1話 魔王、安易に能力を決める
「質素なもん食っとんなぁ、自分!」
突如聞こえた関西弁に、こたつテーブルの上に置いた鍋から、シメジを掴もうと箸を伸ばしていた止めて顔を上げると――美女がいた。
膝丈まである長い銀髪が、ふわふわと体を覆っている。その銀河のような髪が、まるで添え物のように感じるくらい、美しい顔をした女性だ。
その美女が、私の侘しい一人鍋を、こたつの向かい側から興味津々といった趣で覗いている。
「ええ匂いやなー!」
そんな関西弁が耳に入った。
ふ、ふ、ふ……落ち着こうぜ、私。
鍋に突き刺さったままだった箸を一度取り出し、こたつテーブルが汚れないように台拭きの上に置く。軽く息を吐きながら上を向き、手で目頭をほぐすようにゆっくり揉んだ。
とうとう少しおかしくなってしまったらしい頭を十分休憩させてから、
「これで、よし」
目を開くと、美女は相変わらずそこにいて、猫のような――好奇心を感じさせる大きな目で、まっすぐ私を見ていた。
「……」
どうやら私は、独り暮らしの部屋の中で、『関西弁を話す銀髪の美女』が見えるくらい疲れているらしい。
もはや笑うしかない、それはそれは美しい幻にいっそ開き直り、じっと見つめる。しばらくそうやってお互いに見つめ合っていると、美女の方が先にふっと目を逸らした。
「いろいろ質問あるのはわかっとるけど、先に食べ! 話、長なるから」
銀髪の美女はこたつテーブルに一度手を置いてから膝を突き、こたつ布団をめくって、手慣れた様子で私の向かい側に座った。
「……」
「なんや、食べへんの? ええから、ええから」
美女が私の向かい側で親戚のおばさんのような顔をして、ポットからマグカップにお茶を注いで、私に手渡してきた。
「あ、ありがとうございます」
美女から渡される自分のマグカップを両手で受け取る。
「女の子はな、もっといっぱい食べなあかんのや。はい、食べるー」
そんな圧力を掛けてくる、美女に押し負けて、私は再び鍋に箸を伸ばした。
もちろん味は覚えていない。
「お、食べたな。もう話してええか?」
鍋を食べ終え、台拭きで口をぬぐっていると、待ってましたとばかりに美女がこちらに声をかけてきた。
「あ、はい。お願いします」
台拭きを置いて、こたつの中で姿勢を正す。
「よし! もう気づいとるかもしれんけど、うち神やねん。まぁ、あんたの住んでたとこじゃなくて、別の世界のな!」
か、神だって!? 驚いて目の前にいる現実離れした美女を、まじまじと見る。いや、確かにこんなにきれいな人がその辺に転がっているわけがないし,そもそも我が家に居るわけがないので、信じたくもあるけれど――
「そ、その……どうして関西弁なのですか?」
私が聞かずにいられなかったことを聞くと、神を名乗る美女はキョトンと不思議そうな顔をした。
「あんたの頭の中覗いたら、神はこういうしゃべり方するって書いててんけど、違うん?」
……え? どうなってんの私の頭の中?
とうとう頭のネジも吹っ飛んだか、と悲しい思いに浸っていたときに、最近読んだ本に『関西弁』を話す象の神様が出てきたことを思い出した。あれが原因か!
こたつから体を後ろに倒して、もはや体が覚えている本の山の位置まで、手を伸ばすが、なぜか空振りする。そのまま手を左右に振っても、手に何も当たらない。
おかしいな……本の山がある方向に、顔を動かしてやっと、本の山がなくなっているどころか、今いる場所が自分の部屋でないことに気がついた。
ここは、どこだ……訳が分からなくて、きょろきょろと周囲を見渡す。
真っ白い、だだっ広い空間だ。その果てなど見えない空間に、今はこたつと、私と、美女しかいない。さっきまで、自分の家にいたはずなのに、どういうことだ?
だめだ……お茶飲もう。
こたつの上のマグカップに手を伸ばしたときに、こたつの右側――さっきまでは確実に誰も居なかったはずの空間に――いつの間にか子どもが座っているのに気がついた。
「うわぁっ!」
驚いて変な声が出た。心臓が大きく鳴っている。
銀髪の髪を肩あたりでばっさりと切り揃えた、人形のように整った顔立ちの無表情の少女が、きれいに膝を曲げ、姿勢よくこたつに座っていた。
「お、リュシュも来とったんか! 声かけてーな。気づかんかったわ!」
突然現れた少女に、美女が親しげに声をかけていた。
落ち着け……マグカップから、ごくごくとお茶を飲んで、こたつテーブルの上に置く。
「あの、ここはどこですか?」
「もちろん異空間や!」
美しい神はそう自慢気に言ってから、今回の経緯について関西弁で説明を始めた。
「うちらが管理する世界やねんけどな、最近あるジョブのやつが生まれんようになってしもてな。いつもやったら、おらんよーなったら次のやつがすぐ生まれてくるねんで?
だんだん世界のバランスが不安定になってきてしもて、何でやろー思て、調べてみたら、なんや間違ってこっちの世界に生まれてきてしもうたらしくてさ。
うちらの世界とこっちの世界は魂の交換?――同じ世界ばっかやったらおもんないやろって、ぐるぐる魂回してるねんけど、たまーに運悪く、紛れ込んでしまうやつがおる訳よ。
で、あんたの世界の神に
『一人、間違ってそっちに生まれてしもたわ』って伝えたら
『じゃあ、代わりになんか持って行ってよ』って言われてな。
そうやって、いい感じの探して見つけたのが、あんたやねん」
美女がウインクしながら私を指さしたあと、「分かった?」と聞いてきた。
何なんだ、この話……
「えっと、私は、そちらの世界で必要とされるポジションの方が、いないのでその人の代役として呼ばれたと言うことで合っていますか……?」
「そうそう! うちら全員ひと目見て、『おっ!こいつや、こいつや』ってなってんで? 見つけたとき感動したわ」
美女は満面の笑顔だ。その息を飲むような美しい笑顔と、神の語るその内容とのギャップに、思わず大きく息を吐いて後ろに倒れ、体を支えるように後ろ手を付いた。そのまま顔を右側に向けると、私の右手側に静かに座っていた少女と目が合い、小さく頷かれた。
「ほんまはな……」
と、急に美女が笑顔から一転して、ためらいがちに話を再開したので、体を起こす。
「ほんまはな、ちゃんとな、了承取ってからこっち連れてきたかってん。でもさ、あんたらの世界、なんやいつの間にかめっちゃ人増えとるやん? いやいや、ついこないだまでそんなおらんかったやろって言いたなるくらい、増えとるやん?
まさか、そんなおると思てなくてさ――よっしゃ探そかって探し始めてんけど、見つけるのにずいぶん時間かかってもて……ほんまごめん!」
美女が勢いよく頭を下げた。「うちらは止めてんけど……」とつぶやく声も聞こえる。
美女が何について謝っているのかがわからない。
「すみません。何のことでしょうか?」
素直に美女に聞くと、美女は私から目を逸らしたあと、言いにくそうに口を開いた。
「その、たまーに、ほんまたまにやで? こういうことがあって人を別の世界に送ると、やっぱ元の世界が恋しくなって、帰りたなるみたいやねん。人によっては病むっていうか……」
まぁ、そういう人もいるだろう。
私の方は、私は……
そう自分のことを考え始めて、『私』が何かが――その当たり前のはずのことがまったく分からないことに気がついた。
「やから、ディヴが――今日はおらんねんけど、もう一人の神な?――そのディヴが『個』に関する記憶消してもてなぁ。自分のこと、何も思い出せんやろ……?」
美女は悲しそうにこちらを見た。
個に関する記憶? 『個』って『私』のことか?
今日自分で作って、さっき食べた鍋は豆乳鍋で、その中に入っていた人参は先週の金曜にスーパーで3本128円で買ったとか、そういうどうでもいいことは良く思い出せる。
それにもかかわらず、自分の名前や、自分が今までの人生の中どこで何をしていたなどという、自分自身のことが全く思い出せなかった。
きっと大事なことのはずなのに、本当に大事なことなのかも、いまいち実感がない。
美女が急に立ち上がった。
「申し訳ないと思った。やから、こっちの世界に送られる前に割り込んだ。今、うちらがここにおるのはそういうことやねん」
そう言って、左の手のひらを上に向けた。ぽんっと音が鳴った後、美女の左手に分厚い百科事典のようなものが現れる。
「そっちの世界から、うちらの世界に来るやつには、能力をプレゼントすることになってる。
で、いつもやったら、5ポイント分の能力やねんけど、今回は色々申し訳ないから、なんと5割引することに決めた!」
美女が高らかに宣言すると、隣の少女がそれに合わせて大きく頷いた。
「つまり、10ポイント分の能力が貰えるってことですか?」
「そう!」
頑張ったやろうと言いたげな表情で、美女がこちらの目をのぞき込んでくる。何色と表現すればいいのかがわからない、その不思議な色をした目に飲まれそうになって、自分の目を無理矢理逸らした。
「えっと……どういう能力があるんですか?」
美女がぱらぱらと百科事典をめくった。
「めっちゃあるからなぁ……試しになんか言ってみ? 何ポイントか教えたるから」
能力、能力……漫画やゲームの内容を思い出す。いつ、どこで読んだり遊んだりしたかは思い出せないけれど、どんな内容だったかという記憶は消えていなかった。
ふと頭の中に、青いロボットと、ピンクの扉が現れる。そのピンクの扉が何をするものかは思い出せるのに、その青いロボットの名前が――それが何なのかがまったく思い出せなかった。
「テレポートはどうですか……?」
「テレポート、テレポート……ちゃうな……転移?」
美女が小声でつぶやきながら、百科事典の後ろの方のページをめくっている。
3分ほど待ってから
「あった! これやんな!」
美女が興奮気味に両手で大きく開いたページを、隣の少女に見せた。少女がそれを見てコクンと頷く。
「あんた才能あるわ……なんといきなり10ポイント。ぎりぎり貰えちゃう」
美女は目を細めて、尊敬するようなまなざしでこちらを見ている。
「これにする?」
「これにしたら」とそんな声が続きそうな美女の声に、しばらく考え込む。安易に決めすぎだろうか?
でも、歩かずに、色んな場所に行けたら楽しいだろうな。
歩かずに、色んなものが見れたら楽しいだろうな。
自分のことは何一つ思い出せないけれど、快活なタイプでなかったことはすぐに分かった。
候補としてはいいかもしれない。落ち着いて、決める前に確認すべき項目を確認しよう。
「そのテレポート能力は、自分が触れたものだけを跳ばすことができますか?」
美女が「ちょっと待ってな……」と言いながら、大きく開いた百科事典のページを読み込んでいる。
「えー……ここか。
自分が手で触れたり、持ったものを自分と一緒に跳ばすことはできるけど、ものだけを跳ばすのは無理みたいやな」
まぁ、できたら便利だけれど、できなくてもそれぐらいはいいかな……
それよりも肝心なことがある。
「自分が行ったことのない場所にも行けますか?」
「あーそれは無理みたいやなぁ……」
美女が残念そうな声で答えた。
やはり無理なのか……自分が歩いて行ける範囲しか跳べないのであれば、あまり意味がないかもしれない。そう思って大きく肩を落としていると
「なぁ、リュシュ。あんたへの誓約で何とかならん?」
美女が隣の少女に小声で確認している。
顔を上げて,少女を見ると、少女は首を傾けて考え込んでいた。
「誓約によるけど、できる」
「リュシュへの誓約で何とかなるって! よかったな!」
美女が明るく輝くような笑顔でそう伝えてくるが、誓約って……何?
「すみません。誓約って?」
「あぁ、こっちの世界ではないんか。
神様に『自分はこれします』って宣言すること。別に破っても死んだりはせんけど、なんかこう『守らなあかんー』って気分になる。自分なんかある? 約束できそうなこと」
約束できそうなことかぁ。
神への誓約というくらいだから、一生守らなければならないのだろう。そんな重い約束、『息をする』とか当たり前のようなことしか守れる気がしない。他に何かないだろうか……
すぐにぱっと思いついたが、さすがにこれは当たり前すぎてだめだろうと却下し、けれども他の案は、高尚すぎて私には守れる気がしないので、一度神に聞いてみることにした。
「『平和に過ごす』とかはだめですよね……?」
「いいよ」
考える素振りも見せず、あっさりと少女が答えて、逆に困惑する。
「じゃあ、これで決まりやな?」
美女が自分のことのように喜んでいる。その心が晴れるような笑顔に――あとで思い返せば、まだ『夢だ』と思っている節もあったのだろう――まぁいいかと、深く考えずに頷いた。
「よーし、これでオッケーや!」
美女がパンっと手を叩いた。
何かが、完了したらしい。自分の体を見下ろすが、さっきと何も変わっていない。
「おまけで、『すてーたす』も見れるようにしたったからな!」
美女が私に向かってウインクした。
お約束をすっかり忘れるところだった。こたつから立ち上がって「ありがとうございます」と美女に頭を下げた。
二人の神が並んで、立ち上がった私のことを優しい目で見つめていた。
美女が一度何かを言いかけて、その言葉を出すのを止めたあと、ぴんとした姿勢で私を見た。
「あなたの人生に実り多からんことを」
まるで神様のようなことを言って、優しく微笑んだ。
そのままゆっくり近づいてきた神に、額に軽く口づけをされて驚いている間に、
視界が暗転した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目を開くと、真っ暗な部屋で、一人ぽつんと堅い椅子に座っていた。
堅い椅子から立ち上がって、今いる部屋の中を見回す。
柱が何本も並ぶ広い部屋だ。部屋の入り口から私が今居る舞台のようなところまで、赤いカーペットが敷いてある。天井を見ると、シャンデリアのようなものがぶら下がっていた。やけに豪華な部屋だな。
それにしても、真っ暗なはずなのに部屋の中がよく見えるのはなぜだろう? まぁ、考えてもわからないし、いいや。
そう言えば、夢だったかもしれないが、さっきまで神様と会っていて、その神様に色々と貰った気がする。
部屋の中に、人の姿はない。調子に乗って元気よく「ステータスオープン!」と叫んだ瞬間――
『補足: ステータスは念じるだけで見ることができます』
注意書きのようなものが現れた後、文字の書かれた透明のボードのようなものが、私の胸元のちょうど見やすい位置に現れた。
名前: (なし)
種族: 人族
ジョブ: 魔王
スキル: 転移+, ステータス閲覧, 魔耐性 Lv99, 四属耐性 Lv50
循環の女神リュシュリートへの誓約: 平和に過ごす
HP: 500
MP: 9999
攻撃: 50
防御: 50
魔法攻撃: 50
魔法防御: 50
「え……?」
ジョブの欄に物騒な文字が見えた気がする。
「何かの見間違いだろう」と一度ステータスを閉じて、再度――今度は声を出さずに、ステータスを開く。開いたステータス画面を片目でちらりと覗くが、ジョブ欄の『魔王』という文字は変わっていなかった。
それを3回繰り返した。
『魔王』という文字と、その言葉に相反する『平和に過ごす』との誓約に、
「終わった……」
私は膝から崩れ落ちた。