楠木貴樹は勇者になる。 2
ルルシュケルトとは何だろう。
どんな魔物なのだろうか?
色は?形は?大きさは?
様々な疑問が浮かぶであろう事は、
この勇者様は合点承知である。
勿論、ノーデータで行ってもこの貴樹様は余裕だろう。
だがな、取り巻きの女の子達が居るもんで、
聴きたくなくても情報が勝手に入ってくるんだよ。
いいだろう?羨ましいだろう?
おっと、妬みや嫉みはやめたまえ、童貞諸君!
男の価値が下がるってもんよ。
すっかり、上機嫌の貴樹は鼻歌を歌いながら
暗黒の森へと向かっていた。
その道中彼女達が言っていたのを、
小耳に挟んだのだが…
デカくて
トゲトゲしてて
むっちゃ強い
と、曖昧模糊な情報であった。
だが、彼女達が俺様を心配する、
優しさは痛いほど伝わってきた。
うん…俺も愛してるぜ。
目線に愛を載せて贈ると、鋭い視線が返ってきた。
まだ、照れ臭い様で、なかなか近づいて来てくれない。
ま、この溝は依頼が終わる頃には、
東京湾の様に綺麗に埋め立てられるがな…ふふふ。
3人と1人は微妙な距離を開けつつ、歩みを進め、
暗黒の森の入り口に到着した。
「うっわーすっげぇ迫力」
鬱蒼と生い茂る、木々。
競う様に伸びた葉が、日光を遮り、
陰が濃く、ジメジメとしている。
樹木の木肌には苔がびっしりとこべり付き、
足元には毒々しい色をした、
見るからに毒キノコと言えるキノコが存在した。
貴樹の頭には富士の樹海が浮かんだ。
「つーかーこいつ、ザコい魔物も倒せなさそうなんだけど」
格闘少女が頭の後ろで腕を組んで笑っている。
無邪気な笑顔可愛いすぎ。
「スライム以下って感じだもんね」
毒を吐く、魔法使いさん。だが、そこがいい。
「ま、金貰えるしいいんじゃねー」
弓使いさんはマイペースだ。そんな所が愛おしい。
「おいおい、俺様の強さを舐めてもらっちゃ困るぜ」
ちょうどいい所に、スライム発見。
此方には気づいていない様子。
近くで見るとなかなか気持ち悪い。
黒緑色をしていて、中の臓器が透けている。
貴樹は、息を殺し、抜き足差し足で忍び寄る。
「ていっやぁーーー!」
大剣を振り上げるっ……!?
余りの重さに体が後ろに大きく仰け反り、
自分自身が持ち上がってしまう。
慌てて手を離すと、尻を思いっきり打ってしまった。
「い、痛ってぇ!!回復!魔法使いさん回復!」
3人は負傷した俺を見て爆笑していた。
「おっさんおもしろっ!」
「どっちが武器かわかんないわ」
「ギャグセンス半端ないねー」
むむむ、恥ずかしいぞ。
顔が熱くなっていくのが感じられる。
「くそ、スライム如きでこんな」
振り向くと、そこには既にスライムはいなかった…
貴樹の機嫌は悪かった。
女の子の前で恥をかかせたスライムが許せなかった。
かつて、ここまでスライムを恨んだ冒険者がいただろうか?
いや、彼ほど憎んだ奴はいまい。
貴樹は、近くの木に向かって剣を振った。
「糞、死ね死ね死ね死ね死ね!!!」
何度も、何度も振った。
「恥かかせやがってクソ野郎!あんな雑魚大人しく殺されていればいいんだよ!!!死ねよぉぉぉ」
一頻り暴れると、大剣を放り投げ、肩で息をした。
そして彼は決心した。
『スライムを無残に殺してやる、と。』
脂ぎった汗を、手でのっぺりと拭い、
笑顔で女の子達の元へと駆け寄った
貴樹のパーティーは暗黒の森の奥地へと進んでいく。
「ちょ、きゅ、休憩、しません?」
淡々と進んでいく彼女達とは違い、
貴樹はその一歩一歩の足取りが重かった。
「はぁ?まだ、森に入って十分も経っていないじゃないの。そんなんでよく冒険者になろうと思ったわね」
魔法使いさんの毒舌が今はちょっと滲みる。
「ちょっとだけ励ましてよ〜」
「キモっ。寄るなよ」
俺のガラスのハートが傷だらけだ…
貴樹は肩をがっくりと落とした。
「あっ!スライムはっけーん」
スライムという単語に反応して、顔を上げる。
奴は、3、4メートル先の木の根元で何かしている。
「お前らは下がってろ」
彼女達を下がらせ、大剣を握りしめる。
今度こそ、やるんだ。
確実に仕留めるんだ。
そして、彼女達にかっこいい所を見せるんだ。
先程同様、足音を立てない様に細心の注意を払って
スライムににじり寄って行く。
「有無を言わさず、先手必勝さっ!!」
そして、攻撃範囲に入った瞬間ーーー
思いっきり振り下ろした。
ぐしゃあという生々しい音がして、
スライムの破片が辺りに散らばった。
「やった…やったぞ!!」
達成感という奴だ。
彼が永らく味わっていなかった達成感が湧いてきた。
「ふははは!やはり俺の居るべきは異世界!!異世界こそ至高なのだ!!」
「あ、むっちゃ喜んでる」
「スライム程度で…引くわ」
「痛すぎーー」
女性陣は、スライムを倒して発狂している貴樹に、
ドン引きしていた。
だが目的はスライムではない。
目的はあくまでルルシュケルト討伐。
その時、暗黒の森に響く、大きな足音に気づいた。
「な、何だこの音は!?」
貴樹は慌てて彼女達の元へと戻る。
別にビビった訳ではない。
彼女達にもし万が一のことがあったら、
俺は彼女達を護らなけれればならない。
漢は護るものがあれば強くなるーーーー
漫画やアニメの主人公はそう言っていた。
確かにそうだぜ。
俺はさっき彼女達をスライムから救った。
敵が大きかろうと小さかろうと、
俺は闘う!!!!!
しかし、彼の決意はルルシュケルトの登場と共に、
微塵も残らず消滅した。
「で、でけぇ…」
木々に隠れて頭部が見えない。
俺たちの視界に辛うじて入るのは、
ルルシュケルトの大木よりも太い4本足で、
足の先が一体どうなっているのかさっぱりわからない。
余りのスケールに、恐怖よりも驚きが大きかった。
だから、貴樹の体は強張る事なく。
通常通り動いた。
「あれがルルシュケルトか?」
声を低くして、彼女達に尋ねる。
「そ、そうだよ。あれがルルシュケルト。デカいっしょ?」
格闘家は少し震えている。
安心させようと、肩に手を回そうとすると、
チョップで払いのけられた。
「ま、あれを倒せる秘策があるんでしょ?頑張って」
魔法使いちゃんは気怠そうに、溜息をついて、
木の幹に腰掛けてしまった。
でも、応援されたぞ!
彼女はクールというより、ツンデレなのでは?
さっきのはその片鱗に違いない!
貴樹は嬉しくて、飛び上がりそうだった。
弓使いさんは、俺に興味がないらしく、
さっきからずっと矢をいじっている。
本当に興味がないのだろうか…
いや、あれは妬いているのでは??
嫉妬……SHIT!!
俺が2人と仲良くしているから、
やきもちを焼いているの違いない!
おいおい、この世界は一夫多妻制か??
彼女達を選ぶ事なんて出来ないぞ。
どの子も最高にいい子なんだぜ。
異世界、万歳。
そうとなったら、彼女達を落とさねば。
恋という奈落の穴に…
大剣を抜き、肩に載せる。
そして一言。
「この戦いが終わったら…君たちに話したいことがある。だから、待っててくれないか?」
3人はキョトンとした顔でこちらを見ている。
察したか…
そのまま俺は振り向かず、
目の前の巨大な的に立ち向かっていった。
さーて俺様の秘策だが、
いつ芽がでるのであろうか?
そう、女神様が俺に与えてくれたであろう、
特殊能力のことだ。
異世界の主人公なんかは大抵持っている。
そう、この俺にだってあるはずなんだ。
さっきのスライムで試したが、
弱過ぎたのか、何も変化は感じなかった。
若干その点が心配でもあるが、
やるしか無い。
「ルルシュケルト…俺の為、彼女達の華々しい未来の為、死んでもらうぞ!!!」
大剣を構え、大木へと駆けていく。
助走を付けて、力を増幅するのだ。
そして、足を切り、倒れたところを、
ズタズタにしてやるぜ!!!
「どっせいや!!」
珍奇な掛け声とともに、
大剣はルルシュケルトの足に減り込んだ。
……と思われたが、弾き返されて、
貴樹の身体は一回、二回と回転した。
堅い。まるで歯が立たない。
でも、この剣は良い剣なんだ。
そんな筈はない。
「今度はもっと、近くで踏ん張って…」
剣を杖にして立ち上がり、
ルルシュケルトの足にもう一撃喰らわせる。
ゴンと鈍い音がして、大剣の刃が……
欠けた。
驚きの余り、声が出ない。
強い魔物から造った刀の筈だろ?
こんな初心者の街の様な場所に、
それを超越する奴がいる筈ない。
いる訳ないんだ!
我を取り戻したとき、
ルルシュケルトはそこにはいなかった。
「あ、あはは!俺に恐れをなして逃げたか!なぁーんだただの雑魚じゃんか。全くびっくりさせやがってさー」
女性陣に向かって言い訳したつもりだったが、
彼女達がさっきよりも遠くにいた。
「あはは、受けるんだけど」
「早く倒してよ」
「上から来るぞー」
弓使いにそう言われ、慌てて上を見上げる。
ん?なんだかさっきよりも影が濃いような…
スッと目と鼻の先を何かが通って行き、
地面に堕ちた。
巨大なボールが。
ドーンと大きな音と衝撃共に、
強い風が森中を駆け巡った。
まさかとは思うだろう。
そのまさかだった。
更には、そっちかよとも思うかもしれない。
その風で肥満体型の貴樹が吹っ飛んだ。
足が地から離れ、体が浮いたのだ。
その瞬間、貴樹は漏らした。
小も、大も。高校生にもなって。
堕ちてきたのはルルシュケルトで、
奴はヤマアラシの様に体を丸めたのだ。
貴樹は地面を鞠の様に転がり、
木の幹や根に悉くぶつかって、
やっと止まった。
全身が打撲したに違いない。
もしかしたら骨折だってしているかもしれない。
彼女達に、助けてもらわないと。
「か、かいふくの、ま、魔法してくれぇ〜。たすけてぇ〜」
上体を起こし、彼女達の姿を探す。
だが、見当たらない。
「お〜い、夫が、夫が怪我したんだぞ〜」
貴樹の悲痛の叫びが虚しく暗黒の森に響く。
え、うそ。まさか帰った?
それとも、俺が遠くに飛んだの?
それより、何で俺が痛い目に遭ってんの?
だって…だってさ。
俺、この異世界の主人公でしょ?
凄い力がある筈でしょ??
何で…何で…?
「くそおおおおおおおお」
地面に腕を叩きつけた。
「クソクソクソクソクソ!!あのくそビッチどもが!あのくそ女神!みんな死ね!死んで詫びろ!不幸になれ!!」
地面を何度も叩いた。
悔しさ、虚しさ、哀しさを全部ぶつけて。
その声に呼応する様に、地鳴りがした。
地震か?
いや、違う。音が近づいて来る。
ルルシュケルトが全身から針の様に、
尖った棘を出して転がって来ていた。
草木を荒々しく薙ぎ倒し、
一直線にこちらに向かって来る。
逃げないと、ここから逃げないと。
もう、彼に戦意なんてものは、
これっぽっちも存在していなかった。
そして貴樹はあろう事か、
防具を外し始めた。
「こんなんもう付けてられっかよ!臭いし最悪だっつの!体を軽くして、逃げねぇと!」
脱いだ防具を投げ捨て、
ルルシュケルトとは違う方向に逃げる。
ふたたび、白いふんどしのみで。
「全く、こっちに来てから走ってばっかだ!最悪だ!もっと違う良い異世界はなかったのかよぉぉぉ!」
一向に音は遠ざからない。
首を回し、振り返ってみると、
ルルシュケルトは貴樹の方へ方向転換をしていた。
「はぁ!?ふざけんな!あっち行け!向こうには3人もいるんだからそっちに行ってぶっ殺せよ!!犯せよ!!」
貴樹の願いは虚しく、ルルシュケルトは、
更にスピードを上げて追って来る。
「あっ」
思わず声を漏らした。
地面が……ない。
後ろにばかり注意を払っていたため、
前方を気にかけていなかった。
前方不注意。
貴樹は堕ちた。
崖の上から、真っ逆さまに。
眼下には暗黒が待ち受けていた。
終わった。そう思った。
17年も生きて来たけど、
なーんも良い事なかったなぁ。
折角、異世界に来たのにさ、
追いかけられて、襲われて、逃げられて…
本当、ついてない。
マジで、本当に、ついてない。
それなら、死んで生まれ変われば良いか。
次は細マッチョなイケメンだといいな…
彼の白くて、大きな体は、
暗黒の森の深い闇の中に沈んでいった。
どこまでも…どこまでも…