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「その優しさの源泉は、
愛?…それとも、恐れ?」
私が高校2年のとき、生徒会長だったジョンから言われた台詞だ。ジョンはクリスチャンだった。──いかにも、な感じの。
◇ ◇ ◇
私の高校は、偏差値がとても低くて、勉強があまり得意ではなく、どちらかというと、遊びに思いっきり情熱を注ぎすぎてやや周りに迷惑をかけてしまうような人が、かなり多い。そして、恐らく私もその中の一人。経験できることは一通りやる。放課後のカラオケから始まって、ライブ、クラブ、お泊り、旅行、いろんなバイト(本当に色々)、夜通しのパーティ、お酒、たばこ、それから、不純異性交遊に、怪しげなクスリ…。でも、だからと言って「不良なの?」と言われると、非常に返答に悩む。確かに、「良」ではないけれど、私としては、「流れに身を任せている」っていうか。自然としてたらそういうことになってた、みたいな。
私の彼氏もそんな感じ。ちなみに私の彼氏は、学校の用務員をやっている。用務員っていうと、結構年配のおじいちゃんとか想像するけど、私の彼氏は20歳。ずいぶん若い用務員だ。彼なんか、まさに毎日を楽しむことへの余念がない。いっつも楽しそうにニコニコ笑ってる。私は彼氏のそんな笑顔が8割ぐらい好き。残りの2割は嫌い。なんでかって、私に意地悪しているときもその笑顔だから。彼氏の部屋にいて、TV観たりとかゴハン食べたりとかイチャイチャしたりとか、一通りの行事を終えた後、彼氏はよく解らない名前のプロレス技を私に掛けてくる。これが本当に、死ぬほど痛い。──で、私はきまって泣く。だって、すごく痛いんだ。そんなときも、彼氏は笑っている。そして、私の痛みと悲しみがピークに達したとき、彼氏は笑いながら謝ってくる。そして、また二人は抱き合うのがパターン。…テンプレートな日常。
私自身はというと、友達からは「とっても優しい子」で通ってた。…彼氏からも良く言われた。「お前、本当に優しいな」って。でも、皆勝手なことし合ってるんだから、だれかは調整役にならなきゃいけない。たぶん私はそんな役。…で、周囲も私にそんな役を期待してたんだと思う。
◇ ◇ ◇
そんなある日、私たち女子の間で、新しい遊びが考案された。その名も「美人局ゲーム」。
とにかく、私たち女子グループは平均して、十分に遊べるだけのお金が圧倒的に少なかった。だから、それを稼ぐ術を考えなくてはいけなかった…特に一部の女子は。
言い訳するつもりはないけど、私は結構バイトもハードに入れてたから、そんなにお金が必要だったわけじゃない。でも、そのゲームにはちゃんと協力した。知ってると思うけど、女子のコミュニティは結構大変なのだ。
で、その「美人局ゲーム」だけど、ルールは非常に簡単。
1)女子の一人が放課後、男性職員を無人の教室に呼ぶ。
▽ ▽ ▽
2)進路相談をしながら、途中で女子は男性職員を誘惑する。
▽ ▽ ▽
3)男性職員が誘惑を断ったら、私たちの負け。誘惑に乗ったら私たちの勝ち。物陰に隠れて、一部始終を撮影してる仲間たちが姿を現す。
▽ ▽ ▽
4)あとは、ジダンってやつ?…話し合いで、男性職員からお金を貰う。
まったく、本当にこんなこと良く考えるよねーって笑いながら反応したら、「じゃあサキ、美人局の餌役のトップバッター宜しくね!」と来たもんだ。ちなみに、サキっていうのは、私の名前。皆もイエーイとか言ってやがるし。本当にこのときは困った。…でも、結局受け入れた。──いつも通り。──友達には優しく、流れに身を任せて、なるようになれ、で。
まあ、後から考えると、私は結構目立っちゃってたんだろう。…もちろん、悪い意味で。バイトで皆の誘い断る日も多かったし、彼氏もちゃんといたし。その彼氏の中身はゲス度高め感が満載だったんだけど、困ったことに外面はカッコよかったものだから、周りの女の子たちからしたら「結局美味しいところは全部持っていってない?」的な気持ちだったんだろう。…そんな良いものじゃ全然ないってのに。
でも、とにかく、私は美人局の餌役をやることになったのだ。…ちなみに「美人局」の意味はスマホで検索して知った。
◇ ◇ ◇
その時がどうだったかを、簡単に言う。
その1)私は男性職員Y氏を教室に呼んだ。
▽ ▽ ▽
その2)大して誘惑をしないうちに、Y氏は私に迫ってきた。
▽ ▽ ▽
その3)私はY氏にキスされた。服の上から胸を揉まれた。
▽ ▽ ▽
その4)仲間の女子たちが物陰から登場し、Y氏に迫った。
▽ ▽ ▽
その5)Y氏は訳わからない奇声を上げて、逃げていった。
▽ ▽ ▽
その6)翌日、Y氏は自殺した。
──特に遺書らしきものは発見されなかったけど、たまたま前日に私とY氏が一緒にいるのを見た生徒がいて、そこから噂が噂を呼び、最終的にY氏はストーカーで私はその被害者、ということで落ち着いた。
◇ ◇ ◇
私が初めて、身近で受けた(というかほぼ当事者として)事件。その事件はニュースとなった。ニュースとなって事件は更に大きくなった。私はいろんな人に同情され、慰められ、いろんな人に噂された。──彼氏も慰めてくれた。…笑いながら。
これを聴いて、さぞ当時の私は良心の呵責に悩まされて大変だったろう、と思うかもしれない。…だけど、不思議なことに私はいつも通りご飯を食べて、学校に行って、友達と話して、夜はぐっすり眠った。眠れなくなることもなかった。…そのときのことを、考えさえしなければ。
◇ ◇ ◇
そんな風にときは過ぎていって、事件から2週間経ったある日、担任の先生が「一度ジョンに話を聴いてもらえ。向こうにはこっちから話しておくから」って言ってきた。何急に?て思って私がその先生を軽く睨んだ。
──今思うと、その先生は私の様子がおかしいことに気付いた、数少ない人だったのだ。だって、このころの私、確かに異常だった。だって──
『人を、一人殺した』のだ。結果として。
…それなのに、私は普通に、皆と一緒に過ごしてたんだから。いつも通り、「優しいサキ」「面倒見の良いサキちゃん」だった。…そんな風に「普通」で居続けることの異常さに、きっと先生は気づいてくれたんだろう。
でも、相談役が「なんでジョンなの?」っていう疑問はあった。ちなみに、『ジョン』というのは、生徒会長で、クリスチャンで、生徒だけでなく教師の相談役もやっているという噂(私たちはそれを陰で『ジョン・ザンゲ』(ジョンの懺悔)と呼んでいた)で、かつ弱視であまり目が見えないらしい…という、私の1コ上の先輩で、超有名人。もちろん私はジョンのことを知っていたけど、たぶん向こうは私のことを知らない。
私はジョンに話すことをとても嫌がったが、担任の先生は頑なだった。「いいから、一度。一度だけで良いから。ジョンに話、聴いてもらえ」先生はそれを繰り返した。
◇ ◇ ◇
「…今日一日、一番考えていたことを教えて?」
渋々迎えたジョンとの面談で、彼は簡単に挨拶を済ませた後、まず私にそう聴いてきた。私はひどくビックリした。…ナニソノ質問?
「え……ちょっと…わかりません」
私は応えた。
そんなこと聴いてどうすんだよ。反省してます、って言えってこと?
「…じゃあ、昨日、一番想っていたことは?」
「…それも、わかりません…すみません」
私は、応えながら落ち着かない気持ちになってきていた。──ジョンは、弱視と言って目が殆ど見えないらしい。だからだろうか、焦点の合わない目で私をじっと見つめていた。それが私を、とても落ち着かない気持ちにさせた。私の外面じゃない何かを、見透かされているような気分だった。
そんな感じで、ジョンの質問は続いた。淡々と。私は、その度に「分かりません」とか、無言で首をかしげたりして返していた。
「…君が今、幸せになる為にはどうしたら良いだろう?」
何度目かの質問でジョンはそう言った。幸せ?…知るかよ、そんなの、と思った。…でもそんな風に応えるべきではない…落ち着け、私。
「私自身の幸せ…ですか?」
「うん」
「…私の幸せよりも、亡くなったY先生と、Y先生のご家族のことを考えてしまいます」
「Y先生と、Y先生のご家族の、何を考えるの?」
「…早く、今の悲しみから抜け出してほしい…って」
私はそう答えた。──警察に、マスコミに、同じように応えていた台詞。──ここ最近、ヘビーローテーションだった、テンプレ文言。
「優しいんだね」
ジョンはそう言った。は?優しくなんかねーよ。
私の心は、ジョンと話を重ねるごとに、どんどん濁っていく。
「…自分が優しいとは、あんまり思えません」
私は怒りを抑えながら、そう言った。
「そんなもんだよ。優しさなんて」
ふいにジョンは投げやりに言った。
「…はあ」
なんなんだよ、一体。優しさが大事だとか大事じゃないとか。
「…優しさの源泉は2種類あるんだよ」
ジョンは、まっすぐこちらを見ている。それがとても、息苦しくて。
「君の、その優しさの源泉はどこから来ている?」
この時の私の怒り…というか、混乱は、なんだかもう、ピークに達していた。──よく解らないけど、今までで一番の拷問じゃないかってくらい、この会話のやりとりが苦痛だった。
なに、なんなのこれ?…これが噂のジョン・ザンゲってやつ?
ハハハ…○ねよ。
「どこから…ってどういう?」
それでも私は聴いた。…聴くしかなかったから。
「愛…でなければ、恐れ」
ジョン先輩は、そう言った。
「君の優しさは、愛と恐れ……どっちから、来ている?」
◇ ◇ ◇
なんて酷いことを言うやつなんだと思った。…恐れだなんて。
どれだけ
どれだけ、私が、
どれだけ私が、これまでかろうじて逃げてきたか、わかっているというのか。
この、──悶える恐怖から。
それに捕まってしまわぬように。
どれだけ、
必死に、逃げてきた、のか。
そして、同時に、気付いた。
ああ、私、
怖かったんだって。
そう、私は、怖かったのだ。
── Y氏を死なせてしまったことが。
── そして、それに動じないでいる私自身の心が。
── そんな私を、何ごともなかったかのように受け入れている、周囲の反応が。
そして、一番怖かったことは、
私の中にも、私の周りにも、『愛』だなんて、ヒトカケラもなかったってこと。
それを認めることが、とても、怖かった。
私は、その時初めて、泣いた。
──馬鹿みたいに、ワンワン泣いた。
ジョンは、やっぱり、焦点の合わない目で、私のことをじっと見ていた。
□ □ □
…ふう、話し疲れちゃった。
もっと簡潔に話せれば良かったんだけどね。
ほら私、頭良くないからさ。説明が回りくどいってよく言われるんだ。ゴメン。
その後は、結構大変だった。…色々ね、事件の関係者の人たちにもう一度、事実を伝えに行ったり、謝罪したり…その時初めて、何人かの人から怒られ、そして蔑まれた。でもね、不思議なもので、人から叱られたり呪われたりしたときのほうが、よっぽど、私は自分の存在を、今までより鮮明に、感じることが出来た。…なんだろう。とっても辛かったけど、怖くはなかった、って感じかな。まるで、私が生きていく上で通過しなくちゃいけない儀式、みたいな感覚。…ちょっと自分よがりで、不謹慎な言い方かもしれないけど。
そして、そのころから当時の仲良しグループとも距離が出来始めた。彼氏ともいつの間にか互いに連絡を取らなくなっていた。…いつの間にか私、一人で行動するようになってた。
ねえ、なんでこんな話をあなたにしたか、わかる?
フフフ、分らないよね。
この話は、あなたへの優しさのつもり。
その優しさはきっとね、「愛」から来ている。あなたへの。私なりの。
…それで、
あなたが普段見せている、その優しさは、──どっちなの?
愛?
それとも、
恐れ?
…