19話 魔王、己の正体を知る
「ふふふ、ついに、ついに最終兵器が完成したぞ!」
ドワーフの親方から受け取ったそれは――ただの煙玉だ。
ゴブリンの巣に連行されていたときの座標から、ゴブリンの巣穴が地下にあることがわかった。そこから猫人族のメルメルに協力してもらって調査をすると、ゴブリンの巣はありの巣のように内部が繋がっており、各地に出口があることが分かった。この煙玉に火を付けて放り込めば、巣穴から追い出せるだろう。
「ははは。待っていろゴブリン!」
ただ、問題なのはゴブリンが自分たちより強い生き物に対してはひどく臆病なことだ。煙玉で追い出すと、蜘蛛の子散らすように逃げ出す可能性がある。魔族領は国境付近にもう誰も住んでいないので問題はないのだが、問題は人族領側だ。
人族領側に逃げたゴブリンを、人族に『私たちは仲間ではありませんよ』と見せつけるように退治することも考えた。けれども、下手をすればこちらの動きを警戒した人族と、国境沿いで戦いになる可能性もある。私が人族との会話をまだ上手く出来るとは言い難いので、しばらくの間は秘密裏に処理すべきだろう。
つまり、人族領側に逃げるゴブリンに対しては、人族に目撃されても大事にはならず、かつ少数でゴブリンを退治できる種族で当たるのがよい――
魔法を使って、いつものように淡々と魔王城の掃除を進めるラウリィのことを柱の陰からのぞき見する。
ラウリィたち魔人族は、誰もがその存在を知っているのに、どこに住んでいるのかについては誰一人として知らない、謎の多い種族だ。しかも「そういえば、どこに住んでいるんでしょうか」とイスカも気になっている様子なのに、イスカでさえラウリィに直接聞こうとしない――もちろん私は身の安全のため、これまで魔人族のことは聞いてはいけないカテゴリに分類して、気にしないようにしてきた。
だが、ゴブリン退治には彼らのような、見た目は人族と見分けが付かない上に、魔法能力は魔族随一という種族が最適だ。
どうしよう。試しに聞くだけだったら問題ないのだろうか。だが、ラウリィに「実家に帰らせて頂きます」と言われたらどうしよう。
「魔王様。どうなさいましたか?」
転移はしなかったものの、その場で軽く飛び上がる。いつの間にかラウリィはまっすぐこちらを振り返っていた。
「ラウリィ。あ、あの…… お、お願いがあるんだ!」
「はい、私にできることであれば」
「ラウリィ、頼む。『魔人族』の居場所を教えて欲しい……」
一世一代の覚悟持って聞いた言葉に対して、返ってきたのは
「かしこまりました」
いつも通りのあっさりとした言葉だった。
「魔王様。申し訳ございませんが、彼らが今どこに住んでいるかは私でも知りません。ただ、こちらから呼びかけることはできます。彼らがここに来るまで、1,2週間待って頂けますか?」
「あ、うん。もちろん、待つよ!」
「魔王様。失礼ですが魔人族にどういったご用件でしょうか?」
「ゴブリン退治を、魔法が得意な魔人族に手伝ってもらいたいんだ」
「それでしたら、精霊族にも協力をお願いしてはいかがでしょうか。彼らは普段北の森から離れられないのですが、魔王様のお力があれば、協力が可能かもしれません」
ラウリィの口から、今度は魔族領七不思議の2つ目とも言える、精霊族のことがあっさりと出てきた。
「精霊族も、触れてはいけないものだと思ってた……」
そうつぶやくと、ラウリィは不思議そうに小首をかしげていた。
「わかった。ラウリィ、魔人族に協力してもらえるよう呼びかけを頼むよ。その間に私は精霊族のところに行ってくる」
「魔王様。魔人族への呼びかけはすぐに終わりますので、私もご一緒してよろしいでしょうか」
「あぁ、うん。もちろん構わないよ」
ラウリィが一緒に行きたいなんてことを言うのは初めてだった。
魔人族への呼びかけは,見られても問題ないそうなので、せっかくなので見学させてもらう。
「魔王様。お手数ですが、魔王城の高いところまで連れて行っては貰えませんか?」
「屋根の上でいいの?」
「はい」
ラウリィの手に触れて、星を見上げるときの定位置になっている、魔王城の頂上まで転移する。大人二人で立つのはここは少し狭いので、私はぎりぎり落ちないところで、小さくなるようにしゃがんだ。
「落ちないようにね」
ラウリィにそう声を掛けたけれど、ラウリィは何も掴まずに綺麗な姿勢で立っていた。初めてくる場所のように、しばらく眼下を見回している。
「では、始めさせて頂きます。大きな音が鳴りますのでお気を付けください」
ラウリィが目をつぶって、掃除のときにはしない、詠唱を開始した。綺麗な声で紡がれる、意味のわからない音色に耳を傾ける。声が止むと、ラウリィは上空を見上げて、手をすっと上に伸ばした。
魔王城の上空で、球状の光が連続で2つ瞬いたあと、遅れて「ドンッ、ドン」という音が聞こえた。
光が、目に焼き付く。
「魔王様。終わりました」
「ありがとう。さっきの光、2連続っていうことに意味があるの?」
「はい。『緊急』といった意味になります」
信号弾か。私は魔法は使えないけど、あの花火のような魔法自体が、難しいものなのだろう。
「じゃあ、精霊に会いに行こっか」
ラウリィと二人で精霊族が住んでいると言われている、北の森に向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
北の森に転移した瞬間、さわやかだけれど、濃厚な木の匂いが鼻に入ってきた。木はまだらにしか生えていないのに、一本一本の木が一筋の光も逃さないかのように葉を茂らせている。そのため、周囲はまだ昼なのにもかかわらず、薄暗かった。
「魔王様。この森には結界が張ってあるのですが、通り過ぎたようです」
「そうなの? そういえばエルフの村に行くときも、同じように気づかずに通り抜けてしまったよ」
そう言って、エルフの森でのことを思い出して、周囲を警戒してキョロキョロと見回す。
「ラウリィ。精霊族ってどんな種族なの?」
「魔王様、来ました。彼らです」
「えっ?」
周囲に人影は見えない。どこに居るのか分からなかったので、ラウリィと視線の方向を合わせると、蛍のようにぼんやりと光る、直径50センチくらいの大きな白色の光の球が見えた。
何だろう、あれは……まっすぐこちらに近づいてくる。
「これは、これは魔王様。よう、おいでなされた」
光の球がしゃべった。
「すみませんが、近づいて見てもいいですか?」
「どうぞどうぞ」
光の球にぐっと顔を近づける。目をこらして見ても、中に羽の生えた小さな妖精は居なかった。
「そっちは、見たことがあるような……あぁそうだ、前に結界を破って来た、魔人族の片割れですか?」
光の球が、ラウリィに話しかけている。
「はい。その節はご迷惑をおかけしました」
「いやいや、大きくなって。成長したねぇ」
光の球はどうやらラウリィと知り合いのようだ。一体これは何なんだろうと、光の球のステータスを覗いてみた。
名前: エイグ=ドミ
種族: 精霊族
ジョブ: 精霊族 族長
スキル: ステータス閲覧,意思伝達,MP吸収,四属魔法Lv 99, ▼
HP: 3842
MP: 27881
攻撃: 10
防御: 32
魔法攻撃: 9999
魔法防御: 9999
何なんだ、この圧倒的な魔法関係のステータスは。
ステータス値ばかりに先に目が行ってしまっていた。スキルに戻ろうと、スキル欄の
『ステータス閲覧』
の文字が目に入った瞬間――さっと血の気が引く。深く考えるより先に光の球に触れて、ラウリィから大きく離れるように森の奥に転移した。
「へえ、それが『転移』の能力ですか」
族長から喜ぶような声が返ってくる。やはり、この族長には私のステータスが見えているようだ。
私は弱い。皆よりも圧倒的に弱い。でもそれはまだいい――
「すみませんが、私のステータスは内密にお願いします。私が、魔王が『人族』であることが、魔族の間に公になる訳にはいかない」
もしこの精霊族の族長が「いいえ」と言ったら。さて、どうやって……そこまで頭の中では計算し始めていたけれど
「もちろん話しませんよ。魔王様も、そうでしょう?」
族長から、のほほんとした返事が返ってきた。その言葉に、自分の器の小ささと、深い安堵を感じて、情けなくなって下を向いた。
この人からはドラゴンのおじいちゃんのように、私などが想像もできないくらい、長く、長く生きている気配がする。
「突然、失礼をいたしました」
そうしっかり族長に頭を下げると「いいんですよ」と穏やかな返事が返ってきた。それに微笑んでから、ラウリィの下に戻ろうと族長に触れるが、ラウリィの側になぜか転移ができない。何かと干渉しているらしい。
さっきは何もなかったはずだけれど……どうしてだろうと思いながら、ラウリィから少し離れた位置に転移した。
「ラ、ラウリィ!」
ラウリィが大小の様々な色の光の球に囲まれているのが目に入った。
私が思わず駆け寄ろうとしたとき、
「みな、興奮するのはわかるけれど、お客様に失礼でしょう? 離れなさい」
その族長の声と共に、さっと光の球が散らばった。
光の球の中からラウリィが現れる。ラウリィは無事だ。良かった。
散らばった光の球のステータスを覗くと、あの光の球ひとつひとつが個々の精霊族だった。光の球の大きさが強さと比例しているようで、族長を除けば一番大きいハンドボールくらいの大きさの精霊で、ラウリィと同等のステータスだった。
それにしても、『分け身』や『重力操作』,『望遠』など初めて見る変わったスキルを持つのが多い。
「いやぁ、みな外から来るものは珍しいもので――失礼しました」
今度は族長さんに謝られた。
族長さんも外の人と話せて嬉しいのだろう。精霊族について聞く前に色々と教えてくれた。精霊族はこの森から自然発生するらしい。しかも、この森から長時間離れると、MPがなくなってしまって死んでしまうそうだ。だから、この森は他の種族が勝手に入り込まないように、強い結界を張っている。たまに結界を破るものも現れるが、まさか過去に二人の魔人族の子どもに破られるとは思っていなかったと笑っていた。
精霊族はそれぞれ変わった能力を持って生まれてくる。族長はこれまで、たくさんの精霊族のたくさんの能力を見てきたけれど、それでも私のような能力は今日初めて見たと言っていた。
精霊族は成長するに従い、他の個体と合体して大きくなるそうだ。やはり族長さんが一番長生きだそうで、いつ生まれたかはもう覚えていないそうだ。
このままだとこちらの用件を伝えられずに終わってしまう。のほほんとした態度で話を続ける族長さんを一度止めて、こちらから今回の用件を説明する。
「はぁ、なるほど。言葉が通じないと難しいですからね」
族長さんがしみじみとつぶやいた。
「分かりました。精霊族からも魔法が得意なものを出しましょう。ルング,ヤッグ」
族長が呼びかけると、青と緑の野球の球くらいの大きさの光の球がこちらに向かってすーっと飛んできた。
「魔王様。我ら精霊族はこの森以外ではMPを消費します。この子たちは、MPを他の人から吸収できるので、この森の外でも長時間動けます」
「あぁ、私のMPは好きに使ってくれていい。ルング、ヤッグよろしく頼む」
私が青と緑の球を交互に見つめて言うと、2つの球がこちらに向かって飛んできた。そのまま様子を確かめるように、それぞれが私の肩に留まって何やらもぞもぞしている。
「はい、問題ないようです。魔王様、どうかその子らに世界を見せてやってください」
優しい族長の声に、
「分かりました。必ず無事に返します。じゃあ、ルング、ヤッグまた迎えに来るよ」
精霊族たちに、ばいばいと手を振ってから魔王城に帰った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「魔王様。失礼いたします。魔人族が城の前に到着しました」
ラウリィが魔人族に向けて信号弾を打ってから、まだ5日しか経っていない。意外と早いなと、どきどきしながら、魔人族が待っているという魔王城の門の前まで転移した。
魔王城の前に、行商人といった風貌の3人の若者が立っていた。本当にただの人族のように見える。私が近づくと、3人は膝を突いた。
「呼び寄せてすまない。私が魔王だ、初めまして。さぁ立って立って」
そう言って3人を立たせる。先頭の若者が先にすっと立ち上がった。優しい笑顔でこちらを見つめるその顔立ちを見て、はてと、私の横にいたラウリィの顔を見る。二人の顔立ちは非常によく似ていた。
「兄です」
ラウリィがいつもの無表情で、淡々と簡潔に説明した。
何だと!? そんなこと聞いていないと焦るが、ラウリィはいつも通りだ。それにしても、ラウリィと似た顔立ちなので、お兄さんももちろん顔が整っている。それなのに、人混みに紛れ込んだら見つけられなさそうな、この影の薄さは何だろう?
そう思って、ラウリィのお兄さんのステータスを覗いた。
名前: ラッツェ
種族: 魔人族
ジョブ: 魔人族 族長
スキル: 隠密,雷魔法Lv 65,水魔法Lv 47,風魔法Lv 40, ▼
HP: 2892
MP: 2012
攻撃: 580
防御: 1642
魔法攻撃: 3121
魔法防御: 2213
ラウリィのお兄さんのスキル欄には『隠密』というものがあった。これが原因か……
「魔王様? どうかなさいましたか?」
お兄さんの声にはっと顔を上げる。お兄さんは相変わらず笑顔だったけれど、この笑みは――人から本心を隠すための仮面のようなものか……
私が何か変なこと口走ったら、私がステータスを見れることがばれるかもしれない。
魔人族の族長であるラウリィのお兄さんは手強そうだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
会議室の机を囲んで、ラウリィのお兄さんたちに今回の用件を説明する。
「と言う訳なんだ。できればゴブリン退治を手伝ってもらいたい」
魔人族の3人は、3人ともやけに表情が読めないので緊張する。
「いいですよ。ただし、条件があります」
お兄さんが、口を開いた。
「何かな?」
「魔王様のお力を、いつか魔人族にお貸し頂きたい」
「兄さん!」
「わかった。変なことでなければ協力しよう」
ラウリィが立ち上がって、珍しく表情をあらわにお兄さんの方を睨んでいる。立ったラウリィから、冷気のようなものがこちらにまで漂ってきた。
「ラウリィ。私は魔人族の族長だ」
「わかっています!」
当たり前のことを諭すようなお兄さんの声に、ラウリィは納得がいかない様子だ。
「ラウリィ。いいんだ。手伝ってもらうんだから、何か返さないと」
「わ、分かりました。魔王様がそうおっしゃるのであれば」
私の言葉にラウリィがしぶしぶ席に着いた。
ゴブリン退治まで、魔人族の3人は魔王城に滞在することになった。それが決まった瞬間、部屋の温度が一気に5度くらい下がった気がして、思わず隣を見た。
「では、先に部屋の準備をして参ります」
ラウリィが部屋を出て行った瞬間、ふうーと、止めていた息を吐く。
「魔王様。妹は、あなたのことが随分気に入っているようですね」
「え? そうなの?」
突然のお兄さんの言葉に驚く。
「えぇ、そうです。改めまして魔王様、妹がお世話になっております。兄のラッツェです。兄として、楽しそうに働く妹の姿に感謝しています」
ラウリィのお兄さんが笑みを解き、今日初めて本心だと思われる言葉を発した。
「えぇっと、ラウリィに世話になっているのは私の方だ。城にいるみんなが、ラウリィのこと本当に感謝している。ラウリィが居なければ、この城は回らないと言っても過言ではないというような……」
私は、動揺してしどろもどろになった。
ラウリィは、城にいるお兄さんたちをかなり気にしているようだが、何とか今日一日が平和に終わった。さてと――筆を置いて、立ち上がり、自分のローブを羽織る。
「こんばんは」
「魔王様。こんばんは、何かありましたか?」
精霊族の族長は、夜中に突然一人で現れた私を見て、少し驚いた声を上げた。
「すみません……族長さんにどうしても聞きたいことがあって」
「何ですかな?」
族長さんと並ぶように、座りやすそうな大きな木の根に腰掛ける。この世界に来て、ずっと疑問に思っていたこと――それは私のことだ。これまで、だれにも相談ができなかった。
「族長さん。私は、私はどうして『人族』なのでしょうか?」
私はもともと人間だ。悪魔や鬼ではない。だから人族なのは間違っていないのかもしれないが、それでも私は魔王だ。できることなら魔族に生まれたかった――どうして魔族の敵である、『人族』なのだろうか。
「確かに魔王は『魔神族』と決まっているのに、少し変ですね……」
「魔神族……?」
そんな種族はこれまで聞いたことがない。
「はい。魔王は魔神族――これはこの世界では当たり前のことです。皆は、あなたのことを当然魔神族だと思っているはずです」
「当たり前のこと……」
もともと私が、この世界の住人でないことが影響しているのだろうか。
「あなたは紛れもなく魔王なのです。言わなければ、私たちの他にはわからないのですから、いいのではないですか?」
穏やかに、そんなことを言う族長さんを見る。
私は人族で、それはどうしようもない。
もしかしたら、あの女神が、私をこの世界に送る際に種族設定を間違えたのかもしれない――そう考えれば、それはいかにもありそうな話だった。
世の中にはどうしようもないことがある。それで悩んでいたらきりがない。
「私は、自分のことを魔神族だと思い込みます!」
「それで良いと思いますよ」
優しくそう言ってくれた族長さんに「ありがとうございます」と礼をしてから、私は魔王城に戻った。
女神 (ガタッ)「あっやば、忘れとった……まあー、しゃあない、しゃあない!」




