢いで振り返った。パメラの驚いた顔が見える。
「なぁパメラ、教えてくれないか。あの建物は何だ?」
浅く呼吸をしながら、見たくもないものを、顔をしかめて見ながらパメラに聞く。
「あれは、教会です」
やっぱりそうなのか。聖なるものの気配で近づきたくないのだろうか。この気持ち悪さの原因が、そういった『普通の理由』だったらむしろ安心する。
「ラウリィは、あの建物から変な気配は感じない?」
「いえ、特には」
魔王限定か。そうか……
顔をゆがめて、もう一度建物をよく見ようと顔を上げたとき――
光が見えた。
建物の高い出窓のような場所から、真っ白のローブをまとった小さな女の子が姿を見せた。もはや視界には歪んで見える、気持ちの悪い建物の中で、そこだけくり抜いたかのようにはっきりと、輝いて見えた。
金色に輝く髪に真っ白の服を着て、作り物のような容姿で完璧に微笑む様子に
「天使だ」
と、そう思った。
天使が下に集まった民衆に手を振ると、歓声が上がった。そのあと下で、台に乗った白い服を着たおっさんが民衆に何かを話していたが、私は何も聞かずただ天使を見ていた。目がそらせないくらい美しい鳥を、触れることもできない籠の外から眺めている――そんな気分だった。
天使は、完璧な微笑のあとは、落ち着かずに、年相応に少しそわそわしている。おっさんの話が終わったのだろうか、民衆の目線が天使の方を向いた。天使の横から、大きなバスケットを持った陰険なおじさんが現れ、天使がごそごそとその中に顔をつっこんで何かを取り出している。
顔を上げた笑顔の天使の腕いっぱいに、小さな青い花が抱えられていた。
天使の腕から青い花がバッと宙に放たれた。
くるくると宙を舞う青い花と、民衆の喜ぶ顔を見て楽しそうに笑う天使のことを、天使が無表情のおじさんに手を引かれて見えなくなるまで、私は取り憑かれたかのようにずっと見ていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ごめん、待たせたね。行こうか」
ラウリィに持たせてしまっていた紙袋を受け取って、立ち止まっていた場所からよろよろと前に進む。10分も経っていないだろうに、精神がごっそり持って行かれた気がした。
「パメラ。さっきの子、誰だか知っている?」
「いえ。すみません……」
「そっか」
パメラは私の横に並んで、心配そうに私の顔をちらちら見ていた。
しばらく進んだ次の大きな十字路で、ふらりと右手側を見ると、さっきとまったく同じ位置にまた教会があった。雷に打たれたように立ち止まる。
「……いや、違う。こっちの教会はさっきのと違って、気持ち悪くない」
目の前の教会は、輝くような白色で塗られていたさっきの教会よりも少し薄汚れていて、建物も一回り小さい。さっきの教会は不気味さで動けなかったけれど、こっちの教会からは何も感じない。興味が勝って、開かれた門に向かって歩みを進めた。
片手で扉を軽く押すと、重そうな扉は簡単に開いた。教会の中に一歩足を踏み出し、一度足を戻して、足の感覚を確かめる。結界にはじかれて中に入れない、ということはなさそうだな。
意を決して顔を上げ、前に進む。真正面にご神体と思われる3体の像があって、天井からの光がまっすぐその像に降り注いでいた。内装も外観と同じぐらい古ぼけているが、紛れもなくここは――神に祈る場所だった。
像に近づこうとしたとき、後ろにいたラウリィに呼び止められる。
「魔王様。左の扉からだれか来ます」
左の扉がゆっくり開いた。中から、本のようなものを持った、白い服を着たおばさんが現れた。
「あらぁ、こんにちは」
私たちの存在に気づき、優しげな表情をしたおばさんがこちらに近づいてきた。ステータスを確認するとジョブは司祭か。怪しい人ではなさそうだな。
いや、怪しいのは私たちの方か……それどころか、人族にとってはここにいること、その存在自体が悪。
「勝手に入ってしまって、すみませんでした」
そう謝ってから出て行こうとすると
「いえ、いいんですよ。今日は聖誕祭ですから、こちらに来る方がいらっしゃるとは思わなくて。ゆっくりしていってください」
司祭さんに微笑まれた。『聖誕祭』って何だろう。聞いてみたいけれど、ここでは何が常識かが分からない。パメラの顔をちらりと見るが……ここでは聞けないな。あとで聞こう。
そう考えていると、なぜか焦った顔をしたパメラが司祭さんに話しかけた。
「すみません。王都に来たのは初めてで、失礼な質問で申し訳ございませんが、ここで奉られているのは三神様でしょうか……?」
「はい、そうです。最近はめっきり教会の数も減りましたからね。こんなに大きな教会が残っているのはここくらいですよ」
寂しいけれど慣れた様子でそう言う司祭さんの声を後ろに聞きながら、私は像の前に進む。黙ってこちらを見下ろす3つの像を見上げていると、司祭さんが私の横に立った。
「左から、豊穣の女神アイロネーゼ様、創造の神ディヴァイアート様、循環の女神リュシュリート様です」
あぁ、あの女神様たちか。一人だけ男神に見える、中央に鎮座する神が、女神が言っていた私から記憶を奪った神様だろうか。
その像は、かつてこの世界に来るときに会った女神たちの容姿とは大きく異なっていたけれども、古びたこの教会の中で、丁寧に磨かれているその像をまっすぐ見上げる。
(お久しぶりです。あなたたちの所為で大変な目にあっています)
この思い伝われと願いを込めて、心の中で祈った。
司祭さんが長いすに座ったので、その横に私も腰掛けさせてもらう。目をつぶって、何かを祈っている司祭さんの横で、私は日が当たってぽかぽかと暖かそうな像を見上げていた。
司祭さんの祈りが終わった。そろそろ帰ろう。
「今日はありがとうございます」
そう言って立ち上がると、
「また、いつでもいらしてください。三神様はいつでもあなた方を見守っていらっしゃいますよ」
と司祭さんに微笑まれた。
もう一度3つの像を振り返って、「しっかり見てろよ」と心の中で文句を言ってから、教会を出た。
「ごめんね。今度こそ本当に帰ろう」
私が先に歩き出すと、パメラか小走りでこちらに駆け寄ってきた。
「魔王様。先ほどの方は、『聖女様』です。今日は聖誕祭とおっしゃっていたので、おそらくそうだと思います」
「聖女?」
先ほどの方って……あぁ、あの気持ち悪い方の教会にいた天使か。
「聖女か……」
『聖女』ということは、大きくなったら勇者と仲間になって、私を――殺しに来るのだろうか?
そうかもしれないが、籠に囚われて尚綺麗だった、大きくなったあの天使に、もう一度会えるのは素直に楽しみだった。




