2話 魔王、己の強さ(弱さ)を知る
「選択肢間違えた。終わった……」
まだ何も始まってもいないのに、もう終わった。
ゲームだったら、「先に言えよそんなこと」と愚痴を言いながら、笑顔で『New Game』にカーソルを合わせるところだ。
横を見みると見える、さっきまで座っていた、豪勢な堅い椅子は恐らく『魔王の玉座』か……
その玉座をさっと避けて、玉座に続く階段の隅にちょこんと腰かける。そのまま、悲嘆にくれてうつむいていると、突然「ギィー」っと扉が開く音が、部屋の中に大きく響いた。その音に驚いて顔を上げると、誰かが部屋の中を探るように、慎重な手つきで部屋の中に入ってきているところだった。
肩までの茶色の髪が顔の横でふわふわと広がる、かわいい顔立ちの女の子だ。16, 17歳くらいだろうか、紺色のスカートに、白いエプロンを着けている。
突然現れた美少女をぼーっと観察していると、探るように部屋の中を見ていた女の子の視線が、階段に腰掛けていた私のところで止まった。ちょうど女の子と目が合ったと分かった瞬間、女の子が目を大きく開き、
「申し訳ございません!」
とばさっと床にしゃがみ込んだ。
いや、しゃがんでるのではない。あの体勢は――土下座だ。
ど、どうしたんだろう? 立ち上がって、女の子のところまでゆっくり移動する。女の子のすぐ近くに立っても、女の子が顔を上げてくれる様子はなかった。
「えっと、どうしたんですか? 立ち上がってもらえますか……?」
私が怖ず怖ずそう聞くと、女の子は下を向いたまま、はっきりとした口調で口を開いた。
「お初にお目にかかります、魔王様。私は、この城でメイドをしておりますラウリィと申します」
その言葉のあと、再びシーンとした空気が広がる。
私はまだ何も言ってないのに、魔王ってことがもうバレている。どうしてだろう。しかも立ってくれる気配はまったくない。
「初めまして、ラウリィさん。魔王です。たぶん。」
名前はまだない。
「私に『さん』付けは不要でございます。魔王様」
自分のことをメイドだと言ったラウリィから直ちに返ってきたその言葉に、私の方が怖じ気づく。魔王っぽく、偉そうにしないとだめなのだろうか……? 慣れないが、その方がラウリィにとってはやりやすいのだろう。頑張ってみよう。
「じゃぁ、ラウリィ。とりあえず、その体勢はこっちが落ち着かないから、立ち上がってもらえるかな?」
私がそう頼むと、ラウリィは一瞬の空白のあと、立ち上がった。もちろん顔は上げてくれなかった。
私はついさっきこの世界に来たばかりで、自分の今の状況、立場などがまったくわかっていない。目の前の彼女で適切なのかはわからないけれど、まずは聞いてみようと、ラウリィに声を掛けようとしたとき、ラウリィがすっと扉の横に移動して頭を下げた。どうしたのだろう――
そのとき、扉が勢いよく開いた。
「ラウリィ、いるのか? さっきから城の魔力の流れが、何かおかしいんだが?」
その声と共に、背の高い女性が部屋に入ってきた。部屋の入り口で、ラウリィの方向を向いて突っ立っていた私を、ちょうどその女性が見下ろす形になった。
その女性の顔をゆっくりと見上げる。簡易な鎧を身に着けた、きりっとした顔立ちの、黒髪の美しいというか、格好良い女性だ。
その女性が、私を見てひどく驚き、流れるような動きで地面に片膝をつけた。
「魔王様、失礼をいたしました。私は魔王軍第1将軍を拝命しております、イスカと申します!」
よく響く声が、室内に響き渡った。
魔王軍の将軍様……? 綺麗な体勢で片膝を付いて、下を向いているイスカと名乗る女性の腰に、剣が差されているのが見えた。
あと……あれは何だろう?
「あの、背中から出ているそれは……」
イスカは私を見上げて、不思議そうな顔をした。
「……? 翼でございます」
「つ、翼?」
「私は悪魔族ですので」
あ、悪魔!? 一番始めに会ったメイドのラウリィが人みたいだから忘れていたが、ここはファンタジー世界。
イスカの反応から見ると、悪魔族とやらに翼があるのは、この世界では当たり前のことのようだ。
「えっと……この世界のこと何もわかってないから、とりあえず…… 教えてもらえるかな?」
私は、一体何から教えてもらえば良いのだろうか? それすらもわからず、私がため息をつきながらそう頼むと、立ち上がったイスカとラウリィが、少し困惑した表情で目を合わせていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
イスカの話によると、この城にはもう一人将軍がいるらしい。
ラウリィがその将軍を呼びに行ってくれている間に、今居る玉座の間から、魔王軍作戦会議室に移動することになった。
目の前を歩くイスカの翼と、ふらふらと目の前を横切る尻尾が、さっきから非常に気になってはいるが、黙って後ろに付いていく。着いた先の会議室は、会議室と言うよりは、簡素なテーブルと椅子だけが並ぶ、『居間』と言った方が正しいような場所だった。
豪華な部屋は落ち着かないから、この方が良い――自分で一番手前側の椅子を引いて、そこに座った。
イスカは部屋の入り口で、直立不動だ。私だけが座ってくつろいでいるのも落ち着かないので、自分の前の席を指さし「イスカも座って」と頼む。
イスカはしばらく躊躇してから、ためらいがちに移動して、私の前の席に座った。
「魔王様。本来ならば、魔族の皆を集めて、歓迎せねばならなかったのですが、なにぶん突然でして……」
そうイスカに申し訳なさそうに言われる。
「別にいいよ。それより、私が来るのわかっていなかったのに、イスカとラウリィが玉座の間に、ちょうど現れたのはどうして?」
イスカは私の答えにほっとした顔をしてから、私の質問にはっきりと答えた。
「それは、魔力の流れが変わったからでございます。
先代の魔王が勇者に殺されてから、50年近くも魔王が不在でしたので、魔力の流れが近年はかなり乱れておりました。それが、ついさっき、すっと、きれいになったのでございます」
イスカはそう言ったあと、「あの馬鹿は何で気づいていないんだ……」とはき出すように呟いた。馬鹿とは、もう一人の将軍のことだろうか?
それよりも、さっきのイスカの話に気になる単語があった。
「先代魔王は、『勇者』に殺されたの……?」
「はい。5百年間魔王をされていた、非常に強い方だったのですが、50年程前、勇者に最後はこの城で討たれました。私は、そのときは将軍ではなかったので、この城には居なかったのですが……」
やはりこの世界には、『勇者』もいるのか……
そして、私は『魔王』だ。
強かった先代魔王が殺されるとか――まずい。本気でまずい。背中を冷たい汗が流れる。
「その勇者は、今?」
そんなこと聞かずに済むのならば知りたくないが、私の命がかかっている質問を、頑張って平静に見えるようにイスカに聞く。
「あの代の勇者は――確か、先代魔王との激戦の際の傷が原因で、すぐに亡くなったそうです」
イスカがあっさり答えた。
よっしゃあ!! セーフ!
亡くなった勇者には悪いが、心の中で大きくガッツポーズをする。危うくいきなり最強クラスの勇者に討たれて、ゲームオーバーになるところだった。
そんな話をしていると、通路の方から、どしどし大きな足音が聞こえてきた。その音にイスカが顔をしかめている。
開けっ放しだった部屋の入り口に、大きな山男が現れた。その迫力に反射的に立ち上がってしまったが、立ち上がってもその身長差は縮まった気がしない。
でけえ、角生えてるし――そして男は酒くさかった。
「おー、かわいらしい魔王様だ。わしは第2将軍のアーガルです」
大きな声で山男はそう名乗って、そのまま笑顔で私の脇を抱えて、抱き上げようとした瞬間――横からイスカが、山男の脇腹を殴って止めた。山男が「ぐへぇ」と変な音を出しながら私を離したあと、その場にしゃがみこむ。
「魔王様、この馬鹿が申し訳ございませんでした。酒を飲んでいたようで」
イスカはそう言って頭を下げた。
第2将軍は、本日はもう使い物にならないし、現在の時刻は深夜だったらしい――夜も遅いし、話の続きは明日にすることに決まった。
ラウリィに、私の部屋に案内してもらう。
私の部屋――魔王の部屋は当然使われていなかったので、メイドであるラウリィが部屋の準備してくれる間、私は邪魔にならないように椅子に座って、美少女が働く姿を眺めていた。
そういえば、他人のステータスは見れるんだろうか? 人の個人情報を覗くのは少し気が引けるが、自分が人と比べてどの程度の強さかは知っておくべきだろう。私の命がかかっているのだ。
よしと気合いを入れて、『ステータス』と心の中で考えながら、ラウリィの方を見ると同時に、ラウリィの体の前にステータス表が現れた。少し距離が離れているから、字が小さい……そのラウリィのステータス表を、私は目を細めて読み解いた。
名前: ラウリィ
種族: 魔人族
ジョブ: メイド
スキル: 水魔法Lv 57,火魔法Lv 47,水耐性Lv 44,風魔法Lv 38 , ▼
HP: 2453
MP: 1826
攻撃: 350
防御: 1250
魔法攻撃: 2387
魔法防御: 2651
「え?」
思わず声に出た。ラウリィが私の声が聞こえたらしくこちらを見るが、手を振って「何でもないよ! 気にしないで!」と、過剰に反応してごまかす。
ラウリィのことを見た目から、私と同じ人族だと思っていたけれど、魔人族という種族らしい。ステータスの中で一番高いのは魔法防御で2651、一番低いのが攻撃で350。スキル構成から見て、ラウリィ自身か、魔人族という種族が魔法寄りのタイプなのだろう。
ラウリィのステータス表を片手に、自分のステータス表を出す。私のステータス値は誰か適当に決めたのだろうかと言いたくなるくらい、オール50だ。
ラウリィの前に現れているラウリィのステータス表と、自分の手元に出した自分自身のステータス表を、顔を動かして交互に見比べる。
何度も、見比べる。
あまりのステータス差に叫び出したかったけれど、ばれると――私は、死ぬ。
椅子の上で、静かに、私はその現実に震えていた。
「お待たせいたしました、魔王様。どうかなさいましたか?」
そんな私にラウリィさんが、優しく声を掛けてくれた。
ガタガタと歯が鳴りそうな心を抑えて、何とか気力を振り絞り、私は元気な声を出した。
「何でもないよ! 今日はありがとう、ラウリィ!」
「失礼いたしました」とラウリィさんが丁寧にお辞儀して部屋を出て行くのを確認してから30秒後――
ふかふかのベッドにダイブして、「うおー」と私は頭を抱えこんだ。