10話 魔王、語学教師を募集する
【急募】語学スタッフ! 資格・経験・国籍不問! 広大なお城で働いてみませんか?
給与 宝石たくさん
仕事内容 言葉の全くわからない魔王に、人族の言葉を教えてあげるカンタンなお仕事です。衣食住完備☆ アットホームが自慢の仕事場です!
勤務地 魔族領 魔王城
応募資格 人族の言葉が話せること。未経験者大歓迎!
勤務時間 週7日勤務、日中2~3時間
こんな求人広告を人族領で出せればいいのに……金なら、いくらでも出す。
まるで服を買いに行くための服がない気分だ。
「はぁ……」
仕方がないので、ここ一ヶ月間私自身が頑張って、人族領で私に言葉を教えてくれそうな人を物色していた。
魔王城に一度来てもらうと、機密上なかなか帰してあげられなくなるため、人族の中でも「こんな生活はもう嫌!」と、日々の生活を嘆いているような人が良い。
そんな訳で、毎夜、人族の村を覗いて、それっぽい人を探しているけれども、こういうときに限って、居そうでまったく見つからない。夜間に探すのがだめなのだろうか? けれども、日中に転移して、その姿を人族に目撃されてしまうのはまずい。
一度だけ、何やら多人数の人と揉めている男性を見つけた。
だが、喧嘩が終わったあと、その男性をストーキングしてみると、その人にもちゃんと帰る家があった。
帰る家がある人は――誰かが迎えてくれるような暖かい家があるような人はだめだ。
今日も窓から、人族の家族が寄り添うように会話をしている姿を目撃してしまった。
「……疲れた。帰ろう」
今日はもう魔王城に帰ろうと、転移をするために、ちょうど森の奥に向かって踵を返したそのとき――
「――――!」
小さな女の子の叫び声が聞こえた。周囲を見渡して、誰もいないことを確認してから、上空に転移する。
あそこか……さっきの場所からでは建物が邪魔になって見えないので、また別の木の陰に移動する。その場所からそっと覗くと、一軒の家の前で、女性が長い髪を乱して座り込んでいるのが見えた。その女性の後ろにさっき叫んだと見られる、小さな女の子が立っている。
座り込んだ女性の前で、少し年配の女の人が仁王立ちしていた。座り込んだ女性に対して、唾を飛ばして何か文句のようなことを言い続けているが、人族語なので何を言っているのはわからない。傍目から見ても段々とその言葉がヒートアップしてきて、こちらもハラハラとしながらその様子を見守っていたそのとき、その年配の女の人が、こちらからは死角となっていてよく見えない右手に持った『何か』を握り直した。
その棒状の何かが、振り上がるのが見えた。
『見た』と認識したときには、すでに女の人の目の前に転移してしまっていて――その一瞬後、鼻のあたりに、ガンッと衝撃を感じた。
「痛ってぇ……」
あまりの痛みに顔を押さえながら、後ろによろめく。私を殴った年配の女性が、私に向かってしばらく何かを叫んでいたが、不意に私から逃げるように足早に立ち去った。
しばらくその場で鈍い痛みに耐えていると、突然後ろから服を引っ張られ、家の中に連れ込まれた。バタンと扉が閉まる音が聞こえたあと、私の眼前に、心配そうにこちらをのぞき込む20代半ばくらいの、さっきまで座り込んでいた女性の顔が現れた。
そういえば、フードを被りっぱなしだった。自分でフードを取って、大丈夫と笑いかけようとしたときに、鼻の下に何やら温かいものを感じた。手の甲で拭うようにそれに触れると、血がついている。
「あ、鼻血だ」
慌てて鼻の付け根を指で押さえて、上を向いていると、女性が椅子をもってきてくれた。その椅子に座らせてもらって鼻をすすっていると、小さな女の子がタオル抱えてこちらに走ってきた。
「いや、大丈夫」
女の子が抱えた白いタオルを見て、空いた左手で手を振りながらそう言ったが、女の子は遠慮なしに私の鼻の上にタオルを置いた。すぐに血が付いてしまった白いタオルを見て、諦めてそのタオルを使わせてもらうことにする。押さえていた右手にも血が付いていたので、それも拭う。
そうやって、しばらく椅子に座ってタオルで鼻を押さえていると、
「―――! ――――!」
家の外から複数人の足音と、何を言っているのかは分からないが、探るような男性の声が聞こえた。
女性がその音に、引きつった表情で一度私を見たあと、泣きそうな顔で女の子に笑いかけて、女の子に何かを伝え――女の子の頭を優しく抱きしめた。
この女性が、なぜあそこで殴られそうになっていたのか、どうして村人から追い立てられるような状況になっているのか、その理由は分からないけれど、外から聞こえる足音とこの女性の表情から、どうやら時間がなさそうだ。
私は椅子から立ち上がり、この家に一つしかないカーテンを勢いよく閉めた。
月明かりからも閉ざされて、部屋が真っ暗になる。
カーテンに背を向けて、女の子とその横でしゃがんでいる女性に、一歩一歩近づき――
ゆっくり近づく私を見上げる二人の目を見つめ返して、二人の手にそっと触れた。