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刃の目的

作者:

 きぃと歪んだ音を奏でながら、その重厚な扉は開かれた。女は繊細かつ最小限の動きで室内の絨毯を踏み、そっと扉を閉める。

「ん、君は――見ない顔だね。新人の召使いかな?」

 踏み込んできた者に対し、部屋の主は気軽に声を掛けた。彼は豪奢な椅子にゆったりと腰かけており、明るい笑みを浮かべている。

「ええ、このような夜分に申し訳ありません」

 銀髪を靡かせて彼女は一礼をし、顔を上げる。己の主とされる者の容姿を認め――心の中で驚いた。

 金銀による装飾が施された書き物机に肘をつき、彼女を見つめるのは少年。齢は十二、三を超えているくらいで、あちこちにあどけなさが残っている。

 随所に幾何学模様の彫刻が施された彼女の居る宮殿で、最高位の人物。それが眼前の人物だと知り、彼女は密かに息を呑む。自分は今『王』を相手にしているのだと心に刻み、女は心身を引き締めた。

「君、随分ときれいな人だね。容姿もそうだけど、何より身のこなしが良い。体の軸がぶれていないし、足運びも効率的だ」

 年齢に似合わず、王はにこにこしながらそんなことを言う。彼は笑顔を浮かべ続けて、そこでようやく召使いが硬直してしまっていることに気付いた。

「ああ、ごめんね、びっくりしたよね。家臣の皆があんまりにも王の存在をひた隠しにするから、初対面の人には驚かれちゃうんだよね」

 どうしてあんなに隠すかなー、と少年は首を傾げ、困ったような表情を作った。首の動きに従って彼の金髪が揺れる。男にしては少し長い、首筋まで隠れる金色の流れは、少年の雰囲気に神々しさを加えている。

「それじゃあ、ちゃんと自己紹介をしようか。僕はテュル。ここら一帯、グランス大河とエイヌール大河の間の土地、アスシール王国を束ねる王だ」

 滑らかに立ち上がり、両腕を大きく広げて迎え入れるような体勢で、王は高らかに言い放った。見た目はごっこ遊びに興じる子供の様だったが、紛れもなく彼は高みにいる人物だった。

「それで、君はなんの用でこの執務室の扉を開いたのかな?」

 気分が高揚したのか、机から離れて室内を歩き回りながら少年は女に訪ねた。自由に振る舞いながらも、決して彼の目線は相手から外れていない。

「その、大変恐縮なのですが――お、王のご寵愛を賜りたいと思いまして……」

「ん? あーそういうこと。君、すごく美人だもんね。そっか、王様になると面倒なこともあるんだもんなー」

 体を捩って恥じらう召使いに対し、テュルは困惑する。彼は少し逡巡し、ふむと頷くと下卑た笑いを隠さずに彼女の方へと踏み出した。

「普段はこんなことしないんだけどね、僕はその度胸が気に入った。一晩の間、存分に付き合って貰っちゃおうかな」

 跳ねるような足取りで絨毯を踏みしめ、少年は本物の笑いをかみ殺す。

「ご寛恕いただき感謝します、王……」

 恭しく跪く召使いに対し、若き王は悪戯に告げる。

 心底楽しそうな表情をして。


「これから甘い一時を過ごすのに、その袖の下の刃は邪魔だろう? 早く出しなよ、僕が預かってあげよう」





 少年の始まりは、両親を殺した王国軍の全てを殺したことだった。

 ある日、彼の住む村を突然兵士たちが席巻した。役人の腐敗、王族の無知から来る、財政危機。それに伴う徴税という名の略奪だった。

 多くの民が幾度も暴虐の停止を訴えかけ、一人の人物が反逆だとして心臓の鼓動を止められた。やがて一人二人と死体が積み重なり、その数が二桁を超えた頃にデモは反乱へと変化した。

 民たちは武器としての使用に耐えない農具や斧、包丁などを持ち出し、正規軍へ挑んだ。金属同士がぶつかり合い、甲高い音を平和だった村に響かせた。喧騒は僅か数分で止み、代わりに血の香りと数多のモノ言わぬ肉塊を残した。

 そんな中で殺されゆく運命にあったのが、テュルという名を与えられた少年。僅か九歳のことだった。

 兵士たちは血に酔い、力に溺れ、命を奪い続ける。その混沌とした空気の中、テュルにも刃が突きつけられた。鋼を目の前にして、彼の心の奥底から純粋な感情があふれ出た。

 死にたくないという、ひどくシンプルな欲求が彼の動力源。近くに落ちていた、もう生者の所有物ではない包丁を手にし、彼はそれをただ振るった。

 相手の兵士は興奮状態にあり、赤子がだだをこねるように剣を扱っていた。剣技なんて高尚なものは欠片も無く、故に少年の刃が軽く届いてしまった。

 それは唐突に起きた事故。偶然にすぎない出来事の一つであったが、これが彼に抵抗の方法を教えた。

 復讐心も恐怖心も一切絡まない生への渇望は、彼の心を芯まで凍らせている。それは血を見ても動じない心を造りだし、肉を絶つ感覚を忘れさせていた。

 最初の一人が倒れれば、また別の兵がテュルの目の前に現れた。もう一人倒しては、更なる増援がやってきた。少年は本能に従ってただ武器を振るい、いつの間にか死体の山と血の海を作り上げていた。

(どうして、こんなことになった。なんで、僕はこんなことを)

 戦いの最中においても、テュルの思考は止まらない。地獄を生き抜いている間、苦痛を必死に堪えようと無垢な子供の精神が抗っている証拠だった。

「あんなガキにてこずりおって……。誰か、功を挙げようというものはいないのか!」

 兵士の中でも、一際装飾が豊かな鎧を着た男が部下に向かって呼びかける。その言葉の後、屈強な大男が勇猛な笑みを浮かべて前へ出た。彼の大柄な体躯は周囲の兵士が子供に見えるほどであり、その風貌は巨人と形容するのに相応しかった。

「隊長、俺がやりましょう!」

 巨大な曲剣を持ち、巨木と見紛うほどの腕を持つ大男はテュルに向かって走り出す。

「うおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 雄たけびと共に迫る大剣は、確かに少年の目に映っている。そして、子供一人を殺すのに過剰な大振りの動作も同時に、テュルの瞳が捉えていた。

 いくら屈強な兵士であっても、一度の戦闘で一桁以上の殺害をすることは少ない。そこまで至る前に大抵が死んでいるか、味方と交戦中で標的が無くなっているからだ。

 だが、この場においてテュルだけは例外だった。悲劇的な状況に偶然が重なり、人を切り捨てることを二十以上も経験している。だから彼は興奮することも悲観することも無く、戦闘という現実を冷静に見ていた。体の震えは無く、心からの恐怖も存在しない。その上殺害のストレスを誤魔化すため、少年の心は娯楽を狂おしいほどに求めていた。

(生き延びるために、あの人の剣を避けることは簡単だ)

 彼の心は冷たくなっていた。だから目の前の光景を認識して、対処することは簡単だった。

(でも生きることを楽しむために、あの人の剣を受け止めてみようか!)

 だがその凍った心を人間らしく動かすために、少年は自然と生きるための道を踏み外した。

 剣に当たれば死ぬというのに、周辺にその例がいくつも転がっているというのに、少年は危険のど真ん中へと飛び込みに行った。

 テュルは迫る刃を間近で見つめ、なおかつ自身の得物で滑らせるように受け流す。それは彼の少年らしい心を昂らせる行為で、心臓の鼓動を激しく打つことだった。

「このガキっ!」

 小手先の凌ぎに苛立ち、大男はますます剣技を荒げていく。その力に溢れた剣技は、より少年の挑戦心を煽るとも知らずに。

 見切り、受け流し、また見切る。避けるという安易な道を選ばず、テュルは鉄と鉄をぶつけ続けた。そして数を重ねるごとに、受け流すという行為が変質していくのを実感していた。

 流すのではなく留める。巨大な力を分散させて受け止める。剣戟の中で感覚の一端を掴み、それを自らの元へ手繰り寄せるようにして、テュルは成長し続けていた。

「うおおぉりゃっ!」

 屈強な戦士が地面を踏みしめながら声を張り上げ、巨大な剣を振り下ろした。

 キィンと、繊細な金属音が二人の武器から奏でられる。それは今までの戦場には存在しない、優美で残酷な音。少年はその美しい音色に口元を歪め、大男はその軽い音に眉をひそめる。

「ふふっ」

 テュルの心から歓喜が漏れる。感情は自然と表情に影響し、足運びを軽やかにする。

 カキンカキンと刃が踊り、いつしか戦闘は舞踏になっていた。時間が経つほどに男からは焦りが見て取れ、少年からは狂気の片鱗が現れようとしている。

「楽しいなぁ……。さっきと違って、とっても楽しい……」

「ふざけやがって! とっとと地獄に堕ちろぉ!」

 テュルの言葉を挑発と受け取った戦士は、とうとう乱雑に剣を振るい始めた。怒りと焦りで綯い交ぜになった心中を必死に制しながら、彼はひたすら暴力を振るう。

「くそっくそっくそっ! なんでこの俺が、こんな奴に!」

 戦いの中で、鈍い光を宿した刃が男の手から失われつつあった。荒んだ心に使われる度、剣の鋭利さは彼の理性と共に消えていく。

 テュルはそんな鉄の塊を次々に受け止めるが、時間が経つほどに吊り上った口角が下がり始めていた。動きから滲ませていた楽しさが影を潜め、目の前のモノを軽蔑する冷やかさが彼の瞳に宿り始めている。

 最早二桁では収まらないほど、彼らの打ち合いは続いていた。戦いを見物している正規軍たちは息を呑むことさえ控えている。罵声や応援、冷やかしや叫び声は微塵もそこにない。狂気と興奮でサイケデリックに彩られた戦場は、緊張だけが辺りを埋め尽くす戦闘へと変わってしまっている。

 注目が集まるその場所に、少年の動きを止めようと重厚な鉄塊が落とされた。大柄の兵士は全身を余すことなく駆動させ、脅威を排するために力を振るっていた。あまりの威力に、観戦者たちは地震が起きたのかと錯覚する。

「つまらない」

 衝撃によって舞う土埃の中から、ひどく呆れた声がした。

 渾身の一撃を紙一重のところで避けた人影が、土気色の霧から進み出る。

「あなたは、一体何を怖がっているんだ?」

 砂塵を引き裂いて、小さな刃物が戦場に躍り出る。

「僕は――躊躇の無い獰猛な剣技が好きだったのに」

 小柄な体躯が軽やかに跳ね、大男の目に恐怖を植え付ける。

「そんな怯えた剣は、もう楽しくなんかない」

 だから君はもう交代だ、と少年は宣告する。ただその言葉を大男が認識する前に、テュルの刃はごつごつとした喉を掻き切っていた。

 赤黒い液体が渇いた地面を濡らす。

 小さな足が地面に着いた数秒後、ずしんと音を立てて死体が地面に転がった。血だまりが見る見るうちに広がり、テュルの足元まで彩っていた。

「さあ、次の人は誰?」

 赤く染まった包丁は怪しく煌めき、少年の目は得物を見つけた肉食獣の如く、獰猛に爛々と輝いている。

「え、ええい! あの忌々しい子供を殺せぇ!」

 隊長が部下たちに命令を下す。その姿はどこか滑稽で、だからこそテュルは落胆した。少年の求める楽しさとは、決してそういうものではない。

「ねぇ、兵士さんたちさぁ。僕に笑われるんじゃなくて、僕を笑わせてよ!」

 テュルが高らかに言い放つ。

 上からの命令と下からの挑発に、血気盛んな兵士が十人ほどテュルに襲い掛かった。

 十人が一斉に剣を振るい、少年の逃げ場を無くす形で攻め始める。金属が空気を裂き、鈍い風切り音がテュルに迫った。

「二十点。数がたくさんいるのに、そんなに怖がってちゃダメでしょ」

 兵士たちの動きは、先ほどとは打って変わっている。無差別の殺戮ではなく組織的な戦闘でもない、焦りに動かされた剣技。そんなものは、テュルにことごとく読まれてしまっていた。

「同時に一定方向から凶器を振るっちゃってまあ……味方がどうなるか想像しなよ」

 テュルは最初にに自分へと届いた刃を軽く受け止め、薄ら笑いを浮かべながら目の前に呟いた。その小さな声が後続の兵士を動揺させ、僅かながら剣先を鈍らせる。

 この戦場において、兵士たちとテュルの決定的な差は恐怖の有無。生死、刃物、流血、底知れぬ未知などへの恐れが彼らの心に巣食っているのに対し、テュルの心はそれらを既に受け付けていない。さらに、戦闘からの娯楽を求める無垢な少年の心は、何よりも兵士たちの恐怖となっている。

 切り結んでいた相手をテュルは蹴り飛ばし、数瞬動きが止まった兵士の首元へと包丁をねじ込んでいく。

 その首には鎧代わりに鎖が巻かれていたのにも関わらず、隙間に押し込まれるようにして刃物は肉に沈み、裂いていた。

「――――――――――――――!」

 獣の絶叫を兵士は絞り出す。憎しみとありとあらゆる痛み、現実逃避の悲壮感が詰め込まれた音声は、否が応でも人の心を無残に侵していった。ただ一人の少年の心を除いて、であるが。

「よくも、よくもクラーンを殺したなぁぁっ!」

 とっくのとうに人でなくなった友の名を呼びながら、兵士の一人がテュルに斬りかかる。少し前まで略奪に溺れていた男が、剣を振るえたのは一重に恐怖によるものだった。友人を殺された怒りは火種に過ぎず、このままでは雰囲気に呑まれてしまう、といった危機感が主な原動力になっている。

「友人の仇だ! よく味わって死ねよクソガキ!」

 テュルは敵兵の視線の揺らぎを静かに捉える。さらに声の調子から罵倒に恐れが入り混じっていることを見抜き、素早く判断を下した。

 数秒前に事切れた遺体を持ち上げ、彼の得物――予備のロングソードを奪いながら盾とする。敵兵士の大地を砕かんばかりに踏み込んだ一撃は硬直した筋肉にめり込み、血を流させた。

 兵士は友を自らの手で傷つけ、友の血に染まる。まだ生暖かいその液体が、彼が少し前まで生きていたことを如実に証明している。

「あ、あ、ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ‼」

 今更涙を流し、慟哭しようとも遅い。死体に刺さった刃物を抜くには時間がかかり、その間にテュルの刃が兵士の喉元へ届いていた。

「もうちょっと冷静になれれば、僕を斬れたのにね」

 友の仇をとろうと友の遺体に斬りかかり、友の武器で友と同じように喉を突かれて死んだヒトに向かって、テュルは吐き捨てた。言葉と共に、肉の盾も捨てていた。

 地面に倒れる二人の顔つきを見て、誰かが言う。

「悪魔だ……。悪魔を今すぐ滅ぼせ!」

 高位の者が威厳を保つために発したのかもしれない。下級兵士が恐怖に駆られた可能性もある。戦友を殺された恨みが、そのような罵倒を生み出すこともあるだろう。言わずとも、その場にいた誰もがその言葉を胸に秘めていた。

「悪魔っ……」

 一旦形容されてしまえば、それは深く人の心に結びついてしまう。はっきりとイメージを固めてしまえば、集団の心に広く伝播していく。

 思考の乱れ、感情の揺れは体の駆動に強く影響を及ぼし、一人また一人と死体が増産されてしまう。昨日まで酒を酌み交わしていた相手が動かなくなる光景は、恐怖の肥大化に更なる拍車をかけた。

 死体から武器を補充し続けるテュルは、現在進行形で止まることなく軍隊を切り崩し続けている。得物を選ばず、右手も左手も関係なしに武器を振るい続ける少年の姿は、正しい場であれば英雄、現状では悪鬼そのものだった。

 真っ赤な両腕が集団の中で踊り狂い、瞬く間に命は奪われてゆく。きれいなソプラノの、狂喜の笑い声が地獄と化した村に響き渡り、どこからか反響していた。

「無理だ、こんなのには勝てない……」

 そして兵士の数が半減した頃――とうとう一人が、心からの声を漏らしてしまった。運の悪いことに、すぐさま声の主の胸部に刃が突き刺さる。

「もうちょっとましな人はいないのかなぁ? あの、背の高いお兄さんより強い人がいいんだけど……」

 テュルは流れるように軍団の中を駆け抜け、一際目につく人物を標的に定める。

「お、立派な鎧だね。これは期待できそう!」

 悪魔に目を付けられたのは、この部隊の隊長。馬に乗り、豪奢な鎧を着ている彼は、少年にとって新たなおもちゃだった。

「俺がこのガキを抑える! その間にお前らはこいつの息の根を止めろぉ!」

 質のいい剣を抜き、部下に指示を飛ばす敵を後目に、テュルは片足で跳躍した。鐙の隙間に小さな足を差し込み、全身を使って強引に馬上へ登る。小さな体格を備え、防具を着用していないからこそ出来る立ち回りに、周囲の兵士たちはただ圧倒された。

 騎乗戦闘は同じ騎兵か歩兵相手に考えられており、馬上に登ってくる相手は想定されていない。馬の上でも振りやすいはずの短い剣はテュル相手に機能せず、男はあっさりと首を斬られて、命を絶たれた。

 常識が崩壊する音を立てて、馬の主は地面に落ちた。それをきっかけに、兵士たちが武装を捨てて逃げ惑い始める。

「ねぇ、もっと強い人、ちょうだい?」

 そこからはもう戦闘ではなく、羊の群れと一匹狼の狩りだった。

 






「いい、久しぶりだ。こんなに楽しみなことは無い――」

 最初の高揚を思い出しながら、王はただ笑っていた。眼前には絶世の美女。それも、袖にナイフを仕込んだ暗殺者だ。

 彼女はもう召使いの振りを止め、刃物を剥き出しにしてテュルに襲い掛かろうとしている。少年が今までに遭遇したことのない、暗殺のための剣術が披露されようとしていた。

 暗殺者は一瞬で距離を詰め、首筋を狙って右手で素早くナイフを突き出す。テュルは目を輝かせてその動きを眺め、右の手の甲で暗殺者の腕を払った。

「なっ⁉」 

 女は予想外の動きに驚いていた。刃物に憶するのでも刃物から逃げるでもなく、素手で対応したテュルの度胸に思わず舌を巻く。

(でも、それだけなら殺せる)

 払う動きに逆らうように、右手を横なぎに動かす。あくまで狙いは首。奇を衒わず、シンプルな動きで標的の命を狙う。

(さて、どうする?)

女は、テュルが上体をそらして刃物を避ける動作を静かに観察した。目線を標的から外さず、自らの意図が伝わらないようにして左手に意識を集中する。人差し指を動かし、嵌めている指輪の存在を確かめた。

そして指輪に付いているボタンを押し、仕込まれた刃を露出させる。その金属は薄く、短く、何より脆かった。刃物というより棘に近い暗器だ。鉄の先は艶やかに光っており、その危うさは一瞥するだけで理解できるだろう。

少しでも扱いを間違えてしまえば自分の手を傷つけてしまうそれを、暗殺者は迷いなく剥き出しにしたのだ。

彼女は右手のナイフを操りながら左手で王の首を狙う。短刀を避けた直後の危ういテュルの体勢に、はたくようにして刃を打ち込む光景をイメージした。

「次はそういう秘密道具か。面白いよ、暗殺者っていうのは!」

 少年は崩れた姿勢でなお、敵を余さず見る。迫る手に対して同じく左手を差し出し、仕込み刃ごと思いっきり握りこんだ。鋭利な薄い刃は易々と彼の指を裂き、少しの鮮血を零させる。

密着によりお互いの身体が擦れ、戦闘による熱が融けあう。雰囲気に当てられて王の口角が吊り上った。

「やっぱり武器があったね――ふふっ、予想通りな感じで、そんなにヤバいモノじゃないかな?」

「分かっていてこんな行動を? 狂っているのか、お前は……」

 暗殺者は吐き捨て、距離を取ろうと対象の腹に膝蹴りを打ち込む。若干の骨に掠った感触から、鳩尾に入ったことは確信していた。

 そして相手の身体が崩れ落ちないことから、続けて二つのことも確認する。

「体の硬直がもう始まったか……少年王とやらも大したことはないようだ」

 女は握られたままの左手を見て、くつくつと苦笑した。興が乗ったのか、心の底から溢れ出る感情に蓋をして言葉を紡ぐ。

「筋肉が固まってしまってはこの手を解くのが面倒だが、依頼を達成できるなら問題ない。幼いとはいえ格好の良い男と手を繋げたのだから、ここは礼を言うべきだろうか、王よ?」

「カッコいいなんて女の人から言われたことないや。お世辞でもありがとね、おねーさん?」

 声に反応して女が動こうとする前に、彼女の手がギリギリと軋んだ。テュルが、左手をおもいっきり握っているのだ。少年の掌に刺さっていた刃が暗殺者の手にも食い込み、傷を作っていく。

「この剣うっすいね。骨に負けて折れちゃうよ? こんなのじゃ、まるで戦いの役には立たないじゃないか」

 指摘したことを証明するかのように、少年は手に込める力をどんどんと高めていく。ついに暗殺用の脆い刃はあっさりと折れ、鉄の破片は両方の手に深々と突き刺さった。

「なんで、動ける……? 薬が効いていないの……⁉」

「そんなさあ、自分の手に刺しちゃうかもしれない武器に毒塗るなんて勇気あるね。僕だったら、無意識に配合する毒の強さを弱めちゃうよ」

 王は繋いでいた手を放し、プラプラと振って溜息をつく。贅を尽くした赤色のカーペットがさらに濃く染まる。

 対して女の方は、薬の効果が表れ始めていた。体が硬直し、左腕は震えて使い物にならなくなっている。

「な、なんども実験して……毒に慣れているわたしも、こうやって、痺れているのに」

「あはは、舌が回らなくなってるじゃないか。確かに、君が最初に自分へ投与したときは効果が強力だったよね。でも、段々効き目は薄れていったんじゃない?」

「それは、耐性ができたからで……」

「ふぅん。その割には、僕への効き目も薄いけどなぁ。舌の回りも悪いし左腕も使えないけど、まだ戦えるレベルだ。まあこうやってミスすることを考慮すれば、いい感じの効き目なのかもしれないけどね」

 少年はそう言って笑うも、その笑みは引きつっていた。左腕は力なくぶら下がっており、赤色の雫が指先を伝って足元を濡らしている。

「いらい、だっけ? 面白そうな単語が聞こえたけど、後回しかなぁ。それよりも、もっと戦いたいし!」

 少年は壁に掛けられていた儀礼用の短剣を右手で取った。鞘を口に加え、勢いよく持ち手を引き抜き、刀身を露わにする。きらめく鉄には刃が存在せず、それがあくまで権威の象徴であることを示している。

「こんどは、こっちも得物を使わせてもらうよ」

 テュルは右手で模擬刀を弄びながら、じりじりと敵に近づいていく。体に異常が出てもなお笑い続ける彼の姿は、暗殺者には異形にしか見えなかった。

「あな、貴方みたいな狂人がっ……! 悪政を敷いているのか‼」

 暗殺者は強く芯のある声を発しながら標的に向かって跳びかかる。跳躍の途中で袖から二本目のナイフを抜き、左手で持った。痛みが走り、痺れが左半身を中心に駆け抜ける。女は歯を食いしばり、指先に神経を集中させた。

 刹那、二つの刃物が王の元へと到達する。鈍い色の軌跡を描きながら、命を奪う道具がテュルの眼前で舞っていた。

「すごくいい、いいね! 暗殺者の剣ってのは、こういうものなんだ!」

「そうやって戦いを楽しんで! あなたみたいなのが王だから、だから、周りの人が苦しんでっ……!」

 突きを払い、薙ぎを逸らし、返しを受け止め、斬撃を見切る。テュルは使えない左半身抜きでそれを行い、楽しんでいた。無論それは無傷というわけにはいかなかったが、致命傷も負ってはいなかった。

 きらきらと凶器が乱舞して、血が周囲を彩っている。傷つくのは少年ばかりで、彼は戦闘の間、一切敵の身体を斬りつけてはいなかった。

 命のやり取りの内、暗殺者は声も同時に叩きつけていた。悪政への批判、王への憎悪、宮殿への糾弾……それらはどれだけ時が経とうとも、剣をいくら交えようとも、女の口から止まることなく流れ出て――――

「つまらないな」

 それを聞いていたテュルが、そんなことを言った。

「悪意に満ちた剣技もいい――野蛮でも、残酷でも、残虐でも、無造作でもいいモノはいい。でもそれだけは、無知だけはつまらないな」

 彼の剣が一瞬止まったかと思うと、それは即座に二つのナイフを叩き落とした。

「奴隷解放からくる平民の失職、腐敗した官僚を追放したが故の社会制度の変更――そんなことぐらいしか、僕は指示していないんだ」

 奴隷の中に優秀な武芸者がいたら嫌だし、腐った豚どもを見るのも嫌だからね――と少年は付け加える。

「君ほどの人が、そんなことにばかり文句を言っているのはおかしい。暗殺者というのは、どこにでも潜入するために学を備えているんだろう? なんでそんなに、偏った思想だけを持っているんだ?」

 少年の剣が、女の首に触れる。

「こんなことでは剣技が鈍る。楽しくない。だから訊こう――君は誰に雇われた?」

「それは――」

 女の瞳が、初めて大きくぶれた。

「それか、誰の子飼いだった――と訊くべきなのかな?」

 女の身体が薬以外の作用で震え、彼女の唇が渇き始めた。

 もはや彼女に武器は残されていない。それにあったとしても、先ほどと同様に速攻で無効化されるのは目に見えていた。

「そんなの、言えるわけ――」

 女が言いかけて、扉が、強く開かれる音がした。


「王様、ご無事でいらっしゃいますか‼ 賊めは、この私、デミオールが、デミオールが! 成敗いたしますぞ‼」


 野太く賤しい声がした。遅れて、体の奥底に響くぞろぞろという足音がした。

 テュルは音の方向に目を向け、眉をひそめる。 

 彼の澄んだ瞳に映っていたのは、先日雇われたという肥えた官僚とそれに付き従う兵士たちだった。彼らは保守的で、まだ王への謁見を許されてはいないはずだった。

「兵よ、王を害す賊を急ぎ射よ!」

 デミオールの号令で兵士が小さなコンポジットボウに矢を番え、放つ。ヒュウと風を切り、矢は暗殺者の足へと突き刺さった。暗殺者は短い弦の威力にくずおれ、倒れてしまう。

「王よ! ああ、なんとお痛ましい……」

 賊を無力化したことを判断すると、デミオールは傷ついたテュルの方へと仰々しく駆けてきた。兵士たちも室内へとなだれ込み、倒れた暗殺者に剣を向けて取り囲む。

「でももう安心ですぞ。このデミオールが、このデミオールが! あなたの安全を自らの命に代えてでもお守りいたしますぞ!」

「………………………………………………………………………………………………………………」

 テュルは、黙っていた。

 女はまだ、痺れと痛みに苦しんでいる。

「して、王よ。この哀れな賊はいかがいたしましょうか?」

 少年はただ、黙っていた。

「おい、王は大層お怒りだ。その賊の首を一刻も早く撥ねよ」

「あ、はい、わかりましたデミオールさ」

 その兵士の胸に、儀礼用の剣が突き刺さった。薄いといっても胸当てを貫通して、である。

「お、王よ。なにを……!」

「自作自演で暗殺者と私兵を雇い、僕のご機嫌取りなんて楽しいかい、デミなんとか?」

 殺した兵士からロングソードを奪うと、少年は宣言した。

「結果によっては生き延びれるかもね? あの女性より君たちが面白ければ―――の話だけど」

 次の瞬間には剣が煌めき、もう一人の兵士が死んでいた。

 この場に居るのは十八人の兵士と一人の腐った官僚、死体が二つに暗殺者が一人、王が一人である。




「まったく、こんなにして……まあいいです、私が処理しておきますから」

「ごめんねデュール。つい気に入らなくて」

 翌日の朝、執務室において交わされた会話である。

「いいですよ。私はあなたの参謀兼世話人ですから」

「ほんとにごめんねー」

「それにしても、仮眠用の寝台で寝ているあの女性はなんなのですか? 愛人ともなれば、私も対策せねばならないのですが」

 デュールは治療を施された銀髪の女性を指して言う。

「そういうのもほどほどにしてくださいね? 王位継承権の調整は面倒ですから」

「いやいや、あの娘はそんなんじゃないって」

「ならば、一体どういう?」

「強いて言うなら、とってもすごい娘だよ」

 テュルは今までにないほどの屈託のない笑みで、そう言った。それはまるで、輝く太陽のように眩しく。

「僕の剣を初めて他人のために振らせた、すごい娘なんだよ」

 窓から射す暖かな陽光が、眠る暗殺者を照らしていた。


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