15話 魔王、本日の目的について葛藤する
「よし、今日は気分転換に、エルフ族に会いに行ってみるぞ!」
魔族領についての書き物――本日の仕事のノルマが終わったので、筆を置いて、イスカのもとまで転移すると、なぜかみんな揃っていた。
「今から、エルフに会いに行こうと思うんだけど、行きたい人!」
クルーゼルが「はい」とさっそく名乗りを挙げた。
「魔王様、村に着いたら呼んでください」
おいおい、それは一緒に行くとは言わないだろう。
「わかった。エルフの村に着いたら、迎えに一度返ってくるよ。えっと、イスカとアーガル、ついてきてくれる?」
「はい! もちろんです」
結局いつものメンバーで行くことになった。
結論から言うと、クルーゼルは正しかった。
今、私たちをとり囲むように、10人以上のエルフたちが木の上や、木の陰から、弓を構えて、その狙いをぴたりとこちらに合わせている。エルフたちの射線から私をかばうように、イスカとアーガルが剣を抜いて、厳しい目つきで相対していた。
(か、帰ろう……)
「お前たち、こちらにおられるのは魔王様だ! どういうつもりだ。控えろ!」
イ、イスカさん?
イスカとアーガルはやる気十分だ。幸いにも、エルフたちは攻撃が700程度しかなく、当たり所が悪くない限りイスカたちの致命傷にはならないだろう。
私は逃げたい。もしくは、アーガルの広い背中に恥も外聞も投げ捨てて、隠れたい。
やる気満々の部下を前に、そんなことを言えるわけもなく、
(クルーゼルはすごいな。やつの危険察知能力は今後参考にしよう)
私は、ここにはいない別の部下のことを考えて現実逃避していた。
「魔王様、どうします? いっそ、やりますか?」
アーガルがどう猛に笑って、私にそう聞いてきた。その言葉に、エルフたちの間に動揺が走る。エルフたちも、イスカとアーガルとは戦いたくはないのだろう。
「いや、今日は戦いに来たわけじゃない」
アーガルにそれだけ答えて、周囲を取り囲むエルフに向かって声を上げる。
「エルフ族の皆、突然押しかけて済まなかった。私は今代の魔王だ。悪いが弓を引いてくれないか」
本当はイスカとアーガルの前に立って、堂々とそう言いたかったが、弓の眼前に立つ度胸はなく、アーガルの後ろにこそこそと隠れながら言い放った。私の言葉に、エルフたちが「本当に魔王様なのか」と、仲間内で会話する声が聞こえる。
「悪いが、急に結界の中に現れたあんたたちを、信用することはできない」
エルフの一人が口を開いた。
結界が張ってあったのか……そんなもの全く無視して、森の内部に直接転移してしまった。うーん、一度引き返してもいいけれどどうしようか――そう考えながら、エルフたちを見回す。
目の前には、エルフが10人以上いる。エルフたちは皆、かなり明るめの、黄色の強い金髪をしており、グレーの目とよく似合っていた。年は壮年の人が多いが、2、3人若い人もいる。全員耳が尖っていて、堀が深く、整った顔立ちだ。
ただし、全員『男』だ。
今日はエルフ族に会いに来た。その目的はすでに達せられたといっても、間違いではない。
そう、間違いではないはずなのだが、達成感がまったくなかった。
この人たちを無視して、さらに奥に進んでもいいんだけれどどうしようか。さすがにそれは失礼だ。けれども、エルフの女性を一目見ずして一体何のためにここに来たと、内心盛大に悩んでいたときに――
「こら、お前たち、何をしている!」
しゃがれた声が森の奥から聞こえてきた。
「おばば!」
エルフたちが森の奥を振り返る。森の奥から相当年配のエルフの女性と、その付き添いと見られる、男性が現れた。
確かに、彼女はエルフの女性だ。だが――神はここまで私を試すのか。
そんなどうでもいいことばかりを延々と考えていると、おばばと呼ばれた女性が、私に向かって丁寧に膝を突いた。
「魔王様、遠路はるばるこんなところまでお越しくださって……若い者が失礼をしました」
このエルフのおばあさん強いな。一人だけ魔法攻撃が1200と他の人の倍近くある。私が魔王だと分かる人が現れてくれて助かった。
「いや、何も考えず、突然押しかけて来てしまった私が悪い。顔を上げてほしい。よければ、村に案内してくれないか?」
「もちろんでございます。ご案内いたします。ほら、お前たち! 先に村に帰って、歓迎の準備をしてきな!」
おばばが村の若者に快活に指示を出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目の前で、宴が開かれている。
「ささやかで、申し訳ありませんが……」
とおばばは言っていたけれど、私は幸せだった。
やはり、エルフの女性は美しかった。今日は頑張った甲斐があったと、エルフの若い女性が籠に入れて持ってきてくれる料理を、締まりのない顔つきで受け取っているときに、クルーゼルのことを思い出した。
クルーゼルをエルフの村に連れてくると、クルーゼルは村を興味深げに見回したあと、宴を少し離れたところで観察しながらせっせと紙に何かを描いていた。あとで見せてもらおう。
よし、宴は楽しませてもらったし、今日の目的は達した。けれど、帰る前に仕事をしよう。
「おばば、エルフの村は問題はない? 何か森に異変があったりとかはしない?」
「魔王様が現れてからは、森の植物も、動物たちも、安定しておりますよ」
「そっか、それは良かった」
食事も美味しいし、女性は美しいし、ここは問題はなさそうだな。
「おばば、私が言うのもあれだけれど、この村を頼むよ」
「おばばの命にかけても」
丁寧に頭を下げたおばばを、私はしばらく見つめたあと、立ち上がり、3人を回収して魔王城に戻った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「魔王様、わしはまだ飲み足りんのです」
「危ないところだった。これ以上、エルフたちに迷惑をかける前に帰れて良かった」
アーガルは私の言葉に、ぷすーっとむくれている。エルフの人もあまりの飲みっぷりに困っていただろう。だめなものはだめだ。
「で、クルーゼルは何を描いていたの?」
私がそう聞くと、いつの間にかクルーゼルの後ろに回り込んでいたイスカがひょいと手元の紙を取り上げた。
「イスカ様。そんなことしなくても見せますよ」
イスカが、会議室の机にクルーゼルが描いた紙を広げてくれた。
これはさっきの宴だ。
「私のことは、もっと格好よく描いてほしい」
「見たままです」
「そこを何とか!」
「だめです」
ばっさり斬られた。
絵の中の私は、エルフの村に迷い込んだ村人Aだな。だれも魔王様だとは思うまい。
「本当に上手ですね。これが私か……」
イスカは絵に描かれた自分の姿をしげしげと眺めている。魔族領には鏡なんていうしゃれたものはない。だから、普段自分の姿を見ることがほとんどない。
イスカはおばばと話す私の横で、エルフの料理に食らいついているところが描かれている。いつものイスカは腰に剣を差して、すらりとかっこいい感じだけれど、食い意地のはったこの姿は、これはこれでよく見る姿だ。
「クルーゼル。よければ、城の中にも絵を描いてよ。洞窟に描いていたようにさ」
「いいのですか?」
クルーゼルはそう言って、ラウリィに視線を動かす。
「魔王様が良いとおっしゃるのであれば」
ラウリィが淡々と答えた。
「ラウリィ、ごめんね。じゃあ、早速明日、良い場所を探そう。クルーゼル、明るい絵をお願いね」
完成まで、どのくらいかかるだろうか。どうせだったら、いつまでたっても完成しないような壮大な絵がいい。
壁に直接絵を描いてもらうのであれば、今度勇者が来たときには動かせない。
魔王城の防衛することを少しは視野にいれるかと、頭の片隅で考え始めた。